WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ひまわり

2022年03月21日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 570◎
Best Of Screen 
 ~Love Theme
 ロシアによるウクライナ侵攻事件が起きてから、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した映画『ひまわり』のことが時折頭をよぎっていた。好きな映画の一つだったのだ。『ひまわり』の再上映が広がっているというニュースにも接し、もう一度見たいという思いが高まった。ところがである。探してみてもnetflixにはなく、近隣のレンタル店にもなかったのだ。仕方なく通販で廉価版のDVDでも購入しようかと考えていた矢先に、この間の地震があった。
 家には被害がなかったが、私の書斎は例のごとく棚から本やCDが落ち、メチャメチャになってしまった。数日間放置して、片付けに取りかかったのは土曜日である。ところが、落下物の中から『ひまわり』のDVDを発見したのだ。昔、TVで放映されたものを録画したもののようだ。ちょっとした幸運である。
 しばらくぶりに見た『ひまわり』は新鮮だった。ストーリーは大体知っているので、ディテールに目が行ったのだ。ひまわりは現在ウクライナの国花らしいが、花言葉は《あなただけを見つめる》だ。映画のソフィア・ローレンのようだ。あの印象的なウクライナのひまわり畑の下には、ロシア兵やドイツ兵やイタリア兵が眠っているという話が出てくる。映画の最後には、一本のひまわりがアップで撮られ、そこからカメラは引いていき、広大な領域に広がる無数のひまわりが映し出される。恐らくは、最初の一本のひまわりはソフィア・ローレンとその悲しい物語の象徴なのであり、広大なひまわり畑はそのような悲しい物語が無数に存在することを表しているのだろう。陽気で明るいイメージのひまわりに悲しい物語を投影することで、その対比によって深い悲しみが静かに広がっていくのだ。

 今日の一枚は、『愛の映画音楽全曲集』である。演奏者はThe Film Symphonic Orchestra とあるが、どのようなオーケストラなのかわからない。企画物なのであろう。レコード棚にあった古いLPである。『ひまわり』のテーマが聴きたくて取り出してみた。いつ買ったのか全く記憶にない。自分で買ったことは憶えている。『ラスト・コンサート』のテーマ曲を聴きたくて買ったのだ。ロックやジャズしか聴いてこなかった自分が、ある時点で映画音楽のレコードを買っていたことはちょっとした驚きだ。
 『ひまわり』のテーマはいい曲だ。映画のいたるところに効果的に配され、強く印象に残る曲だ。映画を見た後に聴いた所為だろうか。ここ数日、耳にこびりついて離れない。

さんまのぬた

2021年09月26日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 547◎
Earl Klugh
Hand Picked
 入院中である。入院している病院の食事に大きな不満はない。減塩食だが、きちんと味は付いている。栄養士がわざわざ来ていろいろ打ち合わせもしてくれる。毎日の食事が楽しみなほどだ。
 それでもやはり、退院して秋の味覚を食べたいと思う。自由になったら、戻りガツオとさんまを食べよう。酒は日本酒、とりあえず地酒からいこう。さんまについては、塩焼きもいいが、《ぬた》を食べたい。三枚におろしたさんまをぶつ切りにして、玉ねぎなどと酢みそで和えるのだ。私の住む気仙沼ではよく食べる料理だ。ああ、想像しただけで最高だ。

 今日の一枚は、アル・クルーの『ハンド・ピック』、2013年のリリースのようだ。アル・クルーは自宅にも数枚しかない。それほど聴き込んだ記憶もない。先日、ラリー・カールトンのアコースティック・ギターをしばらくぶりに聴いて感動し、apple musicでジャズやフュージョンのアコースティック・ギターを使ったアルバムを探して立て続けに聴いた。アル・クルーはいわずと知れたガット・ギターの名手だが、その天真爛漫すぎるテイストがちょっとは趣味に合わなかったのだ。けれども、このアルバムはいい。全編にメランコリックな乾い哀感が漂う。取り上げられた楽曲も、ジャズの名曲やポップスの有名どころだ。名曲をアル・クルーのガット・ギターがどう料理するかが聴きどころである。
 早く退院して、先日購入したばかりのエレガットを弾きたい。

イヤーパットを変えてみた

2021年08月22日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 535◎
Phil Woods
Warm Woods
 入院中ということで、iPhoneにステレオイヤホンをつないで音楽を聴いている。少しでもいい音で聴こうと、前回の入院の際、病院のコンビニで一番高いやつを買った。といっても、1500円程度のものだが。tamaというメーカーのものだ。音質はいいのか悪いのかわからない。ほとんどイヤホンなど使ったことがなかったので、比較しようがないのだ。モニタースピーカーと比べるわけにはいけない。ただ、いくらなんでも音がスカスカすぎやしないか。ちょっと前に、耳に入りやすいようにと、付属のイヤーパット(イヤーチップともいうらしい)のうち一番小さなものに変えていたのだ。もしかしてこの付属のイヤーチップを変えれば音質が変わるかもしれないと思い立ち、思い切って一番大きいものと交換してみた。あら不思議、これまでより低音が出てきて、ちょっとはマシになった。イヤーパットは耳の大きさやフィット感だけでなく、音質にも関わりがるようだ。追求するつもりはないが、材質や形状にもこだわればもっといい音がでるのかもしれない。

