WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

白いあなた・・・・青春の太田裕美(29)

2022年02月05日 | 青春の太田裕美
 
 久々の、9年ぶりの《青春の太田裕美》である。
 1976年にリリースされた太田裕美4枚目のアルバム、『手作りの画集』収録の「白いあなた」である。太田裕美その人が作詞・作曲した曲だ。しかし、極私的名盤『手作りの画集』の中では影の薄い曲である。大変申し訳ないが、凡庸で退屈な曲だと思っていた。
 昨日、ギターを弾いていた。ちょっと前に購入したLagのエレガットである。和音の響きを確かめ、味わいながら、アドリブでソロ演奏をしていた。なかなかいい響きだと、自画自賛、自己満足で悦に入りながら弾いていた。ふと気づいた。聞き覚えのあるメロディーである。C△7からF△7への続くその響きは、どこかで聞いたことのあるものだった。凡庸で退屈な曲だと思っていた太田裕美の「白いあなた」だった。書斎の書棚から古い太田裕美のコード譜を引っ張り出して、コードの流れをもとにメロディーをつけ、アレンジしてみた。う~ん、なかなかいい。自画自賛と自己満足の嵐である。凡庸で退屈だと思っていた曲がソロギターで蘇った。休日の午前中にコーヒーでも飲みながら楽しむのに最適な響きである。新しい太田裕美の楽しみ方である。
 今日は、朝食後から、壊れたレコードのように、何度も「白いあなた」のソロギターを弾いて悦に浸っている有様である。

海が泣いている・・・青春の太田裕美(28)

2013年12月28日 | 青春の太田裕美

 太田裕美の1978年作品『海が泣いている』のタイトル曲「海が泣いている」である。

 穏やかだが、スケールの大きなサウンドである。聴きこむほどに味わい深い曲だ。低い声で、言葉をかみしめ、語りかけるような出だしがたまらなくいい。さびの高音は往年ののびやかさはないものの、むしろその訥々とした歌い方が、曲の魅力を引き出している。

 私はこの「海が泣いている」という曲を絶賛したい。素晴らしい。本当に素晴らしい。先日の記事で、アルバム『こけてぃっしゆ』のシティー・ポップ路線について、「もっと違う方向性があったのではないか」と疑問を呈したが、選択すべき方向性とは例えばこの曲であるといいたくなるほどだ。市場的なセールスは下降期に入っており、このアルバム自体もすべてが素晴らしいというわけではない。喉の状態も決して快調とはいえないようだ。けれども、太田裕美の表現力がそれを補っている。この曲に現れたような表現力を太田裕美が獲得したことに敬服するとともに、このようなトーンの曲をもっともっと聴いてみたかったとも思う。

 趣味のいい、映画の1シーンのような映像的な歌詞である。秀逸な歌詞だ。多くを語る必要はあるまい。冬の海岸に無言でたたずむ男女。ふたりの前には荒れる海が広がっている。男性の葛藤が、彼によりそう女性の言葉でつづられ、女性は「いいのよそんなに苦しまないで、そんなに自分を責めないで」と、男性を優しく見守る。「君を抱きたいとそう聞こえるわ」と女性の言葉で語られるのは、そのことを女性が望んでいるということの裏返しだ。しかし、歌詞は多くを語らず、背景の描写によってその無言の空間のふたりの心の葛藤を描き出している。演奏も、波が打ち寄せる海岸をイメージさせ、二人のたたずむ空間を映像的に構成している。見事だ。ただひとつ残念なのは、CDでこの曲の次に来る「ナイーブ」のちょっとおちゃらけたサウンドが、深い余韻を壊してしまうことだ。

 「海が泣いている」を聴きながら、私は世阿弥『風姿花伝』の有名な一節を思い出してしまう。

秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず

※     ※     ※     ※

   「海が泣いている」
海が泣いている 生きもののように
黒馬のように走る波
潮風にしめる煙草を放ると
振り向くあなたのこわい顔
黙りこくった冬の浜辺を
黙りこくった時が横切る
あなたが言えない言葉が聞こえる
「君を抱きたい」とそう聞こえるわ
いいのよ そんなに苦しまないで
そんな自分を責めないで プラトニック

風が荒れている 油絵のように
黒雲は空に渦を巻く
口先の愛で器用に遊べる
人ではないから苦しそう
そっぽ向いた腕の透き間を
そっぽ向いた小鳥が飛び立つ
あんまり真面目に悩んでいるから
わざと惨酷に いま知らん顔
いいのよ そんなに苦しまないで
そんなに自分を責めないで プラトニック

心それだけで 人は愛せるの?
たよりなく揺れる心でも
今そっと肩を抱きしめられたら
心は身体に溶けるのに
何事もなく海は静まり
何事もなく二人帰るの
自然の流れに小舟を浮かべて
きっといつの日か そうその日に
いいのよそんなに苦しまないで
そんなに自分を責めないで プラトニック


九月の雨(再び)・・・青春の太田裕美(27)

2013年12月26日 | 青春の太田裕美

 清楚だ・・・。いいなあ・・・。騙されやすい私は、いい年をしてうっとりしてしまう。1977年録音の、太田裕美のアルバム『こけてぃっしゆ』のジャケットのことである。ファンの間では非常に評価の高いジャケットである。もちろん私も異存はない。あろうはずがない。

