宇宙から来て、宇宙へ帰る
自己紹介の欄に
“我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか”
ゴーギャン 絵画「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
私はどこから来たのか
それは宇宙なのかもしれない
私は何者か
これがいちばん厄介な問いかけである
宇宙人なのかもしれない
私はどこへ行くのか
宇宙に帰るのかもしれない
そのときは銀河鉄道に乗って帰りたい
老人は砂時計を眺めながら
残り少ない時間(人生)を楽しむ。
砂時計を180度回転させるのは、これが最後になる。
砂時計は砂一粒の落下から始まり
最後の砂一粒が下の空間に静かに着地したとき
星の砂となって輝く。
♬ 『銀河鉄道・青い地球 』のなかに
ひとは 誰でも しあわせ探す 旅人のようなもの
本当にそう思う
しあわせ探し求め往く(逝く)
”なにもなかった” と ”なにも「し」なかった”
”なにもなかった”
”なにも「し」なかった”
一見似ている表現だが違う
「し」いち文字が入るだけで、意味は大きく違う
”なにも「し」なかった”は
一日なにもせずに終えてしまった。
なにもせずに遊び呆け終えたのか
よく遊んだ日は、翌日は仕事で頑張る。よく遊べ、よく働けである。
なにもせずにぼ~と過ごしたのか
これはこれで、何も考えずにぼ~と過ごすことでストレス解消にもなる
今日為すべきことがあったのに
行動を起こすこともなく、”なにも「し」なかった”ということになると
後悔や仕事の先延ばしになってしまう
次に、今日は”なにもなかった”
なにもなかったことは、なにも「し」なかったことではない。
在宅老人やデイサービスの老人、スタッフそして家族が
今日一日無事故、健康で過ごせたこと
亡くなった人や救急車で病院に運ばれた人もいなかった
なにもなかったことが、小さな幸せの積み重ねなのかもしれない
平凡が幸せなのかもしれない
路傍の花や小さな生き物たちから
発見や感動を受けたり、また癒されたりすることもある
春一番
春よ来い
そんな心境にある
同じ話の繰り返し
介護者は先の見えない介護に疲れている。
「どうしていいかわからない」「疲れが溜まった。でも、介護するのは私しかいない」
「夫は我儘で、私(妻)の苦労がわからない」
「いままで夫と暮らしていたが、家を建て儀父母と暮らようになった。移り住み、知っている人が誰もいない」
「おかずや総菜・弁当を持っていっても”美味しくない””こったらもの食べたくない””美味しくない”などと文句ばかりで嫌になっちゃう」
・・・・・・・
夫も姑も我儘放題、感謝の気持ちがない、と
いつも同じような悩み?とも 愚痴?とも つかない話になる
介護者は聞いて欲しい、とケアマネジャーの訪問を待ちわびている人もいる
次の訪問宅の予約時間を遅れることがないよう、
その家の訪問時間は60分は確保している。
同じ話であっても、介護者は前回話したことは忘れている。
だから私は、初めて聞くような態度で臨む
「前にもその話を聞いたよ」というのは禁句であり
またその話か、といったような感じで態度に表さないことが大切。
誰に話していいか、わからないし、話す人もいないと、と介護者は話されます。
いつも同じような悩み?とも 愚痴?とも つかない話をすることで
気持ちが軽くなった、すっきりした、と介護者は胸の内を話される。
人いろいろであれば、ケアマネジャーもいろいろです
同じような話になったら、「次の約束の時間があるので帰ります」とか
話が長い人は、11時半近くに訪問し、
「昼が近いづいたのでお昼の準備もあることでしょうから、この辺で失礼します」、と
言って帰ります。
「同じような話は聞いていられないし、疲れる、こちらがストレスになる」、と
ある女性ケアマネジャーは話してくれた。
ケアマネジャーの役割って何だろうか
ある地域包括支援センターのセンター長からもよく言われる
「入り過ぎず、距離を置いてかかわりあうことが大切。
でないと自分の心身(からだ)が持たないよ」、と。
たしかにストレスが溜まるときもある
そのストレスをどう解消するか
仕事を一時的に忘れ
自分の場合は、読書やwifeとドライブに出かけたり
録画が溜まっているドラマを観たりしている。
でも忘れることはできない
気になるのだ・・・・
樹(木)になるのは、林檎や蜜柑、柿だ、とwifeに話したら
つまらない駄洒落は言わない、介護者や老人には受けないし、
