時雨続き、管理棟の中の気温も10度を切って
洗濯物も乾かない状態。
それでも、たまに谷の村が見える時があります。
あの家の見える所には、人が住んでいると思うと
ほっとします。
明治42年には192戸1.119人。
大正14年133戸931人。
昭和47年には184人。
そして平成29年には谷に住民票がある人は
男3人、女3人となってしまいました。
それでも、2月のお面様祭り。
5月のホウ葉の会。
8月のはやし込行列。
などを行えるのは、勝山の町うちに出た人たちやその
子、孫の方々の故郷、谷、祖先の地にたいする、
あつい心があるから、しかしもう、人たちだけでは
人数が足りなくなって、今は、勝山だけでなく
遠くからでも、援助に来てくれる人がいる お蔭で
何とか出来ている状態です。
はたして、5年先にはどうなっているか正直分かりません。
明日、子供の村小中学校の子供たちが
御所が原で、昔どういう暮らしをしていたか、話してほしいと
言われているので、
産業、食べ物、子供の遊び、生活などについて
私なりに、まとめて話をして来ようと思っています。
どこまで通じるか不安ですが、、、、、。