 評価に困るのは、その内容の方である。『こけてぃっしゆ』を太田裕美の最高傑作と絶賛するファンがいる反面、一方に酷評も少なからず存在するのだ。私自身、決して悪い作品ではないと思う反面、最高傑作とはいくらなんでもいい過ぎだと思ってしまう。しばらくぶりに通して聴いてみたが、退屈な印象が免れないと思う一方で、聴きこむほど身体に優しくフィットしてくるのもまた事実である。結局、太田裕美という存在をどうとらえるのか、その音楽に何を求めるのかという、聴き手側のスタンスによって評価が分かれるということだろう。

 maj7を多用した、いわゆるシティー・ポップ風味のサウンドである。エンディングが基音で終わらない曲や、フェードアウトで終わる曲が多く、1970年代後半からはじまった「洋楽」におけるAORのムーブメントの影響を強く受けていることがわかる。太田裕美がそれまでのノスタルジー路線から脱皮しつつ、新しい、おしゃれで都会的な、大人のサウンドへの転換を図ろうとしたということなのだろう。実際、当時はセンシティブで一歩進んだ音楽に聴こえたものだ。AORが、カウンター・カルチャーのある種の生々しさから脱皮して、音楽それ自体が価値を持つような、あるいは生活のクオリティーを上げるツールとしての音楽への転換をめざしたように、太田裕美も「青春」のある種の生々しさから脱皮し、新しい音楽をめざしたということなのだろう。したがって、太田裕美の楽曲に自らの青春を投影し、青春のノスタルジアを共有しようとする立場からは、積極的な評価は得られないことになる。実際、太田裕美の市場でのセールスは、これ以降下降線をたどることになる。

 シティー・ポップとしては、決して悪いアルバムではなかろう。失敗作などでは断じてない。今日的視点からはやや「模倣」が透けて見えるが、それもほほえましいという程度だ。身体にやさしく、気分がいい。生活のクオリティーを上げ、素敵な時間を過ごすためのツールとして優れたアルバムである。聴きこむほどに、ゆっくりと少しずつ沁み込んでくる曲もある。しかし、やはり歌が訴えてこないと思ってしまう。時代や思いを共有できるようなメッセージ性が伝わってこない。そもそも「大人のサウンド」の「大人の」とは、対象に深くコミットせず、一定の距離をおいた「諦観」の立場から「風景」を眺める仕方ではなかったか。エコー処理が施され、心に突き刺さることを回避したサウンドに、自己の青春の「物語」を投影することができないのは当然のことなのかもしれない。もちろん、太田裕美の年齢や、時代状況の変化もあり、路線の転換は必要だったのであろう。ただ、シティー・ポップ作品なら、他にもっと良質なものがすでにいくつかあった。太田裕美がそれをやらなければならないという必然性はあまり感じられない。もっと違う方向性があったのではないか、と今は思う。

Photo
 さて、「九月の雨」である。このアルバムのラストに収められた曲だ。ソフト&メローなこのアルバムの中で、誰がどう考えても異質な曲である。『こけてぃっしゆ』を絶賛するファンの中にも、このアルバムにこの曲が収録されていることに疑問を呈する人は少なくないようだ。「九月の雨」については、かつてこのブログの中で否定的な見解を述べたことがある。青春の日のノスタルジアの偶像としての太田裕美が、女の生臭さを表出してしまったことを糾弾する、ややヒステリックな物言いの記事だった。ところがである。まったく意外なことであるが、『こけてぃっしゆ』を聴いていると、最後の「九月の雨」を待っている自分を発見する。ソフト&メローなこのアルバムの中で、生々しい「九月の雨」を待ち望む私がいるのだ。wikipediaによれば、『こけてぃっしゆ』のA面はGirl Side、B面はLady Sideと称されるのだという。であれば、大人の恋のつらさ、生々しい女の嫉妬と情念を表出したこの曲がLady Sideのラストにあることは理由のあることなのであろう。「九月の雨」は、アルバムが発表された後にシングルカットされた曲であり、その意味ではアルバムのコンセプトとしてラストに配置されたものと考えられる。

 「九月の雨」に対する私の考えが根本から変わったわけではないが、アルバム『こけてぃっしゆ』のラストとしての「九月の雨」は、自分が太田裕美に求めているものを改めて認識させてくれる。


初恋ノスタルジー・・・・青春の太田裕美(26)

2013年12月24日 | 青春の太田裕美

 1977年リリースの名曲、「しあわせ未満」のB面、「初恋ノスタルジー」である。アルバムには収録されておらず、一般的にはほとんど知られていない曲だろう。もしかしたら太田裕美ファンにも印象の薄い曲かもしれない。ただ、「しあわせ未満」のB面ということで、もしかしたらメロディーが頭にこびりついているファンも意外と多いかもしれないなどとも一方で思う。かくいう私もその一人である。 

 マイナーフォーク調の旋律が好ましい。イントロのアコースティック・ギターの不協和音が妙に耳に残る。ノスタルジックで印象的なギターだ。唐突におわるようなエンディングも余分なものを省いたようで悪くない。秀逸なアレンジだと思う。太田裕美の声も非常にのびやかである。半音を多用した難曲にもかかわらず、音程も非常に正確だ。ファンにとって不朽の名曲である「しあわせ未満」のB面として、まことにふさわしい曲だ。太田裕美的名唱といってもいいだろう。Scan1 

 過去を追憶する歌である。過ぎ去ってしまった時間に対する哀しみや切なさが表現されている。その意味では太田裕美的青春、太田裕美的ノスタルジアを表しているといっていい。しかし、この救いのない切なさは何なのだろう。あまりにシビアすぎはしないか。「病的」なものを感じるのは私だけだろうか。大切な想い出を、手つかずの美しいままに、まるで冷凍保存でもするかのように記憶しようとするところが、どうしようもなく切ない。 

 語り手の女性は、短大を卒業しても「この街」にとどまり続けているのだ。「この街」とはもちろん「あなた」がいる街であり、高校時代を「あなた」とともに過ごした街のことである。それは、「別れた時から時間の止まったあなたが心にいる」ためなのだ。ところが一方で、クラス会の通知の欠席を丸で囲んでしまったりするのだ。それは恐らくは、「少女の面影失くした私をあなたに見せたくないんです」という理由からだけではない。変わってしまったであろう今の「あなた」に会いたくないためでもあるのだ。「私が死ぬまで少年のままの、あなたが心にいるんです」というフレーズがそれを物語る。まさに、過去の冷凍保存だ。「私が死ぬまで」という言葉に、とても唐突な印象をうける。何かを思いつめた、深刻な心の状態を感じさせる。短大卒業以上の年齢の女性が、「少年のままのあなた」を死ぬまで心に保持しようと決意しているのだ。あまりに深刻過ぎはしないだろうか。語り手の女性は、もはや過去の世界の住人といってもいい。「別れた時から時間の止まったあなたが心にいるんです」というほど過去に執着し、その遠いはずの過去を「遠い日はあざやかな色」といっているのだ。「あなた」と別れて以来ずっと、女性は美しい過去の世界にとどまり、そこに自閉しているようだ。

