WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

たんぽぽ……青春の太田裕美⑱

2009年03月15日 | 青春の太田裕美

Hmv_32078  

 webのフリー百科事典『Wikipedia』は、松下治夫『芸能王国渡辺プロの真実』を参照して、太田裕美が当初はキャンディーズの一員としてデビューする予定だったが、田中好子と交代したという話を掲載している。本当だろうか。多分本当なのだろう。しかし、キャンディーズの一員としての太田裕美などどうしてもイメージできない。キャンディーズは十二分に素敵だが、太田裕美がその一員としてあの超ミニスカートをはいているなどどうしても想像できないし、したくもない。太田裕美のパンチラ超ミニスカートも興味はあるが、やはり彼女には長めのスカートが似合う。その意味で、太田裕美はある種の偶像であり、記号なのだ。 

  ※  ※  ※ 

   「たんぽぽ」  (作詞:松本隆 作曲:筒美京平)
 あなたの声が聞きたくて
 街の電話をかけたのに
 話し中の相手はだれだれですか
 雲のようにひろがる
 胸の中のさびしさ
 どうぞ あなたのはずむ声で
 涙消してください

 いつかあなたに後ろから
 目隠しされた公園よ
 振り向いてもだれもいない風の音
 灰色した歩道の
 すみに咲いた たんぽぽ
 そんな小さな花のように
 そばにおいてください
 そんな小さな花のように
 そばにおいてください
 

  ※  ※  ※ 

 さて、太田裕美の2ndシングル「たんぽぽ」である。1975年にリリースされたセカンドアルバム『短編集』に収録された楽曲だ。いかにも70年代歌謡曲然としたサウンドであり、その意味では凡庸な曲ということもできるが、今聴くと、この歌詞は何だ。考えようによっては、凄い歌詞である。「たんぽぽ」などというかわいらしい表題とは裏腹に、陰にこもるじめじめと湿った感じの、古めかしい言葉で言えば、女の情念あるいは怨念を感じさせるような、演歌チックな歌詞である。今日的にいえば、ストーカーになるすれすれの歌詞だといえるかもしれない。ぎりぎりのところで、「雲のように広がる 胸の中のさびしさ」という部分に救われる。限りなく広がる悲しみを表現しようとしたのであろうが、その穏やかなメロディーとあいまって、結果的には開放的な感覚を表出している。 

 この「青春の太田裕美」シリーズでなんども繰り返してきたが、内向の時代である70年代であるからこそ可能であった歌詞の展開なのだと思う。「そんな小さな花のように そばにおいてください」などというところに表出される、女の子の切羽詰った感じや、その《かわいらしさ》は、やはり70年代特有のフィーリングなのであり、現在的な文脈では、女性蔑視ともとられかねないであろう。本来どろどろした女の子の情念や怨念を《かわいらしさ》に変換し、それらを隠蔽する装置が1970年代には確かに存在したのだと思う。


In A Jazz Tradision

2009年03月14日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 239◎

Eric gale

In A Jazz Tradision

 今日の一枚もエリック・ゲイル。カセットテープで聴いている。これもCDを購入し損ねたアルバムである。彼がカリフォルニア州のメキシコバハで亡くなったのは1994年だったが、それからの15年という歳月が長いのか短いのかよくわからない。ただいえることは、彼の存在感がしだいに過去のものになりつつあるのではないかということである。例えば先日も記したように、HMVで検索してみるとわずか4枚のCDしかでていない。amazonでも同様だった。驚異的なフュージョングループ「スタッフ」のギタリストとして一世を風靡し、多くのギタリストに影響を与えた彼も、時間の経過とともに忘れ去られていくということなのだろうか。そう考えると、今もっているカセットテープが貴重なものに思えてくる。(まあもちろん、今後CD化される可能性はあるのだろうが……)最近、立て続けに昔のカセットテープを聴くのはそのためかもしれない。