 今日の一枚は、フィル・ウッズの1957年録音盤『ウォーム・ウッズ』である。原曲を生かしたストレートなメロディーラインと流麗なアドリブである。タイトル通り、くつろいだウォームな演奏である。病院の退屈な日曜の午前中には好ましい。うってつけである。心が穏やかになってゆく。しかし、流麗でウォームな演奏の中に時折垣間見える直情的なトーンは、さすがビリー・ジョエルの「素顔のままで」の魅惑的な間奏のソロを吹いた人だ、と思わせるに十分である。フィル・ウッズは、ずっと以前から知っているが、「素顔のままで」のソロを吹いたのが彼だということを知ってから、どうもそれと重ねて聴いてしまう。とても、いい作品だけに、本当はちゃんとしたステレオ装置で聴きたい一枚である。

女子バスケ笑顔の銀

2021年08月08日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 532◎
Eric Dolphy
At The Five Spot vol.1

 今回は、アメリカには勝てなかったようだ。オリンピックの女子バスケ決勝の話である。
 結果的には大差がついてしまった。仕方ない。相手のインサイドの長身プレイヤーとアウトサイドシュートにやられた印象が強いが、アメリカのディフェンスに悉く攻撃の芽を摘まれたことが大きな原因だったと思う。
 強烈なブロックショットでインサイドを潰され、タイトなディフェンスでシューターを封殺された。1対1を打開できなかったため連携プレーが機能せず、インサイドに人数をかけて守るために、前を走るのが遅れてしまう。日本の攻撃の芽が摘み取られたといっていい。
 それでもチャンスはあったのだ。前半に、ノーマークに近いイージーシュートを何本も外したことが痛かった。もちろんそれは、ブロックに対する脅威からくるものであるが、ああいったシュートをきちんと決めて、離されずについていければ、流れは変わったかもしれない。なかなか点差が離れなければ、アメリカにこんなはずはないという焦りが出てくる可能性があるからだ。焦りはシュートを単調にし、ミスを誘発する。ディフェンスの連携にズレをもたらし、ファールを増やすのである。そしてそれが、ほとんど唯一の可能性だと私は思っていた。
 金メダルへの千載一遇のチャンスを逃したが、選手を責める人は誰もいまい。ここまで、決勝の舞台まできたこと自体、多くの人が予想し得なかったほど素晴らしい活躍だったのであり、日本の女子バスケに希望と誇りをもたらしたのだ。
 私はタイムアップのブザーを聞いて、涙が溢れてしまった。
 今日の一枚は、エリック・ドルフィーの『アット・ザ・ファイブスポット第一集』である。ファイブスポットでの1961年のライブ盤である。
Eric Dolphy (as,bcl,fl) 
Booker Little (tp) 
Mal Waldron (p)
Richard Davis (b) 
Ed Blackwell (ds)
エリック・ドルフィーは、基本的に好きだ。何というか、フレーズが予定調和的でないところ、どこか外れたようなところがいいのだ。このアルバムでは、そんなドルフィーとブッカー・リトルの哀感を帯びた正統派のトランペットがよく絡んでいる。
 以前にも記したことだが、このライブでピアノを弾いているマル・ウォルドロンの晩年の演奏を生で聴いたことがある。私の住む気仙沼市の「ヴァンガード」というジャズ喫茶で見たのだ。小さなジャズ喫茶の最前列、わずか2m程の距離だった。マスターは「今夜は歴史を聴くんだ」といっていたが、演奏も悪くはなかった。ただ、今では、タバコをくわえてピアノの前に座ったそのカッコいい姿と、握手をした時の手の冷たさだけが記憶に焼きついている。

「被災地」がいっぱい

2021年07月10日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 517◎
Eddie Higgins Trio
Dear Old Stockholm
  各地で大変なことが起こっているようだ。「線状降水帯」のことである。テレビで見た静岡県熱海の土石流は、まさしく「山津波」だ。いまも、鹿児島・宮崎・熊本に大雨特別警報が発令されている。昔から、日本は災害列島だ。4つのプレートの境界にある上、毎年台風が襲うモンスーン気候帯なのだから仕方ない。けれどやはり、ここ数年はいろいろな災害が多すぎる気がする。加えてコロナ禍だ。まさに、「末法」の世である。一昔前なら、新興宗教の予言者が跋扈しそうな状況ではないか。
 十年前は、「被災地」といえば三陸地方だった。考えてみれば、三陸地方=「被災地」だったのは東日本大震災後数年のみで、その後毎年のように、全国各地に「被災地」が増殖していった。もはや、「被災地」がいっぱいである。
 かかる状況下、時代遅れの新自由主義に基づく「自助」を標榜し、一部経済界の利益のみを擁護する勢力が政権を握っていることは、日本の不運であり、皮肉であるというべきだろう。彼らに権力を委ねたのは、他ならぬ国民なのであるから。「末法」の世だ。

 今日の一枚は、エディ・ヒギンズ・トリオの2002年録音盤『懐かしのストックホルム』である。ヴィーナス盤だ。今は無き『スウィング・ジャーナル』誌の読者リクエストに応えて、エディ・ヒギンズがスタンダードナンバー14曲を録音した作品である。いい曲目白押しである。エディ・ヒギンズの熟練した技が、ゆったりとしたくつろぎの空間を創出する。ゆったりとしてはいるが、流麗なアドリブが随所に登場し、退屈なカクテルピアノとは一線を画する。
 私の住む街も今日は雨である。「線状降水帯」の地域の方々には申し訳ないが、窓の外の雨を見ながら、コーヒーをすすりつつ、エディー・ヒギンズを聴いている。
 

2021年01月17日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 463◎
Fleetwood Mac
Rumours
 そういえば去年、フリートウット・マックの『噂』(Rumours)が42年ぶりに全米ヒットチャートのトップ10に入った(2020.10)というニュースがあった。動画投稿アプリTikTokに収録曲の「ドリームズ」が使用されたことがきっかけということだった。
 そんなことを思い出したのは、前回の記事(こちら→)で取り上げたエイミー・ベルという歌手について検索していたら、聞き覚えのあるメロディーを歌っている動画に出くわしたからである。なんだっけ、と少し考えて、「ドリームス」であることを思い出した。いい曲だ。生ギター一本で歌うエイミー・ベルは、迫力があってなかなかいい。はっきりいって、スティーヴィー・ニックスよりいいかもしれない。
 今日の一枚は、フリートウット・マックの1977年作品『噂』である。彼らの大ヒット作だ。今聴いても新鮮なサウンドである。私は、ピーター・グリーンがいたころのブルース・ロック路線のフリートウット・マックが好きだったが、ポップ路線になってからのマックも嫌いではなかった。全盛期の彼らのアルバムでよく聴いたのは、この『噂』と『ファンタスティック・マック』と『タンゴ・イン・ザ・ナイト』である。
 『噂』はグループに在籍していた2組のカップルの破局から生まれたベストセラーアルバムである。前作『ファンタスティック・マック』の商業的な成功で、同棲していたリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックス、そしてジョン・マクヴィーとクリスティーン・マクヴィー夫妻のそれぞれの関係の微妙なバランスが崩れだしたのである。別離したカップルーが互いの内面を吐露するような歌詞が、アルバム全体に迫真的なリアリティーをもたらしている。《噂》というタイトルも、それらが噂であってほしいというところからきているらしい。
 今、⑥ Songbirdが流れている。美しいサウンドだ。

ケルヒャーで大掃除

2020年12月29日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 451◎
Fourplay
Elixia
 懸案だったケルヒャーを購入した。購入したのは、K3サイレントベランダである。2週間ほど前から、ケルヒャーで年末の大掃除である。家の周りの擁壁、家の外壁、犬走、ベランダ、浴室、テラスなど時間を見つけてはやっている。ケルヒャーは楽しい。汚れが本当によく落ちる。気持ちいい。もはや、大人用おもちゃと化している始末である(おとなのおもちゃではない)。ところが、コンクリートの部分をよく見てみると、つるつるしていたものがザラザラしているではないか。あまりにパワーが強すぎて、コンクリートの表面が削られているのだ。まずい・・・。やはり、何事もやりすぎはいけない。ケルヒャー掃除も一段落したところで、ひどく反省したのであった。
 今日の一枚は、しばらくぶりにフュージョンである。ボブ・ジェームス(p)、リー・リトナー(g)、ネイザン・イースト(b,vo)、ハービー・メイスン(ds)によって結成されたスーパーセッショングループ、フォープレイの1995年作品『エリクシール』だ。フォープレイの3枚目で、リー・リトナーが参加した最後のアルバムである。
 何かのきっかけで、ずっと以前に購入していた作品だが、ほとんど聴くことがなかった。年末だというので、CDの棚を整理していたら目にとまり、かけてみたのである。悪くない。フュージョン・サウンドではあるが予定調和的には感じない。アドリブ的な部分をより多くフューチャーした、ジャズ的な演奏である。不必要にうるさくなく、お洒落で、小ぎれいで、趣味のいいサウンドだが、演奏のレベルが高いためか、なかなか聴かせるものがある。コーヒーでも飲みながら、午前中の時間を穏やかに過ごすのにはもってこいのアルバムである。
 日々の生活の中で、ダイニングのBOSEで聴きたいと思い、さっそく階下に持って行ってみた。


