WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

1977.4.5の東京郵便貯金ホール

2007年04月29日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 156●

Art Pepper

Tokyo Debut

Watercolors0008_3  1977年、カル・ジェイダー・グループのサイドメンの1人として(ゲストという形だが)、アート・ペッバーははじめて日本にやって来た。麻薬常習者の経歴を持つということで、来日直前まで入国困難と思われ、ポスターにもチケットにも彼の名はなく、来日実現後、黒マジックで「アート・ペッバー、急遽、初来日」と書き込む有様だったという。

 ガラガラの入りにもかかわらず、ペッパーの登場とともに熱狂的な拍手が怒涛のように鳴り響き、およそ5分間も続いたという。ペッパーはその自伝で次のように語る。

「僕はのろのろとマイクに向って歩き始めた。僕の姿が見えるや、客席から拍手と歓声がわき上がった。マイクに行き着くまでの間に、拍手は一段と高まっていた。僕はマイクの前に立ち尽くした。お辞儀をし拍手のおさまるのを待った。少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。何ともいえない素晴らしい思いに浸っていた。あとでローリーに聞いたが、彼女は客席にいて観客の暖かな愛をひしひしと感じ、子供のように泣いてしまったという」

 若くして天才アルト奏者の輝かしい名声を獲得しながら、麻薬のためにその後の人生の多くの日々を監獄や更生施設で過ごさなければならなかった彼の思いはどのようなものだったのだろう。想像するだけで万感胸に迫るものがある。

「僕の期待は裏切られなかったのだ。日本は僕を裏切らなかった。本当に僕は受け入れられたのだ。やっと報われたのだろうか。そうかもしれない。たとえ何であったにしろ、その瞬間、今までの、過去の苦しみがすべて報われたのだ。生きていて良かった、と僕は思った」

 1977年4月5日の郵便貯金ホールでのライブ『アート・ペッバー・ファースト・ライブ・イン・ジャパン』。ペッパーは自分を受け入れてくれた日本の聴衆に応えて、熱演をくりひろげた。司会の紹介の次に登場する朴訥な語り口の声はたしかにペッパーだ。しかし、それにつづく演奏はあまりにストレートでペッパーじゃないみたいだ。vibやgやkeyやpercの入ったバックの編成もいままでのペッパーとしては違和感がある。④ Here's That  A Rany Day の陰影に富んだ演奏に及んで、「あっやっぱりペッパーだ」と思う。

 1977年、私は未だジャズを知らないロックフリークの中学生だった。


ニーナとピアノ

2007年04月22日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 155●

Nina Simone And Piano !

Watercolors0007_2  こういう音楽を聴くとあまりに自分自身にフィットしすぎてどうしていいかわからなくなる。自分の「演歌的」な部分が刺激され、細胞のひとつひとつが音に共鳴し始めるような感覚に襲われて怖いほどだ。

 1968年録音のニーナ・シモンのピアノ弾き語り盤『ニーナとピアノ』……。もちろん、黒人的なソウルを感じるのだが、私はもっと、人類史的なネイティブな何かを感じてしまうのだ。美しいとか感動的とか以前に、身体が細胞が反応してしまう。そして、ああ私は生きているなどとわけのわからぬことを考えてしまう。

 しかしそれにしても、そのソウルフルなボーカルに比して、このピアノのまっすぐで端正な響きは何だろう。クラシックのおぼえのあるニーナにしてもれば当然のことなのだろうが、一見正反対に思えるボーカルとピアノがきちんと溶け合い、互いに支えあっているのがすごい。八木正生は「セロニアス・モンクのピアノも凄いが、ニーナのピアノも凄い」といったそうであるが、それも納得できるような響きである。


抗議声明

2007年04月22日 | つまらない雑談

  我々Watercolorsは、安倍極右政権の諸政策と長崎市長射殺事件にみられるようなテロリズムの風潮に、強く抗議するものである。

 テロリズムの背後で安倍極右政権が意図を引いているという意味ではない。まあ、祖父の代から国際勝共連合=統一教会と関係の深い安倍であれば、その可能性が全くないわけではないが……。重要なのは、安倍極右政権が主導する社会の極右化とテロリズムの風潮が構造的に補完しあっているということである。

