WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

風呂場でJAZZ

2021年01月31日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 466◎
Niels Lan Doky /Trio Montmartre
The Look Of Love
 この一週間ほど、入浴しながらJazzを聴くのがマイブームである。半年ほど前、テラスでひとりビア・ガーデンをするために買ったAnkerのBluetoothスピーカーで聴くのだ。風呂場特有のエコー効果で程よく音が増幅され、低音も迫力あるものになる。Apple Music で聴くが、聴く音楽は、圧倒的にピアノ・トリオが多い。風呂場でJAZZ。風呂場でピアノ・トリオである。ステイホームの楽しみの一つである。
 風呂場でピアノ・トリオを聴くというアイデアは、たまに行く銭湯「友の湯」で得たものだ。「友の湯」については、以前、記したことがあるが(→こちら)、昔ながらの銭湯の中でいつもピアノ・トリオが流れているのだ。小さな音だが、風呂場に反響していい感じになる。空いていて、風呂場に自分一人の時などはもう最高だ。手足を伸ばして、ピアノ・トリオに浸っている。「友の湯」については、機会があればそのうちまた書きたいと思っている。
 今日の一枚は、ニルス・ランドーキー率いるトリオ・モンマルトルの2003年録音盤、『ザ・ルック・オブ・ラブ』である。ニルス・ランドーキーあるいはトリオ・モンマルトルの作品は一時は結構聴いた。CDも数枚所有している。長いこと聴いていなかったが、風呂場で聴くピアノ・トリオということで、脳裏に浮かんだもののひとつがトリオ・モンマルトルだった。風呂場で、聴くピアノ・トリオは、攻撃的な演奏は合わない気がする。鬼気迫る演奏も必要ない。多少、凡庸でも、ゆったりと癒してくれるものがいい。手足を伸ばして、ゆったりと何も考えずに音楽に浸りたい。今夜はこのアルバムで風呂に入ろうと思っていたら、Apple Musicにはないようだ。なぜだ。

黒いナイロン弦を張ってみた

2021年01月26日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 465◎
村治佳織
Cavatina
 先日、話題に取り上げたダイナミックギター(→こちら)のサドルを交換し、弦を張り替えてみた。
 サドルは丸棒型でもう売っていないようだ。そのまま使うことも考えたが、とりあえず、ホームセンターで買った1mの真鍮の丸棒を切って使用してみた。しっくりこなければ、もとのものに戻せばよい。弦は、エンドボールタイプのナイロン弦のブラックを張った。黒いナイロン弦などというものがあるのも、エンドボールのナイロン弦があるのも、はじめて知った。時代の変化にびっくりだ。ナイロン弦は、チューニングが落ち着くまで4~5日かかるので何とも言えないが、響きは悪くない。しばらくはこれを使ってみたい。ナイロン弦は3セット買ったので、明日、アコーステック・ギターにも張ってみようと思う。

 今日の一枚は、村治佳織の1998年作品、『カヴァティーナ』だ。ジャケット写真を見ると、初々しくもかわいらしい。クラシックギターのCDはほとんど持っていない私がこのアルバムを買ったのは、もしかしたらこのジャケット写真が気に入ったからかもしれない。意外に好きでたまに聴く。彼女のギターがクラシック・ギター業界でどのように評価を受けているのかはよく知らない。もしかしたら、アイドルちゃん扱いなのかもしれない。けれども、彼女の作品がクラシック・ギター音楽への敷居を下げたことは間違いないだろう。その意味で、彼女のギターは権威主義とは無縁だ。演奏のレベルを下げずに、大衆的な選曲がなされている。
 タイトル曲の⑧ 『カヴァティーナ』は大好きだ。実業高校で世界史を担当していた頃、写真のスライドショーのBGMにこの演奏を用い、ベトナム戦争の授業を作ったことを懐かしく思い出す。若い頃、この曲を弾けたはずだったが、弾き方がどうも思い出せない。手元に簡単な譜面があるが、キーもかつて弾いたものとは違うようだ。そのうち、ちゃんとした譜面を手に入れたいと思う。クラシック・ギターにそれほど自信があるわけではない。少しずつ始めてみようと思う。

ダイナミック・ギター

2021年01月24日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 464◎
Gontiti
Easy Busy