防潮堤ウォーキング

2019年07月06日 | 今日の一枚(E-F)
◉今日の一枚 431◉
Enrico Rava
Renaissance


 防潮堤ウォーキングにはまっている。震災後に築かれた防潮堤の上を歩くのだ。自宅と防潮堤まで往復する時間を加えて1時間強のコースだ。海を見ながら歩くのは気持ちいい。このコースは長続きしそうだ。体育館のマシーンで走るよりずっといい。まだ2週間程だが、夕方帰宅してウォーキングに行くのが楽しみな始末だ。


 
 防潮堤は銀色の要塞だ。浜辺に巨大な人工的建造物が続くのは、異様な光景だ。防潮堤建設にはいまでも反対だか、ここから見える景色は、なかなかきもちいい。


 今日は一日曇りだったが、夕方になって一瞬晴れ間が見えた。すかさず、ウォーキングだ。4月に開通した大島大橋が遠くに見える。波も穏やかだった。


 大島もくっきり見える。大島は東北地方最大の有人離島だ。海食による荒々しい奇岩が見事な龍舞崎や、鳴き砂で知られる十八鳴浜(くぐなりはま)、環境省の「快水浴場百選」で全国2位に選ばれた小田の浜などがある。正面の山は亀山だ。震災の時、この山の火事を対岸から見ていたことを今でもはっきりと思い出す。


 三陸道の湾内横断橋の工事もだいぶ進んできた。この橋ができれば、三陸道の利便性は格段に向上するだろう。

 今日の一枚は、イタリアのトランぺッター、エンリコ・ラバの2002年録音作品「ルネッサンス」だ。ヴィーナス盤である。CDの帯には次のようにある。
ルネッサンスの夢と幻、青春の光と影。イタリアのモダン・ジャズ・トランぺッター、エンリコ・ラバの人生を決定づけたマイルス・デイヴィスとチェット・ベイカーに捧ぐ、哀しくも熱いハートが聴くものの胸を締めつけ、そして解放してくれる。ジャズの一大絵巻的アルバム。
 これは日本語なのだろうか。意味不明だ。まあいい。ただ、「ルネッサンスの夢と幻、青春の光と影。」というには、ちょっと音が強すぎる。音の起伏や陰影が足りない。悪くない演奏だが、ヴィーナス盤特有のベースのゴリゴリ感がアルバムのコンセプトを裏切っている気がする。

 音が強いので、リズム感が際立ち、ウォーキングしながら聴くには、悪くないアルバムだった。

ならず者

2015年03月08日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 423●

Eagles

Desperado

 HCを務める女子バスケットボール部の3年生を送る焼肉の会があった。女子のクラブ活動にはお楽しみのイベントが必要だと考えて、私が赴任してからはじめてずっと続けている行事のひとつだ。いつの頃からか、3年生の分と全員のアイスクリーム代は、私のおごりということになってしまった。女子高校生は焼肉が好きだ。信じられない勢いで食べる。90分食べ放題、飲み放題のプランなのだが、わずか6人で牛カルビ・豚カルビ、鳥せせりを10回以上もお変わりした。ご飯と飲み物も次々と数限りなくおかわりしていく。絶句である。

 3年生はプレーヤー2人とマネージャー1人のわずか3人だ。可哀そうな3年生たちだった。下級生が5人入部して士気は上がっていた。長身プレイヤーや能力のある選手もおり、練習しだいでは地区優勝や県レベルでの上位進出も狙うことができたはずだった。地区新人大会が迫った、10月だっただろうか。家庭の事情や、ハードな練習についてこれないことを理由として、下級生3人が退部を申し出てきたのだ。選手は4人となり、新人戦は欠場するほかなかった。それでも引退した当時の上級生や卒業生の協力で、練習試合やスプリングキャンプで試合経験を積み、練習を続けた。昨年の3月には退部したうちの1人が戻ってきて、やっと自前のチームでゲームができるようになった。5月の地区予選の代表決定戦、終始リードしていたものの、人海戦術で向かってくる相手チームに対して、5人で戦い続けた我々は、最後の最後で運動量が落ち、数点差で敗れてしまった。悔しい敗北だった。それでも3年生は下級生のために夏のウインターカップ予選まで付き合い、県レベルの大会で2日目に残った。悔しいこと、辛いことがたくさんあった高校バスケだっただろうが、焼肉の会での顔は輝いていた。