ましてや若い娘にも受けない、相手にされないよ、とチクリ言われた自分であった。
介護者は先の見えない介護に疲れている。
「どうしていいかわからない」「疲れが溜まった。でも、介護するのは私しかいない」
「夫は我儘で、私(妻)の苦労がわからない」
「いままで夫と暮らしていたが、家を建て儀父母と暮らようになった。移り住み、知っている人が誰もいない」
「おかずや総菜・弁当を持っていっても”美味しくない””こったらもの食べたくない””美味しくない”などと文句ばかりで嫌になっちゃう」
・・・・・・・
夫も姑も我儘放題、感謝の気持ちがない、と
いつも同じような悩み?とも 愚痴?とも つかない話になる
介護者は聞いて欲しい、とケアマネジャーの訪問を待ちわびている人もいる
次の訪問宅の予約時間を遅れることがないよう、
その家の訪問時間は60分は確保している。
同じ話であっても、介護者は前回話したことは忘れている。
だから私は、初めて聞くような態度で臨む
「前にもその話を聞いたよ」というのは禁句であり
またその話か、といったような感じで態度に表さないことが大切。
誰に話していいか、わからないし、話す人もいないと、と介護者は話されます。
いつも同じような悩み?とも 愚痴?とも つかない話をすることで
気持ちが軽くなった、すっきりした、と介護者は胸の内を話される。
人いろいろであれば、ケアマネジャーもいろいろです
同じような話になったら、「次の約束の時間があるので帰ります」とか
話が長い人は、11時半近くに訪問し、
「昼が近いづいたのでお昼の準備もあることでしょうから、この辺で失礼します」、と
言って帰ります。
「同じような話は聞いていられないし、疲れる、こちらがストレスになる」、と
ある女性ケアマネジャーは話してくれた。
ケアマネジャーの役割って何だろうか
ある地域包括支援センターのセンター長からもよく言われる
「入り過ぎず、距離を置いてかかわりあうことが大切。
でないと自分の心身(からだ)が持たないよ」、と。
たしかにストレスが溜まるときもある
そのストレスをどう解消するか
仕事を一時的に忘れ
自分の場合は、読書やwifeとドライブに出かけたり
録画が溜まっているドラマを観たりしている。
でも忘れることはできない
気になるのだ・・・・
樹(木)になるのは、林檎や蜜柑、柿だ、とwifeに話したら
つまらない駄洒落は言わない、介護者や老人には受けないし、
ましてや若い娘にも受けない、相手にされないよ、とチクリ言われた自分であった。
公園に来て
太陽は、日だまりと日陰の「光影」をつくる。公園に
訪れる人たちも光と影を抱きながら生きている。まね
のできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる。公園
に来て君達は 公園をひとりじめしてる。
どこに行くあてのない老人はひとりベンチに座わり、
丸い飴を舐めながら幼な児の姿を見ている。
止まった時間のなか、ヨチヨチ歩きの幼な児、ヨタヨ
タ歩きの老人の姿はどこか似ている後ろ姿。老人には
まねのできない幼な児の笑顔に癒される。
公園の外は、大都会の駅も街も人混みで喧騒のなかに
あり、慌ただしく時間が過ぎ去って往く。公園は止ま
った時間のなかに、やすらぎをさがし人々が訪れる。
若いころ、東京の児童養護施設で子どもたちと暮らし
たことがあった。23区には大きな公園や小さな公園
があり、よく子どもたちと遊びに行った。
大都会は緑が少ないせいか、緑や小さな川や池をとり
こんだ公園が整備されてあった。
地方に移り住み、ゆたかな自然があるせいか、大都会
にあるような公園は整備されていなく、徒歩や自転車
で行けるような公園はきわめて少なかった。自分が住
んでいる村には公園はない。
小椋佳の『公園に来て』を聴くと、杉並区や世田谷区
の公園を思い出す。
公園に来て、夏は日陰、冬はひだまりのなかで、ひと
ときやすのらぎをさがし、長閑な時間のなかでひとり
過ごすことを妄想している自分であった。
公園に来て
作詞 小椋佳 作曲 小椋佳
わずかばかりの緑にも 日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう
まねのできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる
公園に来て君達は 公園をひとりじめしてる
遠くないところに いつだって母親が見ている
ふりかえることもなく にぎやかに娘達がゆく
