老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1431;ぽっかり穴があいた

2020-03-03 16:00:00 | 阿呆者
昔は我が家の水田だった。離農し田畑を売り、生家も失った。帰る家がないのは寂しい。でも故郷の風景が遺っていた。

ぽっかり穴があいた

同じ屋根の下で暮らす
家族

亡くなる
その場所だけが
心が
ぽっかり穴があき
言葉にできない
悲しさ、寂しさに襲われる


家族
言い争い、喧嘩、怒られたりもしたが、家族皆で食堂に入り、
熱々の醬油ラーメンを食べた。昭和30年の頃の我が家にとり
ご馳走だった。

いまあなたは床に伏し静かに眠る。戦後、町の娘が農家に嫁ぎ、
その労苦や遣る瀬無い気持ちは、言葉にできないほど溢れこぼ
れ落ちた。子どもを産んだ翌日から汗と泥だらけになって田圃
に這いつくばり草取りをした。乳が出ないときは、米のとぎ水
や山羊の父で自分を育てた、と老いてからお袋は話してくれた。

日本中の国道はどこもかしこも舗装になっている。昭和30年頃
片田舎の国道は砂利路であった。親父とお袋は農閑期になると、
日銭を稼ぎで農機具の借金に充てた。汗水流し慣れぬ「土方」
をし夕暮れ時から農作業をしていた。

在宅訪問に行くと、昭和一桁生まれの老女からも、男衆と混じっ
て「土方」をした苦労話を繰り返し聴かされた。

お袋の楽しみは何だったのか。月一度のお寺の講話を聴きに行
くことだったのか。それとも愚息子の出世を夢みていたのか。
その愚息子は人生に躓き、いま辺境の地に生息している。

お袋が遺骨となり四十九日までは祭壇があり、お袋がまだ生き
いるような気さえした。月命日を幾たびか過ぎ、お袋が座って
いた処やベッドの処だけが、ぽっかり穴があいたような気持ち
になり、お袋はもうこの家には「居ない」寂しさや哀しさが
襲ってきた。

認知症やリウマチを患っていたお袋は、齢を重ねるたび「でき
ない」ことが増えてきた。もっとやさしい言葉をかけてやれば
よかった、と反省しても、もうお袋はいない。生きている間に、
もっと親孝行をしておけばよかった、と後悔しても、親不孝だ
ったことは消えない。いまは毎朝、お供え物をあ仏壇に向かい、
家族の健康と無事故を祈っている。




1430;食卓でみんなと一緒に食事をするのは最高~ 99歳のお婆ちゃん復活

2020-03-03 05:00:00 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
食卓でみんなと一緒に食事をするのは最高~ 99歳のお婆ちゃん復活
ブログ1416『99歳の婆さん 週末退院する』
その後の99歳お婆ちゃん 近況報告

右肺炎につぎ左肺炎になった99歳のお婆ちゃん
点滴などの加療により完治し2月29日に退院し、家に戻った。
2度の入院で、足腰は弱くなり、自力での4点杖歩行は「できなくなった」。

慣れ親しんだ家具調ベッドに別れを告げ
代わりに特殊寝台(介護用ベッド)を設置した。
彼女の脚の長さに合わせベッドを低くし、
ベッドから足を垂らし立ち上がりができるよう介助バー(移動バー)を取り付けた。

紙パンツは穿いているいるけれど
膝痛がある長男嫁の手引き歩行により
用足しはトイレで行っている。

サイドテーブルも準備したが、
退院した翌日からは長男夫婦、男孫兄弟と一緒に
食卓で朝食を摂った。
食卓でみんなと一緒に食事をするのは最高~、
と話してくれた99歳のお婆ちゃん。

訪問したときには、ベッドから降り
座椅子に座り炬燵にあたたまり
両耳にヘッドホンをかけテレビを観ていた。
わぁ~ 普通の生活をしているぅ~、と”感激~”👍
入院生活では見られない光景

3日ひな祭りの日に 一緒に長男嫁も付き添い
自宅から100mもないかかりつけ医に受診する
(自分も診察のとき同席させていただくことに)
要介護認定区分変更申請に伴う主治医意見書記載のお願いに参上する

