WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ジャズ・ボーカルを教えてくれた人

2006年12月31日 | やや感傷的な随筆

 ずっと若い頃のことだが、ジャズ・ボーカルがどうしても好きになれなかった。楽器のジャズが大好きだったのにもかかわらずだ。時に退屈で、また時に嫌らしい生々しさが感じられるような気がしたのである。

 もう20年以上も前になるが、仕事の関係で愛知県に住んでいた頃のことだ。ふとしたことから、地方のある女子短大の助教授と知り合った。短大の助教授といっても、全国的には無名に近いその短大の経営は大変らしく、彼は学生獲得のための営業や定時制高校の非常勤講師の仕事までしていた。また、助教授といっても当時すでに結構な年で、私とは20歳以上も離れていたように思う。彼が短大でどういう立場にあるのか聞いたことはなかったが、楽な立場ではなかったのだろう。

 私は彼の誠実な人柄に魅了され、よく一緒に飲みにでかけたものだ。声楽が専門の彼は私によくこういった。「私は音楽の不良だ……」。若い頃、大学で声楽を専門的に学んでいた彼は、ジャズにのめり込み、ジャズ歌手を夢見てひとりアメリカにわたった。貧しい生活をしながら、チャンスを待ち修行にうちこんだらしいが、ようやくその芽が出始めた頃、親の病気のため、夢をあきらめて帰国してしまったのだという。そのことについては、今でも後悔の念があるようだった。彼の「私は音楽の不良だ……」ということばの中には、そういった自身への自嘲的な意味合いも含まれていたのだ。

 彼とはいろいろな話をした。会話はいつもジャズ・ボーカルに行き着き、彼はジャズ・ボーカルの嫌いな私を諭すように、その魅力を語って聞かせたものだ。「ボーカルは声という楽器で奏でられる音楽だ。けれどもそれは一番すばらしい楽器だ」と彼は繰り返し私に語った。彼はいくつものレコードを私に紹介し、何度かはコンサートへもつれていった。おかげで、その街に住んでいた3年の間に、私のボーカル嫌いは克服され、何となくだが、ジャズ・ボーカルの魅力がわかるようになった。

 私はその街をはなれ、東北地方に帰ってきたのだが、それ以来彼とはなかなか会う機会がない。ジャズ・ボーカルを抵抗なく楽しめるようになった私にとって、彼は恩人というべき存在である。彼ともっと多くの話をしたかったと、今改めて思う。エラやサラやカーメンについての話を、トニー・ベネットやジョニー・ハートマンや彼が好きだったメル・トーメについての話を……。

 


神棚完成!

2006年12月30日 | 写真

Cimg1760  今日は、午前中いっぱいをかけて、家のすべての照明器具の掃除と神棚づくりでした。神棚飾りの方法は、それぞれの地域・家庭で微妙に違うのですね。3年前に自宅を新築してから、神棚飾りは私の仕事となりました。毎年、覚えるのですが、結局忘れてしまい、毎年悪戦苦闘しています。


ハーフノートの夜

2006年12月30日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 108●

Zoot Sims & Al Cohn    

Jazz Alive !  A Night At The Half Note

Watercolors0001_4  ズート・シムズとアル・コーンのテナー・バトル、ニューヨークの老舗ジャズクラブ「ハーフノート」での1959年のライブ録音盤だ。

 何度聴いても、とにかく気持ちよくて楽しいアルバムだ。ズートとアルのテナーはよく歌い、バトルというより、ともに演奏することの喜びに溢れている。演奏者が楽しんでいるのが目に浮かび、聴く側もノッテきける。後半の2曲には、激情のアルト奏者フィル・ウッズも加わり、さらにエモーショナルでノリの良い演奏となる。この時期のズートとアルは、ダブル・テナー・アルバムをいくつか残しており、(全部で8枚)、どれも秀作であるが、ノリの良さに関してはライブ録音のこのアルバムが一番ではなかろうか。

 ハーフノートとはかつてニューヨークにあった老舗ジャズ・クラブだが、小川隆夫のライナーノーツによれば、イタリア料理が味わえるレストランでもあったのだそうだ。うまい料理に、最高のjazz、私も行ってみたかった、などと意味のないことを考えてしまった。