 エリック・ゲイルの1987年録音作品、『In A Jazz Tradision 』。何と、エリック・ゲイルが純正ジャズに取り組んだ一枚だ。Normalポジションながら、TDKのARXというテープに録音されており、思ったよりかなり音がいい。音量を上げても十分に快適に聴ける。参加ミュージシャンは次の通り。

Eric Gale : guitar
Houston Person : tenor saxophone
Lonnie Smith : organ
Ron Carter : bass
Grady Tate : drums

 このおよそエリック・ゲイルらしからぬアルバムの評価は様々であろうが、私としてはサウンド的に多少の物足りなさを感じるものの、演奏自体は結構評価している。まるでロン・カーターのリーダー作であるかのようなジャケット写真からもわかるように、エリック・ゲイルは演奏においても決してでしゃばったまねはしない。あくまでバンドの中のひとりとして、全体のバランスの中でプレイしているようにみえる。しかし、それでいてしっかりとした存在感が感じられるのは、やはりエリック・ゲイルが凄腕ギタリストであることの証なのであろう。純正ジャズを演奏し、サウンド的にもまぎれもない純正ジャズでありながら、どこかフュージョン的な、あるいはエリック・ゲイル的なテイストを感じるのは不思議なものだ。それはオルガンの使用によるものかもしれないし、チョーキングを多用するエリック・ゲイルのプレイスタイルのせいかも知れない。いずれにせよ、優れた音楽家の演奏というものは、そのオリジナリティーが自然に、滲み出るように表出されるものなのであろうか。

 どの演奏も質の高いものであるが、典型的なハードバップでぐいぐい迫ってくる ① Eric's Gale 、私の大好きな名曲 ⑤ Jordu 、ブルースフィーリング溢れる最後の曲 ⑦ Blues For Everybody  、が私のお勧め、特に印象に残った演奏である。


In The Shade Of A Tree

2009年03月11日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 238◎

Eric Gale

In The Shade Of A Tree

Intheshadeofatree

 寒い一日だった。私の住む街(東北地方太平洋岸)では、午後からは雪が舞っていた。数年前に新築した自宅は暖かい。高断熱高気密住宅と温水パネルヒーターのおかげで、家の中ではTシャツ一枚という有様だ。これは正常な人間の生活ではないと思うことがある。暖かすぎるのだ。その暖かさゆえ、人間性を回復したいと考え、時折Tシャツ一枚で外へ飛び出して、寒い風に吹かれ、遠くに家々の明かりを見ながら、闇に向かって立小便をする。気持ちいい。自由で開放的な時間だ。それは、宇宙に向かって立小便をするといったほうが適切かも知れない。それが正常な行動ではないと知りつつも、そうせざるをえないのだ。快適な文明を享受しつつも、一方でそれへの違和を感じてしまう。酔った勢いで短絡的に考えれば、それは始原の記憶のせいなのかもしれない。

 今日の一枚もエリック・ゲイル。どうしちゃったんだろう。ここ数日、エリック・ゲイルばかりだ。もちろんカセットテープである。これもLPからのダビングだったようだが、Normal ポジションながらTDKのARというテープに録音されていて、昨日のIsland Breeze よりはかなり音がいい。最近、聴いてみて思うのだが、カセットテープという媒体もなかなかいいものだ。早送りという機能が簡単にできないのがいい。もちろん、自動早送り機能というものもあるが、CDほど簡単ではなく、一定の時間待たなくてはならない。また、何度も早送りをして、テープが伸びることを心配するため、結果的に早送り機能をを使う頻度は減少する。早送り機能を使わないと、必然的にアルバムをじっくりと聴くことになるのだ。