 ずっとクラシック・ギターだと思っていたギターがある。中学生の頃、親戚か誰かからもらったものだと思う。私が初めて弾いたギターである。そのギターが実家にあった。一年ほど前に、ちょっと弾いてみようかと思ってもってきたのだった。何度が弦を変えたのだが気づかなかった。結構、響きがよく、なかなかいい音がでるギターだったので、ナットとサドルを変えてもっと音をよくしようと考えた。今日アマゾンに注文しようとして気づいた。サドルが普通のクラシック・ギターと違うのだ。丸棒サドルなのである。アマゾンには見当たらなかった。不審に思って検索してみた。ギターの型番は「YAMAHA No. S-50」。何と、クラシック・ギターではなかった。《ダイナミック・ギター》というギターだった。1960年代、アコースティック・ギター(フォーク・ギター)ができる以前に、ヤマハが作ったギターだ。クラシック・ギターをベースに鉄弦(スチール弦)を張ることができるように頑丈に作ったもののようだ。音も大きく響く作りだ。そんなに高くはないが、一応、ジャパニーズ・ヴィンテージ・ギターだ。ゴンチチが使って、再評価されたらしい。状態も悪くはない。大切にしなければならないだろう。新しい本当のクラシック・ギターを購入するのではなく、このダイナミック・ギターにナイロン弦を貼って、しばらくクラシック・ギターとして使ってみようと思う。

 今日の一枚は、ゴンチチの1996年作品『イージィー・ビィジィー』だ。非常に柔らかで気持ちのよいサウンドだが、イージー・リスニングとして聴くにはもったいない作品である。ガット・ギターの柔らかな響きがたまらない。ずっと、エレクトリック・ギターを弾いてきたが、還暦ももうすぐの歳になって、ナイロン弦の優しい響きに惹かれるようになった。⑪ 放課後の音楽室は大好きだ。何度聴いても、心が躍る。

2021年01月17日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 463◎
Fleetwood Mac
Rumours
 そういえば去年、フリートウット・マックの『噂』(Rumours)が42年ぶりに全米ヒットチャートのトップ10に入った(2020.10)というニュースがあった。動画投稿アプリTikTokに収録曲の「ドリームズ」が使用されたことがきっかけということだった。
 そんなことを思い出したのは、前回の記事(こちら→)で取り上げたエイミー・ベルという歌手について検索していたら、聞き覚えのあるメロディーを歌っている動画に出くわしたからである。なんだっけ、と少し考えて、「ドリームス」であることを思い出した。いい曲だ。生ギター一本で歌うエイミー・ベルは、迫力があってなかなかいい。はっきりいって、スティーヴィー・ニックスよりいいかもしれない。
 今日の一枚は、フリートウット・マックの1977年作品『噂』である。彼らの大ヒット作だ。今聴いても新鮮なサウンドである。私は、ピーター・グリーンがいたころのブルース・ロック路線のフリートウット・マックが好きだったが、ポップ路線になってからのマックも嫌いではなかった。全盛期の彼らのアルバムでよく聴いたのは、この『噂』と『ファンタスティック・マック』と『タンゴ・イン・ザ・ナイト』である。
 『噂』はグループに在籍していた2組のカップルの破局から生まれたベストセラーアルバムである。前作『ファンタスティック・マック』の商業的な成功で、同棲していたリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックス、そしてジョン・マクヴィーとクリスティーン・マクヴィー夫妻のそれぞれの関係の微妙なバランスが崩れだしたのである。別離したカップルーが互いの内面を吐露するような歌詞が、アルバム全体に迫真的なリアリティーをもたらしている。《噂》というタイトルも、それらが噂であってほしいというところからきているらしい。
 今、⑥ Songbirdが流れている。美しいサウンドだ。

エイミー・ベルという歌手

2021年01月17日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 462◎
Rod Stewart
Foot Loose & Fancy Free
 これは凄い。何気なくYou Tube をいじっていてたまたまタッチした動画に思わず声を出してしまった。ロッド・スチュアートの2004年のロイヤルアルバートホールでのライブ映像である。曲は名曲「もう話したくない」(I don’t want to talk about it )、ロッドとデュエットしているのは、当時22歳で無名の、エイミー・ベル(Amy Belle)という歌手らしい。スコットランドのグラスゴーの路上で歌っているところを見いだされ、この一夜限りのライブに招待されたということだ。清楚でキュートでかわいらしい雰囲気もさることながら、歌の表現力がすごい。その情感溢れる歌唱は、完全に、ロッドを食っている。ロッドファンやコアなオールドロックファンの間では、すでに知れ渡ったことだったようだが、ロックから離れていた私はまったく知らなかった。とにかく、いい。

