WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

カラマなカッター

2022年06月26日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 583◎
Harry Allen
I Can See Forever
 しばらくぶりの更新である。
 仕事が忙しすぎて暇がなかったのだ。あまりに忙しくて心の余裕がなく、授業中に胸が苦しくなったほどである。ブラックとはこのようなことをいうのであろうか。忙しさはもう少し続きそうだが、それでも抱えている任務のうち2つがとりあえず一区切りついた。この間、Bリーグでは宇都宮ブレックスか優勝して比江島選手がMVPを取り、『鎌倉殿の13人』では曽我兄弟の反逆が失敗し、源範頼が幽閉され、今日は頼朝が死んだ。石川で大きな地震が起こったと思っていたら、今日は熊本で大きな地震があったようだ。私事では、ステロイド(ブレトニン)の服用が終わった。

 今日の日曜日はしばらくぶりの完全オフである。これまで忙しかったせいだろうか、朝から妙にハイだった。5時に起き、iPadのリマインダーに懸案だった今日やるべきことをメモし、次々に片づけていった。6時から家の周りの草刈りをし、玄関の花を植え替え、床屋に行き、ホームセンターで園芸・農業用品をいくつか購入し、家庭菜園の畑の草取りをし、いくつかの作物の苗を植え、トマトとナスのプランターの土を増量して芽かきをし、アスパラガス畑に腐葉土を入れた。ちょっとだけ高校バスケの東北大会をBASKET LIVEで見た以外は、30度を超える炎天下の中ほとんど野外で活動した。
 おかげて、日に焼けてしまった。夕方には海水浴に行った時のようなあのぐったりした疲れを感じた。けれども、多少の達成感があって気分はいい。心地よい疲れだ。ビールも美味い。

 草刈りといえば、数週間前に「カラマなカッター」というグッズを購入した。草刈り機を使ったことのある人はお分かりのことと思うが、丈の長い草を切ると、草刈り機に絡まって刃の回転が止まってしまうのてある。「カラマなカッター」は刃の上にもう一枚上向きの刃を付けることで絡まる草を切る装置である。これが大正解だった。すごい。草が絡んで刃の回転が止まることがほとんどなくなった。快適である。まさに、「カラマなカッター」である。たった数百円で、草刈りのイライラがほとんどなくなった。時間があったら、また草刈りをしようと思うほどだ。

 今日の一枚は、アリー・アレンの2002年録音作品『アイ・キャン・シー・フォーエヴァー』である。このブログでも一度取り上げたことのある作品だ(→こちら)。暑い夏には、ボサノバかビーチ・ボーイズが聴きたくなる。無意識の文化的強制だろうか。ボサノバのLPやCDはたくさん持っているが、暑い夏にとりあえず利きたいと頭に思い浮かぶのは数枚のみだ。アリー・アレンのこの作品は間違いなくその一つである。リアルタイムで購入し、かなり聴き込んだ。今でも熱い真夏日には必ず思い浮かぶ。流麗なプレイと、哀しみを湛えたそのテイストが、火照った身体と心を癒してくれる。クールダウンした後も、じっと耳を傾けてしまうのはやはり、音楽の力なのだろう。

後妻(うわなり)打ち

2022年03月30日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 574◎
日向敏文
夏の猫 Chat 'd Ete
 『鎌倉殿の13人』の話題である。
 先週の放送で、北条政子が、源頼朝の愛妾の亀の前が住む屋敷を襲わせた場面があった。亀の前が預けられている伏見広綱の屋敷を襲撃させたのだ。《後妻(うわなり)打ちである。《後妻打ち》は、平安中期から江戸前期にかけて実在した慣習であり、女友達を大勢呼び集めて、夫を奪った憎い女の家を襲撃して徹底的に破壊する行為だ。ときには相手の女の命を奪うこともあったようだ。興味深い風習である。「うわなり」とは、古語で前妻を意味する「こなみ」に対する後妻、あるいは第二夫人・妾を意味する言葉だ。清水克行『室町は今日もハードボイルド~日本中世のアナーキーな世界~』は、いくつかの事例をあげて《後妻打ち》について詳述しており、やはり広く実在した慣習のようだ。
 清水氏は、後妻打ち》は中世の女性に当たり前に許されている行為だったとして、この妾襲撃事件が政子の嫉妬深さや男まさりな性格を際立たせる材料として使われることに不満の意を表している。もっとも、『鎌倉殿の13人』では、政子はそんなに派手にやるつもりはなかったものの、源義経が勝手に大規模な破壊活動を行ったものとして描かれている。後妻打ち》という、中世に広く実在した慣習に配慮したのかもしれない。
 いずれにしても、大河ドラマでこういった中世の慣習が描かれるのは興味深いことである。

 今日の一枚は、日向敏文の1986年作品、『夏の猫』である。若い頃、日向敏文の作品をよく聴いた時期があった。きっかけは、大貫妙子の作品に日向敏文が参加していたことだったように記憶しているが、貸しレコード屋で借りたレコードを録音したカセットテープでずっと聴いていた。たまたま、apple music で発見し、外付けUSB-DACを通して聴いている。懐かしい音楽の響きである。昨日からちょっとイライラしていたが、おかげで心が穏やかになってきた。狂おしくも美しい④ 孤独なピアノや、印象的な⑥異国の女たちは出色である。