 これほどまでに過去の世界の住人であることに固執し、その美しい想い出の世界にとどまり続けようとするのはなぜなのだろう。そう考えると、「想い出は 想い出は遠きにありて 哀しみは 哀しみは近きにありて」という部分が、妙にリアリティーを持つ。「哀しみは近きにありて」といってしまう語り手の人生とは何なのだろうか。ここでいう「哀しみ」とは、もはや、過ぎ去ってしまった過去へのノスタルジーだけではあるまい。語り手の現在の≪生≫が不遇なものであることを思い描いてしまうのは、私だけだろうか。そう考えてしまうと、もう曲は聴けない。気の毒になってしまう。たいへん素晴らしい曲だが、穏やかな心では聴けない。 

 語り手の女性がこの不遇を乗り越え、生き生きとした≪今≫を生きていることを祈るばかりである。


赤いハイヒール・・・青春の太田裕美(25)

2013年12月23日 | 青春の太田裕美


 極私的名盤『手作りの画集』に収められた楽曲については、これまでにいくつか取り上げてきたが、「都忘れ」の記事でも指摘したように、多くの楽曲が都会と田舎、都市と農村の対立という社会構造を背景として成立しており、それがアルバムのコンセプトとなっているようだ。今となっては、あまりにシンプルすぎてステレオタイプな印象を受けるが、都会と田舎の違いが現在よりはっきりしていた当時の時代背景の中では、そのような認識は必然性のあることだったのであろう。

 さて、『手作りの画集』収録の有名曲「赤いハイヒール」である。実をいうと、私自身あまり好みの楽曲ではないのだが、「語り」のような部分から始まる斬新な構成や、アコーディオンを駆使した卓越した編曲やサウンドからも、太田裕美を語るうえで重要な作品であることは間違いなかろう。また、太田裕美にとって「木綿のハンカチーフ」に次ぐミリオンセラーのヒット曲であり、作曲者筒美京平をして「これ以上の良い曲は書けない」と言わしめたらしいことからも注目すべき作品である。

Photo_2 田舎から「胸ポケットにふくらむ夢で」都会にでてきたものの、「故郷なまり」が原因で無口になり、「タイプライターひとつうつたび夢なくしたわ」「死ぬまで踊るああ赤い靴」と嘆くほど、意味のない、単調な仕事に追われて自己を見失い、人間性を喪失していく少女の話である。

 すごい。初期マルクスの疎外論を思わずにはいられないような展開である。今となっては、都市=悪、農村=善、という単純な図式が鼻につくかもしれないが、例えば見田宗介(真木悠介)が人間疎外や自己疎外からの脱却を唱え、コミューンを夢想したように、1970年代には確かに都市での労働に対してそのようなイメージは存在したのだ。

 「おとぎ話の人魚姫はね」などとあるが、「赤いハイヒール」が、アンデルセンの「赤い靴」をモチーフとしているのは明らかであろう。赤い靴に執着する少女が呪いをかけられ、靴を脱ぐこともできず、足が勝手に踊り続けてしまうという話だ。アンデルセンの童話では、少女は両足首を切断し、教会でボランティアに励むことになるのだが、この曲においては、「そばかすお嬢さん」と呼びかける青年の登場によって、この少女が救済される道すじが示される。青年は「故郷ゆきの切符」を買って少女をさらい、「緑の草原」で裸足になることを夢想する。そして、「倖せそれで掴めるだろう」と、パッピーエンドへの道を予告するのである。このアルバム全体が都会と田舎の対立という社会構造を背景にしていることを考えると、都市での疎外された労働からの救済の手段として、「故郷」の存在が提示されたことはとりわけ重要である。

 この青年の立ち位置、視線がどうもよくわからない。一応、男女の対話形式、かけあい形式ということになっているが、少女と青年の視線や状況認識が食い違いすぎている。それが「曲がりくねった二人の愛」ということなのだろうか。少女の、自己の困難を吐露する言葉のリアリティーに対して、青年が「そばかすお嬢さん」と呼びかける部分は、あまりに空疎で直接少女と会話しているとは考えられない程だ。このことが青年の立ち位置を不明確にしている。むしろ、「ねえ、友だちなら聞いてくださる」という冒頭のフレーズを聴き手に対する呼びかけととらえ、この青年を架空の、形而上学的な「神の視線」から少女を見守っている存在と位置づけた方がいいのではないか。もしそうなのであれば、≪救済の物語≫として構造的に非常に興味深い歌詞だ。

 しかしまあ、「アラン・ドロンと僕をくらべて陽気に笑う君が好きだよ」という部分などの世俗的な言葉を考慮すれば、やはりテクストの解釈としては、青年を現実の世界の中の存在と位置づけた方がよさそうである。それではこの青年は、同郷の幼なじみなのだろうか、あるいは都会に来てから知り合ったのだろうか。おそらくは、「僕の愛した澄んだ瞳はどこに消えたの」や、「アラン・ドロンと僕をくらべて陽気に笑う君が好きだよ」などの部分から、この青年は東京に来る前の、「澄んだ瞳」の「陽気」だった少女を知っている、同郷の人物だと考える方が自然なのだろう。交際相手だったかどうかは不明であるが、全体の流れから、少女に思いを寄せていたことは確かであろう。「曲がりくねった二人の愛」とは、恐らくは青年の片思いをも含むものと考えられるが、かつて何らかの形で交際していた可能性も完全には否定できない。

 いずれにしても、この青年によって少女が救われる道すじが示されるのである。青年の、少女を故郷へ連れ戻すという行為が、疎外された労働から少女を救済する方法なのだ。けれども、と私は考えてしまう。この少女は、本当に青年に従って「故郷」に戻ったのだろうか。「赤いハイヒール」の歌詞は、そのことについては何も語らない。

 


都忘れ……青春の太田裕美(24)

2013年10月29日 | 青春の太田裕美

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 極私的名盤『手作りの画集』のA面③曲目「都忘れ」である。70年代歌謡曲然とした編曲に、マイナー・フォーク調の旋律だ。サウンド全体が、非常に重い、深刻な印象を与える。いつもの太田裕美なら、もっとかわいらしく、軽いノスタルジーに載せて表現するところだ。けなげではあるが、何か「怨念」にも似た、切羽詰まった印象だ。

 都会に出ていってしまった「あなた」に対する思いを吐露した歌である。都会に行ってしまった「あなた」と、ふるさとに残った「私」。いつまでも帰ってこない「あなた」に手紙を書いたけれど返事が返ってくるかどうか不安な「私」は、都忘れの花から、「あなたを忘れてしまいなさい」といわれているような気がして、うなづきそうになる。「流れゆく月日を 見送って泣いたのよ」とあるので、「あなた」は長い間帰って来ていないようだ。そして、「今年も咲いたわ 都忘れが あなたを忘れてしまいなさいと」の部分のリフレインは、恐らくはもう「あなた」が帰って来ないだろうことを暗示している。歌われているテーマは、「木綿のハンカチーフ」と同じだといっていい。そのバリエーションだ。

 Photo「木綿のハンカチーフ」では、軽いノスタルジーとともにかわいらしくに歌われたテーマが、ここではより直接的に、暗く、重く、深刻に歌われている。なぜ、そのように歌われなければならなかったのだろうか。

 気になる部分がある。

「工場の青い屋根

   この街も変わったわ」

 歌詞の中でこの一か所だけが異質だ。「風なびく麦畑」や「走り去る雲の影」、「祭りの準備」、「太鼓の響き」など、ふるさとの情景を中心に語られる歌詞の中で、唐突で異質な印象を受ける。しかし、よく聴きなおしてみると、この部分は語り手の女性の心の動きを表すものとして語られているようだ。語り手の女性の目に映る風景が、その心の動きを表出しているのだ。例えば、「なつかしい横顔によく似た雲」が「走り去る」などというところも、「あなた」が去っていくことに対する「私」の不安な心を表出したものといえるだろう。当該箇所についても、ふるさとの街の風景の変貌を通して、自分の周りが変わっていく心の不安を表していると考えることができるのではないか。その不安の中には、もちろん「あなた」が去ってしまうことも含まれている。しかも、変わってしまったふるさとの風景の象徴が「工場の青い屋根」であり、語り手がはっきりと「この街も変わったわ」と嘆いていることは、特に重要である。

 ここで語られているのは、都市化あるいは近代化によって地方の風景が変貌しつつあるということなのだ。実際、この時代には、次々に地方に工場が建設され、その伝統的な風景が奪われていった。それは例えば立松和平『遠雷』が描いた通りだ。言い換えれば、心の原風景としての「田舎」が、都市的なもの、近代的なものによって、解体されていった時代だったということだ。そして、「あなた」が都会に行ってしまったまま帰ってこないということは、語り手の女性にとっては、「あなた」が都市的なもの、近代的なものによって奪われようとしているということでもある。

 とすれば、都市的なもの、近代的なものによって、人々の生活や人間のつながりが「蹂躙」されているということを、この歌は静かに訴えているのではないか。都市的なものや近代的なものがふるさとの風景を変貌させ、この2人をも引き裂いてしまった、ということを歌っているのだ。独善的すぎる解釈だろうか。けれども、そう考えると、この重く、深刻な、「怨念」をも感じさせるようなサウンドもうなづけるのだ。作詞・作曲者の意図の如何にかかわらず、そのような社会的な「構造」の中でこの楽曲は成立している。作詞・作曲者とて、時代の「構造」と無縁ではいられないのだ。そして、「流れゆく月日を 見送って泣いたのよ」という部分から感じられるのは、いつもの軽いノスタルジアなどではなく、重くじめじめした、「怨念」にも似た感覚である。「今年も咲いたわ 都忘れが あなたを忘れてしまいなさいと」の部分のリフレインは、それを強調する効果をもっている。都市的なものや近代的なものによって蹂躙される人々の生活と、それに対する「怨念」が、この曲を成立させている。そう私は考える。

 ところで、先にこの「都忘れ」が「木綿のハンカチーフ」のバリエーションのひとつだと語ったが、このアルバムの次の曲「青空のサングラス」にも、「木綿のハンカチーフ」という言葉が登場している。『手作りの画集』が「木綿のハンカチーフ」を強く意識していることは明らかなようだ。「木綿のハンカチーフ」がアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされたのは1975年12月21日であり、『手作りの画集』のリリースが1976年6月21日である。となれば、このアルバムは「木綿のハンカチーフ」の大ヒットによる、太田裕美旋風の真っただ中で制作されたことになる。いたしかたないことか。


茉莉の結婚……青春の太田裕美(23)

2010年12月31日 | 青春の太田裕美

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 1978年リリースのアルバム『海が泣いている』収録の佳曲「茉莉の結婚」である。1978年の太田裕美は、『背中合わせのランデブー』『エレガンス』『海が泣いている』と3枚のアルバムを発表しており、精力的に音楽活動をしていたことがわかる。音楽的にも質が向上し、アイドルから脱皮しつつあった。TVへの露出も、バラエティーなどが減り、音楽番組に出演することが多くなったように記憶している。したがって、この「茉莉の結婚」も、ユニークな佳曲ながら、初期の太田裕美ファンには意外となじみがないかもしれない。 