公園に来て幸せが その先にまってるように
さむざむとその道を 戻った少女には気づかない
いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥が飛んでゆく
朝の雨にあぶれた 日雇いのおじさんがいる
公園に来て昼休み 背広着た勤め人五人
あわれみとけいべつ そして又うらやむ目でみてる
ぬるい日ざし受けてる べンチに老人がひとり
公園に来てまるいあめ 一日中なめつづけている
かみくだいてみたくは ないのかといたずら小僧め
いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥がとんでゆく
わずかばかりの緑にも 日だまりと日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう
太陽は、日だまりと日陰の「光影」をつくる。公園に
訪れる人たちも光と影を抱きながら生きている。まね
のできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる。公園
に来て君達は 公園をひとりじめしてる。
どこに行くあてのない老人はひとりベンチに座わり、
丸い飴を舐めながら幼な児の姿を見ている。
止まった時間のなか、ヨチヨチ歩きの幼な児、ヨタヨ
タ歩きの老人の姿はどこか似ている後ろ姿。老人には
まねのできない幼な児の笑顔に癒される。
公園の外は、大都会の駅も街も人混みで喧騒のなかに
あり、慌ただしく時間が過ぎ去って往く。公園は止ま
った時間のなかに、やすらぎをさがし人々が訪れる。
若いころ、東京の児童養護施設で子どもたちと暮らし
たことがあった。23区には大きな公園や小さな公園
があり、よく子どもたちと遊びに行った。
大都会は緑が少ないせいか、緑や小さな川や池をとり
こんだ公園が整備されてあった。
地方に移り住み、ゆたかな自然があるせいか、大都会
にあるような公園は整備されていなく、徒歩や自転車
で行けるような公園はきわめて少なかった。自分が住
んでいる村には公園はない。
小椋佳の『公園に来て』を聴くと、杉並区や世田谷区
の公園を思い出す。
公園に来て、夏は日陰、冬はひだまりのなかで、ひと
ときやすのらぎをさがし、長閑な時間のなかでひとり
過ごすことを妄想している自分であった。
公園に来て
作詞 小椋佳 作曲 小椋佳
わずかばかりの緑にも 日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう
まねのできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる
公園に来て君達は 公園をひとりじめしてる
遠くないところに いつだって母親が見ている
ふりかえることもなく にぎやかに娘達がゆく
公園に来て幸せが その先にまってるように
さむざむとその道を 戻った少女には気づかない
いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥が飛んでゆく
朝の雨にあぶれた 日雇いのおじさんがいる
公園に来て昼休み 背広着た勤め人五人
あわれみとけいべつ そして又うらやむ目でみてる
ぬるい日ざし受けてる べンチに老人がひとり
公園に来てまるいあめ 一日中なめつづけている
かみくだいてみたくは ないのかといたずら小僧め
いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥がとんでゆく
わずかばかりの緑にも 日だまりと日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう
春なのに
春なのに
コロナウイルス騒ぎで
花見は中止
春なのに
コロナウイルス感染者増え続け
楽しみにしていた桜花見は
あちこちで中止の声
桜の花も寂しそう
厳しい冬の季節を乗り越え
咲いた桜の花
春なのに
桜花爛漫な姿が見れないなんて
寂しすぎる
老いびとたちにとっても
桜の花との対面は
最後かもしれない
人知れず 桜の花に会ってこよう
春なのに
コロナウイルス騒ぎで
花見は中止
春なのに
コロナウイルス感染者増え続け
楽しみにしていた桜花見は
あちこちで中止の声
桜の花も寂しそう
厳しい冬の季節を乗り越え
咲いた桜の花
春なのに
桜花爛漫な姿が見れないなんて
寂しすぎる
老いびとたちにとっても
桜の花との対面は
最後かもしれない
人知れず 桜の花に会ってこよう
振り出しに戻った?