 ハーフノートが店を閉めたのは、1974年のことだった。

[ズート・シムズに関する記事]

"Zoot" Sims

  If I'm Lucky

 Soprano Sax


福乃友酒造の「冬樹」(純米吟醸)

2006年12月29日 | 

Cimg1756  ここ数年、この時期には、福乃友酒造の「冬樹」を飲むことが恒例になっている。最近では、「冬樹」もずいぶんと有名になってしまったが、手づくりできちんとした酒をつくるという福乃友酒造のスタンスは変わっていないようだ。福乃友酒造は、秋田県大仙市神宮寺にある蔵元で、手作りにこだわり、「個性派」を自認しており、それは社長の「無理をして事業を展開してダメになるよりは、地道でもいいから、ずっと継続することだけを考えて酒作りをしよう」という言葉によくあらわれている。

 特に「無調整純米吟醸 冬樹」は、本来酒作りには適さないといわれる飯米のキヨニシキを使ったいわば異色の逸品で、全国的にも稀なほど鉄分が少ないといわれる雄物川の伏流水の井戸水を使用しているのも特徴だ。

 本当の手作りなので毎年毎年微妙に味が違う。というと、通ぶっているように聞こえるかもしれないが、誰でもわかるほどに味が違うのだ。しかも、味が違っても基本的にうまいということはかわらないのがうれしい。昨年の冬樹は酸味が強かったが、今年のはとてもフルーティーな風味だった。一口飲んだ瞬間、しばらくぶりにうまいと口走ってしまった。この思いを誰かに伝えたいと思い、家事をしていた妻に「今年の冬樹はうまいよ」といったら、あきれられてしまった(いつものことではあるが……)。

 ともあれ、今宵の酒はうまい。年末に飲む酒がうまいのは、心にゆとりがあるからだろうか。


ノスタルジア

2006年12月29日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 107●

Fats Navarro     Nostalgia

Watercolors_3  26歳で早逝したバップの天才トランペッター、ファッツ・ナヴァロが、1946~1947年にサヴォイに録音した作品。

 すごい、何がすごいって、録音されたのが1946~1947年だということだ。だって、戦後すぐじゃないか。例えば、安倍極右政権が改正しようとしている「日本国憲法」が制定されたのが1946年、施行されたのが1947年なのだ。この時代にアメリカ人は、流れるようなアドリブ演奏を行っていたのですね。録音とアレンジはやや時代を感じさせるものの、演奏それ自体はまったく古さを感じさせない。60年も前の演奏だなんて信じられないほどだ。

 ナヴァロは、一応「天才」ってことにはなっているが、活動期間が短く残した作品が少ないため、ディジー・ガレスピーとクリフォード・ブラウンをつなぐ人という評価になってしまっている部分があるのは可愛そうだ。

 それにしても、ファッツ・ナヴァロ、クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、ブッカー・リトルと夭折のミュージシャンにはどうしてトランペッターが多いのでしょうね。

 ファッツ・ナヴァロが麻薬と結核のために死んだのは1950年のことだった。


「華心」(純米吟醸)

2006年12月28日 | 

Cimg1748  今年の仕事もとりあえず今日でおしまいだ。大掃除やらなにやらのことを考えると、そんなにゆっくりもできそうにないが、今宵は本当にしばらくぶりにゆったりした気分だ。

 懐かしの大貫妙子を聴きながら、地酒を飲んでいる。伏見男山の「華心」(純米吟醸)だ。すごく感動的な味とはいえないかも知れないが、日々飲む酒としては結構いい。一応、米作りの段階からこだわった酒らしい。

 気分がいい。そろそろジャズを聴こうか。


北欧へのオマージュ

2006年12月26日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 106●

Niels Lan Doky / Trio Montmartre

Scandinavian Reminiscence

Watercolors0006  今日明日は休暇をとって、岩手は盛岡(鶯宿)へたった一泊の家族旅行だ。今年は暖冬のようで、雪景色にめぐり合えるかどうかわからないが、楽しみではある。雪国へ思いをめぐらせながら、このアルバムを聴いている。

