WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

北条氏の他氏排斥過程ではない

2022年08月17日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 589◎
Joao Gilberto
Amorosa
 『鎌倉殿の13人』に関する話題である。ドラマでは、頼朝が死に、いよいよ有力御家人間の血生臭い勢力争いが始まった。すでに、梶原景時が排斥され、阿野全成が誅殺され、先週は比企能員が滅ぼされた。幕府内紛の主な事件をまとめておくと、次の通りである。
1999 源頼朝の死
1200 梶原景時が滅ぼされる
1203 阿野全成が誅殺される
1203 比企能員が滅ぼされる
1203 源頼家が幽閉される(翌年死亡)
1205 畠山重忠が滅ぼされる
1205 北条時政が幽閉される
1213 和田合戦(和田義盛が滅ぼされる)
1219 源実朝が暗殺される
 高校の授業では、これらを「北条氏の他氏排斥過程」として一括して取り上げることが多い。しかし、本当はそれは間違っている。それは北条氏が権力を握ることを前提として、そこから遡及した見方だ。実際の歴史の「現場」では、どっちに転ぶかわからなかったはずだ。例えば、「比企能員の乱」というが、実際には、その時点での幕府内での勢力は比企氏の方が優勢だったはずであり、その状況をひっくり返すために北条時政がクーデターを起こしたというのが本当のところだろう。一歩間違えば失敗に終わったかも知れなかったのだ。だから、この事件は《乱》などではない。それは最終的には北条氏が権力を握るのが正しかったのだとする『吾妻鏡』的な見方だ。
 鎌倉時代史の中心史料『吾妻鏡』は、北条氏の正当性を主張するために編纂されたものだ。それぞれの事件は、京都側の史料などを参照しつつ、注意深く分析されなければならない。その意味では、ドラマで「比企能員の乱」がクーデターとして描かれていたことは注目されてよい。
 今週は、いよいよ頼家の幽閉かも知れない。血生臭い抗争はまだまだ続く。

 今日の一枚は、ジョアン・ジルベルトの1977年作品『イマージュの部屋』である。Apple Musicで今日初めて聴いた。きっかけは、kindleの読み放題でたまたま読んでいた鈴木良雄『人生が変わる55のジャズ名盤入門』の54位に取り上げられていたからだ。友人たちが取り上げた55の作品にジャズベーシストの鈴木良雄がコメントを付すといった趣向の本である。この作品について、鈴木氏はあまり興味はないようであるが、ジョアン・ジルベルトが日本でのコンサートの時、疲れてステージ上で寝てしまって、その間客がずっと静かに待っていて、目が覚めたらまた歌いだしたらしい、という話が載っていた。静かな歌だったから、それも演出だと思ったのかもしれないと書かれていた。本当だろうか。
 暑い夏に、クーラーの効いた部屋で、庭を眺めながら聴くのには悪くない作品である。異なる状況では、やや退屈かもしれない。

頼朝の死と吾妻鏡の沈黙

2022年08月16日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 588◎
Michael Franks
Dragonfly Summer
 『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の死について、相模川の橋の供養の帰り道に落馬したシーンが描かれた。それ以前から体調が悪そうだったので、何かの病の結果、落馬したという描き方だったと思う。
 頼朝の死は、建久10(1199)年1月13日のことらしいが、その実像は詳しくはわからない。鎌倉幕府の歴史を記した『吾妻鏡』は、建久7(1196)年から建久10(1199)年まで、すなわち頼朝が死亡する前の約3年分の記事が欠落しているからだ。『吾妻鏡』が頼朝の死について記すのは、それから13年後の建暦13(1212)年2月のことだ。重臣らが将軍実朝に橋の修理について答申した記事にちょっとだけ出てくる。三浦義村が提案した相模川の橋の修理について、北条義時・大江広元・三善善信らが話し合い、かつてこの橋の落成供養の帰り道に頼朝様が落馬して程なく死んでおり、縁起が悪いから作り直す必要はないのではないかと答申したという記事である。挿話として出てくるだけなのだ。
 鎌倉幕府の正史ともいえる『吾妻鏡』に、鎌倉幕府の創設者である源頼朝の死が記されていないことは奇妙だ。しかも、13年後の記事に落馬というおよそ征夷大将軍らしからぬ死に方が記されているのだ。陰謀論が提起される所以である。『吾妻鏡』は頼朝の死に触れたくなかったように見える。さらに、「落馬」を象徴的な言葉としてとらえることもできるわけだ。
 ただ、建久10(1999)年に頼朝が死亡したことは事実のようだ。『尊卑分脈』 や慈円の『愚管抄』あるいは京都の公家の日記(古記録)などが記しているからだ。これらの中には、頼朝の病が「飲水の病」(糖尿病)だとするものもあり、それが原因で落馬したのかも知れない。陰謀論めいたことは記されてはいない。
 『吾妻鏡』に頼朝死亡前の3年分の記事がないことについては、すでに石井進氏の名著『鎌倉幕府』(中央公論社)が、破棄等による隠蔽ではなく、はじめから書かれなかったのではないかと推測しているが、『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当する坂井孝一氏も『源氏将軍断絶』(PHP新書)の中で同じ立場を取り、その理由を頼朝晩年のいくつかの失政や、将軍後継問題など北条氏に不都合な事実を隠蔽すために、『吾妻鏡』は記事自体の作成を行わないことを選択したのではないかと仮説を提示している。『吾妻鏡』は北条氏の正当性を主張するために編纂された史書なのである。