 今日の一枚はロックだ。イーグルスの1973年作品の『ならず者』である。アルバムとしてもたいへんすぐれた作品だと思うが、現在の私が聴くのはほとんどタイトル曲の「ならず者」のみである。「ラヴ&ピース」を合言葉に、自由を求めて社会に背を向けた1960年代後半の若者たちが、大人になって「社会」からの孤立に直面したことを歌った曲だ。「社会」との関係を考え直し、もう一度社会とのつながりを回復すべきことを訴えた歌であり、観念にがんじがらめになってしまった「生」からの脱出を説いた歌である。その意味で高度に大人の歌である。曲の美しさ、素晴らしさはもちろんであるが、社会の中での人間のあり方をテーマにするところが、私にとってのイーグルスの魅力だ。

 「いい子」も「悪い子」も、教師にとって生徒はみな「ならず者」である。それはひとつには予定調和的でないという意味であり、もう一つにはそれでも無視できる存在ではないという意味においてである。退部してしまった下級生も、それでもがんばり続けた部員たちも、そして焼肉をとんでもなくたくさん食べた卒業生と下級生たちも、みんな「ならず者」である。Desperado・・・。

「ならず者」
正気に戻ったらどうだい
もうずいぶん長いこと空をながめては思案しているようだね

全く気難しい奴だな
君なりの理由があるのは僕にもわかっているけど
君を喜ばせているそうした理由ってやつが
どういうわけか君を傷つけることだってあるんだよ

なあ、ダイヤのクイーンは絶対引くなよ
そいつに力があれば君をひっぱたくだろうね
いつだってハートのクイーンが確実なんだって知ってるだろう?

ほらテーブルの上には
いいカードが並んで待っているように僕には思えるんだ
だけど君は手に入らないものを求めるばかりだね

「ならず者」
時が遡るってことはないんだよ
君の痛みや飢え
それらが君を心休まる場所へと駆り立てる

そして自由、ああ自由か、そうだな
そんなこと話す奴もいるってだけのことさ
君は檻に入ってこの世を歩き回っているんだから
たった一人でね

冬になると足が冷たく感じないかい?
空が雪を降らせることはなく、太陽も輝かないなんて
昼と夜を区別することも難しいんだね
心の浮き沈みというものを君は全て失いつつあるよね
そんな感覚がなくなってしまうなんておもしろいことなんかじゃないだろう?

「ならず者」
正気に戻ったらどうだい?
柵から下りてきて門をあけなよ
雨が降っているかもしれない
だけど君の頭上には虹が広がっている
誰かに愛してもらうんだ
今ならまだ間に合うのだから。。。


アゲイン

2014年12月01日 | 今日の一枚(E-F)

☆今日の一枚 385☆

Eddie Higgins

Again

 テレビはお笑い芸人でいっぱいである。いつからそんな風になってしまったのかよくわからないが、私も見ることはある。けれども、そんなに笑えない。多くは、ややウケか、どっチラケである。笑いの前提になるようなコード、あるいは時代精神のようなものを共有できていないのかもしれない。それにしても、そういったお笑いを見ていつも思うのは、「やすきよ」は面白かったなあということである。面白くて、腹筋がけいれんをおこし、筋肉痛になりそうなほどだった。そんなことを考えたのは、BSで横山やすしの伝記的ドラマをほんのすこしだけ見たからだ。

 腹が痛くなるほど面白いお笑いはかつては「やすきよ」のほかにもあった。現代のお笑いには、爆発的なばかウケはほとんどないようにみえる。ばかウケを拒否しているようにすら思われる。表層的なややウケを永続的に繰り返し、起伏のない笑いが鎖のように延々とつながっていく。シーツ・オブ・サウンド・・・??。観客の表情を見てもそう思う。まるで、笑いのない沈黙の時間を忌避するかのように、のっぺりとした笑い顔が絶え間なく映し出され、鎖のようにつなげられていく。もはやかつてのような爆発的な笑いは不可能な時代だということなのだろうか。あるいは、シリアスな現実から逃避しようとする聴衆の要請なのだろうか。

 1998年録音のエディ・ヒギンズ『アゲイン』である。ベースはRay Drummond、ドラムスはBen Rileyだ。コーヒーでも飲みながら穏やかな時間を過ごすのにはうってつけの演奏だ。この作品で小曽根真の名曲 ⑥Walk Aloneを知ったのだった。小曽根のようなシリアス感は薄いが、ゆったりした中にもスウィングのビートが聴こえてきて、これはこれでやはり素晴らしいと思う。今でも聴けば心がウキウキと踊り、胸がジーンとくる演奏も多い。

 10数年前、私の住む街の海辺のホテルでエディ・ヒギンズのディナーショーを見た。大津波の前だ。デビューしたての小林桂が前座を務めた、料理と寿司食べ放題、アルコールドリンク飲み放題の、考えられないようなお得なディナーショーだった。料金もそんなに高くはなかったと思う。範疇としてはカクテルピアニストだと認識していたエディー・ヒギンズが、アドリブ全開のレベルの高いピアノの腕前を披露してくれてちょっと驚いた。やはり、実力のある人だったのだろう。

