◎今日の一枚 471◎
富樫雅彦
Spiritual Nature
邪馬台国に興味をもったのは,1999年の歴史教育者協議会奈良大会で、当時橿原考古学研究所にいた寺沢薫さんの、纏向遺跡についての話を聞いてからだった。纏向遺跡についての当時の最新の研究成果を知り、おそらく邪馬台国九州説はもう成り立たなくなるだろうという感想をもったものだ。その後の考古学研究の進展と文献史学の深化により、学界の大勢はもはや完全に畿内説となったようだ。それは、例えば吉村武彦『ヤマト政権』(岩波新書:2010)の次のような記述からもわかる。
日本列島が倭国として統合されたプロセスとしては、1世紀末の段階では九州が進んでいたが、2世紀後半になると近畿地方が優位に立った。こうしたなかで、卑弥呼が存在した3世紀初頭には邪馬台国が倭国の盟主となっていったのである。
古墳などの墳墓や副葬品などの遺物の、緻密な分析と編年研究が進展したことが大きかったようだ。
同書は、位置論争のポイントの一つだった『「魏志」倭人伝』の邪馬台国への道程の記述についても、15世紀に朝鮮で作られた次の地図(中国元代の地図をもとにしているものらしい)を提示する。
すなわち、古代・中世の大陸の人々は、日本列島は南にのびていると認識していたのではないかということである。『「魏志」倭人伝』の記述に従えば、邪馬台国は九州の遥か南方の海の上ということになる。簡単に言えば九州説は方角を重視したものであり、畿内説は距離を重視したものだ。しかし、これは近代科学主義的な地図を念頭に置いたものである。この地図のような地理認識を念頭に置けば、話は全く変わってくる。「魏志」の記述と畿内説は矛盾しないことになる。当時の人々の生活世界の視点から論を進めるやり方は、非常に納得のいくものだ。
もはや、邪馬台国畿内説はほとんど通説であり、問題意識は邪馬台国とヤマト政権がつながっているのか、いないのか、あるいは卑弥呼の墓との伝承のある箸墓古墳を邪馬台国に引き付けて理解するのか、ヤマト政権に引き付けて理解するのかにシフトチェンジしているようである。
かつて学生時代に、邪馬台国論争は正統な学問が手を出すところではないといわれていたことを考えれば、隔世の感である。
今日の一枚は、富樫雅彦の「スピリチュアル・ネイチャー」である。1975年の東京新宿厚生年金小ホールでのライブ録音(④のみスタジオ録音)である。帯の宣伝文句には「聴衆を釘付けにした伝説的コンサート」とある。パーソネルは、富樫雅彦(per, celesta)、渡辺貞夫(fl, ss, as)、鈴木重男(fl, as)、中川昌三(fl)、佐藤充彦(p, marimba, glocken-spiel)、翠川敬基(b, cello)、池田芳夫(b)、中山正治(per)、豊住芳三郎(per)、田中昇(per)、である。
日本のフリージャズである。フリージャズだが、私には非常に叙情的に感じられる。演奏を聴いていると、何か映像が目の前に浮かんでくるようだ。それは例えば、卑弥呼も見ていたかもしれない、弥生時代の穏やかな日常の風景だ。そういう、ある種の「古代」を感じる。演奏者は何をイメージしていたのだろうか。