 考えてみれば、昭和前期もそうであった。さまざまな超国家主義団体や陸海軍将校によるテロは、正式に政府や軍部から命じられたものではなかったかもしれないが(もちろん非公式的なあるいは私的な意味で深い関係はあったわけだが)、それらは構造的に補完しあって、いわゆるファシズムを形成していったわけだ。

 アメリカとともにテロとの戦争を宣言し、反テロリズムのポーズをとる小泉・安倍政権の超国家主義的「改革」が構造的にそれと深い因果関係にあることは皮肉というべきだろうか。あるいは社会学的な必然というべきだろうか。

 その意味で、加藤紘一邸放火事件や今回の長崎市長射殺事件の際、小泉・安倍両氏が消極的な歯切れの悪いコメントしかできなかったことは、ややうがった見方をすれば、そのような文脈で理解できるのである。

 しかしそれにしても、真相は不明であるが、長崎市長射殺事件を犯人の個人的恨みによるものと、当初から十分な根拠も示さず盛んに宣伝したわがマスコミに疑念をいだいたのは私だけだろうか。


貨幣はすべてを均質化していく

2007年04月17日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 154●

Art Pepper

Winter Moon

Watercolors0005_7  「ウインター・ムーン」。1974年にカムバックしたアート・ペッバーが、1980年、Galaxyに録音した唯一のウィズ・ストリングス盤だ。

 私はウィズ・ストリングス作品はいくつかの例外を除いて基本的に好きではない。あまりに予定調和的というか、退屈なイージー・リスニングを聴いているような気分になってしまうのだ。ペッパーのこの作品は、数少ない例外のひとつだ。ウィズ・ストリングスなのに、そんな感じがしない。演奏はあくまでペッパーのコンボ中心で、部分的にストリングスが効果的に導入されているという感じだ。ペッパーのアルトも流麗で刺激的なアドリブを展開する。

 後期ペッパーについては否定的な人も多いが、音に込める思いというか、一音一音のニュアンスが若き日に比べてよりリアルになったような気がする。このウィズ・ストリングス盤にしても、バラード演奏における切々とした哀愁のアルトの繊細さは筆舌に尽くしがたい。じっと聴いていると、そのあまりの情感の豊かさに涙がでそうになるほどだ。イージー・リスニングとして仕事のBGMにしようと思っても、思わず手を止め、耳を傾けてしまう、そんな演奏である。

 実は友人から録音してもらったMDでずっと聴いていたのだが、廉価盤がでたので購入してみた。何と1000円である。1993年に発売された商品と同一のものということで安く出来たのだと思うが、十分に気持ちよく聴くことができる。いつも思うことだが、昨日コンビニで缶ビールに支払った代金もほぼ1000円、ペッパーのこの「名作」も1000円である。これが貨幣経済の現実というものなのだろう。究極の平等主義者「貨幣」の働きにはただ沈黙するのみである。

 「貨幣」は、すべてを均質化していく……。


こんなブルースが聴きたかった!

2007年04月11日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 153●

Rahsaan Roland Kirk

The Man Who Cried Fire

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 盲目のマルチ・リード奏者ローランド・カークの未発表ライブ音源を集めたもの。

 これはすごい。ずっと以前に購入し、一時期狂ったように聴いていたのだが、何故か忘れていた。ふとしたことがきっかけで10数年ぶりに再生装置にのせた。最高だ!こんなブルースが聴きたかった!① Slow Blues 、静かな暗闇の中からカークのサックスがひっそりと立ち上がってくる。あとは真性ブルースの世界だ。ブルースの洪水に浸りながら、心は、そして身体は、至福だ。私のためにつくられたレコードではないかと考えたくなるほどにお気に入りの一枚だ。