     *     *     *     * 

最初のスピーチは小夜子
ちょっぴり翳のある小夜子
あのころ名うてのおしゃれ狂いで
グッチのバッグを粋に抱いていた

男は毎日変えるのよって
めまいがするほど美しかった
それなのに小夜子 笑わなくなったね
逢えない二年に何があったの

オルガンに導かれ 花嫁がやってくる
おめでとう 茉莉
うらやむほど 今夜綺麗ね

二番目のスピーチは繭子
めがねがよく似合う繭子
哀しいくらいに秀才だった
原書を斜めに読み飛ばしていた

雑誌のページを切り抜くように
女の生き方リブの走りね
変わらずね 繭子 今でも独身?
心の裏では 淋しいはずよ

ケーキへとナイフ入れ 花嫁がほほえむの
おめでとう 茉莉
うらやむほど すてきな彼ね

最後のスピーチは私
ちょっぴり皮肉言う私
「どちらが最初に結婚するか
競争しようって指切りしたのに
人は流されて光と影に・・・
私は今でも失恋上手」

仲良しの四人 あのころの友情

こんなに遠くに離れるなんて

拍手へと囲まれて 花嫁が花を抱く
おめでとう 茉莉
羨むほどしあわせそうね
 

     *     *     *     * 

 詞の構成が凄い。独創的なアイディアである。こういうことを思いつく松本隆は、やはり只者ではないというべきだろう。 

 茉莉の結婚式に「仲良しの四人」が2年ぶりに集まり、結婚した茉莉に対して「おめでとう茉莉」と祝福の言葉を送る一方、それぞれのスピーチを契機に、語り手が他の2人と自身について、学生時代の人となりと2年を経た現在の様子を語たり、「こんなに遠くに離れるなんて」と軽いノスタルジーが表出される。時の流れの前で、どうすることもできずにただ佇む、その感慨と、失ってしまったものへの愛惜の念がこの詞の本質である。 

 「哀しいくらいに秀才だった」繭子について、「変わらずね 繭子 今でも独身? 心の裏では 淋しいはずよ」と一方的にいってしまうところが、ステレオタイプでやや鼻につくが、1970年代にはそのようにいってしまう一般的土壌があったのだろう。あるいは、「ちょっぴり皮肉言う私」だからこんなことをいってしまったのだろうか。まあいい。 

 花嫁の女友達が入れ替わりいピーチする光景は、しばしば結婚式で見かけるが、その心の動きは男性には想像しがたいものであり、その意味では、太田裕美が男の子相手のアイドルから脱皮し、大人になった女性として、女性たちの共感をも喚起するような作品をつくり始めたということもできよう。 

 wikipediaの年譜などをみると、この1978年が、音楽的にも、また芸能界におけるその存在形態としても、太田裕美にとって大きな転換期になったように思えてならない。

 


Feelin' Summer(アルバム)……青春の太田裕美(22)

2010年07月29日 | 青春の太田裕美

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 夏だ。暑い日が続いている。今回の「青春の太田裕美」は、アルバムである。1979年作品『フィーリン・サマー』である。コアな太田裕美ファンの中ではかなり評価の高い作品のようだ。シングル曲とアルバムは分けて考えるというプロデューサーの方針により、このアルバムにはシングル曲が存在せず、アルバム表現に特化した作品となっている。そのため、一般のファンには知名度が低く、実際、田舎の静かなファンだった私も同時代に聴いた記憶がない。web等での評価の高さを知り、興味を持って購入したのはつい1年程前のことだ。

 1979年当時としてはよくできた作品だと思う。透明感のあるシティーポップ風のお洒落なサウンドにのせて、けだるくアンニュイな夏の情景と心象風景がみごとに表現されている。効果音が使用されるなど、サウンド的なクオリティーも高い。プロデューサーの白川隆三氏は1981年に発表される大瀧詠一『ア・ロング・バケーション』も手がけており、サウンド的な傾向も類似性を感じる。maj7コードを多用したサウンドはお洒落で都会的な雰囲気を作り出しており、大人のサウンドといえる。曲中に登場する海や川も、「田舎」の情景ではなく、避暑地のそれをイメージさせる。「夏」という語も、「Summer」という語感に近いかも知れない。

 その意味では、私が共感を抱く、「青春の太田裕美」的ノスタルジアとは性格を異にするものというべきかもしれない。聴衆と時代を共有し、太田裕美そのひとでなければ表現できないと思われるような世界ではなく、「普通の」優れたシティー・ポップ作品というべきだろう。それではなぜ、この作品を敢えて取り上げるのか。このアルバムをカーステレオで聴いていたときのことである。まったく意外なことだったが、CDのスイッチを入れた瞬間、車内に1979年の空気が充満しはじめたのである。時代が詰まった缶詰のようであった。それを開けたその瞬間、風景に1979年の色褪せたフィルターがかかり、車内の空気はききの悪いエアコンを搭載した1979年の車のもののように感じられた。

 私が共感する太田裕美的青春を表すものとはいえないだろうが、1979年の時代の空気をいっぱいに詰め込んだ、何とも不思議な一枚である。


スカーレットの毛布……青春の太田裕美(21)

2010年05月03日 | 青春の太田裕美

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 太田裕美の1978年作品、『海が泣いている』のCDを買ってみた。確かにLPを所有していたはずだが、いくら探しても見つからないため、CDを買ったのだ。やはり、記憶どおり、当時流行のLA録音で、ギターはリー・リトナーだった。さすがにいい演奏だ。録音も良い。太田裕美のアルバムの中でも評価の高い一枚である。しかし、どうも当時の印象と違う気がする。やはり、太田裕美はアナログ盤で聴くべきものなのだろうか。それとも時代が変わってしまったという事だろうか。 

