WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ゆずるの里

2022年02月08日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 563◎
Richie Beirach
No Borders
 登米市中田町浅水に「ゆずるの里」というそば処がある。《ゆずる》とは、フィギュアスケートの羽生結弦選手のことだ。羽生選手の父方のおじいさんがこの周辺の出身ということから、命名された店名のようだ。実際、羽生選手も幼少期に登米市に住んだことがあるとも聞く。羽生選手のおじいさんは、元同僚の羽生先生である。もう30年近く前に、M工業高校に勤務していた時の話だ。羽生先生は自動車科の先生で、当時、総務部長をされていた。残念ながら、羽生先生は退職後しばらくして亡くなられたとのことだ。
 先日、「ゆずるの里」をローカルのニュース番組が取り上げていた。羽生先生と同級生で元同僚という老紳士がインタビューを受けていた。一目でわかった。同じ社会科でお世話になったK先生である。おそらくはもう90歳近いと思うが、お元気そうに見えた。その穏やかで温かい語り口に、懐かしさがこみ上げ、ほっこりした気持ちになった。

 今日の一枚は、リッチー・バイラークの2002年録音盤『哀歌』である。venus盤である。リッチー・バイラークがクラシック曲を奏でるという企画盤である。リッチー・バイラークは好きなピアニストだが、この作品は今一つピンとこず、聴くことが少なかった。今朝、何気なく棚から取り出し、本当にしばらくぶりにCDデッキのトレイにのせてみた。悪くはない。気品のあるタッチである。ピアノの響きも美しい。しかし、やはり何かが違うんだよな、と思ってしまう。アドリブ演奏を展開しながらも構成的な趣の音楽に、ちょっと、考えすぎじゃないかという気がしてしまうのだ。

 私がM工業に勤務していたのは、このアルバムがリリースされるよりずっと以前のことだ。当時、羽生先生やK先生は大ベテランで、私は若手だった。
 時の流れの速さに立ち尽くすのみである。

姓と苗字は違う

2022年01月16日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 562◎
Roland Kirk
Volunteered Slavery
 『鎌倉殿の13人』でちょっと気にかかったことがあった。「北条時政」を「ほうじょうのときまさ」と呼んでいたのである。通常、藤原道長や源頼朝には「の」を付けるが、足利尊氏や徳川家康には「の」を付けない。もちろん、伊豆国の地方武士である北条氏にも「の」は付けない。
 まったく偶然であるが、昨日の「共通テスト」の日本史B第一問にもこのことを問う問題が出題されていた。なかなかいい問題だ、と私は思った。藤原や源は天皇から賜った《姓》であるのに対して、足利や徳川、北条は地名などに系譜をもつ《苗字》であり、通常このことが「の」有無と関係があると考えられている。《姓》=氏と苗字は違うのだ。だから、足利尊氏は、源尊氏でもあるわけだ。
 岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書:2003)は、自身の著書『家康はなぜ江戸を選んだか』を引きながら、次のように述べる。
「みなもとのよりとも」「たいらのきよもり」「ふじわらのみちなが」などといった、一般に「の」を付けて呼ばれる源・平・藤原・橘・菅原・賀茂などは「氏」であり、これは同一の祖先から発した血族全体を指す。これに対して「ほうじょうまさこ」「あしかがたかうじ」「くじょうかねざね」などといった、「の」を付けて呼ばない北条・新田・足利・近衛・九条・松平・徳川などは「名字」であり、住居や所領の地名に由来する「家」という親族集団の呼称なのである。
 ここでいう《氏》とは、天皇から与えられた《姓》を継承する血縁集団のことである。その意味で、『鎌倉殿の13人』の「ほうじょうのときまさ」という云い方にはやや違和感を覚える。
 もっとも、中世~近代にかけて《姓》は苗字化していくことも事実であり、歴史のある時点で実際に何と呼ばれていたかを史料的に論証するのは難しい。監修者が考え方などを示してくれるとありがたい。

