◎今日の一枚 527◎
Bill Evans
further Conversations With Myself
入院7日目、手術して3日目である。傷口はまだ痛み、咳をするのもつらいが、それでもだいぶ良くなった。今日からは、病気内のコンビニまで歩くことも解禁である。
全身麻酔でいつどのように眠りについたかは記憶がない。眠っている間についても記憶がない。時間の感覚もない。だから、眠っている時間については、0分という感覚だ。
起きた時の記憶はある。誰かから声をかけられて目を開けたのだ。手術室のライトを見た記憶がある。その後記憶は途絶える。記憶にあるのは、天井が流れている映像だ。おそらく、ストレッチャーで移動したのだろう。次の記憶は、病室のベッドの上である。看護師が数人いたので、もしかしたら病室に着いて時間がたっていなかったのかも知れない。ストレッチャーから病室のベッドにどうやって移ったのか全く記憶がない。それ以降はずっと記憶がある気がする。気がするというのは、確信が持てないからだ。同じ病室という空間にいたことで、持続した記憶があると誤解しているだけかもしれない。
意識や記憶というものは、不確かなものである。けれども、その不確かな意識や記憶に立脚しているのが人間というものであり、その人間によって構成されているのが世界であり、現実というものだといえよう。全身麻酔という経験によって、現象学について改めて考えさせられた。とりわけ、意識と時間という問題、また世界というものが、記憶や意識によって成り立っている脆いものであることも改めて考えさせられた。
今日の一枚は、ビル・エヴァンスの1967年録音盤、『続・自己との対話』である。入院中ということで、今日もアップルミュージックで聴いている。ピアノ2台の多重録音によるインタープレイが展開される。取り上げられた楽曲も、親しみやすいものが多く、その意味でも聴きやすい。《いそしぎ》は好きな曲だ。ポップにもリズミックにも味付けできるこの曲を、エヴァンスはあくまでシリアスにそして想像的に演奏していく。王道である。
お大事に