 ニルス・ラン・ドーキー/トリオ・モンマルトルの2004~2005録音盤。日本題は、『北欧へのオマージュ』。ちょっと、大甘タイトルだが、サウンドは硬質で美しく、だらだらした甘さはない。ニルスのピアノはいつもながら、端正で誠実さを感じさせる。選曲もいい。「ノルウェイの森」にはじまり、お約束の「ディア・オールド・ストックホルム」(スウェイディシュ・スイートというタイトルだが……)もある。

思うに、北欧系の曲は、真面目なニルスには結構あっているのではないだろうか。安心して聴ける一枚である。

 もう出発の時間だ。

……………………………………………………

 (追伸)

 帰ってきました。盛岡はあいにく雨で、名峰岩手山も雲に隠れて見えず、道ばたにわずかに残っていた雪も翌日には雨で流されてしまいました。けれども、霧で覆われた御所湖や霧の中に浮かんでいるような山々の風景は、まるで墨絵のようで、違った意味で趣のあるものでした。それは、『北欧へのオマージュ』のジャケットにどこか重なるものがありました。

[関連記事]

Trio Montmartre     Cafe' En Plein Air


カフェ・モンマルトルからの眺め

2006年12月25日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 105●

Trio Montmartre    

Cafe' En Plein Air

Watercolors0003_2  数日前から、文庫になったドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』を読んでいるのだが、どうも頭に入らない。若い頃に熱中して読んだ本なのだが、脳が硬化してしまったのだろうか。それとも3日前の忘年会での深酒がたたってまだ身体の調子が悪いせいだろうか。分裂分析をうたうこの本には、二日酔いこそがふさわしいなどとわかったようなことを思うのだが、脳が活動しない。あきらめて、村上春樹訳のスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』に変えたのだが、やはり脳が働かない。今日はもうだめだ、音楽にしようと考え、CDを取り出した。不思議だ。少しずつ脳が動き始めた。

 ニルス・ランードーキー率いるトリオ・モンマルトルの2000年録音盤『カフェ・モンマルトルからの眺め』だ。フレンチ名曲集である。恥ずかしいが、私はフランスものが好きだ。別にフランスかぶれというわけではないが、フランスの音楽のもつ哀愁の響きにグッときてしまうのだ。フランスものと聞いただけで、心の予防線が緩み、気を赦してしまう傾向があるのには困ってしまう。

 ニルス・ランドーキーの写真をみると、どうもキザな野郎だという思いがしてならない。いかにも「ピアノの貴公子」然とした風貌である。もちろん偏見である。ひがみかもしれない。アルバムは全体として、美しく、メロディアスなサウンドだ。けれど、それだけで終わらないところが、このグループのすごいところだ。時にロマンティックにそして時にダイナミックにサウンドは流れる。ベースは腹に染み渡るような力強い音をだし、ドラムもなかなかのやり手だ。そしてニルスのピアノはどこまでも端正でリリカルな響きを忘れない。どんな時でも真面目に曲の美しさを追求する男なのだ。その真面目さが好きだ。真面目さという資質は、あるいはジャズ演奏家にはプラスのものではないのかも知れないが、私はニルスの真面目さにどこかで共感を覚えている。そのキザにみえる風貌にもかかわらずである。あるいは、1963年生まれという、私と同世代(私の1つ下だ)ゆえの共感かもしれないし、デンマーク人で歌手だった母親とベトナム人の医師である父の間に生まれたというジャズ演奏家としては異色の生い立ちゆえかもしれない。

 この美しいサウンドは、やっと二日酔いの後遺症をだっした身体には、やさしく響いてくれる。

 


追憶~レフト・アローン

2006年12月24日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 104●

Archie shepp & Mal Waldro

Left Alone Revisited

Watercolors0004  二人の年老いた男が立っている。かなりやつれているようにみえる。CDをかけると、そこにはジャケットからは想像できないほど、力強くしかも創造的なプレイがある。1人の男ははアーチー・シェップ、もうひとりはマル・ウォルドロンだ。アルバムは、2002年録音(Enja)の『追憶~レフト・アローン』だ。