ウルトラセブン最終回(前編)

2022年02月27日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 568◎
Harold Mabern Trio
Kiss Of Fire
 今日の朝、NHK BSPでウルトラセブンの最終回「史上最大の侵略」(全編)が放映された。4Kリマスター版である。後編は来週日曜の3月6日に放映される。
 ウルトラセブンの最終回といえば、伝説として語り継がれる感動の名編である。番組終了後、日本中の子どもたちが戸外に飛び出して空を見上げた、といわれるいわくつきのものだ。かくいう私もその一人だった。今考えると、ダンは「明けの明星が輝くころ」といっているので、番組終了後すぐに戸外に飛び出しても仕方なかったのだが・・・。
 今日の前編では、これまでの数々の戦いに疲弊して満身創痍のモロボシダン(ウルトラセブン)の姿が描かれた。これ以上戦うことは生命にかかわると告げられM78星雲に帰還することが勧告されるが、責任感の強いダンはそれでも地球のために戦い続けようとする。そして、バンドンとの戦いで重傷を負うのである。
 来週はいよいよ美しい映像と音楽、そして感動のあのセリフが登場する後編である。楽しみだ。

 今、聴いているのは、ハロルド・メイバーン・トリオの2001年録音盤『キス・オブ・ファイヤー』である。テナー・サックスにエリック・アレキサンダーを迎えた作品である。寺島靖国氏はその推薦文で、「ハロルド・メイバーンが65年の生涯で噴出させた最高の傑作」であるといい、「ハロルド・メイバーンらしさが最も著しく強くでている」「メイバーンらしさとはなにか。《のり》である」まで記している。
 悪い作品ではない。《のり》もいい。机上のブックシェルではなく、メインのスピーカーで聴くとなおいい。だが、今一つサウンドに同化できない私がる。エリック・アレキサンダーのテナーが流麗すぎるのだ。流麗だが強烈な個性のようなものを感じない。何かよどみのようなものが欲しいと思ってしまう。個性というものは、ある種の欠点のようなところから生じているのかもしれない。

林子平

2021年10月06日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 552◎
Grand Funk Railroad
Live Album
 宮城県庁前の気仙沼方面行き高速バス乗り場の後ろに、林子平の銅像がある。病院を退院した帰り道、しばらくぶりに見たので写真を撮ってみた。
 林子平は、江戸中後期の経世思想家である。『三国通覧図説』『海国兵談』によって日本周辺の状況と海防への世論の喚起を行ったが、老中松平定信が主導するいわゆる「寛政の改革」の中で、人心を惑わし政治を私議したのと理由で蟄居を命じられ、その著書は版木・製本とも没収、発禁とされた。
 高校日本史的には、同じ仙台藩の工藤平助が『赤蝦夷風説考』で海防や開港、蝦夷地開発を主張し、田沼意次の蝦夷地開発計画へとつながったことと対比的に語られることが多い。
 高山彦九郎・蒲生君平とともに、《寛政の三奇人》と呼ばれることもあるが、この場合の《奇》とは「優れている」との意である。
 今日の一枚はグランド・ファンク・レイルロードの1971年作品『ライブ・アルバム』である。70年代ロックのライブの熱がダイレクトに伝わってくる一枚である。初期のグランド・ファンクの荒々しさ、粗削りさが好きだ。ライブへの熱と3人で少しでも分厚い音を出そうと試みる情熱が伝わってくる。
 退院してしばらくぶりに自宅でベッドに入り4時間ほど眠れた。そのまま、もう一度眠ることもできそうだったが、入院生活の悪習で書斎に入ってしまった。入院明けの深夜、ひとり静かにグランド・ファンクを聴いている。

深夜、静かに音楽を聴いた

2021年09月17日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 542◎
畠山美由紀
Song Book #1
 入院中である。ステロイドパルス療法の副作用で不眠傾向だ。昨夜は寝つきは良かったが、0:00過ぎにトイレに起きてしまった。血栓症予防のために水を多く飲んでいるため、どうしてもトイレは増えるようだ。トイレの後、なかなか眠れなかった。諦めて起き、暗く静かな病室の中でKindleで本を読みながら、Apple Musicで音楽を聴いた。今回は、以前購入し使っていなかったJBLのbluetooth スピーカーを持参したので、ちょっとだけ音はいいようだ。
 聴いたのは、私の住む気仙沼市出身のボーカリスト、畠山美由紀の『Song Book #1』と題されたアルバムだ。2021作品である。Apple Musicの「あなたにおすすめ」のNew Music Mixにこのアルバムに収録されている「星めぐりの歌」があったのがきっかけだ。そこからすぐアルバムに跳べるのだ。
 このアルバムは、来年デビュー20周年を迎える畠山美由紀の初のセルフプロデュース作品となるカヴァーアルバムらしい。コロナ禍の中、全曲自宅録音を重ねて完全リモートで制作されたもので、 ギタリストの小池龍平とピアニストの片木希依が参加したアコースティックな作品である。
 深夜の暗く静かな病室にはまったくふさわしい音楽だった。ギターの伴奏で、闇の中でささやきかけてくるような歌声が好ましい。ギターはガットギターのようだ。柔らかく、優しく、落ち着いた響きである。「わが美しき故郷よ」のセルフカヴァーには、はっとさせられた。ストリングスを排したサウンドの、ボーカルを前面に出したよりダークでスモーキーな歌唱からは、直截的に語りかけてくるような優しさを感じる。この曲の「そして街中が色めき立つみなと祭りの夜 打ち上る花火に夢を見たよ」という歌詞には共感を禁じ得ない。
 結局、3時過ぎまで断続的に聴き、読んでいた久保田哲『明治十四年の政変』も終わり近くまで進んだ。

