HIBARIピアノ教室レッスン日記♪

ピアノのレッスン日記、その他ヒバリ先生が見聞きした音楽関係・芸術関係etcの日記。

チャック・ベリーさん

2017年03月20日 | 音楽家たち
チャック・ベリーさんが亡くなりましたね…
90歳で亡くなる直前まで 新しいアルバムのリリースも計画していたという、まさに「生涯現役」、ロックの神様と言われた人です。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ビーチボーイズなどは 今ではロックのレジェンド的存在ですが、実は皆 チャック・ベリーを神と崇めて尊敬してきた人たちです。
ジョン・レノンが「ロックンロールに別の名前をつけるなら『チャック・ベリー』だな」と言ったというエピソードは有名です。
いかにチャック・ベリーがすごいかということを物語っていますね。
今から40年昔の1977年、アメリカの宇宙探査機「ボイジャー1号」が打ち上げられました。
もし宇宙に生命体がいて、私たち地球人からのメッセージを受信してくれた時に…というコンセプトで、さまざまな言語のメッセージや画像、「地球の音」などが色々入った「ゴールデンレコード」が搭載されました。
そのレコードに「交響曲・運命」「ブランデンブルク協奏曲」などに混じって、チャック・ベリーの「ジョニー・Bグッド」が入ってるんだよ。すごくない?!

代表作は 前述の「ジョニー・Bグッド」、「ロックンロール・ミュージック」、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」など多数。
かっこいいギタープレイと、独特の「ダックウォーク」と言われるパフォーマンスは、チャック・ベリーの名を知らない人でも、見れば「ああ、これか」と、どこかで耳に ( 目に ) したことがあるんではないかと思います。
興味のある人は YouTubeで見てみてください。

ハッピーバースデー、ショパン ♪

2017年03月01日 | 音楽家たち
今日、3月1日は、ポーランド生まれの作曲家ショパンのお誕生日です。

フルネーム フレデリック・フランソワ・ショパン、1810年3月1日生まれ。
ピアノといえば、なんといってもまずこの人ですよね!
現役時代は「ピアノの詩人」と呼ばれ、細く長い指で魂にしみ入る音色を紡ぎ出しました。
「ノクターン」や「バラード」、数々のワルツなどの作品が知られています。
亡くなったのは39歳です。

「ショパン」という名前から、みなさんの心に浮かぶイメージってどんな感じですか?
繊細・ロマンチック・病弱、憂鬱...
そんなイメージを抱く人が多いのではないでしょうか。
しかし彼は、意外にも大変ひょーきん者だったそうで、お友だちのリスト君とつるんで、パリのサロンで ふざけてばっかりいたようです。
マンガを描くのも上手だったんですよ。
その当時フランスで一番人気のあったコメディアンをして「ショパンがピアニストになったために、フランスは最大のコメディアンを失った」と言わしめたというエピソードがあります。

さて、2017年3月1日現在の日本では、インフルエンザとノロウィルスの流行が未だ衰えません。
みんな、「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」を歌いながら、しっかり手洗いしてますか?
さあ、今日は大きな声で「ハッピーバースデー・ショパン!」と歌って手を洗いましょう!

モーツァルトのエピソード-ハンパない集中力-

2016年02月04日 | 音楽家たち
少年モーツァルトは、性格的には陽気で明るい子だったようです。
この性格は母親ゆずりであるといわれています。
また、もうひとつの特徴ある性格は、異常なほどの集中力だったのです。

ピアノに向かっているときは、夜でも昼でもぶっ続けに演奏や作曲をしており、小さな音でも立てられると怒るのでした。
そしてこの集中力は音楽に限らず、数と計算に夢中になったときには、家じゅうに数字を書きちらしてしまったそうです。


モーツァルトのエピソード-ステージパパと旅行-

2016年02月02日 | 音楽家たち

今日は、天才ヴォルフガング・モーツァルトの父、レオポルト・モーツァルトについてお話ししましょう。
彼、レオポルトは、当時有名な音楽教育者でした。
「おもちゃの交響曲」を作ったのはこの人です。
レオポルトはいち早く息子の才能を見抜き、幼いモーツァルトを連れて世界じゅう演奏旅行して歩いたのです。
ステージパパのハシリですね・・・

「天才少年」モーツァルトの名声は世界にとどろきわたりました。
行く先々で、この小さなピアニストは絶賛されましたが、必ずしもモーツァルトの音楽性が評価されてのものではなかったようです。
王侯貴族たちは、ただ単に小さな子どもが巧みにピアノを弾くというパフォーマンス性を喜んだだけで、その証拠に、鍵盤に布をかぶせられ、見えなくして弾かされたりと 曲芸みたいなことをやらされていたのです。
それでも彼は「こんなことはどうでもいいことだし大したことじゃない。大事なのは僕の音楽です」とキッパリ言っていたのでした。