 マル・ウォルドロンの演奏を生でしかも1.5~2メートルの至近距離で見たことがある。私の住む街の小さなジャズ喫茶でのことだ。マルはたったひとりで、タバコをくわえながら、ゆっくりと自分のペースで味のあるピアノを奏でた。そこにはエリック・ドルフィーと競演した時のような輝かしい響きはなかったが、歴史に刻まれた確かな年輪と人生の黄昏を感Watercolors0005_2 じさせる枯れた響きがあった。そして何より、タバコをくわえながらピアノに向う彼の姿は、カッコ良く、まるで一枚の絵画を見ているようでもあった。Liveの後、その時買った『白い道 黒い雨』と題する原爆をテーマにしたアルバムに、彼は自分のサインとともに漢字で「平和」と書いた。握手した彼の手はやや冷たく、「Thank You」と語った彼の声は温かい響きだった。そのLiveから数年後、このアルバムが録音された年の12月、マル・ウォルドロンはベルギーのブリュッセルで亡くなった。

 もう1人の男、アーチー・シェップに会ったことはない。けれども、晩年の彼の演奏が大好きだ。原曲を大きく崩した吹き方ではあるが、素朴な歌心に溢れている。心の中に流れるメロディーを、奇をてらうことなく、素直に表出していることが手に取るように感じられ、まるで質のよい鼻歌のようだ。

 「追憶~レフト・アローン」というタイトルはいうまでもなく、マル・ウォルドロンの名曲「レフト・アローン」からきている。伴奏者として晩年のビリー・ホリデイを支えたマルが彼女のために書いたこのバラードには、彼女自身が詩をつけたが、結局この曲をレコーディングせぬまま彼女は1959年に44歳という若さでこの世を去った。その詩は例えばこんなふうに歌っている。

   私の心を満たしてくれる愛はどこにあるの

   人生をともに歩む生涯の伴侶はどこにいるの

   誰もが私を傷つけ、捨て去っていった

   私は取り残されている。たった一人で

 かつてのジャッキー・マクリーンや今回のアーチー・シェップのサックスは、本来ビリーが歌うはずだったこの歌詞を歌っているのだ。

 


可愛い女の子

2006年12月21日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 103●

Eddie Thompson     

Ain't She Sweet

Watercolors0003_1  昨日見たNHKテレビの「その時歴史が動いた」は、日本の知的障害児教育の創始者のひとり石井筆子についてのものだった。番組の性質上内容の薄さは否めなかったが、それでも障害者問題について改めて考えさせるものだった。特に、近代日本の富国強兵の理念の中で、生産能力に欠ける存在として、障害者が差別・排除されていた状況の中で、石井筆子とその再婚した夫・亮一が、不撓不屈の信念で障害児教育をつづけていく様は感動的だった。

 筆子は前夫との間に3人の子を授かり、そのうち2人の子が知的障害児だった(もう1人は早世)が、いずれも筆子より先に他界した。東京・青山霊園に筆子が建てた3人の娘たちへの石碑には「鴿 (はと) 、足止めるところなく、舟に還 (かえ) る」と記されており、それはこの世界に居場所がないから、鴿 (娘たち)は長く留まることなくあの世へ行ってしまったのだ、という意味らしい。障害児教育が整備されていなかった当時の状況を象徴することばでもある。

 イギリスの盲目のピアニスト、エディ・トンプソンの1976,1978年録音盤、Ain't She Sweet。数年前、ジャケ買いした一枚だ。日本盤タイトルは「可愛い女の子」だそうだ。性格なのだろうか、ちょっと生真面目すぎる感じの響きだが、盲目であることなど微塵も感じさせない演奏である。

 障害者が真にいきいきと生きるためには、彼らをサポートする制度や施設などとともに、彼らが自分自身をきちんと肯定できる生きがいや自己表現の方法が必要だ。

 盲目のピアニスト、エディ・トンプソンには、ピアノという楽器があった。


デュクレテのズート

2006年12月17日 | 今日の一枚(Y-Z)

●今日の一枚 102●

"Zoot" Sims

Watercolors_2  ズート・シムズがフランスのレーベル「デュクレテ・トムソン」からだした1956年録音盤。ズートの最高傑作のひとつに間違いなく入るといわれる作品だ。

