こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

「葬送」ー惜別の正体・その2

2014年12月05日 00時09分37秒 | おれ流文芸
 野呂木を忌避する気は毛頭ないが、その饒舌に、今夜ばかりは少し距離を置きたかった。もちろん、通夜は、故人をあれこれ限りなく偲ぶための宴席(?)である。存分に生前の思い出を語り合うべき席なのは分かってはいるが、どうもそんな気分になれそうもない。ただ静かに、じっくりと、記憶の中の吉森と向き合いたかった。
 野呂木は、ここぞとばかりに、よく喋った。別に迷惑をかけているなどと意識はしていない。この気配りのなさを除けば、実に気のいい男だった。
 意思に関わらず、耳に飛び込んでくる野呂木の情報は、微にいり細に渡っていた。よくそこまで仕入れたものだと感心する。
 吉森が死んだのは、会社から三百メートルほど離れた駐車場の車の中だった。エンジンはかかったままで、スモールもついていた。朝早く駐車場に出入りした、昼勤務の早出の社員は当然気付いた。ただ、深夜勤務の人間が車で仮眠するのは珍しくはない。声をかけずに放っておくのは、彼らの一種のマナーでもある。
 昼の休憩で食事に出ようと車に向かった、同じ社員が、朝見た車にまだエンジンがかかったままなのに気付いた。訝って覗き込むと、もう死に色の吉森の顔と見合う格好になった。酷いショックを受けたのは間違いない。ドタバタと事務所に飛び込んで、声にならない叫び声を上げたらしい。
 すぐ救急車が呼ばれたものの、結局無駄だった。手遅れ!吉森の心臓はとっくの昔に停止していた。
「心臓マヒらしいわ。そいでも、朝一番に声をかけられとったら、大丈夫やったかもわからんで」
 野呂木の饒舌は、吉森家の玄関先まで途切れることはなかった。通夜のための受け付けの数歩先で、ようやく野呂木の口は閉じられた。
 見ている方が辛くなる。通夜客の挨拶を受ける吉森の妻は、憔悴の色が隠せないでいる。目の下に出来た隈は化粧でも消えていない。両脇で、今にもくず折れそうな母親を支え、健気に振る舞っている若い男女は、吉森の子供らに違いない。吉森の面影を持った女性の方は、仕事中にしょっちゅう聞かされた噂の娘だろう。
「このたびは……」
 どうしても言葉にならない。口篭りをを誤魔化すために、ただただ頭を下げた。急に吉森の妻は顔をそむけた。嗚咽が漏れた。思わず何かが胸の奥からこみ上げる。
「娘はんな、もう臨月が近いらしいんや」
 吉森の笑顔がいっぱいに広がった遺影を前に、ちょっと居ずまいを正しかけた時、またしても野呂木だった。さすがに声はひそめている。それにしてもいい加減にしてほしい。
「ほんまに神さんも、えらいえげつないことしやはるで。なあ」
「ああ」
 仕方がなくて、合槌を打った。徹底して無視を通せる性格の持ち合わせはなかった。
「吉森はん、孫の顔も見られんで、そら未練残してはるわ。なあ」
 今度は沈黙を守った。もう野呂木の相手は勘弁ねがいたかった。心静かに吉森の成仏を祈ってやろうと、目を閉じた。
 夕方七時前、職場に入った。夏場は十五、六度にクラー設定される工場の一角に調理ゾーンがある。二月に入ったばかりで寒さは頂点にあった。コンクリートの床で冷気が倍加され、底冷えの感がする。もちろん暖房の類いは、余程のことがない限り、使われない。
「えらいことやったなあ、吉森のおっちゃん」
 前掛けを付けながら調理場に入ってきた小倉が、あいさつ抜きで話しかけた。吉森とえらく気のあったパート従業員だった。
「ほんま、信じられへんね」
「まだ五十やのに。若すぎるがな」
 四十半ばの小倉が、人生をもう充分すぎる程生きたって顔付でいった。杉崎は五十の坂を越えて四年目になる。    (つづく)


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