蜂との闘い

2021年08月29日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 538◎
Grand Fank
We're An American Band
 1か月ほど前、庭周辺の草刈り作業中に、足を蜂に刺された。痛かった。本当に痛かった。蜂に刺されたことはこれまでにもあるが、比べものにならないほど痛かった。10分以上のたうち回り、もがき苦しんだ。スズメバチにやられたに違いないと思い、病院に行くことも考えた。痛みが少し落ち着くと、家族のためにこのまま放置しておくわけにはいかないと思い、刺された付近を探して蜂の巣の駆除に取りかかった。巣は意外と小さく、市販の強力スプレーで比較的簡単に撃退・駆除することができた。スズメバチではなかった。アシナガバチだった。
 昨日、妻が慌てて二階から降りてきた。寝室の外側の壁に蜂が巣を作っているという。外に出てみると、まだそれほど大きくはないが、蜂の巣があった。一匹の黄色い大きな蜂と何匹かの小さい蜂が見えた。今度こそスズメバチかと一瞬緊張が走ったが、どうも巣の形状が違うようだ。スズメバチかと思ったのは、数日前、家の庭でスズメバチを見かけ、殺したからである。一匹だけだったが、栽培している甘いフルーツミニトマトを食べに来ていたのである。追い払ってもすぐにリターンし、いつまでも居座り続けたので、シャワーで放水し一瞬地面に落ちたところを踏みつけた。なかなか絶命しなかった。さらに踏みつけ、絶命した後は仲間が来ないように土に埋めた。
 昨日の蜂の巣は、ホームセンターで購入した「ハチ・アブ、バズーカー・ショット」で容易に駆除することができた。もちろん、完全防備で取りかかった。今回も、アシナガバチだったようだ。アシナガバチといっても油断はできない。webで検索すると、こんな説明があった。
アシナガバチは、ハチ目スズメバチ科アシナガバチ亜目に属する昆虫で、スズメバチに比べるとおとなしい性格だといわれています。ただし、毒性が強い種類もおり、刺されたときの痛みがスズメバチに勝るとも劣らないほどになることもあるので注意が必要です。 
 今年は、蜂と関わることが多いようである。
 今日の一枚は、グランド・ファンクの1973年リリース盤『アメリカン・バンド』である。このアルバムは以前に一度取り上げたことがある(→こちら)。入院中、apple Musicをいじっているうちにこのアルバムに出会し、しばらくぶりにちょっと聴いてみた。私の古いレコードには収録されていないボーナス・トラックが入っていた。ボーナス・トラックにはそれほど興味はない。所詮、選ばれなかったトラックである。ところがである。ボーナス・トラックのStop Lookin' Backは何だ。アコースティック・バージョンではないか。カッコいい。いい演奏である。入院中、このトラックを10回以上は聴いたかもしれない。
 中学・高校生の頃、恥ずかしながらグランド・ファンクが大好きだった。恥ずかしながらというのは、グランド・ファンクは中身の薄い能天気な、つまりアメリカンなバンドとみられる雰囲気があったからだ。私が聴いたのはリアルタイムより5年以上遅れてのことだったが、まだとこかにそういう雰囲気はあったように思う。例えば、渋谷陽一『ロックミュージック進化論』(新潮文庫)は、次のように記す。
グランド・ファンク・レイルロードは、当時とても高い人気を得ていたアメリカのハードロック・バンドである。ツェッペリンの前座として登場し、本命のツェッペリンを食ってしまった事で有名である。ただ、人気はあっても音楽的水準は低いという事で、意識的なロック・ファンから嫌われ、グランド・ファンクをけなすことがロック・ファンの良心とさえ言われていた。
 かわいそうなバンドである。あれから40年以上経過したが、今聴いても得体のしれない熱いものがこみあげてくる。おやじロックといわれるような懐古趣味では片付けられない、身体の深部で細胞が共鳴するような気がするのだ。

