WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

青空の翳り……青春の太田裕美⑲

2009年04月18日 | 青春の太田裕美

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 太田裕美の1979年作品、「青空の翳り」である。「振り向けばイエスタディ」の次に発表された太田裕美14枚目のシングルであり、この作品から松本隆・筒美京平コンビではない新たな世界が展開されてゆく。作詞は来生えつ子、作曲は浜田金吾である。 

 私がこの曲を繰り返し聴き、味わうようになったのは、ずっと後のことだった。同時代にこの曲を聴いた記憶はあるし、実際メロディーも耳に憶えのあるものなのだが、オリジナルアルバムに収録されていなかったためか繰り返して聴くことはなかったのだろう。そもそも、17歳の私には、この大人びた歌詞の意味がピントこなかったのかもしれない。 

  ※  ※  ※  ※ 

   哀しみをさりげなく笑いばなしに 出来る人は素敵ね

   歓びもおだやかに 飾り立てずに 話す人は素敵ね

   私も心残り吹き消して 過去にはやさしく手を振るわ

   あなたにこだわらず生きてゆく 余裕が生まれて来たけれど

   春から夏へ移りゆく 空はさわやかすぎて

   かえって辛い季節だわ あなたへの想い

   私の心のすみずみまで 広がったまま

 

       ※    ※

 

   いつでも燃え尽きて精一杯に 生きる人は素敵ね

   私も青空に負けないで カラリと心を解き放ち 

   あなたの手紙やら束ねては 捨て去るつもりでいるけれど 

   風がさらっていけるほど 軽い恋ではないし 

   涙で溶かしぼやけても あなたとの日々は 

   私の背中のすぐ後ろに 広がったまま 

  ※  ※  ※  ※ 

 名曲である。大人の、あるいは想い出を清算して大人になろうとする女性の歌である。恋人との別れに揺れ動きながらも、凛として明日に向かおうとする女性の決意がすがすがしい。You Tube には、当時のものと思われる「夜のヒットスタジオ」における映像と、ややぽっちゃりとしたおばさんになった最近の太田裕美のコンサートにおける映像とがアップされていて聴き比べることができるが、私としては圧倒的に後者に共感を覚える。多くの年月を経て、太田裕美が獲得した表現力に感服するとともに、その穏やかで暖かい、心の余裕を感じさせるトーンがこの曲にはよくマッチしているように思う。歌詞にあるような、「哀しみをさりげなく笑いばなしに出来る」、「歓びもおだやかに飾り立てずに話す」、そんな素敵な大人の女性を感じる。揺れ動いていた心さえも相対化して見ることができるようになった大人の女性の余裕と、軽いノスタルジーがとてもさわやかである。 

 ところで、過去を清算して明日に向かおうとするこの曲が1979年に発表されていることは、大変興味深い。内省と自閉の時代である1970年代から、その呪縛からの解放の時代である《明るい》1980年代へのテイクオフとして興味深いのである。この作品の後、2つのシングルをへて、1980年にあの溌剌とした「南風~South Wind~」がリリースされるのは、何とも象徴的である。この「青春の翳り」を1970年代という時代からの清算と、そこからの旅立ちの歌ととらえるのは考えすぎであろうか。私には、恋人からの旅立ちであると同時に、青春からの旅立ち、そして内省と自閉の70年代からの旅立ちの歌であるような気がしてならない。

 

 

 


家に帰る

2009年04月11日 | 今日の一枚(A-B)

◎今日の一枚 242◎

Art Pepper & George Cables

Goin' Home

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 ジャズと出会った時の話をしよう。もう三十年近くも前の話だ。大学の同じ学科に通う先輩によくジャズ喫茶に誘われた。その先輩がなぜ僕を選んだのかはわからない。彼は週に23度は僕を誘った。渋谷にある大学から近い、「音楽館」や「ジニアス」、「ジニアスⅡ」という店がよく連れて行かれた場所だった。別に嫌ではなかった。大学からジャズ喫茶までの道を歩きながら聞く彼の話は、僕にとってとても興味深いものだったし、僕は基本的にその穏やかな性格の先輩が嫌いではなかった。我々が専攻していた日本中世史についてのいろいろな知識や、最近読んだ論文や史料のこと、学界の動向などが彼の話の内容だった。きっと僕はまじめなタイプだったのだろう。

