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自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ジャガイモの実,キュウリの実と葉

2016-03-01 | 随想

新聞記事は大抵情報源として貴重な材料を提供してくれます。“大抵”というのは,すべてではないという意味です。時として,なぜこんな記事の書き方・まとめ方になってしまうのか首をかしげてしまう例があります。ことばの力にはプラスにはたらくと途方もなく大きいものがありますが,一歩間違えば大きな誤解を植え付ける刃にもなりうると,わたしは感じてきました。

なにはともあれ,新聞記事は正確な内容で勝負するのが第一義。それを書き手がどう味付けして料理するか,そこがプロとしての腕の見せ所でしょう。したがって,書き手の資質,それを推敲する編集担当の腕が問われることになります。自分が得意とする分野はもちろん,それ以外の分野においても,深く学ぼうとする姿勢がなくては説得力のある記事をまとめることはできません。

ローカル紙に出た昨年の記事を先日目にすることがあって,「あれっ? こんなまとめでいいのかな?」「こんな見出しでいいのかな?」とついつい感じてしまいました。わたしが関心を抱いている植物関係の話題なので,妙に引っかかってしまったのです。以下が,内容のあらまし及び記事中のことば(太字)です。

ジャガイモにトマトの実?「生育良すぎて」珍現象(見出し)。T市・S市の畑でそれぞれ「ジャガイモの茎にミニトマトのような実」「キュウリの実から伸びた葉っぱ」が見つかったというもので,写真付きで様子が紹介された後,「農業改良普及センターによると,ジャガイモとトマトは同じナス科で,たまにそっくりな実をつけることがある。キュウリに葉が生える現象もまれにあり,担当者は『春先から気温が高く,生育が良すぎたのが影響したのでは』と話す」と締めくくられています。

専門技術者(普及指導員)に聞く範囲では,両者ともに珍現象で,春からの高温が起因しているらしいというわけです。担当者にしても,推測の域から踏み出して見解を示すことができなかったので「影響したのでは」という表現になっているのでしょう。ジャガイモのことはジャガイモに,キュウリのことはキュウリに聞いてみなくては真相はわからないというのが,もちろん筋なのですが。

現代の生物学が解き明かしているのはすくなくとも次の点です。それらをつなぎ合わせれば,ある程度,あるいはより一層真実に近づくことは可能です。

  • 花は実を結ぶための生殖器官である。ジャガイモにも花が咲き,実ができるのが基本的原則。
  • ジャガイモは品種改良が繰り返されてきた植物で,多くの品種で花が咲いても実ができない形質が獲得されている。しかし,時として先祖返りのようにして実を結ぶことがありうる。
  • 一部の品種では,実を結ぶという形質が失われることなくしっかり残っている。
  • ジャガイモに実ができるためには,メシベの先(柱頭)に他品種の花粉が付くことが必要である。
  • 花は葉が進化してつくられるようになった器官である。花の一部が肥大化してできた実に葉が付くのは先祖返りといえる。
  • 問題は,あまり見かけない現象なので珍しいといえばそうなのですが,この現象がなにから誘因されたかという点です。

春から気温が高かったのでしょうか。それは平年と比べて際立ってそうだったのでしょうか。そのことが結実する直接のきっかけになったのでしょうか。そうなら,同じ畑のその他の株や,他の農家の畑でも多く見られた現象なのか,調べてみなくてはなりません。

さらにはその畑に,ジャガイモの品種が複数植えられていたのでしょうか。近くにあるかもしれない他家の畑には,同一・異種いずれの品種が植えられていたのでしょうか。あるいは,いずれも植えられていたのでしょうか。


キュウリの場合,暖かい天気が続くと,葉が付きやすいのでしょうか。いい換えれば,先祖返りしやすいのでしょうか。そして昨年はそうした傾向が見られたのでしょうか。

わたしの経験からすると,暖かさ・暑さ・寒さ・乾燥・土壌といった環境は要素としては考えられるかもしれませんが,決定的な要因とはどうしても思えないのです。ジャガイモ畑をあちこち回って実を何度か(何度も)探してきたこと,キュウリの実に葉が付いているを何度か(何度も)見たことを合わせて考えると,頻繁に見かけるわけではありませんが,意識して探せばそれなりに見つかるものなのです。ふつうは,そうした目立たない現象は気にかけないか,わざわざ話題にしないだけのような気がするのです。なにしろ,実と葉と色が似ているものですから,「おやっ?」なんて立ち止まって確かめる機会はまれなはず。


結局,こうした情報を正確に伝えるためには,それなりの専門知識を持った方や機関に問い合せて,書き手自身が理解して納得できることが必要でしょう。不明瞭なままだと,どうしても表現にあいまいさが出てしまいがちです。それも正直でよいのですが,記事が啓発材料でもあり,文字数が限られている点を思えば,あいまいさを残すのはいかがなものかと思います。やはり書き手としては内容を吟味する訓練を自らに課して,書く力と社会責任性を磨くべきでしょう。 

一方読者としては,どんな記事でも,鵜呑みにしない,一応疑ってみる,そんな姿勢を保っておきたいものです。