 ①「スカーレットの毛布」に懐疑的である。webで検索するとファンの間ではかなり高い評価をえているようだ。軽快なリズムにのせて、当時流行のAOR的なシティーポップが展開される。今聴いてもお洒落なサウンドだ。クオリティーの高い音楽をめざし、太田裕美が名実ともにアイドルを脱皮して《アーティスト》へとテイクオフしようとする意欲がうかがえる。実際、悪い作品ではない。当時の私も拍手喝采を送っていたのかもしれない。 

 しかし、である。この違和感はなんだろうか。今という地点からみると、私の考える太田裕美的世界ではないということになろうか。この曲を太田裕美が歌わねばならない《必然性》が感じられないのである。お洒落なサウンドではあるが、リズムに、メロディーに同化できない。歌詞をじっくり聴く気にもなれない。どのような詞なのか、興味が湧かないのである。太田裕美的名曲とは、聴衆と時代を共有し、太田裕美そのひとでなければ表現できないと思われるような世界を表現したものだった。この曲にはそれが感じられない。サウンドのクオリティーは高いが、太田裕美的必然性がどうしても感じられないのだ。もちろん、こう考えるのは聴き手の勝手な思い込みであり、私の独善的な思考のなすところである。けれども、「音楽」というものが、演奏者と聴き手の関係性によって成立する限定された時間と空間なのであると考えると、この曲に対する高い評価というものに懐疑的にならざるをえないのである。どうやら、「スカーレットの毛布」は、私にとって時間というろ過装置をくぐりぬけられなかった作品といえそうだ。 

 このアルバムで私が太田裕美的世界を感じるのは、例えば「茉莉の結婚」であり、「水鏡」である。

 


失恋魔術師……青春の太田裕美⑳

2010年04月17日 | 青春の太田裕美

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 1978年に発表された『背中あわせのランデブー』収録の「失恋魔術師」である。アルバム発売から約一ヵ月後にシングルカットされている。作詞は松本隆、作曲はなんと吉田拓郎だ。 

 実に無邪気な、イノセントな曲である。若い女性の日常の断片を切り取っただけの詩である。「あなたの街」の「珈琲ハウス」で待ち合わせをしているものの、相手が本当に来てくれるか心配している女性。その不安な心を描いた詩だ。しかし、心の葛藤を「失恋魔術師」という存在に投影して表現しているところがすごい。恋愛をしている女性の純真さがみごとに表現されている。不安な心の葛藤をシリアスなものとして表現するのではなく、「失恋魔術師」を登場させることによってお茶目な物語仕立てにしているところが新しい。さすがに松本隆である。このお茶目な詩を吉田拓郎の軽快でリズミカルな曲がひきたて、太田裕美の舌足らずで乙女チックな声が絶妙な味付けをしている。太田裕美でなければ表現できないと思わせるような曲である。 

 この女性は、10代の少女かもしれないし、ちょっと大人の20代の女性かもしれない。わからない。しかし、いずれにしてもそれが敢えて明示されないということは、女性というものが年齢にかかわらずもっているそのようなある種の純真さを表現したかったのであろうし、少なくとも、男の(作詞者の松本隆の)そうあって欲しいという願望が表出されたものとはいえよう。 

 1970年代の内向的な女性のあり方を、「失恋魔術師」というツールによって相対化させようという試みが興味深い。不安や葛藤をかかえて自分に閉じこもるのではなく、それを相対化して不毛な苦悩から逃れようするひとつのスキルが現れているのではなかろうか。1970年代から80年代にかけての女性の変化、すなわち内向から開放への過程についてを考えさせられる曲である。

     *     *     *     *     * 

バスは今 ひまわり畑を
横切って あなたの街へ
隣から だぶだぶ背広の
知らぬ人 声かけるのよ
お嬢さん 何処ゆくんだね
待ち人は来やしないのに
いえいえ 聞こえぬ振りをして
知らん顔して 無視してるのよ
その人の名は アー 失恋
失恋魔術師 失恋魔術師

バスを降り 夕映えの町
人波に足を速める
追いて来る 足なが伯父さん
ステッキを招くよに振る
お嬢さん 逃げても無駄さ
不幸とは追うものだから
いえいえ 後ろを向いちゃだめ
恋を失くすと 見かけるという
その人の名は アー 失恋
失恋魔術師 失恋魔術師

こみあった 珈琲ハウスに
こわごわと あなたを探す
空の椅子 西陽が射す中
さよならを物語ってる
お嬢さん 言ったじゃないか
愛なんて虚ろな夢さ
いえいえ 電車の遅れだわ
あっちへ行って そばに来ないで
その人の名は アー 失恋
失恋魔術師 失恋魔術師

遅れたね ごめんごめんと
息をつき 駆け寄るあなた
お嬢さん 私の負けさ
また今度 迎えに来るよ
いえいえ 死ぬまで逢わないわ
おあいにくさま 恋は続くの
早く消えてね アー 失恋
失恋魔術師 失恋魔術師


青空の翳り……青春の太田裕美⑲

2009年04月18日 | 青春の太田裕美

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 太田裕美の1979年作品、「青空の翳り」である。「振り向けばイエスタディ」の次に発表された太田裕美14枚目のシングルであり、この作品から松本隆・筒美京平コンビではない新たな世界が展開されてゆく。作詞は来生えつ子、作曲は浜田金吾である。 

 私がこの曲を繰り返し聴き、味わうようになったのは、ずっと後のことだった。同時代にこの曲を聴いた記憶はあるし、実際メロディーも耳に憶えのあるものなのだが、オリジナルアルバムに収録されていなかったためか繰り返して聴くことはなかったのだろう。そもそも、17歳の私には、この大人びた歌詞の意味がピントこなかったのかもしれない。 

  ※  ※  ※  ※ 

   哀しみをさりげなく笑いばなしに 出来る人は素敵ね

   歓びもおだやかに 飾り立てずに 話す人は素敵ね

   私も心残り吹き消して 過去にはやさしく手を振るわ

   あなたにこだわらず生きてゆく 余裕が生まれて来たけれど

   春から夏へ移りゆく 空はさわやかすぎて

   かえって辛い季節だわ あなたへの想い

   私の心のすみずみまで 広がったまま

 