今日の出来事
朝風呂に入ったときのこと
何気なく左肘の上をみたら
瘤が一つできていた
いま治療中の「非結核性抗酸菌」が悪さをし
新しい菌ができた
昨年暮れに入院、年明けの1月2月は毎週通院治療し
非結核性抗酸菌(他人には感染しない)は収まり
治る方向に向かっているのかな、と
思っていたところへ
またもしぶとく抗酸菌ができ、振り出しに戻った感じである。
3月26日に感染症科の外来予約がとれているけれど
明日電話し今週受診した方がよいか、訊ねてみようと、と思っている。
今日の出来事
朝風呂に入ったときのこと
何気なく左肘の上をみたら
瘤が一つできていた
いま治療中の「非結核性抗酸菌」が悪さをし
新しい菌ができた
昨年暮れに入院、年明けの1月2月は毎週通院治療し
非結核性抗酸菌(他人には感染しない)は収まり
治る方向に向かっているのかな、と
思っていたところへ
またもしぶとく抗酸菌ができ、振り出しに戻った感じである。
3月26日に感染症科の外来予約がとれているけれど
明日電話し今週受診した方がよいか、訊ねてみようと、と思っている。
あなたが傍にいるだけで
あなたが傍にいるだけで
わたしの気持ちは安らぐ
あなたが傍らにいるだけで
あなたのやさしさが伝わる
あなたが傍らにいるだけで
慰めの言葉もいらない
無言の言葉であったとしても
あなたの想いが伝わる
いつのときも
あなたが傍にいて欲しいと
思ってみたところで
それは無理なことだとわかってはいる
せめても
寂しいとき、悲哀(かな)しいとき、辛いとき
あなたが傍にいてくれたら
どんなにかわたしの心は癒され
もう少し生きてみようか、と思う
あなたが傍にいるだけで
わたしの気持ちは安らぐ
あなたが傍らにいるだけで
あなたのやさしさが伝わる
あなたが傍らにいるだけで
慰めの言葉もいらない
無言の言葉であったとしても
あなたの想いが伝わる
いつのときも
あなたが傍にいて欲しいと
思ってみたところで
それは無理なことだとわかってはいる
せめても
寂しいとき、悲哀(かな)しいとき、辛いとき
あなたが傍にいてくれたら
どんなにかわたしの心は癒され
もう少し生きてみようか、と思う
片道切符
人生は片道切符
在来線で行くか
新幹線で行くか
在来線に乗車しても
新幹線に乗車しても
終着駅は同じ
老いにはいると
各駅停車の電車に乗り
窓から流れる風景を眺めたり
ふらりと無人駅を降りひとり旅を
山下清さんのように愉しみたい
いつになるか
常総線(下館駅ー取手駅)yahooより引用
人生は片道切符
在来線で行くか
新幹線で行くか
在来線に乗車しても
新幹線に乗車しても
終着駅は同じ
老いにはいると
各駅停車の電車に乗り
窓から流れる風景を眺めたり
ふらりと無人駅を降りひとり旅を
山下清さんのように愉しみたい
いつになるか
抱きしめて(再掲719)
両手はしっかりと握り
母親の胸に抱かれている赤子
一抹の不安もなく
まどろみの心地にある
老いたあたしは
膝小僧を抱きかかえ
ひとりわびしく寝るさまは
野良犬のようだ
やりきれない刹那さ
どうしようもない不安
すがれるものはなく
思わず
愛犬を抱きしめ
気持ちの時化を静めた
両手はしっかりと握り
母親の胸に抱かれている赤子
一抹の不安もなく
まどろみの心地にある
老いたあたしは
膝小僧を抱きかかえ
ひとりわびしく寝るさまは
野良犬のようだ
やりきれない刹那さ
どうしようもない不安
すがれるものはなく
思わず
愛犬を抱きしめ
気持ちの時化を静めた
待ち時間
飛行機搭乗口時刻に急ぐ3分は早く感じる
カップラーメンを待つ3分は長く感じる
3分という時間の長さは変わらぬはずなのに
非情にも時間は待ってはくれない。
お腹が空き、カップ麺にお湯を注いだときの3分は
じれったいほどに時間は遅々として進まない。
飛行機搭乗口時刻に急ぐ3分は早く感じる
カップラーメンを待つ3分は長く感じる
3分という時間の長さは変わらぬはずなのに
非情にも時間は待ってはくれない。
お腹が空き、カップ麺にお湯を注いだときの3分は
じれったいほどに時間は遅々として進まない。
親愛なる子どもたちへ
手紙 ~親愛なる子供たちへ~ の詩を読み、聴いたとき 亡き母を想い浮かべた。
私もいつの間にか、老いびとになった。
樹木の葉が、枯れ朽ちてゆくように、私も枯れ死んでいく。
この詩は、老親から我が子へあてた”いのちの手紙”でもある。
長生きの時代になった。
齢を嵩ね嵩ね 老いに向き合い、生きて逝く老いびとたち。