 カークは、テナーとアルトとバリトンを同時にくわえて吹いたり、フルートやマンゼロにもちかえたり、果てはホイッスルを鳴らしたり、あるいはこのアルバムでもそうであるように、楽器を吹きながら歌ったりすることすらあるので、キワモノ的な目で見られがちである。真面目なジャズ・ファンは、下品だと考えるかもしれない。しかし、これについてはすでに何度か引用した後藤雅洋氏の次の文章をあげれば十分であろう。

《 重要なのは、ローランド・カークの演奏技術が彼の音楽表現と不可分に結びついているということであり、決してテクニックのためのテクニックではないという点なのだ。その証拠にカークは、この奏法をのべつまくなしに披露するわけではなく、よく聴いていればわかるが、音楽的に必要と思われるところでしか使用することはない。…………ここで重要なのは、それが二人の演奏者がそれぞれテナーとマンゼロを吹いたのでは絶対に表すことができない表現力を獲得している点なのだ 》(『Jazz Of Paradise』Jicc出版局)

 実際、複数の楽器をハモらせるカークの演奏は不思議な響きをたたえている。

[以前の記事]

ドミノ

溢れ出る涙


A Day In The Life

2007年04月08日 | 今日の一枚(W-X)

●今日の一枚 152●

Wes Montgomery

A Day In The Life

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 ジャズ・ギターの革新者、ウェス・モンゴメリーーの1967年録音作品『ア・ディ・イン・ザ・ライフ』。私にとっては、聴きこめば聴きこむほど、新しい発見や驚きがあるスルメイカのような作品である。

 イージー・リスニングの傑作といわれるが、そういういいかたにはやはり抵抗がある。一段低い見られ方のような気がするからである。ジャンルなど関係ない、いいものはいいのだ、という言い方もあるのだろうが、わたしは基本的にそういう相対主義的な見方に与しないことにしている。ある種のジャンルとは、「分野」でなく、レベルであると考えているからだ。もちろん、趣味の音楽鑑賞ともなれば、自分が気持ちよければいいのだ、という考え方も成立するわけだが、一方でやはり音楽のレベルというものは厳然として存在しているのだと思う。そういう意味ではやはり、この作品をイージー・リスニングというレベルに押し込めることには抵抗があるのだ。ポップなナンバーを中心とした選曲とバックのオーケストラの型にはまった演奏がなければ、もっと違う評価があったかもしれない。演奏自体はレベルとしても分野としてもJazzそのものだと思う。

 タイトル曲「ア・ディ・イン・ザ・ライフ」の解釈に脱帽だ。


Songs From The heart

2007年04月07日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 151●

Johnny Hartman

Songs From The heart

Watercolors0001_12  おとといから、静かに聴くジョニー・ハートマンにちょっとはまってしまった

 ジョニー・ハートマン初期の作品、1955年録音の『ソングス・フロム・マイ・ハート』(Bethlehem)。若々しいジョニー・ハートマンの声がいい。ハートマンは1923年生まれなので、32歳の時の作品ということになる。古い録音だが、24bit Remaster のCDだからだろうか、音量を上げて聴くと彼特有の張りのある低音ヴォイスがびんびん響いてきて気持ちいい。コーン紙の震えがそのまま空気を伝わってきて、私の身体を共振させているかのような感覚を覚える。

 けれども一方、音量を絞って聴くハートマンもまた格別である。低くつぶやくように歌うクルーナー唱法がじわじわと身体にしみこんでくるようだ。バラードを中心とした構成とスモールコンボのバックがそれをより際立てている。ハワード・マギーのトランペットが大きくフューチャーされており、これがまたなかなかいい雰囲気をだしている。寛いだ、しかも繊細なフィーリングの音だ。夜中に、酒でも飲みながらじっくりと時間をかけて聴きたい一枚である。

 私はときどき思うのだけれど、ハイエンド・オーディオの臨場感溢れる音だけがいい音なのではない。時と場合によっては、あるいは聴く音楽によっては、古いラジオのスカスカのスピーカーからでてくる音の方が心に響くということもあるのだ。