 今日の一枚は、ローランド・カークの『ヴォランティアード・スレイヴリー』である。前半は1969年のNY録音、後半は1968年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのライブ録音である。複数の楽器を同時に吹く。吹きながら歌う。歌いながら吹く。ローランド・カークの面目躍如である。ちょっとアバンギャルドで白熱した演奏でありながら、何だか微笑ましく、そして楽しい。R&Bやゴスペルなど黒人音楽の要素が溢れ出るようなこの作品は、ある種前衛的に見えながら、音楽の楽しさに満ち溢れている。

この国で一度だけ成功した「革命」

2022年01月09日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 561◎
Rahsaan Roland Kirk
The Return Of The 5000lb. Man
 今年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』というタイトルだという。中世史なのでしばらくぶりに見てみようかと思っている。鎌倉時代初期の13人の合議政治を扱うのであれば、なおさら興味深い。

 中心となるのは、北条義時である。北条義時といえば、大澤真幸『日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか』(朝日新書:2016)で、日本でたった一人の成功した革命家として評価された人物である。「革命」というものを、社会の根本的な変革が、その社会のメンバーによって意図的に引き起こされることと概念規定すれば、確かに大澤氏のいう通り、北条義時は成功した革命家といえるかもしれない。
 まず、承久の乱で後鳥羽上皇を中心とする京都の朝廷と戦い、勝利したことが重要だ。朝廷と幕府の力関係は大きく変動することになる。後鳥羽・土御門・順徳の3上皇はそれぞれ隠岐・土佐・佐渡に配流され、仲恭天皇は廃位された。幕府と朝廷の関係は完全に逆転し、以後、京都の朝廷は六波羅探題によって監視され続けることになる。また、3000か所といわれる上皇側の没収地には東国武士が地頭として派遣された。没収地は西国に多かったから、これにより大量の東国武士が西国へ移住することになる。日本の多くの部分が、実質的に東国武士の影響下に入ったわけだ。
 承久の乱後、義時の政治は泰時に引き継がれ、政治体制も大きく変革されることになる。連署や評定衆が設置され、有力御家人による合議政治の体裁が整えられる。もちろん、北条氏が執権として大きな力をもつわけだが、体裁としてはあくまで合議政治なのである。また、御成敗式目が制定され、法に基づいた政治の体裁が整えられる。御成敗式目は、これ以後後世においても、武家法の基本として尊重されていくことになる。北条氏は大きな権力を握りつつも、法に従い、合議制によって政治を行っていくという形式を作り出したわけだ。これは、一介の地方武士に過ぎない北条氏が独裁的に政治を行っているという批判を回避するためでもある。京都の九条家から藤原頼経を迎え、いわゆる摂家将軍としたことも、この文脈で理解できよう。

 この記事を書きながら今聴いているのは、ローランド・カークの1976年録音盤『天才ローランド・カークの復活』である。ワンホーン構成で、コーラスやボーカルも交えて作り出された音楽からは、深い情感が感じられる。レビューにある「『ラヴィン・ユー』の名演で支持を得た、ローランド・カーク晩年の傑作アルバム。人生の喜怒哀楽を捉えたヒューマニズム溢れる世界が横溢する作品。」という言葉通りの作品である。「いーぐる」の後藤雅洋さんもこのアルバムによってカークに開眼し、店でカークをかけまくったとのことだ(『ジャズ喫茶四谷「いーぐる」の100枚』集英社新書)。
 演奏を聴きながら頬が緩み、微笑んでいる自分を発見する。

この記事を書く過程で疑問が解決しました。

2022年01月04日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 560◎
Roland Kirk
Domino
 ローランド・カークの1962年録音作品『ドミノ』である。このブログで取り上げるのは2度目である(→こちら)。昨日紹介したように(→こちら)、書斎のPCにインストールしたfoobar2000にCDを取り込み、USB-DAC(D10s)を通して、ブックシェル型スピーカー、bose125で聴いている。大好きな作品だ。名演・名作だと思う。外付けDACを通した鮮度の良い音で聴くとなお素晴らしい。

 ところで、私の所有する『ドミノ』のCDと一般に流布しているCDの曲順が異なっていることに気付いた。apple music で確認してもやはり私のものとは違うようだ。私のものは1986年にプレスされたもののようだが、廉価盤ではない。LPを所有していないので本来のものがどうだったか確認できないが、wikipedia 掲載された曲順も私のものとは異なっており、やはり私のCDは本来のものとは違うのかもしれない。私の所有するCDが14曲入りなのに対して、wikipedia には10曲が掲載されているが、これも本来の形が10曲入りだったことによるものだろう。現在市販されているものは、曲順は私のものとは異なるが、14曲入りのものが多いようだ。