ブレックス、ファイナルへ

2021年05月22日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 506◎
Holly Cole
Dark Dear Heart
 すごいゲームだった。すごいレベルのゲームだった。昨日も今日も、心臓が止まりそうだった。まだ、興奮しいいる。
 Bリーグ2020-21 チャンピオン・シップのセミファイナル、宇都宮ブレックス vs 川崎ブレイブサンダースのゲームの話である。日本のプロバスケットボールだ。やはり、チャンピオン・シップは、ディフェンスもオフェンスも、強度や集中力が全然違う。2試合とも、素晴らしいゲームだった。ブレックスが勝ったことについては、素直にうれしい。
 我らがブレックスは、強豪ひしめく東地区を首位で通過し、チャンピオン・シップ出場を決めたが、川崎には、レギュラーシーズンで1勝4敗と負け越している。全チーム中で唯一だ。しかも、天皇杯決勝で激戦の末破れ、レギュラーシーズン終盤のブレックスのホームゲームでも2連敗しているのである。ブレックスの唯一のホームでの連敗である。そのことから、ブレックスはレギュラーシーズン首位ではあったが、大方の予想は川崎有利、優勝予想の筆頭にも川崎をあげる解説者が多かった。
 昨日の第一戦は、2m以上のプレーヤを3人同時に起用するビックラインナップの川崎に対して、ブレックスはゴール下で身体を張って対抗し、ブレックスが10点以上リードして前半を折り返した。しかし、終盤川崎が追いついて、一進一退の攻防となり、残り数十秒のところで何とかブレックスが逃げ切った。互いにハードなディフェンスの応酬で、68-65のロースコアのゲームだった。
 今日の第二戦は、序盤から一進一退の手に汗を握る展開だったが、驚異的3ポイント成功率とオフェンスリバウンドに高い意識を持続したブレックスが、3Qで優位に立った。結果は96-78となったが、両チームとも最後まで集中力を切らさない、見ごたえのある引き締まったゲームだった。日本のバスケットもここまで発展・進化したのか、と思わせるゲームだった。本当に、感慨深い。
 来週はいよいよファイナルだ。相手は千葉か琉球か。おそらく、千葉だろう。いずれにせよ、ハラハラドキドキのゲームになりそうだ。

 今日の一枚は、ホリー・コールの1997年作品、『ダーク・ディア・ハート』である。ホリー・コールは、ボーカル、ピアノ、ベースのトリオ編成が好きだ。この作品はトリオ編成ではない。にもかかわらず、時々聴きたくなるのは、② Make It Go Away のためだ。ホリー・コールのささやくようなボーカルも素晴らしいが、途中から入ってきてアクセントをつける、ギターのシンプルなストローク演奏がたまらなくいい。この曲を聴くために、時々、このアルバムを手に取るのた。
 

偽書『東日流外三郡誌』

2021年04月03日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 487◎
Herbie Hancock & Wayne Shorter
1+1
 『東日流外三郡誌』、「つがるそとさんぐんし」と読む。偽書である。学界の定説である。青森県五所川原市在住の和田喜八郎という人が、自宅の改築中に屋根裏の長持ちの中から出てきたとして紹介した書物である。1975年に刊行された『市浦村史資料編』にその一部が収録されたことから、広く知られるようになった。
 そこには、紀元前7世紀の日本列島で、津軽を拠点に大和政権と敵対し続けた荒覇吐(アラハバキ)族の歴史が綴られていた。『古事記』『日本書紀』にも記されていない、ヤマト政権によって抹殺された幻の東北王朝の歴史である。
 在野の歴史研究者と名のる人たちによって、その真贋論争が展開されたが、アカデミズム的にも、史料中に登場する用語が新しすぎる点、発見状況の不自然さ、考古学的調査結果との矛盾などから、偽書であるとの評価が確定している。そもそも、和田の自宅は昭和16年の建築であり、古文書類が伝存して偶然発見される可能性は極めて低い。偽書の作成者は、筆跡から和田喜八郎その人だと考えられている。筆跡について指摘されると、公開したのは底本でなく自分が書写したものであり、底本は別に存在すると主張し、のち底本は紛失したと主張を変えた。和田は、『東日流外三郡誌』以外の「古文書」も次々と自宅から「発見」して「和田家文書」と呼ばれたが、それらの筆跡も同じであったという。和田の死後、自宅が調査されたが底本(原本)は発見されず、屋根裏にも膨大な「和田家文書」を収納できるスペースは存在しなかったという。
 和田は亡くなる1999年まで、約50年にわたって史料を「発見」し続けたことになる。すごい情熱とバイタリティーである。

 今日の一枚は、ハービー・ハンコックとウェイン・ショーターの1997年録音作品、『1+1』だ。デュオ作品である。この作品が発売されてすぐに購入した。確かに封を切った記憶はあるが、なぜか一度も聴かずに退蔵されていた。
 なかなかいい。もう少し聴き込んでみないと評価はできないが、悪くない。ハービー・ハンコックのセンシティヴな音遣いの中で、ウェイン・ショーターが時にデリケートに時に激しく、縦横無尽に吹きまくる、という感じだ。それぞれの個性がはっきりと表れている。両者の掛け合いもはっきり見えてなかなか興味深い。ショーターの宇宙的で神秘的なサックスの響きには、ピアノとのデュオが意外にマッチする気がする。
 