 けれども、ジャズ喫茶というところはいただけなかった。耳に立ち直れないほどのダメージを与える大音量、アドリブという名の意味不明の旋律、自分だけがそれを理解しているといった鼻持ちならない客たちの雰囲気。僕にはまったく理解不能だった。経済的にも社会的にも文化的にも、ジャズ喫茶というものが存立しているということ自体が大きな疑問に感じられた程だ。僕は先輩の手前、まるで修行僧のようにじっとそれに耐え続けた。じっと、じっとだ。帰りの扉を開けたときの解放感と静寂はたまらないものだった。

 ジャズは突然わかるのだろうか。ある10月の昼さがり、神保町の古本屋街を歩き疲れ、僕は「響」というジャズ喫茶に入った。心も身体もぐったりとしていた。女の子のことや学問のこと、経済的なこと、僕はいくつかの精神的なトラブルを抱えていた。この世界のあらゆる重石が乗りかかってきたような気がした。僕は硬い椅子に腰掛け、ビールを注文し、煙草をつけた。ビールが冷たかった。音楽が聞こえてきた。ART PEPPERGEORGE CABLES1982年録音作品『GOIN’HOME』。ペッパーの晩年を支えたピアニスト、ジョージ・ケイブルスとのデュオ作品であり、ペッパーの遺作となったものだ。涙があふれてきた。なぜだか涙がとまらなかった。僕は周りの客に覚られないように涙をぬぐい、じっとそれを聴いた。優しくすべてを赦し、包み込むようなアルトやクラリネットの音色だった。PEPPERCABLESの息遣いが、そしてその会話するような駆け引きが、手に取るようにわかるような気がした。

 それがジャズがわかったということなのかどうかはわからない。けれど、以来、ずっとジャズを聴き続けている。結構なお金と時間を費やしてきたように思う。そういう意味では、それが良かったのかわからない。20年後あるいは30年後、僕はジャズを聴き続けているだろうか。たぶん聴き続けているだろう。そのためのお金と時間を浪費しながら。大切なものを得るためには、何かを犠牲にしなければならないのだ。

 ところで、僕はその先輩の名前をどうしても思い出せない。僕にジャズを教えてくれた僕の先輩。彼はある日突然、キャンパスから消え去ってしまった。噂では父親の町工場の経営が悪化し、大学を辞めたのだという。以来、彼とはずっと会っていない。彼を探し出す方法もあったのかもしれないが、僕はそうはしなかった。そんな自分を、そして彼の名さえ思い出せない自分を、僕はときどき嫌な奴だと思うこともある。けれども、大切なことをどうしても思い出せないこともあるのだ、と今は思う。

 このアルバムを聴くたびに、名前を忘れてしまった先輩のことを思い出す。それは自分の出発点であり、戻るべき場所のような気がする。Goin' Home、家に帰る……、不思議なタイトルだ。


Pure Acoustic Plus

2009年04月06日 | 今日の一枚(O-P)

◎今日の一枚 241◎

大貫妙子

Pure Acoustic Plus

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 「大貫妙子は、日本最高のソングライターだ」といったのは、才女・矢野顕子だったが、その見解にまったく異存はない。少なくとも、私の知っている日本のミュージシャンの中で、その才能は圧倒的にぬきんでているようにみえる。他の誰とも違う独創的で個性溢れるメロディーライン、ドラマティックで共感できる詩的世界、感動的で心の琴線にふれる音使い、どれをとっても唯一無二、ワン・アンド・オンリーだ。

