こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

絵から芝居への転向、そして

2015年04月10日 01時15分55秒 | 文芸
絵から芝居への転向、そして……

 絵を描かなくなったのは、いや、描けなくなったと言い直すべきだろうが、可笑しなことに、高校美術部の部長に推されてからだ。
 美術部といっても、前年までは『ストーリー漫画同好会』としての活動だが、顧問から、美術部にまとめ、正規の部昇格を狙わないかの助言で、アッサリと転向に到ったものだ。
 特に漫画への執着はなかった。というのも、絵との関わりは、漫画より古くからで、別段どちらでも良かったのが真相。
 幼少から中学にかけて、写生大会とか○○コンクールで、金賞・奨励賞等の常連として、“天狗”になった時期がある。それが油彩画に取り組んだ頃から、完全に打ちのめされた。思い通り描けないための焦りが積もり、絵筆を握るのすら嫌になる。
「元来、油絵ってやつは、基本を身につけない我流では、相当のセンスが伴わない限り、難しいものだ」と、画廊をやっている知人が、最近教えてくれた。しかし、当時は、盆地に囲まれた田舎の住人では及びもつかないことだ。
 油絵をあぐねた末に、手塚治虫や横山光輝の漫画に魅せられていく。墨汁とペンがあれば、自由な創造が簡単に出来る世界。完全な虜になるのも早かった。
 夢を賭けた投稿が続く。たった一度だけの準佳作は別にして、ボツの連続。変な話だが、その狭い門へのじれったさが、前にしくじったはずの油絵に再び手をつけさせた。
 今回は漫画と自我流の油絵との両刀使いだ。そうさせる魅力が、絵にあったのは確実だ。かような顛末だから、部活動の内容変更に易々と応じられたのだろう。
 ところで、新しい美術部に入部してきた顔ぶれは」、油絵のつわものばかり。クロッキーの段階から、彼らとの基礎技術の差は歴然だった。完全に敗北を味わったその日から、またしても絵は描けなくなったのである。
 絵が駄目ならではないが、次に魅了されたのが、演劇。否応もなく、誘われるままに劇団へ飛び込む。以来、もう既に二十数年の付き合いだから、よほど相性が良かったに違いない。
 今は劇団の主宰者として、脚本を執筆の上、演出を手がける立場。静の芸術から動の芸術への転身は、いい結果をを生み出した。
 絵と演劇。異なる芸術分野での体験を通じ、一番感じた差。演劇はプロ・アマの隔たりが、さほど明確に現れない。絵はまさにその逆。プロ・アマの差は歴然としている。
 むろん、そうでなくては面白くないし、多くの鑑賞者に感動を与え得るプロ画家の存在価値はなくなろう。かくて、職業画家のプライドは恐るべきものになるのは止むを得ないことだ。それが、あの動かぬ平面に近い造形物に、生命を吹き込むための思い入れにもなる。
 果実。舞台公演に姫路城のキャンバス画が必要になり、探し求めた経緯の中で、プロとアマの意識と姿勢の違いを存分に教えられた。
 プロ思考の大家には、けんもほろろに門前払いを食らった。「趣味道楽の類いじゃないぞ!」との一喝に、「そりゃそうだ」と妙に納得したものである。
 最終的にやっとこさ相手の好意に甘えて借用願った画家は、
「唯一の楽しみだから、姫路城だけでも数十点描いてる。もしお役に立つのなら喜ばしいことだ。どうぞ遠慮なく使ってください」
 との、当方にとってはこうえなく有難いお言葉。あまりに優しい対応に恐縮しきりだったが、そこにはプロの匂いは感じられなかった。プロの厳しさを期待しながらの訪問だっただけに、見事外された格好だった。
 それでも、私論を持ち続けるわたし。絵に生きるプロ画家は、完璧な思い入れの世界に拘る、凡人には叶わぬ、過酷とも言える自意識過剰であるべきだ。それが、不特定多数の人間に、様々な感慨をもたらす素因となるはずなのだ。
 舞台創造の場合も同様。妥協で仕上げた芝居のなんともお粗末なこと。ところが、素人の役者を使っても、妥協なく拘泥し続ける演出家の舞台は実にすばらしい。時にはプロに匹敵するハイセンスな芝居が観られ、もう最高!
 絵画の世界から落ちこぼれた過去を踏み台とし、舞台創造に専心するわたしにとって、崖っぷちに立たされても妥協を選ぶのか、或いは吹っ切れるのか。ここ一,二年の間に分岐点が来る。
 わがことながら、第三者的にはほくそ笑みながら結果を待ち望むのだ。この第三者的とは、演出家としては常套手段である。もし吹っきれずに終われば、案外お楽しみとしての絵画の世界に戻るはめになるかも。
 しかし、素材さがし、ラフスケッチ、肉付け、そして微妙な細部のいじくり。最後に、また全体を舐め回して仕上げる。
 芝居も絵画も創作工程は同じだ。とすれば、違いが分かるのは、やはり、天性のセンスによるのか。こりゃあ絵も芝居も気楽にやれるものじゃなそうだな。懲りないね、わたしも。
(凡画廊新聞・一九八七年十月一六日掲載)

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