中大兄皇子の謎

2021年04月01日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 485◎
Helge Lien Trio
Spiral Circle

 中大兄皇子、のちの天智天皇についてである。
 中大兄皇子は、645年の大化の改新(乙巳の変)で蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼしたクーデターの首謀者・中心人物だったといわれる。少なくとも、その一人ではあったはずだ。当時、17歳と若かったが、父は舒明天皇、母は皇極天皇であり、血統は良かった。
 ところが、この事件の後、中大兄は即位せず、叔父の孝徳天皇が天皇となった。中大兄は皇太子として政務をとったのだ。数年後、中大兄は孝徳天皇と対立し、群臣を引き連れて難波宮から飛鳥に帰ってしまう。孝徳天皇は、失意のうちに654年に難波宮で死去する。
 しかし、中大兄はこのときも即位しなかった。即位したのは、中大兄の母だった。斉明天皇でである。中大兄の母はすでに天皇を経験していた(皇極天皇)。一度天皇になった人が再び天皇になることを「重祚」(ちょうそ)といいう。斉明天皇の即位は、女帝の重祚であり、これはまったく異例のことだった。中大兄は、またしても皇太子として政務にかかわることになる。
 661年に母の斉明天皇が死去するが、何とまたしても、中大兄はすぐには即位しなかった。即位しないまま政務をとったのだ。即位しないまま政務をとることを「称制」というが、中大兄の「称制」は実に7年間(661年~667年)に及んだ。
 668年、中大兄はやっと天皇となる。天智天皇である。大化の改新からカウントすると23年になる。しかし、即位の前年の667年に近江の大津に都を移したことが気にかかる。飛鳥の都が廃されたわけではないので、両都制だったというべきだろう。これは通常、白村江の戦いの敗北(663年)による対外危機が背景にあると理解されている。外敵を恐れ、海(瀬戸内海)から遠いところに都を移したという意味である。それは間違いではなかろう。しかし一方、大津宮が日本の中心を意味する「畿内」の外側であることを考えると、中大兄の即位の事情と何か関係がありそうでもある。
 「中大兄皇子は、なぜすぐに天皇にならなかったのか?」あるいは、「なぜ天皇になれなかったのか?」これは、古代史上の大きな「謎」である。

 今日の一枚は、ノルウェイのピアニスト、ヘルゲ・リエンの『スパイラル・サークル』である。2002年録音作品である。まさに北欧的サウンドだ。ちょっと生真面目だが、硬質で澄んだピアノの響きが素晴らしい。これまで何度か取り上げてきたように、私はこのピアニストが大好きである。CD帯の宣伝文句に「滴るリリシズム」とあるのも偽りではない。① Liten Jazzballong。一曲目から私の耳は釘付けだ。



板垣退助来たる!

2021年02月23日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 470◎
Gary Burton
Like Minds
 『市史』の資料編を読むのがマイブームである。学究的に詳細に読み込むわけではない。手元に置いて、暇なときにパラパラめくって眺めるのである。手軽に読める、近代の新聞記事がお勧めである。近代史の専攻ではなかったが、学生時代に近代史の演習で明治期の新聞記事を読んだ経験もあり、抵抗感はあまりまい。パラパラめくって、不明な言葉を調べる程度だ。もともと高校日本史教師なので、時代背景は大体わかる。もちろん、日本史年表や日本史辞典で調べることもある。
 先日、板垣退助が私の住む街を来訪したという記事に出会った(『東北新聞』)。明治29(1896)年のことである。同年発生した明治三陸地震津波による被害の視察に来たようだ。1896年といえば、第二次伊藤博文内閣の時代である。この内閣は日清戦争を遂行し勝利したが、戦後の三国干渉でいったん獲得した遼東半島を返還することになってしまった。その悔しさから、日本全体が「臥薪嘗胆」を合言葉にロシアへの敵愾心を強めていた時期である。伊藤博文は、軍費増強の予算案を通すために政党勢力に接近し、政党勢力もまた世論の支持を得るために軍備増強に反対しずらくなった。こうして日清戦争後、伊藤は自由党の板垣退助を内務大臣に迎えたのである。だから、『市史』にも板垣「内相」とある。
 板垣内相がこの町に着いたのは7月1日、翌2日の午前6時から各所を一通り巡視したようだ。「板垣内相には老体の事とて非常に疲労」とあるように、板垣はとても疲れていたようだ。鉄道も道路網も整備されていない時代に、三陸地方を訪れるのは大変なことだったのかもしれない。板垣は1837年生まれだから、当時59歳ということになる。当時の59歳は、結構「老体」なのだろう。
 新聞記事には、「各所を巡視されしが、一通りの視察に止まりて親しく見舞はるることはなかりき」とあり、形式的な、型通りの視察をしただけだったようだ。「唐桑村」からこっちも巡察してくれという要望があったが、帰京を急ぐとの理由で断られたことも記されている。実際、板垣は疲れていたのだと思うが、新聞記事からはもっとしっかり見舞って支援を考えてほしいという地元側の批判的なニュアンスも感じられる。板垣はその日のうちに、志津川(現南三陸町)に去りそこで一泊したが、声も出さず物音もたてずに、疲れてぐったりと横になっていたようだと新聞記事は伝えている。
 
