●今日の一枚 370●
大貫妙子
Romantique
5月からwowowに加入した。大貫妙子の40周年ライブを視聴するためである。なかなか良いライブだった。興味深いライブでもあった。それにしても、1953年生まれの大貫妙子はもう60歳をこえているのだ。声の艶やのびやかさ、透明感は、例えば懐メロ番組に登場する同年代の歌手たちに比べて、ぬきんでて素晴らしい。歌の解釈や表現力もより深いものを獲得しているようにみえる。この声を維持するために、日々の生活を節制し、トレーニングに励んでいるであろうことは想像に難くない。
しかし・・・・。それでも正直いって、聴くのが、そして視るのがつらかった。決して悪いライブではなかったが、ある種の「老い」がつらかったのである。彼女の「円熟」を認めながらも、無意識に若い頃の、溌剌とした大貫妙子を探し求めてしまう。そういったイメージが先入観として頭にインプットされてしまっているのだろう。
このライブがきっかけで、初期の大貫妙子のCDを数枚買ってみた。いずれも、80年代に録音したカセットテープでずっと聴いてきた作品だ。大貫妙子を熱心に聴いたのは、1992年の『Drawing』あたりまでだったろうか。その後も数枚買ったが、聴きこんではいない。80年代後半から90年代の大貫妙子ももちろん悪くはないが、やはり、若い頃に聴いた、70年代末から80年代前半の、「フランスもの」といわれるヨーロピアン・サウンド時代の作品には特別の想いがある。後年の作品に比べれば、荒削りで、まだ十分にソフィスティケートされてはいないが、新しいものを、これまでの日本のポップスにないものをつくりあげようという、清新な気風に満ちている。
1980年作品の『Romantique』は、初期の、「フランスもの」の時代の代表作だ。今日的視点からみても、日本のポップスの傑作/名盤といってもいいのではないか。かたくなだが、誠実で純粋なひとりの女性の姿が表出されている気がする。佳曲ぞろいのアルバムであるが、「若き日の望楼」には特別の感慨をもつ。貧しいけれど、自分の道を探し求め、夢を語り合う若者たちの姿、それを追憶する歌詞には共感を禁じ得ない。
見えぬ時代の壁 かえりこない青春
というころが何ともいえず、感慨深い。
なお、wikipediaには、この『Romantique』についての、妙に詳細な解説が掲載されている。不思議だ。