I Just Dropped By To Say Hello

2007年04月05日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 150●

Johnny Hartman

I Just Dropped By To Say Hello

Watercolors_12  今、深夜の3時だ。昨夜は、妻と長男が実家に泊まりにいったため、次男と二人だった。ふたり残されたわれわれは、男同士の共犯関係のような感情で、妻たちに内緒で焼き肉屋で飯を食べ、サウナに行ってゆっくりと寛いだ。まだ小学3年生の次男は、私との秘密の行動にかなり満足したようで、帰宅するとすぐに眠ってしまった。わたしも一緒に寝たのだが、意に反して目が覚めてしまったのだ。

 ジョニー・ハートマンの1963年録音作品『アイ・ジャスト・ドロップト・バイ・トゥ・セイ・ハロー』(impulse) 、コルトレーンとの競演盤とほぼ同時期の録音だ。ジョニー・ハートマンのようなスタイルをクルーナーというのだそうだ。クルーナーとは、語りかけるようなソフトな発声でなめらかに歌うスタイルのことだ。ささやくようにゆったり、しっとりと歌うそのボーカルを聴いていると、もっと英語が理解できたなら、感動はさらに深まるだろうになどと思ってしまう。深夜で音量を絞って聴いているため、ハートマン独特の低音の響きを体感することはできないが、そのかわりクルーナー唱法の趣をじっくりと味わうことが出来る。ハンク・ジョーンズのピアノがリリカルですばらしい。ところどころで絶妙のアクセントをつけるケニー・バレルとジム・ホールのギターもなかなかいい。

 ところで、このアルバムを知ったのは比較的新しく、雑誌『サライ』2005.2.3号の特集「レコードを今こそ聴き直す」の中で、オーディオ評論家の菅野沖彦氏のレコード棚に飾ってあるのを見たのがきっかけだった。渋くて趣のあるジャケットだと感じたのだ。菅野氏はその記事の中で、レコードについて次のような傾聴すべき発言をされている。

「レコードを聴くには、盤面に触れないように丁寧にジャケットから出し、ターン・テーブルに載せて、針を慎重に置く。そうした一連の儀式が必要でした。レコードをかけるのは受身の行為ではなく、聴き手も参加する演奏行為なのです。」「プレーヤーの扱い方にも面白みがある。工夫次第で自分の好みの音が出せるんです。CDに比べて、人とのかかわりが濃密なんですね。」「大きくて目立つLPのジャケットは芸術性が高いうえ、時代の証言者でもある。レコードは音楽だけでなく、芸術や歴史をも含んだ、総合的な文化遺産なんです。」

 残念ながら、私がもっているのはCDだ。

[関連記事]ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン


サウンド・オブ・レインボー

2007年04月04日 | 今日の一枚(W-X)

●今日の一枚 149●

Walter Lang Trio

The Sound Of Rainbow

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 ドイツ出身のピアニスト、ウォルター・ラングの2005年録音だ。キース・ジャレットをはじめ数多くの名盤を生み出してきたことで知られるノルウェーの「レインボー・スタジオ」で、「伝説」のエンジニア、ヤン・エリックによって録音されたものだという。

 写真をみると、ウォルター・ラングはなかなかのイケメンだ。キザな奴に見える。気に入らない。けれど、音楽はなかなかい。キザなイケメン野郎にありがちな(?)だらだらとした甘い感じはあまりなく、そのピアノの響きは硬質なリリシズムを感じさせる。やはり、録音がいいのだろう。全体的に透明感のあるサウンドだが、冷たくひきしまった空気の中を伝わってくる硬質な音だ。考えすぎだろうか。ニコラス・ダイズのベースもなかなかの迫力である。リアルで鮮度のよい聴きごたえのある音だ。

