今年も、次男の協力を得て、神棚を設営しました。一年たつと、配置の仕方をきれいさっぱり忘れてしまうので、このブログに一年前にアップした写真を参考にするというのが、ここ数年のパターンです。
職場を異動して突然仕事が忙しくなり、物理的に更新できない状況に追い込まれてしまいました。来年こそは多くの記事をアップできればと考えているのですが・・・・・。
28日に大学生の長男が返ってきたのですが、遊び歩き、飲み歩きという感じで、ほとんど家には居つかず、アルバイトの為に2日にはもう帰るとのことです。親子で酒を酌み交わし語り合うなどという夢想は、文字通りの夢想に終わりそうですが、成人式を迎えることを口実にスタジオに連れ出し、何とか家族で写真を撮ることはできました。
年末には、今年も何とか高校バスケ(ウインターカップ)を何試合か見ることができました。そのために、毎年この時期に一か月間だけ、J-sportsを契約しています。優勝した地元宮城の明成高校ももちろん称賛されるべきでしょうが、感激したという点では、準優勝の土浦日大と、3位になった能代工高のバスケットが素晴らしかったと思います。強力な長身外国人留学生を要するチームに対して、純日本人チームとして、日本人ができる、あるいは行うべきバスケットを示してくれました。感嘆すべきアウトサイドシュートと、めくるめくような速い展開は、本当に応援したくなる、感動的なバスケットでした。
28日は妻の圧力に耐えつつバスケットをテレビ観戦し、29日からは外壁や窓の掃除、神棚設営、年越しの準備にあたるのが、ここ数年のパターンになりました。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
私の住む街は大晦日から雪だったので、初日の出は無理かなと思っていましたが、ちょっと遅れて、雲の間からお日さまが現れました。写真は、私の書斎の天窓から撮ったものです。
震災からもうすぐ丸四年ですが、被災地域ではかさ上げ工事もはじまり、春には震災復興住宅第一号も入居可能となるようです。経済力のある人たちは次々と新しい住宅を建て、街の風景もだいぶ変わってきました。街のいたるところで山を切り崩す工事が行われ、道路は切り崩した土を運ぶ大型トラックでいっぱいです。一方、被災した人たちの多くが未だ仮設住宅住まいで、不自由な生活を強いられているという現実は相変わらずです。神戸の時とは違って高齢者が多く、自力で新しい住居を手つくることができる人ばかりではありません。自宅のすぐそばの仮設住宅にも大きな変化は見られません。私の書斎から見えるこの仮設住宅には、教え子も何人か住んでおり、複雑な思いです。
午後になって近くの神社にお参りに行ってきました。海のすぐ近くにあるにもかかわらず、その周辺だけ津波の被害を受けなかったという、神様のパワーを感じる神社です。田舎のさびれた神社ですが、意外にも多くの参拝客でにぎわっていました。お参りするのに行列ができる程でした。
次男の進路決定の年でもあるので、絵馬を奉納し、おみくじを引きました。肝心の次男は「小吉」でしたが、私は何と「大吉」でした。おみくじで「大吉」なんて何年ぶりでしょう。おみくじに本当に「大吉」なんてあるんですね。私の周りに何かいいことがあればいいと思います。津波で荒れ狂った、すぐそばの海は、今日は本当に穏やかでした。
今年も何とか神棚が完成しました。例年、12月31日の午前中に設営する習慣でしたが、早く片付けてしまってマイブームの風呂屋に行こうかなどとたくらみ、一日はやい今日30日の午前中にやっちゃいました。妻は怪しがっていますが・・・・。去年に引き続き、次男が手伝ってくれて大助かりです。ここにアップしておくことで、来年の参考になります。
今年は、餅を中央にひとつにしてみました。星の玉(手前のカラフルな絵)は、昨年に引き続いて手書きのものです。手書きは味があっていいです。エビ(奥のしめ縄のようなもの)は3房のものです。新築当時は気を張って7房にしていたのですが、結構高いものなので次第に5房となり、一昨年ごろから見栄を張らずに3房にしています。