●今日の一枚 156●
Art Pepper
Tokyo Debut
1977年、カル・ジェイダー・グループのサイドメンの1人として(ゲストという形だが)、アート・ペッバーははじめて日本にやって来た。麻薬常習者の経歴を持つということで、来日直前まで入国困難と思われ、ポスターにもチケットにも彼の名はなく、来日実現後、黒マジックで「アート・ペッバー、急遽、初来日」と書き込む有様だったという。
ガラガラの入りにもかかわらず、ペッパーの登場とともに熱狂的な拍手が怒涛のように鳴り響き、およそ5分間も続いたという。ペッパーはその自伝で次のように語る。
「僕はのろのろとマイクに向って歩き始めた。僕の姿が見えるや、客席から拍手と歓声がわき上がった。マイクに行き着くまでの間に、拍手は一段と高まっていた。僕はマイクの前に立ち尽くした。お辞儀をし拍手のおさまるのを待った。少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。何ともいえない素晴らしい思いに浸っていた。あとでローリーに聞いたが、彼女は客席にいて観客の暖かな愛をひしひしと感じ、子供のように泣いてしまったという」
若くして天才アルト奏者の輝かしい名声を獲得しながら、麻薬のためにその後の人生の多くの日々を監獄や更生施設で過ごさなければならなかった彼の思いはどのようなものだったのだろう。想像するだけで万感胸に迫るものがある。
「僕の期待は裏切られなかったのだ。日本は僕を裏切らなかった。本当に僕は受け入れられたのだ。やっと報われたのだろうか。そうかもしれない。たとえ何であったにしろ、その瞬間、今までの、過去の苦しみがすべて報われたのだ。生きていて良かった、と僕は思った」
1977年4月5日の郵便貯金ホールでのライブ『アート・ペッバー・ファースト・ライブ・イン・ジャパン』。ペッパーは自分を受け入れてくれた日本の聴衆に応えて、熱演をくりひろげた。司会の紹介の次に登場する朴訥な語り口の声はたしかにペッパーだ。しかし、それにつづく演奏はあまりにストレートでペッパーじゃないみたいだ。vibやgやkeyやpercの入ったバックの編成もいままでのペッパーとしては違和感がある。④ Here's That A Rany Day の陰影に富んだ演奏に及んで、「あっやっぱりペッパーだ」と思う。
1977年、私は未だジャズを知らないロックフリークの中学生だった。