4日から地域密着型デイサービス(定員10名)の利用再開となる
コロナウイルスが収まり、南湖公園の桜を観に行けるのも、もう少し。
春よ、来い~



1429;無くて困る物・トイレットペーパー

2020-03-02 18:20:11 | 阿呆者
無くて困る物・トイレットペーパー

女子トイレの音を、盗み聞きしたわけではないが
若い女性がトイレットペーパーを取るときの音が
カラカラと鳴り続いている。
どの位ペーパーホルダーを回すのだろうか。

それに比べ
老人は「もったない」ということが染みつき、
トイレットペーパーを2つ折り程度の慎ましい長さ。

トイレットペーパーが薄く
拭いた手指に便が付着してしまうこともしばしば、
お尻を拭いたペーパーを2つ折りにたたみ、
洋服のポケットに入れ、
ときどきポケットから
2つ折りのトイレットペーパーで口を拭く。

ポケットにトイレットペーパーやティッシュペーパーを入れてしまう老人の洋服は、
洗濯をするときには必ずポケットのなかをチェックしないと大変な結末になる。

老人はトイレットペーパーやティッシュペーパーのことをちり紙(ちりし)と呼ぶ。

農村で暮らした団塊の世代ならば想像はできると思うが、
農村では板床に穴があいており、
そこを跨いで用を足すポットン便所であった。

落とし紙と呼ばれた紙で尻を拭いていた。
灰色がかった紙で新聞などの紙を材料として作った紙なので活字が見え隠れしている。
いまでは到底使えない落とし紙であり、商品棚にあるだろうか・・・・。

昔は学校の持ち物検査では
「ハンカチとちり紙」のチェックをされたものだった。
右ポケットにハンカチ、左ポケットにちり紙、を入れていた。

小学校から自宅までは2kmほど道程があり、
便意をもよおし我慢できず、
道端の草むらに入り用を足した。

左ポケットにちり紙が入っていなかったときは、
道端に生えている蕗の葉(ふきのは)をちぎり、
それをちり紙代わりにして拭いたことがあった。
便を隠すために、また蕗の葉を使い上から覆い隠した。
そんな時代もあった(昭和30年代後半 東北、北海道の農村は貧しかった)

いまは消費生活、消費文化が豊かになってきた。
老人は呟く、
「便利な時代になったが、生活をしていくのが大変になった。
昔は不便で貧しかったが、生活はしやすかった」。
ほんとにそうかもしれない。

新型コロナウイルスから端を発した
トイレットペーパー買占め騒動みたいなことはなかった。





1428;灯  り

2020-03-02 03:59:16 | 阿呆者
灯  り 

都会の灯りと辺境の灯り

都会では
スカイツリーや高いビルから
大都会の夜景をみると
煌びやかに映る

嗚呼 煌びやかな灯かりの群れのなかに
一千万の人が蠢き生きている
自分はちっぽけであり無名の存在でしかない
華やかに映る大都会の影でひっそりと生きる

夜間飛行機から見た東京の夜景は素敵だった


暗闇のなかに点る辺境の地の灯りは
わびしく映るもそこには温もりがある
ランプのようなやさしい灯かりを感じさせる
老いを嵩ねゆく自分はいま辺境の地に棲む


1427;寂 寥 感

2020-03-01 11:59:59 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
寂 寥 感

末期癌を抱え
歩くこともままならぬ老女は
長年住み慣れた家を離れた
空き家になってしまった我が棲家
  
いまはサービス付き高齢者住宅の一室
申し訳程度の腰窓だけのせいか殺風景
掃き出し窓ならば季節の風も感じるのだが
過去の思い出から遮断された時空間

妹 老いた父母 弟 を見送り
独り身で暮らしてきた老女

老女は呟く
「こうして独りでいると言葉まで忘れてしまう」 
髪の毛が抜け落ちるように 記憶までも失っていく
残るのは寂寥感

癌の痛みにもじっと耐え
泣き言ひとつこぼさない老女

痩せ細った老女の手を握り返し
「また来るね」と手を振る

遣る瀬無く 
せつなく
どうしようもない

老女の最期を見送り
ささやかな葬式と家族が埋葬されている墓に納骨した