 というわけで、今日の一枚は、ロッド・スチュアートの1977年発表作『明日へのキックオフ』(Foot Loose & Fancy Free)である。「もう話したくない」は入っていないが、私の一番好きなアルバムである。高校時代、何年生の頃のことかは忘れたが、後ろの席だったバンカラのF君の影響で、ロッド・スチュアートを聴きはじめた。制服自由化の高校で、頑なにバンカラを守り通しているF君がロッド・スチュアートのファンだということが新鮮で興味深かった。彼からは、ロッド・スチュアートについていろいろと教えてもらったが、私には比較的新しかった『明日へのキックオフ』が一番しっくりきた。ロッドの抒情的な側面が強くでているアルバムだったように思う。このアルバムには後にロッドの名曲と評価され、ライブで繰り返し演奏されることになるナンバーがいくつも収録されている。① Hot Legs ③ You're In My Heart(胸につのる想い) ⑤ You Keep Me Hangin' On ⑧ I Was Only Joking(ただのジョークさ)などがそれである。
 しばらくぶりに聴いたが、今聴いても十分に魅力的な一枚であると思う。F君とは、高校卒業以来一度も会っていない。今、何をしているだろうか。


奈良・中宮寺の国宝展

2021年01月12日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 461◎
Bill Evans Trio
Moon Beams
 昨日は、妻と仙台の宮城県美術館で開催されている「奈良・中宮寺の国宝展」を見学に行ってきた。コロナ禍の中,仙台に行くのはやや躊躇したが、決行することにした。双璧の広隆寺の《半跏思惟像》は以前見学したことがあったが、不覚にも中宮寺の《半跏思惟像》の実物をまだ見たことがなかったのだ。予想に反して、会場は大盛況であり、はっきりいって密だった。仕事柄、コロナウィルスに感染しては困る。我ながら馬鹿みたいだったが、マスクを二重に付け、神経質にソーシャルディスタンスを保って見学した。
 実物の《中宮寺半跏思惟像》は、写真で見るそれとはだいぶ違った印象だった。《中宮寺半跏思惟像》は、教科書的にいえば飛鳥時代の南梁様式に分類されるものだが、その神秘的なほほえみ(アルカイックスマイル)は、例えば北魏様式の法隆寺釈迦三尊像のそれとよく似ているように感じた。一方、清新な若々しさを感じる筋肉の付き方、ある意味肉感的ともいえるリアリズムは、白鳳時代の薬師寺薬師三尊像などを彷彿させるものだった。また、全体的には柔らかで美しいフォルムだが、接近してみると手足の細部は意外なほど無骨な印象を受けた。
 《中宮寺半跏思惟像》を見て、なぜだか無性にビル・エヴァンスが聴きたくなった。帰ってきて聴いたのは、ビル・エヴァンス・トリオの『ムーン・ビームス』である。Chuch Israels(b)、Paul Motian(ds)の1962年録音(Riverside)である。このアルバムは、ずっと以前に(2007年だ)取り上げたことがあったが(→こちら)、ブログをOCNからgooに移行した所為か、以前の記事はフォームが乱れてしまったようだ。
 全編にわたって、繊細で美しい演奏である。②Polka Dots  And Moonbeams は、珠玉の名演である。曲も美しい。私の生活の中で、ふとした時にこの曲が頭をよぎることがよくある。もちろん、すべてこの演奏である。あまりの美しさに涙が出そうになる。ベースがスコット・ラファロだったら、あるいは違う意味でもっと透徹したすごい演奏が録音されたのかもしれない。けれども、おそらくは、このような、柔らかな美しさをもった演奏にはならなかったのではないか、と思う。チャック・イスラエルズには彼の良さがある。