 1994年に惜しくも死んでしまった、脅威のワンパターン・ギタリスト、エリック・ゲイルの1981年録音作品 In The Shade Of A Tree だ。これも、過ぎ去りしアドレッセンスによく聴いたアルバムである。グローバー・ワシントンJrをフューチャーした② Lonely In a Crowd が素晴らしい。エリック・ゲイル自身もそうだが、グローバー・ワシントンJrのサックスはほんのちょっと聴けばそれが誰の演奏かすぐわかる、個性的ものだ。素晴らしい。⑦ Etoile も好きだ。サイドギターのストロークワークがなんともいえない。若い頃は、例えば Touch Of SilkIsland Breeze に比べるとサウンドがややスカスカでワンランク劣るアルバムのように思っていたのだが、今聴くと決してそのようなことはなく、かなりクオリティーの高いアルバムだと確信する。かつては、先にあげたアルバムに対する思い入れのあまり、公平な評価ができなかったのかもしれない。

 歳を重ね、もう一度同じものを聴いてみるということ……。その頃の情景が頭をよぎると同時に、恐らくはより公平な目でかつての自分自身を見直し、ひとつの総括をするという行為なのかもしれない。


アイランド・ブリーズ

2009年03月10日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 237◎

Eric Gale

Island Breeze

Islandbreeze_4

 先日、Stanley Turrentine :『Straight Ahead 』のカセットテープを久々に聴いたことを契機に、永らくカセットラックに置き去りにされてきた大量のテープのうちのいくつかを聴いたみた。やはり、お気に入り作品であるにもかかわらず、CDに買い換えなかったものがかなりの数あるようだ。

 伝説的なフュージョン・バンド”スタッフ”のギタリスト、エリック・ゲイルの1982年録音作品『アイランド・ブリーズ』。気持ちいい。ワンパターンの指ぐせ全開である。もちろん褒め言葉である。エリック・ゲイルを私は、脅威のワンパターン・ギタリストだと認識している。ほんの少し聴いただけで彼のものだとわかるそのフレーズは、それが指ぐせであるかどうかにかかわらず、完全に個性の領域に属している。ワンパターンに思えるのだが、それが全然いやみにならず、むしろ爽快な気持ちよさを感じさせるところが素晴らしい。

 私の知る彼の作品中、タッチ・オブ・シルクの次によく聴いたアルバムである。録音されているテープは、SonyのBHFというNormal ポジションのもので、録音状態はお世辞にも良いとはいえない。もともとの音源がなんであったかもよくわからず、レコードジャケットもはっきり憶えていない始末だ。録音の状況から、LPレコードからのダビングであることは間違いない。だだ、出はじめのウォーキングステレオで何度も何度も聴いたアルバムであり、今でもギターソロのメロディーがほぼ完全に口をついて出てくる。渋谷の街を駆け巡っていた生意気な日々に、私の耳元でよく聴こえていたサウンドである。CDを購入しようかとwebを検索してみたが、Blue Horizon との2枚合体盤が発売されているのみで、単体としては廃盤の状態のようだ。残念なことだ。このアルバムに限らないのだが、超名盤は別にして、若い頃によく聴いたアルバムが調べてみると廃盤であることがしばしばある。とくに同時代にリアルタイムで聴いた作品がそうであることが多いようだ。その時購入しなかったことをいつも悔やむのだが、当時経済的な余裕がなかったこともまた事実なのだ。仕方がない。So it go (そういうことだ)。

 Sandy Barber のボーカルをフューチャーした② We'll Make It, Sooner Or Later にいつも魅了される。美しい絶品のバラードであるにとどまらず、エリック・ゲイルの繊細で気持ちの良い”ワンパターンなソロ”が最も良質な形で記録されたトラックであろう。


ヌー・ハイ

2009年03月08日 | 今日の一枚(K-L)

