WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

アン・バートンの人気盤

2015年02月24日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 420●

Ann Berton

Ballads & Burton

 明日は国公立の2次試験なのですね。長男の受験からもう1年。早いものだとしみじみ思います。去年の今頃は、長男とホテルでした。ちょっと過保護かなとも思ったのですが、最後の受験校だったし、私自身がしばらくぶりに大学というところを見てみたいということもあって同行したのでした。温泉旅館の洋室ツインだったので勉強の邪魔になっていはいけないと部屋をでて、館内のすべての温泉をハシゴし、マッサージを受け、一杯処でひとり酒を飲みました。さあ、これから外に出てもっと活躍するぞと不良オヤジの血が騒いたのですが、息子の受験に来たのだからとぐっとこらえ、部屋に帰ったのは午前1時過ぎだったでしょうか。それから私はすぐに寝たのですが、朝起きてから長男は私のいびきがうるさくてよく眠れなかったとぼやいていました。そのせいかどうか、最初の時間の英語はあまり思わしくなかったようでした。今となっては笑い話ですが、これからお子さんの受験に同行する方は、親とは別々の部屋(洋室)にすることをお勧めします。

 「ヨーロッパ最高のヴォーカリストと絶賛されたアンバートンの超人気作」、1969年録音の『バラード & バートン』である。とてもいいアルバムである。曲よし、歌よし、録音よしだ。とても聴きやすく受け入れやすいアルバムなので、聴いたことのない方には是非ともお勧めしたい。⑤「いそしぎ」はもともととても好きな曲だ。いろいろな演奏を聴いてきたが、ずっと以前に聴いたある演奏が妙に耳に残っていた。今日しばらくぶりにアン・バートンのこのアルバムを聴いて、これだったのかと思い当たった。今、その次の曲、⑥ It Never Entered My Mind が流れている。これもまた素晴らしい歌唱である。

 アン・バートンは、よくささやくようなヴォーカルと表現されるが、例えばブロッサム・ディアリーのようにささやく訳ではない。ブロッサムと比べると、もっとずっと低く太い声だ。かといってもちろん、サラやエラのように野太く、粘っこい声でもない。そういう意味では中途半端だ。凡庸であるといえなくもなかろう。しかし、彼女の歌そのものを聴いた感激と余韻は、ブロッサムにも、サラにも、エラにも勝るとも劣らない。もちろんカーメンにもだ。やはり、基本的に歌がうまいのだと思う。楽曲の芯の部分を抽出して表現する能力が卓越しているのだ。楽曲を大きくデフォルメするわけではない。むしろ、折り目正しい正統派的である。けれども微妙なニュアンスの表現が素晴らしい。表現の総体としての「雰囲気」が、ものすごい吸引力で我々をとらえて離さないのだ。「才能」や「身体能力」だけで勝負するのではなく、技巧や表現力やサウンドをも駆使した、構成的な演奏であるといったらいいだろうか。その意味では、非常にヨーロッパ的であるといえるのかもしれない。いずれにしても、何の予備知識などなくても、我々をまったく違う場所まで連れて行ってくれる。そんな稀有なアルバムである。

 演奏陣もなかなかに素晴らしい。ルイス・ヴァン・ダイクのピアノの美しさはもちろん世評の通りだ。私の身体の奥まで響いてくるのは、柔らかく深いベースの音だ。心の奥深いところまで降りてきて、細胞を共振させるようなベースの音である。今、アルバムは2巡目に入った。① 「宵のひととき」はオープニングにふさわしい印象的な演奏だ。2巡目はじっくり聴いてみようか。