怠惰な一日、静かにジャズ

2021年01月03日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 460◎
Duke Jordan
Flight To Jordan
 考えてみれば、昨日と今日の2日間、怠惰に過ごしてしまった気がする。2日とも、朝からテレビで箱根駅伝の母校を応援し、ちょっと休んで、今度はBリーグの宇都宮ブレックスのゲームを見た。母校は昨年ほどの活躍ではなかったが、シード権を獲得し、ブレックスは連勝した。気分は悪くない。ただ、いつものことだが、ちょっと後悔している。せめて合間にウォーキングぐらいすればよかった。夜は酒を飲み、またまた怠惰だ。少しぐらいは落ち着いて本でも読もうと書斎に引き上げ、適当なCDを選んで音量をしぼって流し、本を眺めた。
 今日の一枚は、デューク・ジョーダンの1960年録音盤『フライト・トゥ・ジョーダン』(Blue Note)である。音量をしぼって、ながら聴きしていたが、一曲目の① Flight To Jordan からそのスウィング感に顔を上げ、身体でリズムをとってしまった。② Starbrite のリリカルなピアノソロでまた目を上げ、③ Deacon Joe の美しい演奏でまた聴き入ってしまった。ながら聴きでも、ハッとさせられるのは、やはり音楽の力なのだろう。⑥ Si-Joya 、聴いていたら「危険な関係のブルース」ではないか。どうしてタイトルが違うのだろう。

トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ⑤

2021年01月03日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 459◎
Tom Waits
Foreign Affairs
 あの人の底辺で生きることのあこがれはよくわかるし、歌も生き方も大好きよ。でも二人で一緒にそれを続けていたら、どちらかが先にダメになってしまう。
 トム・ウェイツについてのリッキー・リー・ジョーンズの言葉らしい。二人の離別は、1979年か1980年頃と推測される。二人にはもちろんそれぞれの個性があるが、その作風は微妙にシンクロしているように見える。二人が暮らした日々は、その後のそれぞれの音楽に大きな影響をもたらしたのかもしれない。
 今日の一枚は、トム・ウェイツの1977年作品、『異国の出来事』である。ジャケットは、トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズの写真である。残念ながら、私は現時点でこのアルバムを所有していない。慌ててamazonに注文して、届くのを待っている。今はapple musicで聴いている。やはり、初期の作品は、よりジャズの影響が強いようだ。じっくり聴きたいアルバムである。③ I Never Talk To Strangers は、ベット・ミドラーとのデュエットだ。ベット・ミドラーのボーカルは十分に素敵だが、リッキー・リー・ジョーンズだったらどうだったろうなどと夢想してしまう。今、傍らでは⑦ Burma-Shave が流れている。いい曲だ。

トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ④

2021年01月02日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 458◎
Tom Waits
Blue Valentines
 私たちは同じ通りの周辺を歩いているの。私たち2人にとっては、主にジャズのためにこういう状況になったのだと思うわ。私たちは人生のジャズ側を歩いているのよ。
 リッキー・リー・ジョーンズが、トム・ウェイツについて語った言葉だ。《ジャズ》という言葉を使っているところが興味深い。二人の音楽からは、ジャズの濃厚な影響が感じられるからだ。音楽が二人を結び付け、リッキー・リー・ジョーンズの音楽的成功が二人を引き離したということになるのだろうか。本当のところは誰にも分らない。
 離別した後のトム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズは別々の道を歩んだ。以後、共演したこともないようだ。
 リッキー・リー・ジョーンズは、商業的な意味では、デビュー・アルバムのような大ヒット作には恵まれなかったが、時代に媚びない音楽を作り続けた。1980年代後半には数年間音楽活動を中断したものの、その後活動を再開し、個性的でクオリティーの高いアルバムを発表し続けている。

 一方、トム・ウェイツも個性的な作品を発表し続けた。すでに、音楽業界内では高い評価を得ていたが、1985年の『レイン・ドックス』のヒットによって、その音楽は一般の人々にも広く知られるようになった。初期の作品群も名盤として再評価されるようになり、1993年と2000年にはグラミー賞を受けている。下層の人々をユーモラスに描きながらも温かい目で見つめる作風は多くの支持を集め、2000年代以降も、たびたびグラミー賞にノミネートされている。2011年には《ロックの殿堂》入りを果たし、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」 や、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」 にも選ばれている。
 私は思うのだが、《トム・ウェイツ》という言葉は、その個性的で独特の音楽ゆえに、もはや人名ではなく、一つのジャンルとしてもいいのではなかろうか。
  
 今日の一枚は、美しいジャケットが際立つ、トム・ウェイツの1978年『ブルー・ヴァレンタイン』である。全編にわたりジャズ・テイストが色濃く反映したアルバムだ。時にビートに乗り、時にしっとりと繊細に歌うトム・ウェイツを堪能したい。最後の曲、⑩ Blue Valentines が終わった後の、どうしようもなく深い静寂感が、この作品の素晴しさを表している。このアルバムは、リッキー・リー・ジョーンズと恋人同士だった時期のアルバムであり、ジャケットの裏に使われた写真は、トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズのものだという。