WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ガトーとヴァンガードを忘れていた!

2021年06月27日 | 今日の一枚(K-L)
◎今日の一枚 516◎
Lee Morgan
Sidewinder
 人の噂は『おかえりモネ』である。
 前回、「おかえりモネ」に出てくるジャズ喫茶はどこかという不毛な話題について記した(→こちら)。
 とりあえず、私の思い付きの結論を次のように記した。
結局、ベイシーを念頭に置きつつも、「エルヴィン」や「ジャキ」に、「コロポックル」のイメージを加味したものではないか、というのが私の結論である。
 ところが、記した後、頭に浮かんだのだ。番組では登米に存在することになっているが、気仙沼のジャズ喫茶の方がイメージが近いのではないか。気仙沼のジャズ喫茶のイメージを登米に設定したということは、十分にありうるのではないか。気仙沼のジャズ喫茶とは、かつてあった「ガトー」と、今でも細々と営業している「ヴァンガード」のことである。
 「ガトー」には、高校生の頃に行ったことがある。移転前だったように思う。ところが、そこで先生方と会い、「おまえら俺たちの憩いの場所を荒らすんじゃない」といわれ、足が遠のいた。大学生になってジャズに目覚め、帰省のたびに訪問するようになった。10回以上は行ったと思う。知的な雰囲気のある店だった。今はもうない。
 「ヴァンガード」の亡くなったマスターにはお世話になった。ライブがあるたび葉書をいただき、酒井俊や渋谷毅をはじめ、村田浩、大西順子、かれーどすこーぷ、平田王子など全部思い出せないほど多くの日本人の演奏を目撃した。外国人についても、ジェリー・ヴェモーラやジェフ・ヒットマンという無名のジャズマンからマル・ウォルドロンなどの歴史的な人物にいたるまで、いろいろな人の演奏を聴いた。自宅の火事や大津波での被災を乗り越えて、「ヴァンガード」は復活したが、マスターの昆野さんが2017年に亡くなり、今は常連客だった人2人が時間限定営業で続けている。

 今日の一枚は、リー・モーガンの1963年録音盤の『ザ・サイドワインダー』である。ジャズロックという言葉とともに大ヒットしたアルバムのようた。ジャズを聴きはじめたばかりの学生時代、よく聴いたアルバムである。けれども、何かしっくりこず、いま一つのれないアルバムだった。何度も聴いたのは、演奏を理解したかったからだ。教養的にジャズを聴いていたのだろう。ただ、8ビートのジャズというのは、聴き飽きするようで、そのうち聴かなくなってしまった。昨日聴いた『VOL.3』の隣にあったので、ちょっとかけてみたが、やはり何となくのれない。不完全燃焼である。私とは相性の良くないアルバムのようだ。ジョー・ヘンダーソンは若い頃から、流麗なソロを吹いていたことを確認できたので良かったが・・・。
 

おかえりモネのジャズ喫茶

2021年06月25日 | 今日の一枚(K-L)
◎今日の一枚 515◎
Lee Morgan
Vol.3
 人の噂は、「おかえりモネ」である。舞台は、気仙沼と登米。私は気仙沼、妻は登米の出身である。長男は登米で生まれて、気仙沼で育った。毎日、ビデオ録画して、夜に一杯やりながら見る始末である。
 ところで、気仙沼や登米のほんの一部のジャズフリークの間では、「おかえりモネ」に登場するジャズ喫茶のモデルはどこかが議論されているらしい。もちろん、あれは架空のジャズ喫茶であり、モデルを探すのは無意味化かもしれない。けれども、無意味と知りつつも、空疎な議論をしてみたくなる気持ちはよくわかる。
 「おかえりモネ」のジャズ喫茶の名は"Swifty"。一関の「ベイシー」を意識していることはわかる。「ベイシー」のマスター菅原さんの愛称が"Swifty"だからだ。けれども、モデルではなかろう。「おかえりモネ」のジャズ喫茶は、「ベイシー」のように広くはないようだ。店の雰囲気も、スピーカーも全然違う。「おかえりモネ」のジャズ喫茶は窓があって明るいが、「ベイシー」はそうではない。
 現在、登米にあるジャズ喫茶は、「エルヴィン」のみだが、これも違うだろう。店の広さは同じくらいだが、「エルヴィン」は暗く、アングラ的な雰囲気、というか汚い。スピーカーも無骨なアルテックである。「おかえりモネ」のジャズ喫茶とは雰囲気が正反対である。登米の隣町の栗原市若柳の「ジャキ」や「コロポックル」も候補にあがるだろう。「ジャキ」は店の規模は同じぐらいだが、蔵を改造した雰囲気に、「おかえりモネ」のジャズ喫茶の明るさはない。「コロポックル」は窓が多く、明るい雰囲気だ。眺めも良い。けれども、おかえりモネ」のジャズ喫茶より若干広いだろう。スピーカーもJBLのハイエンドDD67000である。
 結局、ベイシーを念頭に置きつつも、「エルヴィン」や「ジャキ」に、「コロポックル」のイメージを加味したものではないか、というのが私の結論である。

 「おかえりモネ」のお父さんがトランぺッターということなので、今日の一枚はリー・モーガンの1957年録音盤『VOL.3』である。ベニー・ゴルソンの「アイ・リメンバー・クリフォード」の名演で我々の胸に決定的な印象を残した名盤である。しばらくぶりに聴いたが、胸が震えた。名曲にして名演である。

昨日もかつおが美味かった!

2021年06月21日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 514◎
Norah Jones
Come Away With Me
 モデルナワクチンをうって3日目の朝である。腕はまだ痛い。それでも、昨晩は酒も飲んだ。接種の時、今晩はアルコールを控えるようにいわれた。飲むと接種した場所の痛みが増すことがあるというのだ。その日の夜は飲まなかったが、昨晩は痛みはあったがもういいだろうと考え、軽く飲んでみたのだ。腕の痛みが増すことはなかったようだ。
 おしばてはかつおである。《おしばて》とは、酒の肴のことだ。私の住む地域ではそういうのだ。昨晩は、たたきにした。表面を焼くタタキではない。かつおを細かく刻んだものである。全国的にはなめろうというのだろうか。私の家では、昔から《たたき》といっている。昨晩は、かつおと玉ねぎを味噌とともに細かく刻み、大葉とミョウガをのせてみた。美味しかった。私はこの食べ方が一番好きだ。刺身が得意ではない妻も、《たたき》だと美味しく食べることができるようだ。
 今日の一枚は、ノラ・ジョーンズのデビュー作『ノラ・ジョーンズ』である。2002年のヒット作である。ノラ・ジョーンズの鮮烈なデビューからもう20年近く経つことに、時の流れの無情なほどの速さを感じる。正式にはCome Away With Me というタイトルだが、日本では『ノラ・ジョーンズ』として売り出されたようだ。CDの帯にはそう書いてある。ちなみに、CD帯には「大都会のナチュラル・ヴォイス」「NYCに生まれた"スモーキー & ハニー"な新しい感性」とある。
 ヒットした①Don't Know Why は、今聴いても心が震えるいい曲だ。スモーキーで穏やかな声が醸し出す、アルバム全体に漂うアンニュイな雰囲気に魅了される。CD帯の宣伝文句は偽りではなかった、と今更ながら思う。ヒットアルバムではあるが、一過性のものではなく、長く聴ける作品だろう。

モデルナワクチンを接種した!

2021年06月20日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 513◎
Charlie Parker
The Complete Savoy & Dial Master Takes
 昨日、モデルナワクチンを接種した。職場の斡旋で、仙台のヨドバシカメラにある東北大学ワクチン接種センターでの大規模接種に赴いたのだ。もともと体内に異物を入れることはあまり好きではない。ましてや、治験が十分でないため未知のことが多く、日本でも接種後に200人近くが亡くなっているというワクチンを接種するのは正直抵抗があった。けれども、仕事柄、新型コロナウィルス感染症に感染することはできない。仕方なく、職場の斡旋を受け入れて、接種することにしたのである。
 接種のときは全然痛くはなく、いつ打ったかわからないほどだったが、夕方ごろから打った場所付近が痛みはじめ、今日は肌の表面を触っただけでもかなり痛い。まだ腕が上がらないことはないが、多くの同僚と同じように、そのうち上がらなくなるのかもしれない。
 4週間後の同じ曜日の同じ時間に、2回目の接種をしなければならないとのことだ。2回目には、38度台の熱がでることが多いようだ。それをわかっていながら、接種のために仙台まで赴かなければならないのは、正直、気が重い。