◎今日の一枚 236◎

Kenny Wheeler

Gnu High

Scan10008

 転退職の3月である。このところ、週に1~2度の頻度で諸々のセクションの送別会があり、身体がかなり疲れているのがわかる。休肝日をもうければよいと多くの人はいうけれど、それがなかなか難しい。煙草をやめるのは意外とスムーズにいったのだが、酒はそんなに簡単ではないようだ。煙草は以前一日に60本も吸う自称ヘビースモーカーたったのだが、十数年前に子どもが生まれたことをきっかけにきっばり(?)やめた。酒は、「休肝日をもうける」ということがなかなか難しい。いっそ、きっぱりやめればやめれるのかも知れないと思うのだが、酒は人生なり、みたいな変な自意識、酒を飲んでいる自分自身を見ていたいというある意味ナルシステックな自意識がじゃまをして、どうもうまくいかない。できないのは、私自身の《弱さ》なのだろう。そう考えながらも、その《弱さ》が人間的で好きだ、などというメタレベルの自意識がまたそれらを邪魔してしまう。まったく、自意識とはやっかいなものである。滑稽かな我が人生、である。

 さわやかな朝のためにECMサウンドを、 と思い取り出してみた1枚である。 カナダ生まれだがイギリスを拠点に活動するトランペッター、ケニー・ホイーラーの1975年録音作品『ヌー・ハイ』だ。キース・ジャレット(p)、デイプ・ホランド(b)、ジャック・ディジョネット(ds)という強力なバックに支えられた、ケニー・ホイーラーの伸びやかで澄み切ったフリューゲルホーンの美しい響きが心地よい。音色は美しいが、演奏はインプロビゼーション主体のイマジネイティブなものである。本当はいやいや参加したともいわれるキース・ジャレットだが、緊張感のある創造的なアドリブ演奏を展開している。ピアノの響き/音色も大変美しく、瑞々しい音の粒たちが指先から滴り落ちるようだ。キースファンの私などは、正直いってフリューゲルホーンなどそっちのけで、ただひたすらピアノの旋律を追っている始末である。② Smatter におけるキースは本当に素晴らしい。


マッチブック

2009年03月02日 | 今日の一枚(G-H)

◎今日の一枚 235◎

Rarph Towner & Gary Burton

Match Book

Scan10015

 今日は久々のオフだ。昨晩、ちょっと飲みすぎて身体がぐったりしている。こんな日には、何か静謐な感じのするサウンドが聴きたいと思って思い出したのがこのアルバムである。

 ラルフ・タウナー & ゲイリー・バートン の1974年録音作品『マッチブック』だ。ジャケット写真のようなマッチをマッチ・ブックというのですね。マッチ・ボックスじゃなくてマッチ・ブック。改めて辞書をひいてみるまで知らなかった学識のない私。

 静けさを求めてこの作品を選んだのだが、音を大きくしすぎたせいか、二日酔いの身体にはちょっと刺激的な音だった。ずっと《静寂のサウンド》というイメージをもっていたのだが、音量を上げて改めて聴いてみると、ヴァイブの響きもギターの音色も、意外なことに、耳に突き刺さるような 攻撃的ともいえる音に感じる。二日酔いの耳には刺激が強すぎると音量をしぼってみると、こんどは静かな安らぎの世界が広がってきた。音量によってこれ程印象が違うというのも不思議なものだ。透明感のあるECMサウンド。理知的で冷たいクリスタルな響きなのだが、このアルバムに関してはどこか温かさややわらかさを感じるから不思議だ。

 不思議といえば、このアルバムを聴くといつも思い出す作品がある。Jim Hall & Bill Evans のUndercurrent だ。デュオという形式以外あまり共通点が見当たらないのだが、なぜか思い出す。ピアノとヴァイブという楽器の違いはもちろんのこと、ジム・ホールの穏やかで暖かい感じのギターに対して、ラルフのそれはソリッドで高音を強調したものだ。にもかかわらず、なぜかUndercurrent を思い出す。今日も冒頭の① Drifting petals を聴いてたら、どういうわけか頭の片隅では、Romain が鳴り響いているという始末だった。脳の何かがリンクしているのだろうか。まったく、不思議なことだ。