いままで「できていた」ことが「できなくなってきた」老親の姿。
大きくなった”子ども”たちから
「どうしたのよ」「こんなこともできないなんて、しっかりしてよ」、
と言われようになった私。
年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
服の上やテーブルの下に食べ物をこぼしても
同じ話を何度も何度も 繰り返しても
思わずオシッコを漏らしても
むせり飲み込むことができなくても
足も衰えひとりで立ち上がることができなくても
何もできなくなった老親の姿をみて、悲嘆しないで欲しい。
記憶も言葉も失い、身体が衰えても
何かが失われたわけではない。
わたしは「私」であることに変わりはない。
目の前にいる老いびと
やすらかに棺のなかで眠る老いびと
人、それぞれに人生があり
その時代を懸命に生きて来られた。
老人と幼子
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい
親から子へ
子から老親への
いのちを引き継ぐ
死に向かう親を 少しだけ付き添って欲しい、とささやかな老親の願う”いのちの詩”
手紙 ~親愛なる子供たちへ~
【作詞】不詳
【訳詞】角 智織
【日本語補詞】樋口 了一
【作曲】樋口 了一
年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい
私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
4月8日で7歳になるbeagle元気 腰の痛みがきがかりで~す
椎間板ヘルニア
一昨日のこと
我が家の一人息子(6歳)が、二本足で立ち上がったとき”キャン~”と、痛々しい声で鳴いた。
何事か、と思い駆けつけた。
玄関を出ても散歩に行きたがらず、ゲージに戻る。
心配になり、仕事をやりくりし、その日のうちにかかりつけ医受診した。
レントゲンの結果、「椎間板ヘルニア(初期)」の診断だった。
痛み止めの注射をし
痛み止めの粉薬5日間とサプリメント「グルコサミン(液体)」が処方された。
安静ということで、14日間散歩はお休み。
自分も骨粗鬆症の疾病があり
自分も服用したいグルコサミンだが
免疫抑制剤を服用していることもあり
自己判断で(勝手に)サプリメントを服用することは「禁」じられている。
犬は「痛い」「痒い」の言葉を話せないだけに
動きや表情を観察しながら、見守るしかない。
石の下にハサミムシ まだ自分はハサミムシを見たことがない yahoo画像より引用
母親の亡骸
石をひっくり返すと ハサミムシが生息している。
腹を空かしたハサミムシの幼虫は、
母親の体を食べ始める。
ハサミムシの母親は、子どもたち(幼虫)を慈しむかのように
自分の腹のやわらかい部分を差し出す。
母親は痛みにじっと耐えながら動くことなく
子どもたちが自分を食べる様子を静かに見守っている。
自分の命と引き換えに、子どもたちの成長を願うハサミムシの母親。
人間という生き物は、子育ての大変さ面倒くささを嘆き、
我が子を虐待死させてしまう。
子どもたちに体を食べられながら,遠ざかる意識のなかで、
ハサミムシの母親は何を思うのだろうか、
どんな思いで命を終えようとするのだろうか。
成長した子どもたちが石の下から這いだし
石の下には母親の亡骸が残っていた。
(稲垣栄洋著『生き物の死にざま』草思社 16頁~22頁)
生きるのも大変
今週から在宅訪問を始めた。
99歳の登喜子婆さんは、快復に向かい
いま介護者の手を軽く握れば、歩けるまでになった。
訪問したとき、ベッドに寝ていた。
「一緒にお茶を飲もう」、と言葉をかけると
彼女は起きだし、
居間でお茶を飲んだ。
登喜子婆さんは、
「起きているよりは、寝ているほうが楽だ」
「生きるの大変」
、と話され、その言葉が耳朶に残り
人間、生きるのも死ぬのも大変であることを
老女の言葉から改めて思ってしまった。
今週から在宅訪問を始めた。
99歳の登喜子婆さんは、快復に向かい
いま介護者の手を軽く握れば、歩けるまでになった。
訪問したとき、ベッドに寝ていた。
「一緒にお茶を飲もう」、と言葉をかけると
彼女は起きだし、
居間でお茶を飲んだ。
登喜子婆さんは、
「起きているよりは、寝ているほうが楽だ」
「生きるの大変」
、と話され、その言葉が耳朶に残り
人間、生きるのも死ぬのも大変であることを
老女の言葉から改めて思ってしまった。