老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1234;追われるもの

2019-10-08 11:50:31 | 阿呆者
追われるもの

ローンを組み、その返済に追われ、まだまだ続くと思うと溜息がでる

時間に追われ、仕事量は減らず、齢を重ねゆくと集中力と効率も落ちゆく

西陽が射し 影を追う老いびとの足どりも 怪しげに映る

赤とんぼに 追われてみたのはいつの日か


1233;悩みは尽きない

2019-10-07 19:33:49 | 阿呆者
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悩みは尽きない

行動を起さなくても
悩みはある

行動を起しても
悩みはある

行動を起さなくても起しても
悩みがあるなら
何もしない方がよい、と思うが
同じ悩むなら
行動を起こした方がいい

悩みは
死ぬまでつき纏う

苦しみ悩み(苦悩)

四苦八苦という言葉がある(仏教用語)

四苦は 生苦 老苦 病苦 死苦
残りの四苦は
「愛別離苦(あいべつりく)」 愛する人や物と別れる苦しみです
「怨憎会苦(おんぞうえく)」 会いたくない人や物と会わなければならない苦しみです
「求不得苦(ぐふとっく)」  求めるものが得られない苦しみです
「五陰盛苦(ごおんじょうく)」肉体あるがゆえの苦しみのことです。
               この肉体によって、 苦しみながら、老いて病気になって死んで行く


人間は八苦がつき纏い これをみると悩みは尽きないことがよくわかる

人間、おぎゃ~と生まれた瞬間から死ぬまで苦しむ

苦しみながら生きる 
これでは何とも悲しく辛く切なくなる

これも仏教用語であるが
抜苦与楽 という言葉がある
苦しみを抜いて楽を与える

相手の苦悩を
悲しみ慈しむ
相手の悲しみを受け入れ(苦しみを抜く)、慈しむことにより
相手の気持ち楽にさせる(与楽)ことである
これを「慈悲」という

生き方や人生の悩みに応えていくのが仏教(仏の教え)なのかもしれない




1232;普通に生きるとは

2019-10-06 07:24:13 | 阿呆者
「普通に生きる」とは

いまが、幸せな気持ちだな、と感じるベスト3をあげてみた

我家の一人息子 元気に聴いてみた
人間の言葉は離せないけれど
ときどき犬語で 自分の訴えをわかって欲しくて
話しかけてくるときがある

犬にも感情はあり
飼い主の感情をつかんでいる

元気をみていると
飼い主の性格に似ている、と感じることがある

話しは本題に戻し

元気の幸せな気持ちベスト3

1位は 食べているとき
    特に人間様が食べている物は余計食べたい
    肉や果物かな

2位は 自由に外を歩きたい
    散歩のとき外の風など鼻で臭いを嗅ぐときかな

3位は 寝ているとき
    一日中寝ていても目は腐らない


飼い主(ご主人様)の 幸せな気持ちベスト3

1位 美味しい物を食べているとき
2位 四季折々の自然の美しさ(風景)を眺めているとき
3位 寝ているとき

なんだか元気と同じ
人間も犬も幸せな気持ちは同じなのかな


上を見ず
他人を羨ます
物欲は必ずしも幸せな気持ちにさせるとは限らない

普通に生きること
簡単なことでもあるが
煩悩が邪魔をし普通に生きることのむずかしさを覚えることもある

普通とは 何か
いま こうして生きていることが
幸せなのかもしれない

老いても仕事ができていること
元気と暮らせていること
元気に癒される
wifeに日々小言を頂くが
それも愛情の裏返しなのかも

昨日 wifeと那須高原で
お茶をしてきた
そんなささやかな時間が
幸せな気持ちにさせてくれる

生きていること
それ自体幸せなのかもしれない

1231;365日の紙飛行機

2019-10-04 20:14:46 | 歌は世につれ・・・・


365日の紙飛行機

wifeが好きな歌で いつもカラオケで唄っている
紙飛行機 よく子どもの頃折り 授業中に飛ばし
先生から怒られたこと いまとなっては懐かしく思い出す

『紙飛行機』の歌詞のなかで特に好きな言葉は
「やりたいこと 好きなように 自由にできる夢」
老いても まだまだ やりたいことを 好きなように
challengeしていきたい

「その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか」
他者と比較したり羨んだりすることではなく
どう行動したか そのなかで何を感じ 何を思ったのか
「心のままに」素直に生きれたら どんなにいいだろうか