 今日の一枚は、ゲイリー・バートンの1997年録音盤『ライク・マインズ』である。チック・コリア(p)、パット・メセニー(g)、ロイ・ヘインズ(ds)、デイブ・ホランド(b) と当時のジャズシーンのトップスター達の共演である。チック・コリアの訃報に接して(→こちら)、チックのLPやCDの整理をし、しばらくぶりに手に取った。非常に耳触りの良い、お洒落な演奏である。ヴィブラホーンの響きが心地よい。明治の新聞記事を読みながら聴くのにうってつけだ。しかし、美しいフレーズや演奏の緊密さに、時折はっとして顔を上げ、耳を傾けてしまう。パット・メセニーの名曲① Question and Answer は聴きものである。

ダイナミック・ギター

2021年01月24日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 464◎
Gontiti
Easy Busy

 ずっとクラシック・ギターだと思っていたギターがある。中学生の頃、親戚か誰かからもらったものだと思う。私が初めて弾いたギターである。そのギターが実家にあった。一年ほど前に、ちょっと弾いてみようかと思ってもってきたのだった。何度が弦を変えたのだが気づかなかった。結構、響きがよく、なかなかいい音がでるギターだったので、ナットとサドルを変えてもっと音をよくしようと考えた。今日アマゾンに注文しようとして気づいた。サドルが普通のクラシック・ギターと違うのだ。丸棒サドルなのである。アマゾンには見当たらなかった。不審に思って検索してみた。ギターの型番は「YAMAHA No. S-50」。何と、クラシック・ギターではなかった。《ダイナミック・ギター》というギターだった。1960年代、アコースティック・ギター(フォーク・ギター)ができる以前に、ヤマハが作ったギターだ。クラシック・ギターをベースに鉄弦(スチール弦)を張ることができるように頑丈に作ったもののようだ。音も大きく響く作りだ。そんなに高くはないが、一応、ジャパニーズ・ヴィンテージ・ギターだ。ゴンチチが使って、再評価されたらしい。状態も悪くはない。大切にしなければならないだろう。新しい本当のクラシック・ギターを購入するのではなく、このダイナミック・ギターにナイロン弦を貼って、しばらくクラシック・ギターとして使ってみようと思う。

 今日の一枚は、ゴンチチの1996年作品『イージィー・ビィジィー』だ。非常に柔らかで気持ちのよいサウンドだが、イージー・リスニングとして聴くにはもったいない作品である。ガット・ギターの柔らかな響きがたまらない。ずっと、エレクトリック・ギターを弾いてきたが、還暦ももうすぐの歳になって、ナイロン弦の優しい響きに惹かれるようになった。⑪ 放課後の音楽室は大好きだ。何度聴いても、心が躍る。

ニューヨークの青江三奈

2019年08月08日 | 今日の一枚(G-H)
◉今日の一枚 439◉
Helen Merrill
With Clifford Brown
 1954年録音のヘレン・メリル「ウィズ・クリフォード・ブラウン」だ。誰もが認めるジャズの古典的名盤である。大学生の頃、廉価版のLPレコードを買った。ずっとそのLPレコードで聴いてきた。今でもそれを所有している。結構聴きこんだと思う。ところが、よく考えてみるといつしかこのアルバムを聴くことはなくなり、もう恐らくは20年近くターンテーブルにのせてはいない。このアルバムのことを思い出したのは、2日程前に10kmウォーキングをしていたときだ。突然、何の前ぶれもなく、「 ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」のクリフォード・ブラウンのブリリアントなソロが頭の中で鳴り響き始めたのだ。まったく思いがけないことだったが、ブラウニーのトランペットのメロディーを何度も口ずさみながら、残りの道のりをウキウキしながら歩いた。

 さて、「ニューヨークのため息」ともいわれるヘレン・メリルの歌声を聴いて、日本の歌姫、青江三奈とを連想するのは私だけではあるまい。青江三奈のちょっと演歌チックで声質がやや野太いところを除けば、そのヴォイスが醸し出す雰囲気はヘレン・メリルそっくりである。「日本のヘレン・メリル」とか、「伊勢佐木町のため息」などとは呼ばれなかったのだろうか。その辺の同時代的なことは、私には詳しくはわからない。青江三奈のメジャーデビューは1966年であり、登場した年代はヘレン・メリルが先行しているから、彼女が青江三奈を模倣したとは考えにくい。青江三奈がヘレン・メリルの影響を受けたと考えるのが自然である。実際、そうなのかもしれない。けれども、私にとっては青江三奈を知った方が先だったのであり、初めてヘレン・メリルを聴いたとき、「青江三奈じゃん」と思ったものだった。その意味で、ヘレン・メリルをあえて「ニューヨークの青江三奈」と呼びたいところである。