 曲順が違ってもどうということはないが、私の中ではCDをかけると"Get Out of Town"が現れるのが細胞に沁みついている。違う曲がかかると、何だか居心地が悪く、そわそわした気分だ。

wikipediaの曲順]
1.Domino
2.Meeting on Termini's Corner
3.Time
4.Lament
5.A Stritch in Time
6.3-In-1 Without the Oil
7.Get Out of Town( from "Leave It to Me")
8.Rolando
9.I Believe in You
10.E.D. 

[私の所有するCD]
1.Get Out of Town( from "Leave It to Me")
2.Rolando
3.I Believe in You
4.Where Monk And Mingus Live / Let's Call This
5.Domino
6.E.D. 
7.I Didn't Know What Love It Was
8.Someone To Watch Over Me
9.Meeting on Termini's Corner
10.Domino
11.Time
12.3-In-1 Without the Oil
13.A Stritch in Time
14.Lament

 ここまで記してきてわかった。私のCDの記述をよく見てみると、参加ミュージシャンごとにまとめたもののようだ。私の所有するCDは、1~8曲目がWynton Kelly(p)、Roy Haynes(ds)、9~14曲目はAndrew Hill(p)、Henry Duncan(ds)となっている。Vernon Martin(b)は変わらない。疑問は解決である。




ただ本を読む

2021年09月21日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 545◎
Ron Carter
The Man With The Bass
 入院中である。昨日はしばらくぶりによく眠れたが、ステロイドの副作用で眠れない夜が続いた。夜も昼も眠っていないのに、全然眠くならないのだ。ベットに横たわって目をつぶり、眠る努力をしてもダメな時は、あきらめて起きることにした。椅子に座り、静かな暗い闇の中で本を読むのだ。kindleのフロントライト機能のおかげで暗闇の中でも本を読むことができる。昨夜は、ヴォネガットの『スローターハウス5』を読み終え、『母なる夜』に取りかかった。役に立てようとか、何かの資料にしようとか、そういう余計な考えをもたず、ただただ本を読む。まるで学生時代のようにだ。そういえば、こういう読書体験はしばらくぶりだ。そもそも、じっくり小説を読んだことなどここしばらくなかった気がする。
 入院の効用である。

 今日の一枚は、ロン・カーターの『ザ・マン・ウィズ・ザ・ベース』、1985年作品である。今も、自宅のレコード棚のどこかに眠っているはずだ。Apple musicで聴こうと探したが、見当たらない。どうも、オリジナル盤ではなく、例のサントリーホワイトのCMに使われた2曲を軸に、他のアルバムから数曲を摂った日本盤のコンピレーションアルバムだったようだ。仕方がないので、you tubeでdouble bass を聴いた。ベースもさることながら、ピアノの響きがいい。私は、このアルバムでケニー・バロンというピアニストを知ったのだった。今ではケニー・バロンはお気に入りのピアニストだ。その意味でも忘れ難いアルバムである。
 サントリーホワイトのCMには、ハービー・ハンコックが出演したものもあった。もっと以前には、サミー・デーヴィス・ジュニアのものもあった。お洒落で、センスのいいCMだったと思う。もう、ああいったCMを作る社会の余裕はないのだろうか。

1990年2月、完全なストーンズのライブを見た

2021年08月28日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 537◎
Rolling Stones
Steel Wheels
  退院して3日目である。ステロイドパルス療法のために、近いうちにまた3週間の入院をしなければならない。
 私の退院した日(ロンドン時間8月24日)、チャーリー・ワッツが亡くなったらしい。ローリング・ストーンズのドラマーである。最近ずっと聴いていなかったが、ストーンズは大好きである。チャーリー・ワッツのドラムとキース・リチャーズのギターが作り出す独特のビートがストーンズの個性であるといってもよかった。そんなこともあって、退院してからこの3日間、ストーンズをずいぶんと聴いた。
 1990年2月の公演に行ったことが蘇ってくる。ローリング・ストーンズの初の日本公演である。東京ドームでの公演だった。ホンキー・トンク・ウィメンで巨大なダッチワイフのような人形が登場したあのライブである。「悲しみのアンジー」と「ルビー・チューズディ」が隔日で演奏されたが、私が見たのは「ルビー・チューズディ」の日だった。まだベースのビル・ワイマンが脱退する前の、完全なストーンズのライブだった。ご機嫌なライブだった。眼前に展開するストーンズのパフォーマンスに涙を禁じ得なかった。ミック・ジャガーはステージを駆け回り、キース・リチャーズはギターを弾くには不必要と思われる回転を繰り返した。その熱狂の中で、静けさを湛え、求道者然としたたたずまいでドラムに向き合うチャーリー・ワッツは、不思議な存在感を放っていた。静けさに勝る強さはないということだろう。

 今日の一枚は、ローリング・ストーンズの1989年作品『スティール・ホイールズ』である。ストーンズを語る際、あまり取り上げられることのないアルバムである。私自身、ストーンズはミック・テイラーが在籍した1970年代前半が最も好きであるが、ストーンズの初来日公演の直前に初日発表されたこのアルバムは、当時よく聴いた。1980年代以降の作品の中では例外的によく聴いたといってもいい。このアルバムで、気分を盛り上げていたのである。今日、おそらく30年ぶりぐらいにこのアルバムを聴いた。意外だったが、いいアルバムだと思った。テレキャスターの独特の響きがご機嫌である。ストーンズのライブが瞼の裏で蘇ってくるようだ。
 退院後は、ちゃんとしたステレオセットで思いっきりジャズを聴きたいと思っていたのだが、もう少しストーンズを聴くことになりそうだ。

 2021年8月24日、ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが亡くなった。完全なものは少しずつ不完全になり、時代は変わっていく。

日本の女子バスケが決勝の舞台へ

2021年08月07日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 531◎
Red Garland
Groovy

 昨夜はよく眠れた。こんなによく眠れたのは、入院して初めてだ。術後の体調が回復してきたということだろうか。隣のベッドだった困ったちゃんが転院したからだろうか。あるいは、昨夜の日本の女子バスケのストレスを感じさせない大活躍を見たからだろうか。
 格上のはずのフランスを相手に圧勝である。フランスの選手は集中力を切らし、チームは崩壊寸前だった。町田の落ち着いたゲームメイクとアシスト、驚異的な3ポイントシュート、たびたび繰り出されるファーストブレイク、そしてオールラウンダー赤穂ひまわりのドライブ。赤穂ひまわりは絶対WNBAにいって欲しい選手だ。
 途中までほとんどメンバーチェンジをしない戦術に、私はフランスが盛り返し、4pに競ったらどうすんだと思ったりしたが、そんな心配は杞憂に終わった。
 日本の女子バスケが世界の決勝の舞台に立つ。長年、高校バスケの指導に関わってきた者としては、感慨深いものがある。

 今日の一枚は、レット・ガーランドの1956〜57年録音盤『グルーヴィ』である。モダンジャズの定番作品である。
 レット・ガーランドというピアニストにはそんなにハマったことはなかったが、気分の良い今日は、すんなり入ってくる。得意のブロックコード奏法は力強いが気品のようなものがあり、ファンキーなテイストだが、音が柔らかい。聴く者は、軽やかな心持ちでノレる。
 入院という特異な条件ではあるが、このアルバムを通して聴いたのは、おそらく30年以上はなかったと思う。
 明日の決勝、どのような展開となるか楽しみである。自分たちのバスケットを表現して欲しい。


オペラ座の夜

2021年06月05日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 508◎
Queen
A Night at the Opera
 地上波で映画「ボヘミアン・ラプソディー」が放映されていた。途中から見た。映画館では、4回ほど見た映画である。やはり、感慨深かった。クィーンについては、このブログで『シアー・ハート・アタック』について記したことがある(→こちら)。映画のラストのライブ・エイドのところは、やはり見入ってしまった。フレディー・マーキュリーの、根源的な哀しみが表出されているところがいい。映画のヒット以来、フレディー・マーキュリーをフレディーと、ブライアン・メイをブライアンと呼ぶ人が多いようだが、違和感がある。私にとっては、フレディー・マーキュリーはフレディー・マーキュリーであり、ブライアン・メイはブライアン・メイである。
 
