
雨を言い訳に引きこもっていました。

午前中に市役所の車で史跡、文化財などに詳しい
先生方が4名来られて伊良神社の境内を見ておられたので
北川先生に教えて頂く事が出来た。
以前から不思議に思っている。
七山家族を滅ぼして勝山を任された、
柴田一族の監物が落人残党を探しに谷城跡まで来て
石工をしていた大西西脇惣左衛門に学校の上の坂の所で
槍で突かれて死んでしまい。
柴田監物の墓が建てられていた。
現在は場所を移動してある。
しかし殿様が単独行動をするなんて事は考えられない。
と云うと、北川先生は薬師神谷にその時の家来であろう
数人の墓が祀られている。と教えて頂いた。
これなら大西西脇だけでなく七山家の残党も
活躍したのではと納得がいく。
春日神社から伊良神社に変更になった経緯なども
きちんと調べて残しておくべきではと思う。
最近狛犬も新しくなって立派に見えるが
以前に在った狛犬は何時頃作られたものか
石の種類なども分かる様に残しておくべきであったと思う。
そのことも先生に尋ねてみると、
最近他の所でもそういう問題が起きている。
一度廃棄されて終うと後世の人が調べようと思っても
調べられなくなって終う。
史跡、文化財としても大切なものが簡単に失われていく事は
嘆かわしい限りである。