 今日の一枚は、チャーリー・パーカーの『サヴォイ&ダイアル・マスター・テイクス』である。チャーリー・パーカーがSavoyとDialに録音したマスタートラックのみを集めたコンプリート盤である。ボーナストラックが入ったものもあるようだが、パーカーの研究者でなければ、良い演奏のみを集めたこちらの方が魅惑的だろう。
 昨日、ワクチン接種の後、会場のヨドバシカメラをぶらつき、1Fのオーディオコーナーでスピーカーを見ていたら、ダリのスピーカーから「パーカー・ムード」が流れていた。これはいいと思い、じっと聴き入ってしまった。
 私はパーカー信者ではないが、それでもたまにパーカーを聴きたくなる。そして聴けば例外なく、その流麗なアドリブに聴き入ってしまう。思えば、学生時代にジャズを聴きはじめたころ、勧められてパーカーを聴いても、何をやっているのか、やろうとしているのか、全然わからなかった。いい音楽だとも思わなかった。そのパーカーの音楽がいつから好ましいものに変わったのか、振り返ってみてもよくわからない。

今日もかつおが美味い

2021年06月12日 | 今日の一枚(K-L)
◎今日の一枚 512◎
Leon Russell
Leon Russell & The Shelter people
 先日も記した通り(→こちら)、今年はかつおが豊漁で価格も安く、味もいい。最近は、大葉とミョウガを刻んだものを上にのせ、ショウガ醤油で食べている。港町気仙沼生まれの私は、一週間毎日刺身でも全然構わないが、内陸部の登米出身の妻は頻繁にかつおを買ってくる私に辟易気味である。気仙沼と登米、「おかえりモネ」である。先週は妻に気を遣ってほとんどかつおは食べなかったが、それもそろそろ限界とばかりに、今日は帰りにかつおを買ってきた。妻も快く食べてくれた。
 今日の一枚は、レオン・ラッセルの1971年作品『レオン・ラッセル・アンド・シェルター・ピープル』である。レオン・ラッセルのセカンドアルバムだ。本当にいい作品だ。
 レオン・ラッセルは大好きだ。聴くたびに、ああ、やっぱり、私はレオン・ラッセルが好きだと思ってしまう。泥臭くて、人間的で、ずっと奥の、細胞の深いところまで届くブルージーなサウンドがいい。しかも、美しい。かつて「洋楽」という言い方があった。一番好きな洋楽は、と問われれば、迷うにきまっているし、一つになんか選べないに決まっている。けれども、レオン・ラッセルは間違いなくその候補にあがるだろう。おそらくは、一番最初に名前があがるかも知れない。私にとって、レオン・ラッセルはそういう存在だ。
 もういつの事か忘れてしまったが、だいぶ前に、ちょっと年老いたレオン・ラッセルのライブを見たことがある。おそらく、ブルーノート東京でのライブだったように思う。レオン・ラッセルは杖をついていたが、そのフィーリングは、往年の彼を彷彿させるのに十分だった。
 ①Stranger In A Strange Land 、一曲目からレオン・ラッセルの魅力全開である。

八幡神と応神天皇

2021年06月10日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 511◎
Michael Franks
Sleeping Gypsy

