1週間ほど前の日記で ベートーヴェンのことに触れたときに、
「私たちは、ベートーヴェンやその他多くの 今は亡き作曲家たちとも、彼らの作品を通して心を通わせることができる」といったような内容を書きました。
「月光・第一楽章」のイメージとベートーヴェン
今、私は21世紀に生きていますが、200年くらい昔にベートーヴェンが作った曲を コンサートなどで聴いたり、自分で楽譜を見て演奏したりしたとき、遠い昔のベートーヴェンと ダイレクトに魂の琴線が響き合った!と思うことが、たびたびあります。
そこには何百年の隔たりも距離もなく、まさに時空を超えて「共鳴」または「共感」する、といった表現が近いかもしれません。
演奏を聴いていて、それから自分で弾いていて、「そうだ、そうだよね?!」と感じる瞬間。
その感情は「よろこび」とか「悲しみ」とか「幸せ」などと、一口には言えないような不思議なものなんだけど、今この時、作曲者とテレパシーでつながっているような心強さみたいなものを感じます。
ベートーヴェンに限らず、その他バッハやモーツァルト、ショパンなど 遠い昔に生きた音楽家たち。
それとか、現在 自分と同じ時代に生きていても、遠い外国の、会うこともないであろうミュージシャンたち。
そういう音楽家たちと、彼らの作品を通じて「魂の共鳴」を感じるのは、不思議で幸せなことだなー。。。
などと思っていたら、新聞の「本日の運勢」欄、私の誕生月のところに書かれていた言葉が。
千年先でも千里隔たっていても心は通じる
まさに。
「私たちは、ベートーヴェンやその他多くの 今は亡き作曲家たちとも、彼らの作品を通して心を通わせることができる」といったような内容を書きました。
「月光・第一楽章」のイメージとベートーヴェン
今、私は21世紀に生きていますが、200年くらい昔にベートーヴェンが作った曲を コンサートなどで聴いたり、自分で楽譜を見て演奏したりしたとき、遠い昔のベートーヴェンと ダイレクトに魂の琴線が響き合った!と思うことが、たびたびあります。
そこには何百年の隔たりも距離もなく、まさに時空を超えて「共鳴」または「共感」する、といった表現が近いかもしれません。
演奏を聴いていて、それから自分で弾いていて、「そうだ、そうだよね?!」と感じる瞬間。
その感情は「よろこび」とか「悲しみ」とか「幸せ」などと、一口には言えないような不思議なものなんだけど、今この時、作曲者とテレパシーでつながっているような心強さみたいなものを感じます。
ベートーヴェンに限らず、その他バッハやモーツァルト、ショパンなど 遠い昔に生きた音楽家たち。
それとか、現在 自分と同じ時代に生きていても、遠い外国の、会うこともないであろうミュージシャンたち。
そういう音楽家たちと、彼らの作品を通じて「魂の共鳴」を感じるのは、不思議で幸せなことだなー。。。
などと思っていたら、新聞の「本日の運勢」欄、私の誕生月のところに書かれていた言葉が。
千年先でも千里隔たっていても心は通じる
まさに。