 というわけで、『マッチブック』を聴き終わった私は、今、Undercurrent を聴きながらこの拙文を書いている。


Straight Ahead

2009年03月01日 | 今日の一枚(S-T)

◎今日の一枚 234◎

Stanley turrentine

Straight Ahead

2_3

 なぜ、これがCD化されていないのだろうか。

 私の所有する音楽媒体にはLPやCDのほかに大量のカセットテープがあり、その中にはかつてよく聴いたお気に入り盤も多く含まれている。カセットテープの多くは、若い頃お金がなくてLPレコードを思うように買えなかった時代のものであり、友人から借りたものやレンタルしたものをダビングしたものだ。もちろん、その後改めてCDやLPを購入したものも多いが、中には今日までそのままのものも少なからず存在する。CD機器をを導入し、経済的に以前より多くのCDを購入できるようになるにつれて、それらのカセットテープを聴く頻度は減り、いつしかかえりみられなくなってしまった。

 午後の暖かい日差しの中、次男とともにリビングでうたた寝をし、物音に目覚めてまどろみの中にいると、頭のずっと奥の方でメロディーが流れていた。すぐには曲名は思い出せなかったが、そのメロディーを口ずさみながらしばらく考えてみると、どうもスタンリー・タレンタインのもののような気がして、もっているLP、CD、カセットテープを片っ端からあたってみた。

 スタンリー・タレンタインの1984年録音盤『ストレート・アヘッド』、新生Blue Noteの最初期の作品である。まどろみの中で聞こえてきたメロディーは、このアルバムの中の一曲だ。若い頃、ウォーキング・ステレオで何度も何度も聴いたアルバムである。ほとんどリアルタイムで聴いたのだ。恐らくは発表されて比較的早い時期に、レンタルしたLPをダビングしたものだと思う。何度も何度も繰り返し聴いた作品なのに、CDを買わなかったばかりに、カセットテープのままラックの片隅に置き去りにされてしまったわけだ。何年ぶりだろうか、カセットデッキのトレイにのせてみると、次から次へと本当に懐かしい印象的なサウンドがよみがえってきた。懐かしいだけではない、演奏自体が大変優れた作品だ。評論家筋の意見はよくわからないのだが、少なくとも私の持っているスタンリー・タレンタインの作品の中では最高傑作だと考えている。新生ブルーノート時代のスタンリー・タレンタインは、よりフュージョン色の強いサウンドに変化していったが、「ボステナー」といわれた彼の流麗なメロディラインは、フュージョンでも十二分にその真価を発揮している。また、純正ジャズでならしたその流れるようなアドリブ展開は、ブルージーでファンキーなフィーリングとあいまって、退屈で刺激の少ない、他の凡百のフュージョンサウンドとは明らかに一線を画すものとなっている。カセットテープケースに記されたメモを見ると、サイドメンもすごい。George Benson(g)、Ron Carter(b)、Jimmy Madison(ds)、Jimmy Smith(or)という編成だ。特にGeorge Benson のギターがいい味をだしている。写真でよく見る、ちょび髭のスケベそうな George Benson の顔は気持ち悪いが、このようなギターを弾く George Benson は本当に凄いと思う。豪華なサイドメンたちをバックに、スタンリー・タレンタインは、スリリングで刺激的で情感溢れるプレイを展開する。最高傑作と考える所以である。

 そんなわけで、これはCDを買っておかなくっちゃと思い、webで注文しようとしたのだがどういうわけかCD化されていないようだ。一体どうなっているのだろう。まったく、失望だ。何かの権利の問題があるのだろうか、あるいは批評家筋の評価が低いのだろうか。しかし、私としてはこのアルバムがCD化されていないことについては理解しがたい。この現実には承服しかねる。ただ、誰が何と言おうともいっておこう。これは本当にすぐれたアルバムである。

 まどろみの中で浮かんだ曲とは、B-② The Longer You Wait だ。まどろみの中で聴くサウンドとしてはまったくふさわしい。