 ズートのテナーは、いつものことながら、歌心に溢れ、よどむことなくながれる。温かい音色はわれわれをリラックスさせてくれ、安心して聴くことができる。私はズートが好きで、実際結構多くの作品を所有している。けれども、なぜだが、気が狂ったようにハマッタことがない。トレーンやペッパーやゲッツのように、本当に寝食を忘れてのめり込んだことがないのだ。

 ジャズに造詣が深く、自らもジャズ喫茶を経営していたことのある作家、村上春樹さんは、ズートのこの作品を絶賛した後で次のように続ける。

《 しかしこのレコードを聴いていると、ズート・シムズという人は本当に良くも悪くも性格の良さが出てしまう人だなと思う。スタン・ゲッツみたいな、いったい腹の底で何を考えているんだかというような、ひやっとした不気味さはかけらもない。》《 これほどの才能のある人が結局最後までジャンル小説的予定調和の世界の中ですらっと完結してしまったのは、惜しいという気がしないでもない。》 (ビル・クロウ『さよならバードランド』新潮文庫の私的レコード・ガイド)

 ズートの音楽は、我々に安らぎを与えを安心させてくれるが、突然どこか知らない場所へ連れて行ってくれるようなものではないようだ。結局、我々は音楽の中に、音楽以外の過剰な何かを求めてしまうということだろうか。

 そうは思いながらも、私はこれからも、家族の寝静まった夜、ウイスキー・グラスを片手に、ズート・シムズの音楽をときどき取り出してみるに違いない。

[Zoot Sims に関する記事]

Soprano Sax

If I'm Lucky


今日の一枚リスト(1-100)

2006年12月17日 | 今日の一枚INDEX

「今日の一枚」が100までいったので、1-100のリストをつくってみました。クリックするとジャンプします。

<colgroup><col width="43" style="WIDTH: 32pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 1376" /><col width="416" style="WIDTH: 312pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 13312" /></colgroup>
1 Joao Gilberto     Joao voz e violao
2 Lee Jung Sik         In New York
3 Madeleine Peyroux      careless love
4 Gerry Mulligan       What Is There To Say ?
5 NEWYORK TRIO      LOVE YOU MADLY
6

ALBERT AYLER      
    NUTS DE LA FONDATION MAEGHT 1970

7 板橋文夫   一月三舟
8 BILL EVANS       QUINTESSENCE
9 Grady Tate    All Love Grady Tate Sings
10 ERIC GALE           TOUCH OF SILK
11 Stan Getz = Kenny Barron   People Time
12 MILES DAVIS        WORKIN'
13 Ferenc Snetberger   NOMAD
14 Keith Jarrett   The Melody At Night With You
15 Blossom Dearie   My Gentleman Friend
16 Blossom Dearie  Once Upon A Summertime
17 Jos Van Beest Trio     Because Of You
18 Stanley Turrentine     Sugar
19 John Coltrane       A Love Supreme
20 Big Brother & Holding company  Cheap Thrills
21 Pablo casals   A Concert At The White House
22 Richie Beirach Trio   Romantic Rhapsody
23 Cannonball Adderley  Cannonball 's Bossa Nova
24 Ike Quebec   Bossa Nova Soul Samba
25 Grant Green        Idle Moments
26 John coltrane      My Favorite Things
27 Bill Evans    You Must Believe In Spring
28 King Crimson    In The Court Of Crimson King
29 The Great Jazz Trio    At The Village Vanguard
30 Johnny Griffin     The Kerry Dancers
31 Sonny Criss     Go Man !
32 Bill Evans     Explorations
33 Holly Cole Trio     Yesterday & Today
34 Roland Kirk     Domino
35 Art Blakey' Jazz Messengers     Olympia concert

ドン・フリードマンのサークル・ワルツ

2006年12月17日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 101●

Don Friedman     Circle Waltz

Scan10012_4 かつて、スノビッシュなジャズファンの間で、「ブラインド」という遊びがあったらしい。あまり知られていないレコードをかけて、このピアノは誰、ベースは誰、テナーは誰というようにあてていくのだという。

 このアルバムで「ブラインド」遊びをしたら、結構多くの人がビル・エヴァンスと間違えるかも知れない。それぐらい、雰囲気がエヴァンスに似ている。結構、名手だと思うのだが、あまりにエヴァンスに似た雰囲気なので、専門家の間ではオリジナリティーがいまいちということになり、積極的な評価を受けてこなかったのではないか。