       ※    ※

 

   いつでも燃え尽きて精一杯に 生きる人は素敵ね

   私も青空に負けないで カラリと心を解き放ち 

   あなたの手紙やら束ねては 捨て去るつもりでいるけれど 

   風がさらっていけるほど 軽い恋ではないし 

   涙で溶かしぼやけても あなたとの日々は 

   私の背中のすぐ後ろに 広がったまま 

  ※  ※  ※  ※ 

 名曲である。大人の、あるいは想い出を清算して大人になろうとする女性の歌である。恋人との別れに揺れ動きながらも、凛として明日に向かおうとする女性の決意がすがすがしい。You Tube には、当時のものと思われる「夜のヒットスタジオ」における映像と、ややぽっちゃりとしたおばさんになった最近の太田裕美のコンサートにおける映像とがアップされていて聴き比べることができるが、私としては圧倒的に後者に共感を覚える。多くの年月を経て、太田裕美が獲得した表現力に感服するとともに、その穏やかで暖かい、心の余裕を感じさせるトーンがこの曲にはよくマッチしているように思う。歌詞にあるような、「哀しみをさりげなく笑いばなしに出来る」、「歓びもおだやかに飾り立てずに話す」、そんな素敵な大人の女性を感じる。揺れ動いていた心さえも相対化して見ることができるようになった大人の女性の余裕と、軽いノスタルジーがとてもさわやかである。 

 ところで、過去を清算して明日に向かおうとするこの曲が1979年に発表されていることは、大変興味深い。内省と自閉の時代である1970年代から、その呪縛からの解放の時代である《明るい》1980年代へのテイクオフとして興味深いのである。この作品の後、2つのシングルをへて、1980年にあの溌剌とした「南風~South Wind~」がリリースされるのは、何とも象徴的である。この「青春の翳り」を1970年代という時代からの清算と、そこからの旅立ちの歌ととらえるのは考えすぎであろうか。私には、恋人からの旅立ちであると同時に、青春からの旅立ち、そして内省と自閉の70年代からの旅立ちの歌であるような気がしてならない。

 

 

 


たんぽぽ……青春の太田裕美⑱

2009年03月15日 | 青春の太田裕美

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 webのフリー百科事典『Wikipedia』は、松下治夫『芸能王国渡辺プロの真実』を参照して、太田裕美が当初はキャンディーズの一員としてデビューする予定だったが、田中好子と交代したという話を掲載している。本当だろうか。多分本当なのだろう。しかし、キャンディーズの一員としての太田裕美などどうしてもイメージできない。キャンディーズは十二分に素敵だが、太田裕美がその一員としてあの超ミニスカートをはいているなどどうしても想像できないし、したくもない。太田裕美のパンチラ超ミニスカートも興味はあるが、やはり彼女には長めのスカートが似合う。その意味で、太田裕美はある種の偶像であり、記号なのだ。 

  ※  ※  ※ 

   「たんぽぽ」  (作詞:松本隆 作曲:筒美京平)
 あなたの声が聞きたくて
 街の電話をかけたのに
 話し中の相手はだれだれですか
 雲のようにひろがる
 胸の中のさびしさ
 どうぞ あなたのはずむ声で
 涙消してください

 いつかあなたに後ろから
 目隠しされた公園よ
 振り向いてもだれもいない風の音
 灰色した歩道の
 すみに咲いた たんぽぽ
 そんな小さな花のように
 そばにおいてください
 そんな小さな花のように
 そばにおいてください
 

  ※  ※  ※ 

 さて、太田裕美の2ndシングル「たんぽぽ」である。1975年にリリースされたセカンドアルバム『短編集』に収録された楽曲だ。いかにも70年代歌謡曲然としたサウンドであり、その意味では凡庸な曲ということもできるが、今聴くと、この歌詞は何だ。考えようによっては、凄い歌詞である。「たんぽぽ」などというかわいらしい表題とは裏腹に、陰にこもるじめじめと湿った感じの、古めかしい言葉で言えば、女の情念あるいは怨念を感じさせるような、演歌チックな歌詞である。今日的にいえば、ストーカーになるすれすれの歌詞だといえるかもしれない。ぎりぎりのところで、「雲のように広がる 胸の中のさびしさ」という部分に救われる。限りなく広がる悲しみを表現しようとしたのであろうが、その穏やかなメロディーとあいまって、結果的には開放的な感覚を表出している。 

 この「青春の太田裕美」シリーズでなんども繰り返してきたが、内向の時代である70年代であるからこそ可能であった歌詞の展開なのだと思う。「そんな小さな花のように そばにおいてください」などというところに表出される、女の子の切羽詰った感じや、その《かわいらしさ》は、やはり70年代特有のフィーリングなのであり、現在的な文脈では、女性蔑視ともとられかねないであろう。本来どろどろした女の子の情念や怨念を《かわいらしさ》に変換し、それらを隠蔽する装置が1970年代には確かに存在したのだと思う。


九月の雨……青春の太田裕美⑰

2007年09月03日 | 青春の太田裕美

Watercolors_21   1977年作品「九月の雨」。誰が弾いているのかわからないが、ベースラインが印象的な曲である。ヒット曲である。けれど、どうしても好きになれなかった曲である。ジャケットはなかなか可愛いが、いかにも歌謡曲然とした曲調がいけない。出だしからいかにもシリアスなという感じのピアノだ。あまりに生真面目すぎはしないか。大人への脱皮をはかろうとしたのであろうが、ちょっと無理をしすぎではなかろうか。声も荒れてしまっているではないか。こんなに無理をさせて、得るものとは一体なんだったのだろうか。 

