老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「生きる」は「老いる」ことなのか

2020-04-30 20:44:06 | 老いびとの聲
1523; 「生きる」は「老いる」ことなのか

ぼけ〜ッとしている、と
チコちゃんから怒られてしまいそうだが
たまに閃めくことがある

人様からみたらたいしたことではないのかもしれない
何かと言うと
「生きる」とは、「老いる」ことだと思っている。

老いたときに、「生い立ち」を尋ねられることがある。
「生い立ち」の言葉から、「生る」と表現でき、「老いる」と
同じ響きをもつ言葉であることに気がついた。

なんだか屁理屈のようなブログの感がする。
思考力、想像力が低下してきたところで
おやすみなさい。


泪で溢れた骨壺

2020-04-30 05:27:36 | コロナウイルス


1522;泪で溢れた骨壺

昔 ギリシャの人は 悲しいとき 人知れず そっと涙壺に 涙を流した。

コ  孤独ならぬ三度孤立に遭わされ逝く
ロ  ろくでもない菌にとりつかれ
ナ  泣いても泣ききれない
ウ  浮かばれない大切な人のいのちは
イ  遺骨となり家族のもとに帰ってきた
ル  瑠璃光如来像(薬師如来像)に祈り
ス  過ぎ行くコロナウイルスとなることを願う

コロナウイルス感染し亡くなると
看取り(見送り)も 火葬にふされるときも 遺骨を壺に収めるときも
家族は立ち会うこともできない
骨壺は泪で溢れるほど あなたの非情な悲しみが伝わってくる

いちにちも早くコロナウイルスの絶滅を願うばかりである
わたしも免疫力ゼロの裸同然の躰にあり
コロナウイルス感染は他人事(ひとごと)ではない