童心に帰り 紙飛行機を飛ばしてみようか



 365日の紙飛行機

作詞:秋元康 作曲:角野寿和・青葉紘季

朝の空を見上げて                        
今日という一日が                        
笑顔でいられるように                      
そっとお願いした           
                                    
時には雨も降って                          
涙も溢れるけど                           
思い通りにならない日は                      
明日 頑張ろう

ずっと見てる夢は                         
私がもう一人いて                         
やりたいこと 好きなように                    
自由にできる夢                          

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ                      
風の中を力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番 大切なんだ
さあ 心のままに
365日

星はいくつ見えるか
何も見えない夜か
元気が出ない そんな時は
誰かと話そう

人は思うよりも
一人ぼっちじゃないんだ
すぐそばのやさしさに
気づかずにいるだけ

人生は紙飛行機
愛を乗せて飛んでいるよ
自信持って広げる羽根を
みんなが見上げる
折り方を知らなくても
いつのまにか飛ばせるようになる
それが希望 推進力だ
ああ 楽しくやろう
365日

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番 大切なんだ
さあ 心のままに
365日

飛んで行け!
飛んでみよう!
飛んで行け!
飛んでみよう!
飛んで行け!
飛んでみよう!


1230;彼岸花

2019-10-04 06:53:11 | 阿呆者
彼岸花

在宅訪問の帰り路
目に留まった彼岸花
背丈は自分に似て短い彼岸花

キャンバスを止め
彼岸花に挨拶
童話絵本『花さき山』

もう古い絵本で
自分が高校を卒業し
津軽海峡を渡るとき
年上の看護師からプレゼントされた『花さき山』

彼岸花を思い出した
曼珠沙華ともいわれ
山口百恵の歌を連想してしまう

赤い曼珠沙華
燃えたぎる血をイメージしてしまう




1229;寝ているときが至福の境地

2019-10-02 20:12:29 | 阿呆者
ピンボケの逆様スヌピイー 


寝ているときが至福の境地

これから日毎に寒くなり
朝、蒲団から這い出るには勇気がいる
「あと5分」「あと10分、寝てから起きる」
そう思い再び眠りにつく

目が覚め
寝過ごしたことに気がつき
慌てる自分がいる
「あと10分」が生命取りとなった

それにしても
寝ているときが至福の境地
現世における悩みを忘れてしまうほど
眠りは麻薬みたいなもの

1228;突然の死

2019-10-01 21:03:32 | 原風景
突然の死

ある日 突然の死が襲いかかり
死の準備もないまま生き途絶えた
妹への最期の言葉は「大丈夫か」、と
自分の傷みよりも妹の躰を心配していた

交差点で大型車が軽自動車にぶつかった
薄いドアは大破し 85歳の姉が即死した
姉が身代わりとなり運転していた妹は助かった
他人事と思っていた交通事故死は
自分の家族の中に起き 他人事でなくなった

wifeの母は あと1分早く あと1分遅く 家を出れば
交差点で交通事故に遭遇しなかったかもしれないのに、と
悔んでも悔やみきれない、と繰り返す
躰の傷みよりも心の傷みの深さが心配になってしまう

110歳の老母に会いに行く途中、遭遇した交通事故
老母は三女が亡くなったことは知らない
毎日病室に訪れていた三女と五女(wifeの母)の面会が
突然「プツン」、と途絶えてしまった
何かあったのでは、と老母は感づいているのか
精気が抜けたような老母の顔に見えてしまう

ただただ 小さくなった老母の手を握ることだけしかできない自分

死は
準備が必要
家族に遺す言葉や
死に逝く人を
見送る時間
そうした営みのなかで
死は互いに受け入れられ逝く

それが
予期せぬ突然の死は
時間が遮断され
一瞬死を悲しむことさえも奪われ
後悔 憤り 憎しみ 悲嘆の感情が複雑に絡みあい
85歳の伯母さんが亡くなったことが 未だに信じられない、とwifeは呟く

wifeにとり伯母さんは「第二の母」的存在であっただけに
悲しみのトンネルから抜けきれずにいる

筑波山からの日の出
伯母さんは筑波山の日の出をみながら
関東平野の大地で生きてきた
伯母さんのご冥福をただただ祈るだけです
伯母さんがwifeの妻(妹)身代わりになったのかもしれない
そう想いながらも突然の死はいたたまれずにいる

                                          事故が起きたのは令和元年9月18日