 今日の一枚は、クィーンの『オペラ座の夜』である。1975年の作品である。私がクィーンに接したのは、高校1年の頃だったように思う。その頃は、『戦慄の王女』も、『シアー・ハート・アタック』も、『オペラ座の夜』も、『世界に捧ぐ』も出そろっていた。『オペラ座の夜』は、当時からずっと好きだった。ただ、私の耳は、フレディ・マーキュリーのボーカルではなく、ブライアン・メイのギターを追ってしまう。それは、今でも変わらない。そういう意味では、私はクィーンの良い聴き手ではないのだろう。
 年月を経た今、一番好きなのは、『シアー・ハート・アタック』である。「ブライトン・ロック」の吸引力には抗しきれない。

ウルトラマンとしてのアメリカ

2021年05月08日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 502◎
Linda Ronstadt
What's New
 ウルトラマンとはアメリカである,と記したのは佐藤健志の『ゴジラとヤマトと僕らの民主主義』という本だったらしい。らしい,というのは,私がその本を読んだことがないからである。私が知ったのは,大澤真幸『戦後の思想空間』(ちくま新書:1998)によってである。もう20年程も前に読んだ本だが,なぜか印象に残っている。オウムに言及した『虚構の時代の果て』もそうだが,この時期の大澤には基本的に首肯すべき見解が多いと思う。
 日米安保体制下での日本のアメリカへの依存関係と,ウルトラマンシリーズにおける人類のウルトラマンへの依存関係が同じものであるという見解だ。そもそも,ウルトラマンは宇宙人なのである。いうまでもなく,怪獣も地球人もともに宇宙人である。しかし,ウルトラマンは,なぜかいつも地球人の味方をしてくれるのだ。きっかけは"交通事故"なのだ。宇宙パトロール中のハヤタ隊員とウルトラマンがぶつかったのだ。そのことが原因で,ハヤタ隊員は死んでしまう。不憫に思ったウルトラマンは,ひとつの命を二人で共有するのだ。いい奴だ。いい奴すぎる。でも,やはりおかしい。ウルトラマンは,ほとんど善意で地球人を助けてくれているといっていい。"善意"といったが,それは,ウルトラマンの傘の下で安全を保っている地球人の"従属"を隠蔽するイデオロギーであると考えればわかりやすい。日米安保体制が背景になければ,思いつかないようなストラクチャである。
 ところで,ウルトラマンは強い。圧倒的に強い。いつも怪獣をやっつけてくれる。科学特捜隊もそれなりに活躍するが,はっきりいってウルトラマンだけでも事件は解決する。だから,科学特捜隊が《俺たちなんか,いなくてもいいんじゃないか》と,自己矛盾を感じたりすることもあるのだ。戦うアメリカと,それを後方で支援する日本という構図がダブって見える。そう考えると,最終回でウルトラマンがゼットンに負けるのは示唆的である。
 ちなみに,ウルトラマンのシナリオ作家の金城哲夫さんは,本土復帰前の沖縄出身であり,琉球ナショナリストでもあるようだ。沖縄が日本の善意に期待する構造と,日本がアメリカの善意に期待する構造がシンクロし,地球人がウルトラマンの善意に期待する構造に投影されている。すべて片務的な,善意の関係である。本来,ありえないような構造だ。やはり,日米安保体制という背景がなければ,発想できない構造である。

 今日の一枚は,リンダ・ロンシュタットの1983年作品,『ホワッツ・ニュー』である。ジャズを歌うリンダである。リンダ・ロンシュタットのジャズ作品としては最初のものだ。この後,『ラッシュ・ライフ』 ,フォー・センティメンタル・リーズンズ』 (→こちら)とジャズ作品が続いていく。ストリングスをバックに,リンダ・ロンシュタットはしっとりとスタンダードを歌う。ジャズ的な歌唱ではないのかもしれない。歌も巧いとはいえないのかもしれない。けれども,中高生の頃好きだったリンダ・ロンシュタットへの憧憬からだろうか,その飾らない,ピュアな歌声に初々しさを感じることもある。一方,テクニックを捨象したような,そのあまりにストレートな歌唱に痛々しさを感じることもある。80年代に買った中古のレコードを今でも聴き続けている。
 