 「王朝交替説と応神天皇」(→こちら)の続きである。
 宗教学者の島田裕巳のいくつかの著書は、応神天皇について興味深い知見を提供している。それは例えば、八幡神との関係についてだ。
 八幡神は、『古事記』にも『日本書紀』にも登場しない神である。その点で、日本土着の神ではないともいえる。ところが、八幡神を祀る神社の数は、圧倒的に日本で第一位である。皇祖神といわれる天照大神を祀る神社をはるかに凌駕する。この八幡神が応神天皇の霊であるとする伝承があるのだ。それゆえ、八幡神は、天照大神に匹敵する皇祖としての地位を確立することになる。例えば、石清水八幡宮に勧請された当初から、八幡神は「皇大神」と呼ばれており、古代・中世以来、歴代天皇は伊勢ではなく石清水を行幸している。石清水への行幸が240回に及んだのに対して、伊勢へは皆無だった。
 ところで、応神天皇の父である仲哀天皇は、実質的に天照大神に呪い殺されたといえる。この時、仲哀天皇の皇后であった神功皇后は妊娠しており、生まれた子こそ応神天皇なのである。この応神天皇と習合した八幡神が、その後天照を凌ぐ勢いを見せ、勢力を拡大した武士にも信仰される神となったことについて、島田裕巳氏は、「応神天皇による敵討ちではなかったのだろうか」「八幡神は、皇祖神としての天照大神の地位を簒奪したともいえる」と述べている。傾聴に値する見解であろう。
 応神天皇とは、実に興味深い存在である。

 今日の一枚は、AORの推進者、マイケル・フランクスの『スリーピング・ジプシー』である。1977年作品である。
Joe Sample(p)
Wilton Felder(b)
John Guerin(ds)
Larry Carlton(g)
David Sanborn(as)
Michael Brecker(ts)
Ray Armand(per)
Joao Palma(ds)
Joao Donato(p)
Helio Delmiro(g)
 名曲「アントニオの歌」を含むアルバムである。「アントニオの歌」はいい曲だ。ただ、あまりに聴いたせいか、聴き飽きしてしまった感がある。改めてこのアルバムを聴きなおしても、その曲だけ特別な感じはしない。特筆すべきは、やはりアルバム全体を貫く、ジャージーでメローな雰囲気である。今聴いても、あるいはポピュラー・ミュージックが型にはまってしまった感のある現代だからこそ、新鮮に響く。
 思えば、ブルース・ロックやハード・ロック一色だった若造の私にとって、AORとの出会いは、ある種の袋小路から目を開かれた契機だったように思う。




王朝交替説と応神天皇

2021年06月07日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 510◎
Art Tatum / Ben Webster
The Tatum Group Masterpieces

 応神天皇は、興味深い大王である。少なくとも、記紀が描く王統譜の中で、ターニング・ポイントとなる大王であるとはいえるだろう。
 天皇号の成立は7世紀後半であるといわれるが、ここではとりあえず応神天皇と呼んでおこう。応神天皇はそのまま実在の大王とはいえない可能性もあり、とりあえず『日本書紀』の呼称に従っておこう。      
 古い学説についての話である。王朝交替説と応神天皇についてだ。1948年に発表された江上波夫氏の《騎馬民族征服王朝説》というものがある。3世紀末から4世紀初めに、東北アジアの騎馬民族が朝鮮南部を経て日本に渡来したというのである。この時、騎馬集団を率いて九州を征服したのが記紀で第10代とされる崇神天皇であり、その約100年後の4世紀末~5世紀初めに応神天皇が畿内を征服したとすのだ。
 1954年に発表された水野祐氏の《三王朝交替説》では、崇神王朝(古王朝)、仁徳王朝(中王朝)、継体王朝(新王朝)が、それぞれ前の王朝を滅ぼして成立したとされた。この場合、古王朝を滅ぼしたのは応神天皇であり、彼は大和には移らず九州にとどまったとされる。したがって、実質的な中王朝の創始者は応神天皇であるといってもよい。一方、応神と仁徳には共通点・類似点が多く、同一の人格が分化したものであるという説もあるようだ。
 1960年に発表された、井上光貞氏の《応神新王朝説》でも、応神天皇は、重要視されている。応神天皇が
九州から東遷して大和に入り、崇神王朝に婿入りする形で王朝を継承したというのだ。
 継体天皇の擁立を巡る物語も重要である。記紀は、武烈天皇で皇統はいったん断絶し、越の国から応神五世孫が大王として迎えられたと記す。何故、応神天皇なのだろうか。記紀が、応神天皇を特別な存在として認識していた可能性があるのだ。
 いずれにしても、古代王権の系譜を語る上で、応神天皇がひとつのキーマンであるとはいえそうだ。


