◎今日の一枚 558◎
Johnny Hartman
Live at Sometime
昨日、12月30日に神棚の設営をした。例年、仕事が忙しく31日にやったりするこが多かったのだが、一夜飾りは良くないというので、大安の28日に下準備し、二重苦といわれる29日を避け、先勝の30日の午前中に飾り付けをしたのだ。
神棚の飾りつけについては、毎年、不明なことや疑問に思うことが出てきて修正・変更することが多い。今年は実家の神棚設営を手伝う中で疑問点が2つ生じた。もちろん、神棚の風習というものは地域やそれぞれの家によって違いがあるので、わが家ではこうだといってしまえば問題ないのだが、どうも追究してみたくなる性質なのだ。
一つ目の疑問はしめ縄についてである。しめ縄にはいろいろな種類があるようだが、私の住む気仙沼地域では「エビ」と呼ばれるものを使用する家が多い。私の家でもこのタイプである。疑問とは、このしめ縄の向きをどっちにするかということである。しめ縄は船を模したものであるから玄関から入ってくる「入船」の向きにするのがいいと、若い頃に教わった。玄関がどこにあるかでしめ縄の向きも変わってくるわけだ。海の世界であるこの地方の風習なのであろう。しかし、問題はしめ縄のどっちが船の前なのかということだ。私はその形状からずっと細い方が船の前だと認識し疑うことがなかったのだが、実家の母は太い方が前だというのだ。太い方から編んでいくのだから太い方が前で細い方が後ろだという。飾りつけについては、とりあえずwebにあった、細い方を向かって左側に、太い方を右側にするのが一般的であるという文言に従った。しかし、しめ縄のどっちが船の前なのかという疑問は残ったままである。
二つ目の疑問は、「天照皇太神宮」のお札(神宮大麻)を納めるお宮の扉を開いておくべきか閉めておくべきかということである。これまで私はあまり考えもせず扉は開けておいた。そのほうが神の威光がこの世界に届くような気がしたからだ。ところが実家の母は閉めておくという。開いておくとほこりが入るからだという。神宮大麻が納められた神聖な空間にほこりが入ってはいけないということだろうか。webを検索すると、諸説あるようだがどうも閉めておくのが基本のようだ。恐れ多いからだという。閉めるのを基本として、正月だけ開けておくとか、半開きにするとかいろいろな風習があるようだ。
私は今年から扉を閉めておくことにした。アマテラスオオミカミの本質を考えてのことである。以前「祟る神、天照大神」(→こちら)という記事で述べたように、私はアマテラスオオミカミの本質は疑う余地なく《祟る神》であることだと考えている。アマテラスを拝むのは願い事をかなえてもらうためなどではなく、祟らないでください、お鎮まりください、不幸をもたらさないでくださいとお願いするためなのだ。祟る神であるアマテラスの神威は発揮されない方がいいのである。したがって、お宮の扉を閉めることでアマテラスを封じ込め、お供え物をして祟らないようお祀りするのである。「恐れ多い」とは、アマテラスの祟る力を恐れてのことなのだろう。
今日の一枚は、ジョニー・ハートマンの1977年録音作品『ライブ・アット・サムタイム』である。吉祥寺のジャズ喫茶「サムタイム」でのライブ録音盤のようだ。ときどき拝見する「ぽろろんぱーぶろぐ 」で紹介されているのを見て知った。リラックスした雰囲気と低音の魅力が満載である。コルトレーンとの共演作をちょっとだけ思い出してしまう。曲目も私好みである。大好きな映画『追憶』のテーマなどを聴くと、感慨にふけってしまったりする。DACを通して書斎のブックシェル型スピーカーで聴いているが、この記事をアップし終わったらメインのもっと大きなスピーカーで聴こう。このライブ盤には大きいスピーカーがいいように思う。
Johnny Hartman(vo)
Roland Hanna(p)
George Mraz(b)
Roland Hanna(p)
George Mraz(b)
1 Feelings
2 The Way We Were
3 Send In The Clowns
4 Little Girl Blue
5 Sometimes I’m Happy
6 Summertime
7 Sposin'
8 My Foolish Heart
9 On A Clear Day You Can See Forever