宝酒造のタンクローリー

2021年03月29日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 482◎
Richie Beirach
Elegy For Bill Evans

 震災のときのことでふと思い出すことがある。そのひとつが、宝酒造のタンクローリーのことだ。あの時は断水で大変だった。避難所のトイレを流すために、みんなでプールの水をバケツリレーしたりしたものだ。飲み水や調理に使う水のために給水車が来たが、毎回長蛇の列となり、並んだものの品切れで水にありつけなかったこともしばしばあった。そんなとき、避難所の階上中学校に宝酒造のタンクローリーがやってきたのだ。それまで見たことがないような大きな大きなタンクローリーだった。これなら大丈夫、と思った。いくら並んでも確実に水にありつける、と思った。いつもは酒類を運ぶためのタンクローリーだったのだろう。後で知ったことだが、あのタンクローリーで水を運ぶと特殊な清掃処理をしなければならないのだそうだ。そういう中で、来てくれた宝酒造のタンクローリーを、おそらくは一生忘れないだろう。

 今日の一枚は、リッチー・バイラークの1981年録音盤の『エレジー・フォー・ビル・エヴァンス』である。venus盤である。パーソネルは、Richie Beirach(p)、George Mraz(b)、Al Foster(ds)だ。前年に亡くなった。敬愛するピアニスト、ビル・エヴァンスへのトリビュート作品なのだろう。リッチー・バイラークは当時エヴァンス派と呼ばれていたが、エヴァンスに比べて音の輪郭が明瞭すぎる気がする。もちろん、それが個性というものなのだろうが、音の輪郭が明瞭すぎて攻撃的な印象を受けることもある。エヴァンスのピアノが墨絵のようなニュアンスだとしたら、リッチー・バイラークのそれは油絵のようだ。にもかかわらず、嫌いなアルバムではない。② Blue in Green や⑤Peace Piece で聴かれる叙情性に惹かれることがある。音の輪郭が明瞭すぎることは気になるが、それがECM的な硬質な抒情性となって現出する瞬間が好ましいのだ。

光の中で

2021年02月28日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 473◎
Roxy Music
Avalon

 2週間ぶりに堤防ウォーキングをした。コースはこの前と同じ、三陸復興国立公園の岩井崎~お伊勢浜海水浴場~大谷海水浴場の手前まで、この往復だ。いい天気だった。風もそんなに強くはない。気持ちのいい午後だ。陽光が海に反射してきらきらと輝き、光の中を歩いているようだった。
 帰りは堤防を降りて、海のすぐそばの砂利浜や砂浜を歩いてみた。このエリアは、大津波でめちゃめちゃになった場所だ。震災後の数年間は海辺というより工事現場といった様相だった。以前より狭い気はするが、それでも何とか砂浜は復活した。本当は昨年の夏に海開きをするはずだったが、コロナ禍で中止となってしまった。今年はどうなるのだろう。
 東京で働く長男から贈られた靴で、手つかずの砂浜に足跡を付けた。

 今日の一枚は、ロキシー・ミュージックが1982年に発表したラストアルバム、『アヴァロン』である。歩きながら聴いたうちの一枚である。リュックサックのネットポケットに入れたAnkerのBluetoothスピーカーにiPhoneをつないで、Apple Musicで聴いた。
 この浮遊感覚がたまらなくいい。今聴いても本当に新鮮なサウンドである。まったく意外なことだったが、クールで人工的で都会的なデカダンスを感じるロキシーの音楽が、陽光に満ちた海辺を歩くのに本当にマッチしていた。気が付くと、ビートに合わせて、大きな歩幅で光の中を歩いていた。