 今日の一枚は、1993年作品『ドラゴンフライ・サマー』である時々、学生時代にはまっていたマイケル・フランクスを聴きたくなる。いつだって期待を裏切らないジャージーでソフト&メローなサウンドがいい。暑苦しい夏に、熱いハードロックを聴いた青春時代が夢のようである。もう直接的な刺激で心の汗をかきたいとは思わない。そんな体力もない。静かに、しかし確実にじわじわと心に沁みてくるようなサウンドが好ましい。それぞれの曲はもちろん悪くないが、特定の曲を何度もリピートすることはない。何というか、アルバム全体の雰囲気を感じている気がする。いつもソフト&メローであるが、予定調和的なところがない。それが、マイケル・フランクスのいいところだ。
 

IgA腎症と私⑯

2022年08月16日 | IgA腎症と私
「寛解」した!
 開放腎生検のための最初の入院から約1年、昨日の通院で担当医師から「これ以上悪化することはない。寛解です。」といわれた。
 うれしい。というのは、はっきり言ってちょっとビビっていからだ。6月の通院ではeGFR 37.89(CRE 1.52)、同じく6月の職員検診ではeGFR 36.1(CRE 1.59)と数値の悪化が続いており、また血圧も最近高いことが多かったのだ。
 昨日の通院では、eGFRが42.12(CRE 1.38)だった。尿蛋白はなし、これまで+1が続きなかなか無くならなかった尿潜血もやっと消えた。一方、長期間ステロイド剤を服用したことによる血糖値の上昇も、6月からステロイド服用を止めたことでかなり落ち着いてきているとのことだった。もちろん冷静に考えれば、腎機能は100点満点中42点であり、いわば赤点すれすれである。しかし、何とかこの数値を維持し、透析をまぬがれたい。
 医師からは、今回の通院で終わりにしてかかりつけ医に戻るか、もう一回だけ通院して終わりにするか問われたが、念のため10月にもう一度だけ通院することにした。

 なお、バリウムを飲む職員胃検診で開放腎生検を行ったことを告げると、一年以内に開腹手術をしたものはできないといわれ、担当医に確認してくるよう指示されたが、これについても問題ないとのことだった。

被災地の海水浴場

2022年08月08日 | 今日の一枚(W-X)
◎今日の一枚 587◎
Walter Rodrigues,Jr
My Favorite Hymns,Vol. 1
 先日、気仙沼市のお伊勢浜海水浴場が東日本大震災以来12年ぶりに海開きをしたというニュースに接した。お伊勢浜海水浴場は 私の家のすぐそばにある海水浴場だ。本当は、昨年海開きをするはずだったが、コロナ禍でできなかったのだ。今日は休みが取れたので、郵便局に行くついでに立ち寄ってみた。
 平日の、朝の9時過ぎだったのでほとんど海水浴客はいなかった。ついでに、車で5分程度の大谷海水浴場にも行ってみた。
 やはり、平日の朝ということでほとんど海水浴客はいなかった。ちょっと前の土曜日曜は、暑さもあって多少賑わったようだが、大震災前の様相には遠く及ばず「密」でさえなかったようだ。
 もちろん、コロナ禍であることは大きいだろうが、少子化のため子どもずれのファミリーが減ったこと、若者たちが暑く潮風のベタベタしたレジャーをこのまなくなったことなども理由としてあげられるだろう。何より、今の若者たちは、海がある気仙沼に住んでいながら、その成長過程において海水浴を経験してこなかった世代なのだ。もちろん、仕方のないことだ。震災以来、気仙沼の海水浴場はずっと巨大な工事現場の様相を呈していたのだから。
 我々は、海水浴をはじめとする海での活動で、いろいろな冒険をし、失敗し、学び、教えられた。それらは強固な経験や思い出となって、その後の人生を規定する一つとなったようにも思う。海水浴を知らない世代が、新しい気仙沼の街を変えてゆくことになるのだろう。

 今日の一枚は、ウォルター・ロドリゲス・ジュニアの2010年作品、『My Favorite Hymns,Vol.1』である。ウォルター・ロドリゲス・ジュニアは、先日記したように(→こちら)、昨年の入院中に知り、エレガットに興味をもって再びギターを弾きはじめるきっかけとなったギタリストの一人である。この作品も歌心溢れる演奏全開であるが、よりジャージーな演奏が展開され、私的には思わず笑みが零れてしまう。
 今日は暑いが、幸い海風がある。エアコンをかけず、窓を全開にしてちょっとベタついた涼しい風を感じながら、スマホをYAMAHAのサウンドバーにつないで、apple Musicで聴いている。ウォルター・ロドリゲス・ジュニアのギターの響きが涼しい潮風と溶け合い、何ともいえない穏やかな時間を作り上げてくれる。