 二股の歌である。あるいは男の浮気の歌である。太田裕美がかわいそうではないか。ユーモアに溢れ、アンニュイで、コケティッシュで、ノスタルジックな太田裕美の持ち味を損なっている。繰り返し聴けば、決して悪いメロディーではないが、やはり失敗作である。ヒット作品ではあるが、失敗作であると断じたい。しなやかさを欠いた生真面目さは、硬直的なのだ。太田裕美はこの曲によって大人の女性のイメージに脱皮できたであろうか。否、である。女の生臭さを表出してしまっただけである。聴衆が、太田裕美という「物語」に求めていたものは、そういった姿ではなかったはずだ。 

 しかし、そうはいっても、この曲がヒットしたことは事実である。この曲がヒットした社会的背景を分析しなくてはなるまい。若干の用意はあるのだが、他日を期したい。 

※   ※   ※   ※ 

車のワイパー透かして見てた 

都会にうず巻くイリュミネーション

くちびる噛みしめタクシーの中で
 

あなたの住所をポツリと告げた

September rain rain  九月の雨は冷たくて
 

September rain rain  想い出にさえしみている

 愛はこんなに辛いものなら  私ひとりで生きて行けない               

 September rain  九月の雨は冷たくて 

ガラスを飛び去る公園通り 

あなたとすわった 椅子も濡れてる

さっきの電話であなたの肩の 

近くで笑った女(ひと)は誰なの 

September rain rain  九月の雨の静けさが 

September rain rain  髪のしずくをふるわせる 

愛がこんなに悲しいのなら あなたの腕にたどりつけない 

September rain  九月の雨の静けさが

季節に褪せない心があれば 人ってどんなにしあわせかしら                 

ライトに浮かんで流れる傘に
 

あの日の二人が見える気もした

September rain rain  九月の雨は優しくて 

September rain rain  涙も洗い流すのね 

愛が昨日を消して行くなら 私明日に歩いてくだけ 

September rain  九月の雨は冷たくて 

September rain  九月の雨は優しくて

 

 


最後の一葉……青春の太田裕美⑮

2007年05月21日 | 青春の太田裕美

Cimg1559_2    名作『12ページの詩集』収録の太田裕美を代表する名曲のひとつであり、6枚目のシングルとして1976年に発表されている。テレビでは、太田裕美のピアノがフューチャーされ、単なる歌謡曲アイドルではない、アーティーストとしてのイメージが強調された曲だった。「木綿のハンカチーフ」のヒットの後、「アーティストのテイストを加味したアイドル」の路線を進んだ太田裕美を考えるにあたって重要な作品である。アメリカの作家オー・ヘンリの短編小説『最後の一葉』をもじった詩はたいへん、ストーリー性のあるドラマチックなものであり、詩を聴かせるという点においては、「木綿のハンカチーフ」と同様の戦略なのかも知れない。 

  ※     ※ 

この手紙書いたらすぐに お見舞いに来て下さいね 

もう三日あなたを待って 窓ぎわの花も枯れたわ  

街中を秋のクレヨンが 足ばやに染めあげてます  

ハロー・グッバイ 悲しみ青春  

別れた方が あなたにとって  

倖せでしょう わがままですか 

  ※     ※ 

木枯らしが庭の枯れ葉を 運び去る白い冬です 

おでこにそっと手をあてて 熱いねとあなたは言った 

三冊の厚い日記が 三年の恋をつづります  

ハロー・グッバイ さよなら青春  

りんごの枝に 雪が降る頃 

命の糸が 切れそうなんです 

  ※     ※ 

生きて行く勇気をくれた レンガべいの最後の一葉 

ハロー・グッバイ ありがとう青春 

ハロー・グッバイ ありがとう青春 

凍える冬に 散らない木の葉  

あなたが描いた 絵だったんです 

  ※     ※ 

 感化を受けやすい高校生の私は、この曲によってO・ヘンリという作家を知り、ペーパーバックと辞書とラジカセを抱えて、よく裏山に出かけたものだ。青空の下でO・ヘンリを読むことが、私の英語の勉強だった。この後、私は英文でO・ヘンリの他の作品を読み、その興味は次第に他の作家にも広がっていった。ウィキペディアのよく整理された作品紹介(あらすじ)を参照しておこう。 

  ※     ※ 

ワシントン・スクエアの芸術家が住む古びたアパートに住むジョンジー(ジョアンナ)は、肺炎で寝込んでしまい生きる気力を失っていた。親友で同居人のスウはジョンジーを励まそうとするが、ジョンジーは窓の外の蔦の葉が落ちきると同時に自分も天に召されると信じ込んでおり、生きる気力を取り戻そうとしない。同じアパートに住む貧しい三流絵師のベアマン老人は、酒浸りのだらしない生活をしているぶっきらぼうな男だが、スウにジョンジーの病状を聞いてから何故か姿を現さなくなった。嵐の次の朝、二人の娘は壁にただ一枚残る蔦の葉を見つける。その葉は次の朝も壁に残っていて、ジョンジーはそれを見て生きる気力を取り戻した。実は、最後に残った葉はベアマン老人が嵐の中命がけで書いた最後の傑作であったが、ジョンジーは老人が肺炎で死んでから事実を知り泣き崩れる。 

  ※     ※ 

懐かしくも美しい話である。庶民の哀歓と生活の中の小さな幸せを描く作風は、今考えれば日本の1970年代の時代の雰囲気にマッチしていたのかもしれない。


やあ ! カモメ……青春の太田裕美⑭

2007年03月18日 | 青春の太田裕美

 これはすごい!You Tube でドラマ「やあ!カモメ」(TBS)を発見。同名の主題歌は、太田裕美が歌っていた。「ドール」のB面であるが、透き通った、しかも温かみを感じる声は、まさしく太田裕美だ。

 このドラマを確かに見ていた記憶はあるのだが、内容が思い出せない。画面をみると、坂上味和・岡まゆみといった懐かしい名前もでてくる。坂上味和、ほんとうにかわいかった……。

 

 

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