老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1486; 変わった味

2020-04-04 19:32:22 | 阿呆者


変わった味

認知症グループホームで暮らししていたときの話

グループホームは、スタッフと認知症老人が一緒に食事を作る
調理が不得手な人もいる

味付けがうまくいかなかったおかずを食べたとき
スタッフは、「不味い」「美味しくない」と遠慮なく言葉にする

認知症のお婆さんは「変わった味だね」、と 気遣いの言葉。
あいてを思い遣る言葉に 彼女の優しさを感じた。
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1485;99歳の別れ

2020-04-04 10:58:44 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


99歳の別れ

登喜子婆さんは
介護老人保健施設に入所することになった。

介護施設入所になると
介護施設のケアマネジャーに担当が変わる。
(自分は在宅のケアマネジャーであるため)
99歳の別れとなり、寂しい。

ときどき無呼吸もあり、十分な食事量、水分量も摂れず
食べれなくなり、熱発などになっても
「再入院」せずに施設で「看取り」を行うことを
息子(75歳)は選択した。

家に帰りたい登喜子婆さん
家に帰りたいけど帰れない。

登喜子婆さんは、「自宅の畳で死にたい」、
その願いをカナエルことはできなかった。

看護師のいて、泊りのできるデイサービスを探し回ったが
空きはなかった。
息子夫婦、家で看取ることは「できない」という意識が先に立ち
訪問看護や訪問介護などのサービスを提案しても受け入れができなかった。

介護サービスの主体者は利用者(要介護老人)である。
家族の声よりも老人の声を尊重し、支援しなければならないのだが・・・・。
現実に介護するのは誰か

誰のためのケアマネジャーか 
ときあるごとに悩む・・・・

老親に対する息子夫婦の気持ちの温度差
また、子ども自身も老い病を抱えていると介護がしたくてもできないジレンマ。

老人との別れは避けられない。
「自宅で死ぬ」ことよりも「介護施設に入所する」ことのほうが辛い。

いま、コロナウイルス感染が拡大し、介護施設は面会禁止の状態にある。
登喜子婆さんだけでなく入所されている老人たちは思う
「息子、娘はどうして面会に来てくれないのだろうか・・・・」。
危篤の連絡を受け、面会に訪れても、もう言葉を交わすこともできずに
登喜子婆さんは亡くなっていく。

4月1日 登喜子婆さんに会ったとき、
私の顔をみて わたしであることがわかり笑顔で迎え、強い力で両手を握りしめてくれた。
彼女が握ってくれた力の感触を思い出す。

病院を退院する頃 桜が満開の風景にあると思う。
車の窓から さくらの花を見せてあげたい・・・・






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