 どんなしっとりした曲でも彼の演奏の背後にはのびやかなスウィングの感覚が息づいており、それがシリアスさやデリケートさを求める聴衆から軽くみられることも多いようだが、恐らくは彼自身がそういった高尚な音楽を目指してはいないことを考慮すれば、フェアな評価ではないだろう。いずれにしても、日常的な生活の中で、そのクオリティーを上げるための音楽としては、最上級の部類に位置づけられるべきピアニストなのではないか。しばらくぶりに、エディ・ヒギンズを聴いてそう思った。


魅惑のとりこ

2014年11月29日 | 今日の一枚(E-F)

☆今日の一枚 383☆

Eddie Higgins

Bewitched

 先週の3連休の最終日、妻のたっての希望もあり、日帰りの強行軍で大学生になった長男を訪問してきた。私とは全く違い、理系に進んだ長男は、課題や、バスケットボール部の練習、アルバイトと結構忙しい生活を送っているようだった。課題のために深夜まで大学にいることも多いらしく、退廃的な学生時代を送った私にはちょっとイメージできない。それでも、酒や、夜の街を冒険することもおぼえ、それなりに一人暮らしを楽しんでいるようだった。

 親のいうことを素直に聴くような人間にはなるなといって育てたせいか、反抗的だった長男は、高校時代は初心者からスタートしたバスケットボール三昧で、定期試験時を除けは、家で一秒も勉強している気配はなかった。高校総体が終わったころから受験勉強がはじまり、模擬試験も一応は受けているようだったが成績は伸びなやんでいたらしかった。「らしかった」というのは、通知票も模擬試験の結果も見せてもらったことがないからだ。息子が引っ越した後、ベッドの下からほとんどがE判定の模試の結果が大量に発見されたのだった。親の目からは、携帯電話に毒されて集中力を欠いた、かなりぐだぐだな受験勉強にみえた。けれど、一応勉強は継続していたようだったので、そのうち少しは伸びてくるだろうとは思っていた。問題は肝心の受験までに間に合うかということだった。

 長男が「相談」に来たのは、暮れもおしつまった12月末の深夜だった。明日までに受験する大学を高校に提出しなければならないが、何をやりたいのか、どこを受けていいのかよくわからないというのだ。そんなの適当に書いておけよと答えたのだが、そうもいかないのだということで、結局、明けがたまで二人で受験雑誌をひっくり返して検討した。一応の志望分野を聞き、直近の、恐らくは一番良かったであろう模試の結果を見せてもらい、受験日と移動日程、入学金支払期限を考慮しながら、応急的に決めた。多分に希望的観測を含んだ、まったく応急的なものだった。しかし結局、長男はこの時決めた大学をそのまま受け、私大は3勝3敗、奇跡的に地方の国公立大学にもぐりこんだ。「相談」を契機に、長男はたまにだが受験のことを話すようになった。私も、ホテルの手配や交通手段の確認を手伝い、勝手に合格最低点のシュミレーションをやってみたりした。楽しい時間だった。わずか2か月ちょっとだったが、息子と同じ目標をもち、それなりに濃密な時間を過ごすことができた。

 エディ・ヒギンズの2001年録音作品、『魅惑のとりこ』である。エディ・ヒギンズなどというそれまで知らなかったピアニストを知ったのは、今はなきスウィング・ジャーナル誌の所為である。あのvenus盤の大キャンペーン攻勢だ。それにのせられてこのピアニストの作品を何枚か買った。7~8枚はあると思う。悪いピアニストではない。ディオニソス的な、「呪われた部分」に属するピアニストではないが、ゆったりとした寛ぎと、穏やかな時間を与えてくれる。一時期、結構熱心に聴いていた気がする。『魅惑のとりこ』は、恐らくは一番よく聴いた作品だと思う。ベースはJay Leonhart、ドラムスはJoe Ascione。曲がいい、ノリがいい、録音がいい、の三拍子である。魅惑的な演奏満載の、まさに「魅惑のとりこ」である。そういえば、最近エディ・ヒギンズを聴いていない。また聴きなおしてみようか・・・。当時すでに高齢だったように記憶しているが今でも元気でいるのだろうかと思って調べてみたら、2009年に亡くなられたのですね。遅ればせながら、追悼、エディ・ヒギンズ・・・。

 『魅惑のとりこ』が録音された2001年は長男が小学校に入学した年、亡くなった2009年は中学生だったはずだ。時の流れの速さに立ち尽くすのみである。


露天風呂で聴きたい音楽

2014年08月17日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 375●

Ella Fitzgerald & Joe Pass

Easy Living

 近所にスーパー銭湯のような施設ができた。津波で被災して鉄骨だけになった建物を利用してつくられたものだ。しばしば隣町の日帰り温泉までいっていた温泉好きの私にとっては、待望の施設だ。本物の温泉ではないが、「ナノ水」&「炭酸水」を使っているとのことであり、お湯の肌触りは悪くない。お湯がぬるいのがやや不満ではあるが、サウナはしっかり熱くて気持ちいいし、何より家から近いのがいい。なにしろ、入浴の後、車で5分我慢すれば、自宅でビールが飲めるのだ。開店して1か月程だが、もう7~8回も利用している。昨日も、露天風呂で空を見上げながら脱力してしまった。気分はもう最高だ。ただ、小さなスピーカーから流れてくるシャカシャカしたJ-popが耳障りだった。穏やかなジャズでも流れていれば「超」最高なのにと思い、頭に浮かんだのがこのアルバムだった。