王侯貴族の社交界を渡り歩く生活は、モーツァルトにはで好き・遊び好きの性格を植え付けてしまいました。
また、当時の旅行は子どもにとって大変ハードであったので、モーツァルトは体が弱く、身長もあまり伸びませんでした。
大人になってからの身長は 163センチくらいであったそうです。

しかしながら、モーツァルトはなかなかおもしろい子どもであったようですよ。
そのエピソードは また改めて。

モーツァルトのエピソード-幼くても演奏にはこだわりが-

2016年01月30日 | 音楽家たち
ウィーン・シェーンブルン宮殿での「御前演奏」の際のエピソードをもうひとつ。

宮殿で演奏を始めようとしたモーツァルトが、皇帝に言いました。
「ヴァーゲンザイルさんはいないの?あの人に譜めくりをしてもらわなくちゃ」
そこでヴァーゲンザイルが急遽 宮殿まで呼び寄せられ、無事譜めくりをしてもらったということです。

当時ヴァーゲンザイルは47歳。
前ウィーン楽派最大の作曲家だったのです。


モーツァルトのエピソード-その天才ぶり-

2016年01月28日 | 音楽家たち
5才でピアノ小品を、8才で交響曲を、11才でオペラ、12才で協奏曲を作曲。
その早熟ぶりもすごいけど、作品数もハンパないです。
ちょっとここを見てきてくださいな。

モーツァルトの楽曲一覧

人一人の生涯でこれだけの作品数を世に送り出したというのは驚嘆に値しますね!
だって習作とか 自分だけで作って満足したとか、そういうものじゃなく「世に送り出した」作品数なんだから。
そして、その「生涯」が、たったの35年なんだから! 

また、その作曲スタイルですが、モーツァルトが書いた譜面には、ひとつも消したり書き直したりした跡がありません。
五線紙にペン先を乗せた瞬間には、彼の頭の中にはもうすでに完全な音楽が降臨していて、モーツァルトにとっての作曲とは それを楽譜に書き取っていくだけの作業だったのです。
曲が出来上がるまでに苦しんで苦しんで、何度も何度も書き直したり手直ししたりしていたベートーヴェンとは対極の姿勢です。


これほどの真の天才は、音楽史上モーツァルトただ一人。

ハッピーバースデー、モーツァルト♪

2016年01月27日 | 音楽家たち
今日、1月27日は モーツァルトのお誕生日です。
彼は1756年の生まれなので、生きていたとしたら 今日でちょうど260歳になりますね。

あの有名なフランス王妃、マリー・アントワネットと同い年。(マリー・アントワネットは1755年11月生まれでちょっぴり”おねえさん”ですが、’56年1月生まれのモーツァルトと学年では同じだよね?!・・・って無理やり?!)
「ベルサイユのばら」の時代を生きた人なんですよ。

モーツァルトについては、私のHPの「音楽家のプロフィール」ページにもご紹介していますので、ごらんください。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

あまたある音楽家の中でも突出した天才、つむじ風のように駆け抜けた波乱の人生。
その作品の数々はもとより、天才ならではのエピソードをたくさん残したモーツァルト。
そのエピソードのいくつかを、しばらくの間 少しずつご紹介していこうと思います。
よろしくお付き合いください・・・

デビッド・ボウイさん

2016年01月12日 | 音楽家たち
デビッド・ボウイさん亡くなりましたね… (;_;)

生涯を通してミュージックシーンを牽引していくスーパースターでした。
いろんなスタイルのいろんな歌や演奏、俳優としてのパフォオーマンスなど 自分が美しいと思ったものは何でもやった人だと思います。
奇抜なコスチュームやファッションでのロックというイメージが強いかもしれませんが、その一方でアニメ「スノーマン」のDVDにオープニングのナレーターとして登場していたり、また、往年の名歌手ビング・クロスビーさんと、クリスマスソング「リトル・ドラマーボーイ」のデュエットを歌っていたりというレアな「ボウイ」もあって、私はこの二つの映像が大好きです。

2016年1月12日現在、デビッド・ボウイの出身地ロンドン南部のブリクストンで、デパートの壁に描かれたボウイさんの壁画の前にファンが次々と訪れ、キャンドルや花束が山のように備えられている映像が 現地からのyoutubeで配信されています。
高齢の人から若い人まで、デビッド・ボウイさんがいかに多くの人から愛されていたかということが改めて感じられます。