 わたしは好きである。エヴァンスに似ていようがいまいが、演奏がすばらしければどうでもよいのである。それによく聴くと、エヴァンスよりも音が伸びやかであり、明快だ。曲によっては、彼のほうがよくあう場合も多いのではないか。やはり、① Circle Waltz はリリカルな名曲・名演である。「いーぐる」の後藤雅洋さんは、この曲について「ドビュッシーを思わせるような絵画的描写」とわかるようなわからないような言い方をしているが、いい演奏であることにはかわりない。

 私としては、「ビル・エヴァンスの系列につならるピアニスト」で片付けて欲しくない。

(付記)なお、わが国で結構売れた近年の彼のいくつかの作品は、エヴァン系とは異なるオリジナリティーが強く打ち出されており、たいへん興味深い。


ブリジット・フォンテーヌのラジオのように

2006年12月17日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 100●

Brigitte Fontaine    

Comme a' la radio

Scan10014_2  今日(きのう)届いたCDである。フランスの前衛的シャンソン歌手ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」。バックの演奏は何と、Art Ensemble Of Cicagoである。

 一曲目からリズムがチャンネルの左右を行ったり来たり、Art Ensemble Of Cicagoの独特のサウンドを背景に、フォンテーヌは歌ったり、語ったりだ。60年代フランス的前衛音楽とでもいおうか。日本における寺山修司的実験アートと近いものがある。寺山修司の映画はちょっと気持ち悪いが、フォンテーヌのこの作品はどこか気持ちよい。何か不思議な世界に連れて行かれて、見慣れないものを見せられ、ちょっと面食らった気分だが、どこか気持ちよく、興味深い音楽だ。

 どこか意味ありげな詩を、歌詞カードで追いながら、音楽を聴くのも久々のことだ。明日も聴こう。そして、今度はもう少しちゃんと、歌詞を読み込もう。

 Art Ensemble Of Cicagoは、これまで積極的に聴いたことはなかったが、俄然興味が出てきた。もう数枚購入してみようか。

 


クリフォードの想い出

2006年12月16日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 99●

Lee Morgan    

The Best Of Lee Morgan

Watercolors0001_3  周知のごとく、リー・モーガンは、1972年、14歳年上の恋人に射殺された。彼は33歳だった。そのことによって彼は、ジャズの物語しばしば登場する夭折の天才の一人に数えられることになった。麻薬や病気や自殺でなく、女に殺されたというところが、彼らしい。実際彼は女にはよくもてたらしいが、女たらしの「尻軽」なイメージが彼らしいのだ。クリフォード・ブラウンの再来といわれた艶やかな音色と抜群のテクニックに裏打ちされた彼の演奏はもちろん素晴らしいものだが、サウンドがどこかチープな感じがすると感じるのは私だけだろうか。むしろ、そのところが、彼の魅力だとも思うのだ。

 さて、リー・モーガンのベスト盤である。私はベスト盤はほとんど買わないか゛、Blue Note のこのアルバムは便利である。聴きたい曲がほとんど入っている。それぞれの入ったアルバムも所有しているのだが、なぜかこのCDを一番よく聴く。

 ① The Sidewinder

 ② Psychedelic

 ③ Ceora  

 ④ Candy

 ⑤ I Remember Clifford

 ⑥ Desert Moonlight

 ⑦ Anti Climax

 ⑧ Lover Man

 ⑨ Cornbread

 どれも興味深く、かっこいい演奏だが、やはり、名曲 I Remember Clifford (クリフォードの想い出)は出色だ。ベニー・ゴルソンが、自動車事故のため25歳という若さで死んでしまった天才トランペッター、クリフォードブラウンを偲んで書いたこの曲は、何度聴いても、美しい・・・・。あまりにも美しく、万感胸にせまるものがある。この時、リー・モーガンがわずか18歳であったなんて、信じられない。やはり天才というべきなのだろう。

 この曲にジョン・ヘンドリックスのつけた歌詞は、次のように歌っている。

彼を決して忘れない。彼は無冠の帝王だった。彼のサウンドのあたたかさをいつも思い浮かべる。

 リー・モーガンのトランペットは、 この歌詞を歌っているようだ。