 いい選曲だ。キース・ジャレットの「カントリー」、チック・コリアの「チルドレンズ・ソング」ではじまり、チャーリー・ヘイデンの「ファースト・ソング」、パット・メセニーの「ジェームズ」で終わる選曲は、私のお気に入りの曲が目白押しである。現代の名曲中心の構成だが、もちろん単なる「なぞり」に終わらず、オリジナリティーを感じさせる解釈で演奏される。

 雑誌Sound &Life No.4 で小説家の藤森益弘氏は「いまを潤すディスク10選」のひとつにあげ、「最近の出色の一枚」と評している。

[追記]藤森氏の作品は読んだことがないが、藤森氏があげた「いまを潤すディスク10選」が、私の好みとあまりに同傾向なので、ちょっと驚いている。


80/81

2007年04月02日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 148●

Pat Metheny

80/81

Watercolors0001_11  快作である。1980年録音の『80/81』。時に叙情的に、時に激しく、時に元気いっぱいに……、パット・メセニーの才能全開だ。

 本当は全8曲入りの作品なのだが、私の持っているCDは何故か6曲のみである。「オープン 」と「プリティ・スキャタード」 が入っていない。CDがではじめの頃の短縮盤なのだろうか。名曲 Goin' Ahead も本来は最後の曲のはずであるが、私の持っている盤では③曲目となっている。いつか、ちゃんとしたCDを買わねばならないと、今でも考えている。

 それにしても、今考えると何と豪華なパーソネルなのだろう。

    パット・メセニー(g)、

    チャーリー・ヘイデン(b)、

    ジャック・ディジョネット(ds)、

    デューイ・レッドマン(ts)、

    マイケル・ブレッカー(ts)

 CDの裏の写真をみると、みんな若々しい。80年代の新しいジャズを創造しようという清新な息吹が感じられる写真だ。 

 Goin' Ahead の美しさに涙するのみである。パット・メセニーは多くのアコースティックなフォーク曲を残しているが、この曲はその1,2を争うものと断言してもいい。胸がしめつけられ、熱いものがこみ上げてくる。80年代前半、渋谷の町を駆け巡った私の頭の中ではいつもこの曲が鳴り響いていたような気がする。

 


ブラウン=ローチ

2007年04月01日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 147●

Clifford Brown =  Max Roach

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 高名な批評家、後藤雅洋氏は『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)のクリフォード・ブラウンに関する項目を次のような文章ではじめている。

《 クリフォード・ブラウンは、ハード・バップ以降の最高のトランペッターである。まず、ここのところを押さえておきたい。 》

 まことに断定的な言い回しであるが、これに異を唱えるジャズ聴きはそう多くはないであろう。それほどまでにクリフォード・ブラウンのトランペットは素晴らしい。もちろん私も後藤氏の言に異存のあろうはずがない。

 明るく翳りのない張りのある音色ははちきれんばかりに輝かしく、そのアドリブはまるでひとつの曲であるかのようにスムーズでよどみなく、そして美しい。演奏は、いつだって熱気とエモーションに溢れ、ブラウニーの額から汗がほとばしるのが見えるようである。

 1954年録音の大名盤『クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ』(Emarcy)、私の20数年来のお気に入りのひとつである。どの演奏も素晴らしいが、⑥ ジョードゥ は白眉である。私にとっては、この曲を聴くためのアルバムであるといっても過言でなく、とくにCD時代にはいってからはこの曲だけを繰り返し聴くこともしばしばである。

 クリフォード・ブラウンは、この時期としてはめずらしく麻薬に手をだすこともないクリーンな演奏家だったが、1956年に交通事故によってわずか25歳で夭折してしまった。ブラウニーの死と前後するようにマイルス・デイヴィスがプレッステッジに「ING四部作」を発表し、以後トップトランペッターの地位に躍り出ていく。後藤雅洋氏は前掲書において、もしもブラウニーが生きていたらジャズシーンはどうなっていただろうと想像し、次のように書いている。

《 クリフォード・ブラウンに対する評価は変わりなかろうが、マイルスに対する世評は当然ブラウンとの対比のうえで若干の変化があらわれていたのではなかろうか。 》

いわれてみれば、同感である。