 エラ・フィッツジェラルドとジョー・パスのデュオ作『イージー・リヴィング』である。1983年及び1986年の録音作品だ。1970年代後半から80年代にかけて、この2人のデュオ・シリーズは何作か制作されたが、学生時代に、結構はまって聴いていたように思う。ほとんどの作品をレコードレンタル&ダビングのカセットテープで聴いていたが、現在所有しているCDはこの一枚のみである。緊密で質の高いデュオでありながら、リラックスした「脱力系」のサウンドであるのが好ましい。歌に寄り添いながらしっかりとしたアクセントをつけるジョー・パスのギターは本当に素晴らしい。エラは歌詞の意味をかみしめるようにはっきりとした発音で歌っていく。英語の歌詞の意味をリアルタイムでは理解できない私は、歌詞の解釈がどうのこうのではなく、エラの歌唱をサウンドとして好きだと感じる。

 サウナで熱く火照った身体をウッドデッキに寝転んで冷やしながら、あるいは露天風呂で空を見上げながらこのアルバムを聴きたい。そう思う。

 

 


自然な心で、フランク・シナトラ

2014年07月26日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 367●

Frank Sinatra

Sinatra  ~Best of the Best~

 

 NHKテレビの『日本人は何をめざしてきたのか』のシリーズがなかなかいい。こういう放送を見せられると、やはり受信料は払わなくっちゃと思ってしまう。姉妹編だった『日本人は何を考えてきたのか』の明治編や昭和編もよかったが、先日の「鶴見俊輔と思想の科学」や「丸山真男と政治学者たち」にはチャンネルにくぎ付けにされてしまった。敗戦後という状況の中で、彼らがどのように苦闘し、何を目指そうとしたのかがよくわかった。もう一度、鶴見や丸山を読みなおしてみようと思った。思えば、彼らをちゃんと読んでこなかったような気がする。1980年代のポストモダニズムの文脈の中で、戦後民主主義の理性中心主義の象徴として、いわば「否定されるべきもの」「のりこえられるべきもの」として読んできたように思うのだ。

 ところで、フランク・シナトラ、である。NHKの番組を見て以来、私の頭の中で、なぜだか、鶴見俊輔や丸山真男とシナトラがリンクしてしまった。ひと世代前の、「否定されるべきもの」として読み、聴いてきたものとしての共通性だろうか。フランク・シナトラについては、長い間、古いタイプの、「保守的なエスタブリッシュメントの権化」という強固なイメージを持っていたが、『革新者としてのフランク・シナトラ」(2006.12.3)という記事を書いて以来、固定観念が消えて自然な気持ちでシナトラを聴くことができるようになった。まったく不思議なことだ。拙い文章ではあるが、書くことによって自分が整理され、気負いなく対象に向き合うことができるようになったということだろうか。今ではヒット曲の「マイウェイ」も、なかなかいい曲だと素直に感じることもできる。先日購入したこのベスト盤『SINATRA Best of the Best』はシナトラの代表曲が適切にチョイスされており、なかなか重宝している。家族が寝静まった後にひとり酒を飲みながら、食卓のBOSEで聴くシナトラは至福の時間である。

 戦後民主主義の巨人、鶴見俊輔や丸山真男についても、そういう感じで向き合いたい。さて、今日のNHK『日本人は何をめざしてきたか』は、「司馬遼太郎」である。結構、楽しみだ。

 

 

 

 

 


がんばれ、楽天イーグルス!

2013年10月25日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 353◎

Eagles

Hotel California

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 天気が心配だが、明日からいよいよ日本シリーズだ。楽天イーグルスが日本シリーズを戦うなんて夢のようだ。やはり、地元に球団があるのはいいものだ。以前は私も何度か球場に足を運んだものだが、渡辺直人がトレードされたあたりからちょっと熱が冷めてしまって、球場には行っていない。

 けれど、やはり嬉しいことに変わりはない。パリーグ制覇の時も、日本シリーズ進出決定の試合も、テレビの前でだが大きな声をあげ、応援グッズを使って応援した。渡辺も鉄平も草野も山崎も、かつて球場に行ったころに活躍していた選手はもうほとんどいない。そのことがやや心にひっかかるが、基本的には素直に応援できる。金で選手を集めたジャイアンツは強敵だ。もしかしたら、楽天はボコボコにされるかもしれない。それでも気持ちで負けず戦ってもらいたい。応援グッズを使い、またテレビの前で応援したい。

