東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

写真の師匠の所へ年始挨拶。

2020年01月05日 17時05分54秒 | 日記

 写真のトラブル続きで今日はあっさり

写真を封印。一枚も撮らなかった。

昨日は98歳の方にお逢いに行ったが、今日は日写連の写真の師匠の家へ

師匠も牛年生まれなので今年の誕生日で95歳になる。

長く入院されていた奥さんが一昨年亡くなられてからは一人暮らし。

写真の腕は超一流なのですが、頑固者で長男夫婦とは一緒に住まず

一人暮らしを続けています。

人もあまり近寄らないが、自分からも避けているところもある。

何故か師匠にも負けじと劣らぬ我がままで頑固者の私をは

可愛がってくれ、運転は私がして、四季折々の撮影スポットを教えて

頂き、作品も作れ賞も色々頂く事が出来た。

ショッピングセンターベルに太陽堂というカメラ屋さんがあって

そこで、現像もしてもらっていた。

リバーサルフイルムは京都まで送っていたので結果が分かるまで

1週間ぐらいかかっていたが、太陽堂の社長は私より

10歳若かったのに10年前に癌でなくなってしまい。

店を閉めてしまった。

生きていてくれたら、いい話相手になっていたのにと思うと残念です。

 

 昨年は私自身の体が思わしく無かったので、殆ど行っていなかった。

久し振りだったので3時間余り色々話をした。

94歳で一人で生活できるというのは凄い事だと思うが、

息子夫婦に頼った方がとも思う。

私は、生命保険も満80歳までにしてあるのでそれまでにかたを付けようとは

思っている。

それまで、助けてもらった命、大切に使って行かねばと思っている。


勝部先生の旧知の方逢いに行く。

2020年01月04日 15時24分50秒 | 日記

勝部先生の旧知の方。

それは戦時中海軍の航空隊で台南におられた時、部隊の副指令が宿泊施設として

使っていた、サトウキビ畑、精糖工場工場などを土木、建設する会社の日本人の社長の屋敷で

中尉だった勝部先生も良く招かれてお邪魔した家で、

社長が亡くなった後奥さんが社長になって切り盛りしていた会社だったそうで、

先生の事もとてよく面倒を見てくれ、

「明日、高雄に行く事になったから。」と挨拶に行くと

今高雄へ行ったら命が亡くなるから、行かなくてもいい様に軍に言ってあげる。

と言って、軍の命令を取り下げてくれた。

あの時、高雄に行っていたら本当に命は無かった。私の命を恩人だと言っておられました。

終戦で家族が這う這うの体で日本に引き揚げて来て大阪に住まわれていたのですが

その中の一人の娘さんが結婚をされてご主人の転勤で福井に来られる事になったそうです。

福井での知り合いは台湾から引き揚げて来られた、台北の知事をしておられた方と、

九十九橋の南詰にあった大森書店さんは台南で学校の校長先生をしておられた方の

2人だけだったと言われておられました。

ご主人は福井では有名なプラスティックスの会社に勤めておられ、

亡くなられた時には、社葬をして頂いた方でした。

 

その後勝部先生から福井に知り合いがいる、と言われ息子さが大阪に勤めておられたので

平成元年から私も訪ねて行かせてもらう様になり、庭の手入れや冬の玄関の雪かきなど

手伝いさせて頂いたりしていました。

その後4.5年してから、年に一回先生が福井へ訪ねて来られて、

私と朝倉氏遺跡など名所巡りなどをするのを、私の妻と旧知の方も誘って

温泉泊りの旅行に変えました。

白峰の山和荘、芦原温泉、高巣荘、水仙荘、などに行って次の日は観光巡りなど

楽しい思いをさせていただきました。

先生がお体が悪くなられる前の年旧知の方をお宅までお迎えに行ったのですが

熱が出たからと息子さん夫婦が行くなと言われご一緒する事が出来ませんでした。

その時先生は「もう会えんな」と寂しそうに言われました。

 

その事が引っかかっていてそれ以降は旧知の方の家には行かなくなりました。

年賀状だけは毎年だしていましたので、今日は久しぶりに訪ねてみました。

勝部先生と父は同じイノシシ年の3月生まれ生きておられれば96歳。

旧知の方は年上と聞いていましたのでお年をうかがうと98歳と言われました。

杖を突いておられましたが、話し方もしっかりされておられ安心しました。

 私に逢えた事を喜んで頂く事が出来ましたが、

もっと早くからお伺いしておけばよかった、

頑なに拒んでいた事を申し訳なくも思いました。

 

 

 

 

 


3日恐竜博物館→東山いこいの森から

2020年01月03日 16時31分27秒 | 日記

東山いこいの森のPCからだとダウンロードできるだろうと思って

恐竜博物館へ寄って写真を撮って登って来ましたが

何故か指定容量を越えているので出来ません。と出て入って行きません。

縮小のピクセルサイズを400×400に落しても入って行かないので

お手上げです。

御用始は月曜日からだと思うのでそれまでは写真が入らなくて申し訳ありません。

わたしのブログは写真が入らないと全くダメという事がよく分かりました。

毎日なんの意味も無い事ばかり書いていたことに改めて気づき

忸怩たる思いです。

 

 年賀状の中に。

大切な人を失くして、、、。こんな時居てくれたらならナァ、、、、と思う時が

しばしば! 今に 感謝して頂いた命を大切にします。

 とありました。

 昭和47年福井県立病院で胃の全摘手術を受けてもがいていた時、

彼女は未だ県立病院の看護学生でした。その後県立の職員さんと結婚をされてからも

看護婦を続けていたのですが、4.5年前にご主人を失くされました。

 

 もう一人。

夫が亡くなって3年半が過ぎました。夫が残してくれた3人の子供たちも、それぞれ

新しい人生を歩み出しました。長男は昨年秋結婚し新しい家庭を持ちました。

長女は2月に出産し母となりました。

次女は遠くアメリカで婚約し、夢に向かって頑張っています。それぞれ仕合せに暮らしているようです。

亡き夫もさぞ喜んでいる事でしょう。

私も仕事に出る様になり母と二人何とか元気で暮らしています。

色んなご縁に感謝です。

とありました。 ご主人とはある研修会で知り合った仲間で意気投合した仲でした。

私よりも若かったし身体も丈夫そうだったのに残念でしたが、

奥さんが立ち直って元気になられて何よりです。

以前は小学校の先生をしておられたので、また教育関係の仕事にでも

就かれたのだと思います。

  こういうのを頂くと、愚痴泣き言ばかり言っている自分が恥ずかしく、

頑張らなければと思います。


東山いこいの森から明けましておめでとうございます!

2020年01月01日 17時22分12秒 | 日記

 

皆さま新年明けましておめでとうございます。

福井若杉から52キロ離れた東山いこいの森へ行きました。

元旦に東山いこいの森登ったのは初めてです。

今年はいいことがおきるかもしれません。

谷の村の屋根も白くなるぐらいの積雪ですが

 

東山いこいの森では2センチ程しか積もっていません。

 

 

 

 

 

 

部屋の中は3度。

 

外は1.8度そんなに寒くは有りません。

 

 

 

木根橋の村。

 

北六呂師もボタン雪が舞っていました。

 

恐竜博物館は休み。

水芭蕉温泉センターは営業。入浴客は少ない。

勝山恐竜橋からの恐竜博物館、その右上に雲がかかっている辺りが東山いこいの森。

今年も一年東山いこいの森をよろしくお願いします。

今日届いた年賀状は70枚でした。