骨寺村荘園遺跡ウォーク

2019年07月14日 | 今日の一枚(G-H)
◉今日の一枚 432◉
Giovanni Mirabassi
Animessi

  昨日は、岩手県一関市の骨寺村荘園遺跡を歩いた。骨寺村は、鎌倉幕府の公式歴史書『吾妻鏡』にも登場する中尊寺経蔵領の所領だったところだ。中世の荘園の田園風景がいまでも残っている稀有な場所だ。

 大学生のころ、関係文書を読んでレポートにまとめたことがある。骨寺村の存在は当時から知られていたが、まだそれほど有名ではなく、現地調査をしなかったこともあって、いつかきちんと調べてみたいと思ったものだった。結局、40年近くそのテーマを放置したままだったのだけれど。その後、発掘や遺跡の整備が行われ、行政のPRもあって骨寺村はすっかり有名になった。最近、ウォーキングやトレッキングをやるようになり、とりあえずは、と思い立って遺跡を歩いてみた次第である。

 梅雨の合間の晴れた一日。気持ちの良いウォーキングだった。約3kmの駒形コースを横道にもそれながら約1時間かけて歩き、すこし休んで約2.5kmの若神子コースを50分程歩いた。

 山間の少し開けた場所に、湧水を使った田園風景が続く。中世の風を感じながら、古に思いを馳せる。遥かなる中世・・・。

 骨寺村を歩きながら、ネックスピーカーで聴いたのは、イタリアのピアニスト、ジョバンニ・ミラバッシの2014年録音盤『アニメッシ』だ。ジョバンニ・ミラバッシがアニメ曲に取り組んだアルバムである。収録曲は次の通り。

01. 君をのせて(『天空の城ラピュタ』より)
02. 人生のメリーゴーランド(『ハウルの動く城』より)
03. クラッチ(『カウボーイ・ビバップ』より)
04. 炎のたからもの(『ルパン三世 カリオストロの城』より)
05. 旅路(夢中飛行)(『風立ちぬ』より)
06. 愉快な音楽I~V(『ホーホケキョとなりの山田くん』より)
07. 風の伝説(『風の谷のナウシカ』より)
08. グラヴィティ(『ウルフズ・レイン』より)
09. 銀色の髪のアギトBGM(『銀色の髪のアギト』より)
10. さくらんぼの実る頃(『紅の豚』より)

 売れ狙いの企画ものなどではない、骨太のジャズ演奏である。流麗な即興演奏の中で、原曲の骨組みが時折顔を見せると、聞き覚えのある旋律に思わず頬が緩む。ジョバンニ・ミラバッシという人は、即興演奏も流麗であるが、透き通った美しい音色のピアノを弾く人だ。④「炎のたからもの」、いいなあ。

かつおが揚がらない

2019年06月30日 | 今日の一枚(G-H)
◉今日の一枚 429◉
日野皓正
Blue Smiles


 西日本は大雨で大変なようだ。私の街でもこの土日はずっと雨だ。泊りがけの同級会で妻が不在なので、釜石のジャズ喫茶「タウンホール」あたりに行ってみようかなどと目論んでいたのだか、この雨のためかどうも気持ちが乗らない。昨日、近所の風呂屋に行ったことと、今日、市立図書館に行ったこと以外は、ほとんど戸外で活動していない有様である。

 ところで、6月ともなれば、私の住む街ではかつおのシーズンに突入するはずなのだが、今年はどうも様子が違う。スーパーに行っても、売っているかつおは千葉産とか静岡産のものばかりだ。地物を置かないなんてナメてんのかなどと思っていたら、今年は地元にかつおが揚がらないのだという。海流や水温の影響で、かつおの群れが千葉あたりで停滞し、北上して来ないのだそうだ。カツオ船が水揚げしたのも数度だけのようだ。もちろん、千葉産とか静岡産のかつおだってまずいわけではないのだが、やはり節のものは地物がいい。そんなこだわりみたいなものがあり、地元に揚がったカツオじゃないとどうも心を開いて酒が飲めない。

 一日中雨だった今日の一枚は、日野皓正の1992年録音作品「ブルー・スマイルズ」である。哀愁のバラード集だ。このころの日野皓正は、「ブルー」の付く哀愁のブルーシリーズを連発しており、いかにもという感じで、ちょっとキザな奴だななどと考えていたが、時を隔てて聴いてみると、これはこれで一つの芸の形なのだと感じられるようになった。余計なことは考えず、哀愁のトランペットは哀愁のトランペットとして聴くのが流儀というものだろう。①blue smiles から②you are so beautiful への流れが好きだ。

 日野皓正の哀愁のトランペットの傍らで光を放っているのは、シダー・ウォルトンのピアノである。固い音だが、音に芯があり流麗な演奏だ。シダー・ウォルトンを初めて知ったのはどのアルバムだったろうか。ロン・カーターとのデュオ「Heart & Soul」だったような気がするが、よく覚えていない。ずっと嫌いではないピアニストだった。そんなに自己主張しないピアノだが、その流麗な演奏に自然と耳が引き付けられていく。村上春樹が、彼を「真摯で誠実な、気骨のあるマイナーポエト」と称したのは、なかなか核心をついているような気がする。(村上春樹『意味がなければスウィングはない』)