 なお、ジャイアンツの阿部選手には、震災の時、胸に「JAPAN PRIDE」とプリントされた、アンダー・アーマーのウインドブレーカーを支援してもらった。金満球団、巨人軍は嫌いだが、阿部選手には頑張ってもらいたい。

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 もちろん、楽天イーグルスということで、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』、1976年リリース作品だ。先日購入した「Eagles The Studio Album 1972-1979」のうちの一枚である。ロックの名盤と呼んでさしつかえないだろう。アルバム全体のトーンや、曲の配置にも気が配られ、非常によくできたアルバムだと思う。

 ②New Kid In Town が好きだ。このアルバムで一番好きな曲である。いい曲だ・・・・。⑤Wasted Time(reprise)を聴いて、浜田省吾の『約束の地』の「マイ・ホームタウン」の前のやつを思い出すのは私だけだろうか。

 ①Hotel California はもちろん名曲である。メランコリックな曲想。歌詞構成のみごとさ。十二弦ギターの響き。静かなレゲエのビート。絶妙のタイミングのオブリガード。そしてなんといっても、ドン・フェルダーとジョー・ウォルシュによるツインギター。どれをとっても素晴らしい。ただ一方で、ほかの曲でなぜツインギターがフィーチャーされなかったのかという疑問と不満はある。もう少し、ツインギターを前面に出しても良かったのではないか。また、あまりに素晴らしいサウンドのためか、アルバム全体の中で、この曲だけ浮いているように感じるのは気のせいだろうか。

 しかし、それにしてもである。私のカーステレオのHDDには、この名盤『ホテル・カリフォルニア』の次に、最近の2枚組『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』が入っているのだが、車を運転しながら、いつも後者の方に共感をもってしまうのは一体どういうことだろう。


フリー"ライブ" 再び

2013年10月25日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 352◎ 

Free 

"LIVE"

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  台風27号もどうやらわが三陸海岸をそれていきそうだ。けれども、海は荒れている。あの大津波以来、松林や家々がなくなってしまったからだろうか、あるいは地盤沈下で海岸線が近くに来たからだろうか、"ゴーッ"という、海の荒れる音が本当によく聞こえる。少し、恐怖すら感じるほどだ。伊豆大島とか、台風の通り道になりそうな地域の人たちは、本当に不安だろう。痛いほど気持ちがわかる気がする。

 現在の家は海から1km以上も離れており、また家の周囲に崖などもなく、その意味では安心だ。子どもの頃に住んでいた家はそうではなかった。小屋のように粗末な家は嵐が来るときしみ、裏にあった高い崖が崩れはしないかという不安がいつもあった。嵐が来るたび、父とともに外にでて、風雨の中を裏の崖の状態を見に行ったものだ。子どもには決して楽しいことではなかったが、男は家族を守らねばならないということを学んだような気がする。父はそれを私に伝えたかったのだろうか。現在でも、私は嵐のときに家のようすを見ようと外に出るが、わが息子たちはついては来ない。

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 ずっと以前に取り上げたことのある、フリーの『ライブ』である。レコードプレーヤーが故障中ということもあり、CDを購入してみた。7曲のボーナストラック付きである。なるほど、オリジナル・トラックの方が確かに洗練された演奏だ。けれど、ボーナストラックの方も粗削りではあるが、なかなか力強い演奏である。ポール・コゾフの"泣きのギター" を堪能できる。ボーナストラックを聴くことで、当時のフリーのライブの臨場感をよりリアルに感じることができるように思う。

 ところで、しばらくぶりにフリーを聴いて感じるのは、アンディー・フレザーのベースの物凄い存在感である。ドライブするような音色でサウンド全体をけん引している。まったく独立したようなフレーズを弾きながら、曲をしっかりと支え、分厚いサウンドを作り上げている。本当にすごいベーシストだ。アンディー・フレザーは最近どうしているのだろうと思いwebを検索してみると、何と今年2013年の10月22日,24日に42年ぶりの来日公演があったらしい。近年は東日本大震災へのチャリティーや、幼児虐待防止キャンペーンなどの社会活動も行っているとのことだ。

 以前の記事でも取り上げたものだが、フリーというバンドについては、渋谷陽一氏の次の文章が核心をついていると思う(渋谷陽一『ロック ベスト・アルバム・セレクション』:新潮文庫)

フリーのサウンドの最大の特徴はやはり重く落ち込み、そして決してネバつかないあの独特のリズムといえるだろう。ローリングストーンズが黒人音楽やスワンプサウンドを真似て重いネバつく音をつくりあげたとするなら、フリーはブルースから離反していく過程で重いリズムを獲得したといっていいだろう。フリーはあくまでも白人独特の疲労感と痛みを歌うグループなのである