エイミー・ベルという歌手

2021年01月17日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 462◎
Rod Stewart
Foot Loose & Fancy Free
 これは凄い。何気なくYou Tube をいじっていてたまたまタッチした動画に思わず声を出してしまった。ロッド・スチュアートの2004年のロイヤルアルバートホールでのライブ映像である。曲は名曲「もう話したくない」(I don’t want to talk about it )、ロッドとデュエットしているのは、当時22歳で無名の、エイミー・ベル(Amy Belle)という歌手らしい。スコットランドのグラスゴーの路上で歌っているところを見いだされ、この一夜限りのライブに招待されたということだ。清楚でキュートでかわいらしい雰囲気もさることながら、歌の表現力がすごい。その情感溢れる歌唱は、完全に、ロッドを食っている。ロッドファンやコアなオールドロックファンの間では、すでに知れ渡ったことだったようだが、ロックから離れていた私はまったく知らなかった。とにかく、いい。

 というわけで、今日の一枚は、ロッド・スチュアートの1977年発表作『明日へのキックオフ』(Foot Loose & Fancy Free)である。「もう話したくない」は入っていないが、私の一番好きなアルバムである。高校時代、何年生の頃のことかは忘れたが、後ろの席だったバンカラのF君の影響で、ロッド・スチュアートを聴きはじめた。制服自由化の高校で、頑なにバンカラを守り通しているF君がロッド・スチュアートのファンだということが新鮮で興味深かった。彼からは、ロッド・スチュアートについていろいろと教えてもらったが、私には比較的新しかった『明日へのキックオフ』が一番しっくりきた。ロッドの抒情的な側面が強くでているアルバムだったように思う。このアルバムには後にロッドの名曲と評価され、ライブで繰り返し演奏されることになるナンバーがいくつも収録されている。① Hot Legs ③ You're In My Heart(胸につのる想い) ⑤ You Keep Me Hangin' On ⑧ I Was Only Joking(ただのジョークさ)などがそれである。
 しばらくぶりに聴いたが、今聴いても十分に魅力的な一枚であると思う。F君とは、高校卒業以来一度も会っていない。今、何をしているだろうか。


トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ③

2020年12月31日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 457◎
Rickie Lee Jones
Pirates
 デビューアルバム『浪漫』の成功でスターダムにのし上がったリッキー・リー・ジョーンズは、トム・ウェイツと暮らしたロスを離れ、ニューヨークへと旅立つことになる。2016年に書かれた矢口清治氏の『パイレーツ』のライナーノーツには次のように記されている。
『浪漫』が彼女にもたらしたものは、おそらく予想を超えた富と名声、いわゆる商業的成功であり、代わりに失ったのはそれまでの日常、たとえば重要な存在であったトム・ウェイツとの関係だった。
 
 今日の一枚は、リッキー・リー・ジョーンズの1981年作品『パイレーツ』である。彼女の2ndアルバムである。トム・ウェイツとの別離後の作品ということで、彼にまつわる曲がいくつか収録されている。ジャケットに用いられた、ハンガリー出身の写真家ブラッサイの"LOVES"と題された作品は、どこかトム・ウェイツとの日々を連想させる。①We Belong Together(心のきずな)や、⑥ A Lucky Guy(ラッキー・ガイ)は、トム・ウェイツとの別離を背景として書かれた曲だ。印象的な曲である。⑤ Pirates(パイレーツ)も印象的な曲だ。ゴージャスなサウンドをハックに、ファンキーに、またしっとりと歌われるこの曲には、So Long Lonely Avenue というサブタイトルがつけられている。トム・ウェイツたちと暮らした街への別れを告げているわけだ。歌詞の中にSo I'm holding on to your rainbow sleeves(あたし、つかんで放さない。虹色のあなたの袖を。)とあるが、"rainbow sleeves"とは下積み時代のリッキー・リー・ジョーンズのために、トム・ウェイツが書いた曲のタイトルなのだ。トム・ウェイツへの思いが表出された一節である。rainbow sleeves は、のちにリッキー・リー・ジョーンズの3枚目のアルバム『 Girl At Her Volcano 』(→こちら) に収録されることになる。
 音楽は音楽として評価されるべきものであろうが、トム・ウェイツとの関係を考えながらこのアルバムを聴くと、じつに興味深い。ずっと以前に聴いた音楽が、生き生きと蘇ってくるようだ。


トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ①

2020年12月31日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 455◎
Rickie Lee Jones
Girl At Her Volcano
 驚いた。迂闊だった。知らなかった。
 今日、何気なくwebを眺めていて、トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズがかつて恋人同士だったということを知った。1970年代の終わり頃の話だ。すごく納得し、腑に落ちた。2人とも私の大好きなミュージシャンである。心に響く曲を書くミュージシャンだ。自分の思いを曲に託すミュージシャンである。
 2人の関係にまつわる曲がいくつか存在しているという。興奮している。偶然にも、私はそれらの曲が収録されているアルバムを持っている。この年末年始は、それらのアルバムを聴きなおすことになりそうだ。

 今日の一枚は、リッキー・リー・ジョーンズの1983年作品『 Girl At Her Volcano 』である。日本語のタイトルは『マイ・ファニー・ヴァレンタイン 』である。⑥ Rainbow Sleeves は、トム・ウェイツが下積み時代のリッキー・ジョーンズのために書いた曲である。
 トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズが出会ったのは、1970年代の終わり頃である。トム・ウェイツはまだ知名度は低かったものの、すでに数枚のアルバムを発表していたが(この時期のアルバムは後に名盤と呼ばれることになる)、リッキー・リー・ジョーンズはまだデビューすらしていなかった。そんなリッキー・リー・ジョーンズのためにトム・ウェイツが書いたのがこの曲だ。
 その後、リッキー・リー・ジョーンズはデビューし、デビュー作『浪漫』(→こちら)によってスターダムにのし上がるが、数年後の3枚目のアルバムにこの曲を収録したのである。このアルバムが発表された時には、リッキー・リー・ジョーンズとトム・ウェイツは離別してた。それでも、リッキー・リー・ジョーンズはこの曲をアルバムに収録したのだ。その思いが伝わってくるようだ。
 美しい曲である。トム・ウェイツの不遇時代のリッキー・リー・ジョーンズへの思いが込められたようなメロディーと歌詞だ。涙なくしては聴けない。年のせいだろうか、涙がぼろぼろと落ちて止まらない。
憂鬱のせいで歌うのをやめたりしないでくれ
君は片方の翼が折れただけなんだよ
だから僕の虹につかまってくれればいい
僕の虹にしっかりとつかまってくれ
君を虹のたもとに連れて行こう



最近、レッド・ガーランドをよく聴く

2019年08月05日 | 今日の一枚(Q-R)
◉今日の一枚 438◉
The 1956 Red Garland Trio

 ふとしたことから、このところレッド・ガーランドをよく聴く。マイルス・デイヴィスの「ワーキン」の美しすぎるイントロを別にすれば、私の中ではずっと、ビル・エヴァンスの登場によって歴史の片隅においやられた、格落ちのピアニスト、という勝手な思い込みをしていた気がする。

 しかし、左手のブロックコードと右手のシングルトーンから生み出される「ガーランド節」は、改めて聴くと、とてもシンプルで受け入れやすいサウンドだ。ガーランドの右手は、ときに美しくときにスウィンギーに、変幻自在のメロディーを奏でる。
 
 近頃よく聴くのは、「ザ・1956・レッド・ガーランド・トリオ」というアルバムだ。輸入盤CDで所有している。アルバムの成立についてはよくわからないが、「A Garland of Red」、「Groovy」、「Red Garland's Piano」、そしてマイルスの「Workin'」に収録されていたものの寄せ集めで、 レッド・ガーランドが1956年に残したトリオ演奏の集大成という企画のようだ。1956年といえば、レッド・ガーランドはマイルス・デイヴィス・グループのピアニストを務めていた時期であり、才気あふれる時代だ。寄せ集め盤だけに、どれも秀逸な演奏だが、① A Foggy Day と② My Romance、そして、⑪ O know way あたりは大好きだ。

 今日も暑いが、幸いなことに涼しい風が入ってくる。夏季休暇を取ったが、妻は遠方から来た友だちのお供で、家には私一人だ。懸案の唐桑オルレに挑戦しようかとも考えたが、暑すぎる故に断念し、午前中はしばらくぶりの一人ジャズ喫茶ごっこに興じている。