スキーに行ったらリフトの上で聴きたい

2015年03月16日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 426●

日向敏文

いたずら天使 Little Rascal

 大学生の息子はスノーボードに夢中のようだ。青春を、学生生活を謳歌しているのだなと思う。ちょっと、うらやましい。もちろん、私だって青春を謳歌した。ただ、お金がなかった。貧しく、蹉跌とルサンチマンに満ちた青春時代だった。学生時代、スキーに誘われたことがある。是非やってみたかった。いくらぐらいかかるのか聞いてみると、用具は一式10万円ぐらいかな、あと交通費と宿泊費で2~3万ぐらいかなと真顔でいわれた。パックだから安いのだといわれた。・・・驚愕した。10万円とかのお金を普通に使う東京の人たちはお金持ちなのだなと思った。自分が貧乏学生であることを再認識した瞬間だった。

 そのコンプレックスだったのだろうか。就職してから、特に宮城に帰ってきてからはスキー三昧だった。若さに任せて滑りまくった。鬼首・鳴子(花渕山)・えぼし・夏油・雫石・安比・網張・田沢湖、それ以外にもいろいろなスキー場に行った。北海道のキロロやニセコやルスツにも何度か足を運んだ。特に鬼首は覚えたての頃、よくいったスキー場だ。週に数度、部活動指導をちょっと早めにきりあげ、夕方に出発してクルマで1時間半~2時間かけていくのだ。ナイターで滑ってアパートに帰ってくるのは12時を回ったころだった。休日には、雫石や安比あたりに遠出した。こんなふうにして、1シーズンに40回~50回程滑ったことも何度かあった。

 滑るのも効率を重視した。遅いリフトはあまり利用しなかった。いちいちスキーを外さなければならないゴンドラもあまり好きではなかった。よく使ったのは高速のクワットだ。高速リフトで何本も何本も本数を稼ぐのだ。雫石のレディース・ダウンヒルや安比のザイラーはのように、比較的空いている長いコースがお気に入りだった。リフト待ちの時間の短い、長いコースでのびのびと効率的に滑るのだ。ハードバーンにも果敢に挑戦した。鬼首のスネークロードはよく滑った。「馬の背」といわれる鳴子の花渕の壁や、1シーズンに数度しか開かない鬼首のディアロードに挑戦したこともある。リフトの上ではおにぎりを食べ、よく煙草を吸った。雪山を見ながら吸うたばこは本当に美味かった。リフトの上でヒット曲を聴くのも悪くなかった。広瀬香美やZooなど、スキー場のテーマソングもバッチリ揃っていた。時代はいまだバブルの余韻を残していたのだ。

 結婚をして子どもができると、次第にスキー場から足が遠のいていった。仕事もそれなりに責任のある部署を担当するようになり、忙しくなったこともあった。もう、10年以上もまともに滑っていない。結婚前、最後の抵抗にと、板だけで10万以上もする上級者向きのスキーを買ったのだが、それもいまでは庭の花壇の土どめに使われている。だから、息子がスノーボードに夢中なのがすごくうらやましく思える。青春のまぶしさを感じることもある。再びスキー場で滑ってみたい。息子のスノーボードの話を聞くたびにそう思う。身体がついてこれるかどうか心配なところではあるが、初心者の息子などにはまだまだ負けないという気概はある。華麗な滑りを見せつけてやりたいとも思う。ただ、おそらくはもう、高速リフトは使わないだろう。遅いリフトで十分な休養をとりながら、美しい雪山の景色を眺めよう。アバンギャルドな滑り方はしない。安定したパラレルターンで気持ちよく風を切り、滑った後は温かい温泉に入ろう。湖に落ちていくように滑る、田沢湖の国体コースや、自然豊かな八幡平の山々の風景をもう一度眺めたい。そう夢想しただけで心は躍る。20歳の若者のように胸が高鳴る。

 今日の一枚は、日本の作曲家・編曲家である、日向敏文の1994年作品『きまぐれ天使』である。1980年代に貸しレコード屋で彼の『夏の猫』というアルバムに出合い、ダビングしたテープでずっと聴いていた。その頃のお気に入りの作品になった。その後、大貫妙子のピュア・アコースティック作品で再び彼の名を目にし、いくつかの作品を聴いてみた。才能のある人だと思う。ヨーロッパの香りのするこの『気まぐれ天使』もなかなかいい作品だ。サウンド全体の印象を重視した、映像的な音づくりである。おだやかに、ゆったりと時間が流れるような独自の世界観だ。音楽を聴いていると、ぼんやりとした映像のようなものが脳裏に現出し、古い映画を見ているような錯覚に陥る。しばらくぶりに聴いたが、映画音楽のようでもあり、ポップスのようでもあり、またジャズのようでもある、その音楽世界にすっかり魅了された。悪くないアルバムだ。

 今度スキー場に行ったら、遅いリフトの上で雪山を眺めながら、ひとり、このアルバムを聴きたい。その穏やかで趣のあるサウンドが、雪山の風景には意外とあいそうだ。