 「Pure Acoustic Plus 」 、私の愛聴盤のひとつである。1987年のコンサート「Pure Acoustic Night」のライブ・レコーディングのうち7曲が「Pure Acoustic」と題してアルバム化されたが、それは通販かコンサート会場限定販売であった。この作品が好評のため、新たに3曲のボーナス・トラックをPlusして1993年に発表されたものが本「Pure Acoustic Plus 」 である。なお、この作品をベースに若干の曲の入れ替えをおこなった作品「Pure Acoustic」が1996年にリリースされ、現在広く巷に出回っている。さらに、これらの作品をベースに、Pure Acoustic シリーズの総決算ともいえる(らしい)「Boucles d'oreilles」が2007年に発売されているが、この作品に関しては未だ入手していない。是非、買いたいと思っている。

 さて、「Pure Acoustic Plus 」 である。素晴らしいアルバムである。しかし、多くを語るべきではないという気がするし、またそうしたくはない。私などの汚らわしい言葉でこのPureな世界を損ないたくはないのである。ただ、一言だけいっておこう。アルバムタイトルどおり、そこにあるのはまぎれもないPureな世界であり、繊細で美しい世界である。


ランドスケイプ

2009年04月06日 | 今日の一枚(K-L)

◎今日の一枚 240◎

Kenny Barron

Landscape

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 わが東北地方もすっかり春めいてきた。我が家の庭の梅の木もやっとほぼ満開の状態となった。最近、やや仕事が忙しく、すっかり更新するのを忘れていた。といっても、音楽を全然聴いていなかったわけではない。少ないプライベートタイムながら、毎日LPにすれば片面程度は聴いている。まあ、《ながら聴き》であるが……。最近、1980年代前半のピアノトリオ作品をよく聴く。私が学生時代にリアルタイムで聴いていた作品たちである。軽い感傷に浸りながら思い出すのは、駆け巡っていた街の風景や、じめじめした汗の感覚や、どこからか吹いてきた風の爽やかさであり、あるいはかかわりをもった懐かしい人たちの表情である。

 ケニー・バロンの1984年録音盤、『ランドスケイプ』である。ケニー・ドリューのお洒落なジャケットシリーズなどを手がけた日本のレーベル、RVCからの作品である。「荒城の月」や「リンゴ追分」などが収録されているのはそのためだろうか。ジャケットもどこかケニー・ドリューの1980年代の作品群を思わせるお洒落でノスタルジックなデザインである。その意味では、明らかな企画ものなのであるが、私は嫌いではない。悪くはないと思っている。

 ケニー・バロンを知ったのは、ロン・カーターが出演した「サントリー・ホワイト」のCMだった。ロン・カーターのベースの後に絶妙なタイミングで入ってくる繊細なタッチのピアノは一体誰だ、と思ったものだ。すぐに貸しレコード屋で借りたレコードにはケニー・バロンの名が記されていた。以後、いくつかの彼のレコードを借り、あるいは買った。といっても、当時ケニー・バロンの名は未だビックネームとはいえず、作品の数は少なかったのだが……。この『ランドスケイプ』もそのころ買ったもののうちの1つであり、のちにCDも購入した。

 この作品におけるケニー・バロンは、繊細さに加え、力強さもあり、その多彩な表現力と非凡なテクニックがうかがえる。高音はあくまでも繊細で美しく、低音には迫力がある。さすがに、後に晩年のスタン・ゲッツに信頼を得、現在では名手といわれるひとりである。ケニー・バロンは、1943年の生まれなので、この時41歳ということになる。大したものだ。現在の私よりずっと若い。

 それにしても、音楽とは不思議なものだ。スピーカーからサウンドとともに、1984年の渋谷の街や世田谷公園の風景や夜の街を駆け巡る私の姿が飛び出してくるようだ。1984年、私は日本中世史を専攻する貧しい学生で、酒と本と音楽さえあれば生きていけると信じる青二才だった。


カテゴリー変更

2009年04月05日 | つまらない雑談

 暇だったわけではないのですが、何となくやってみようかと思い立ち、「今日の一枚」のカテゴリーをアーティストのアルファベット順にしてみました。

 しかし、こんなことに1時間半も費やすなど、やはり私は暇なのでしょうか。

[凡例] John coltrane → J

       穐吉敏子→ A

       オムニバス盤など → various artists