ミュージアムのあり方について問い直す際,運営委員会の提言を柱にしながら各種の評価結果を参考にするのは当たり前のことです。この評価には自己評価(内部評価),他己評価(外部評価)の2つがありますが,とりわけ来館者による外部評価が大事になります。自己評価はややもすると主観的に甘い点数を入れがちなので,信頼性し過ぎてはなりません。評価価値の理解や評価の工夫を重ねていかないと,自己満足な結果が得られるだけでしょう。その点,外部評価ではかなり客観的で積極的な指摘が得られることが期待できます。
わたしたちのミュージアムでは,この外部評価が行われていませんでした。これは運営上の大きな欠陥だとわたしは思います。公的な施設では往々にしてこうした甘い運営が慣例的に続いて来ました。これでは自身を律する姿勢がどうしても甘く流れがちです。来館者・利用者の目線に立たず,自分本位な解釈を繰り返しているからです。それでは惰性,驕り,そんなサビが付着するだけです。
評価はあくまで,「よりよいミュージアムづくり」の基礎資料を得るために行うものです。施設・設備はもちろん,人つまりスタッフの接遇姿勢も入ります。評価によって,ミュージアムの構成要因である自分をも評価してもらうのです。サービスを提供する施設だから当然の方向でしょう。
敢えて辛口でシビアな評価を求めることで,評価側に立つ来館者は,ミュージアムの運営姿勢を前向きに受け止めるはず。
よく似た評価に外部者による学校評価があります。ところが,教職員自身にとってシビアな,人・組織としての信頼性を評価する項目はまず見当たりません。ことばとして適切かどうかわかりませんが,「教職員(担任)は全力で子どもと向き合っているように見えるか」「校長はリーダーシップを発揮しているように見えるか」などを項目に加えている学校はまちがいなく信頼できます。外部の目で自己点検を試みようとする前向きの姿勢があるからです。したがって,そうした学校では評価結果が学校改革につながっていくと大いに期待できます。わたし自身の経験を思い起こすと,学校づくりでは敢えて厳しい評価を期待して実施してきました。
自由記述欄があれば,さらに具体的な改革視点が見えてくるかもしれません。
評価といえば,人は十人十色なのでいろんな見方が出て当たり前。中には,妥当性にひどく欠けた回答もあり得ます。わたしの経験では,公平性を欠いた極端な例もありました。いちいち気にしていたら,評価がマイナスイメージで塗りつぶされてしまいます。それでは疲れます。改善への手掛かりは,大多数の回答者から得られるという信頼感に立つことこそがたいせつです。
ただ,不特定多数者による評価には多分にあいまいさが混ざっていることも承知しておくべきでしょう。すべてを鵜呑みにする必要はない,でも重要な示唆・提言が得られる,というスタンスこそが重要なのです。
わたしたちが「スタッフの対応」項目を入れているのは,そうした背景を読んだうえでのことです。スタッフ自身はそのことで一種さわやかな緊張感を感じながら仕事に励んでいけますから。スタッフに緊張感を求めない評価は,わたしの評価論からすれば無意味です。
評価を導入している施設は,評価を単に形式化せずに,真摯に運営改善につなげていく姿勢を見失ってはなりません。わたしたちのミュージアムもしかりです。