 今日の一枚は、1956年録音の『アート・テイタム~ベン・ウェブスター・カルテット』である。アート・テイタムという人は、本当に美しい響きのピアノを弾く人だ。意図的な情感など込めなくても、ピアノの響きそのものが美しい。端正なピアノとでもいうべきか。片目が盲目で、もう一方の目もほとんど見えなかったとは、信じられない。あるいは、そうだからこそ、音に対して鋭敏だったのだろうか。テイタムの端正なピアノをバックに、ベン・ウェブスターのテナーは、直球勝負で情感たっぷりに歌い上げる。余裕のテナーである。たまには、余裕のジャズもいいものだ。

かつおが美味い!

2021年06月06日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 509◎
Al kooper
Naked Songs
 今年はかつおが豊漁なのだという。もう、地物も出回っている。スーパーでも手ごろな価格だ。先週食べてみたところ、これが美味かった。この時期のかつおにしてはかなり美味い。あまりに美味かったので、毎日のように買って帰り、結局、4日連続で食べ、妻から呆れられる始末だった。
 若い頃は、ニンニクと醤油でガツンとした味を楽しんだものだが、最近はかつおの刺身の上に刻んだ大葉とミョウガをのせ、味ぽんマイルドにショウガを付けて食べている。これが美味い。やはり、味覚は年齢によって変わるらしい。

 今日の一枚は、ブラッド・スウェット・アンド・ティーアーズのボーカリストだったアル・クーパーのソロアルバム『赤心の歌』である。1973年の作品だ。このアルバムをいつ買ったのかよく覚えていない。若い頃に何度も聴き込んだ記憶もない。だから、そんなに強い印象もなかった。かつお三昧だった先週、何気なくCDの棚に手を伸ばし、たまたま手にしたのでかけてみたのだ。
 いい・・・。ああ、私はこういうロックを聴きたかったのだと思った。空気が変わっていくのがわかった。部屋全体にアル・クーパーの、古き良きロックの世界が広がっていった。先週は何度もこのアルバムを聴き、かつおとアル・クーパーの一週間となってしまった。
 『赤心の歌』、これもまた名盤である。
 そういえば、今思い出したが、ボブ・ディランのLike a Rolling Stone で疾走感溢れるオルガンを弾いていたのは、アル・クーパーだったはずだ。

オペラ座の夜

2021年06月05日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 508◎
Queen
A Night at the Opera
 地上波で映画「ボヘミアン・ラプソディー」が放映されていた。途中から見た。映画館では、4回ほど見た映画である。やはり、感慨深かった。クィーンについては、このブログで『シアー・ハート・アタック』について記したことがある(→こちら)。映画のラストのライブ・エイドのところは、やはり見入ってしまった。フレディー・マーキュリーの、根源的な哀しみが表出されているところがいい。映画のヒット以来、フレディー・マーキュリーをフレディーと、ブライアン・メイをブライアンと呼ぶ人が多いようだが、違和感がある。私にとっては、フレディー・マーキュリーはフレディー・マーキュリーであり、ブライアン・メイはブライアン・メイである。
 
 今日の一枚は、クィーンの『オペラ座の夜』である。1975年の作品である。私がクィーンに接したのは、高校1年の頃だったように思う。その頃は、『戦慄の王女』も、『シアー・ハート・アタック』も、『オペラ座の夜』も、『世界に捧ぐ』も出そろっていた。『オペラ座の夜』は、当時からずっと好きだった。ただ、私の耳は、フレディ・マーキュリーのボーカルではなく、ブライアン・メイのギターを追ってしまう。それは、今でも変わらない。そういう意味では、私はクィーンの良い聴き手ではないのだろう。
 年月を経た今、一番好きなのは、『シアー・ハート・アタック』である。「ブライトン・ロック」の吸引力には抗しきれない。