煙草がうまそうだ

2015年02月21日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 419●

Bill Evans

Easy To Love

 テレビで宮崎駿監督の『風立ちぬ』をやっていた。ロードショーの時に次男と妻と私でみたアニメ映画だ。次男がみていたので、途中まで付き合った。次男はこの映画の音楽に興味があったようだ。そういえば次男は、最近しばしば、この映画のサントラをピアノで弾いている。それにしても、登場人物が実にうまそうに煙草を吸う映画だ。内容ももちろん悪くはないが、登場人物たちが煙草を吸うシーンが妙に印象的な映画である。

 しばらくぶりに煙草が吸いたくなり、ダウンのコートをはおって戸外に出た。あまりうまいとは感じなかった。もうほとんど煙草は吸わない。若い頃は1日に60本程度も吸っていたのだが、長男が生まれたのを契機に、妻の圧力もあって完全にやめてしまった。もう吸いたいと思うこともない。映画をみて吸いたいと思ったのは、若き日の情熱への憧憬だろうか。

 ビル・エヴァンスの『イージー・トゥ・ラブ』である。リバー・サイド時代の、1956年、1958年、1962年録音のピアノ・ソロを集めたアルバムだ。アルバムジャケットの、煙草を吸う姿が実にかっこいい。ビル・エヴァンスは煙草がよく似合う。スタイリッシュである。ただ、『風立ちぬ』の煙草とはちょっと印象が違うようだ。『風立ちぬ』の煙草はどこかに温かみがあり、うまそうに感じる。それに対して、エヴァンスの煙草はもう少しドライで、あくまでスタイリッシュでかっこいい印象だ。若い頃、そのかっこよさに憧れ、意識的にまねをしてみたりしたが、凡庸な日本人の私にはあまり様にならなかったようである。

 ずっと以前に買って印象も悪くなかったアルバムだが、なぜか聴くことは少なかった。しばらくぶりにかけてみたが、実に好ましいアルバムである。もちろん演奏自体の質も高くじっくり聴けるアルバムだが、読書のBGMにもうってつけのように思う。最近の不穏な政治情勢の故もあって、問題を整理して考えるべく、日本近代史の坂野潤治氏の一連の著作を読み返している。ここしばらくは、このアルバムがBGMになりそうだ。


風の道

2015年02月18日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 418●

大貫妙子

Cliche'

  寒い日々が続いている。先週は、土曜・日曜と連続で風呂屋に行った。日曜日はかなりすいていたので、広い露天風呂を独り占めし、青空と雲を見上げながら鼻歌を歌った。口をついて出たのは、大貫妙子の古い曲、「黒のクレール」だった。改めていい曲だと思った。いい曲だとは思ったが、ちょっと意外ではあった。若い頃、随分と聴きすぎたせいか、いわゆる聴きあきして、もうだいぶ長い間、LPやCDでは聴いたことがなかったからだ。

 大貫妙子の1982年作品、『クリシェ』だ。「黒のクレール」はこのアルバムのトップを飾る曲である。改めて発表年をみると私の大学時代だ。けれど、このアルバムに出合ったのはもう少しだけ大人になってからだったように思う。悪くない作品だ。いい作品だと思う。けれども、50代になった現在の私には、この作品を全編通して聴くだけの時間も、心の余裕も、そして情熱もない。今の私がこのアルバムをCDトレイに乗せるのは、⑤「風の道」を聴くためだ。いい曲だ。心に響く詩である。大貫妙子、畢生の名曲であると勝手に断じたい。


    「風の道」

はじめての場所 静かな街
ここであなたは おおきくなる

庭先にいま 錆びついてる
自転車がある 息をひそめて

今では他人と 呼ばれるふたりに
決して譲れぬ 生き方があった

とりとめもなく 歩くあちに
心はいつか 暖かくなる

今では他人と 呼ばれるふたりに
決して譲れぬ 生き方があった

おたがい寄り添う 月日を思えば
語る言葉もないほど 短い

 心が熱くなり、深い部分から何ものかがこみあげてくる。物悲しい、置き去りにされたような孤独感を感じる歌だが、言葉があまりにフィットして恐ろしいほどだ。「今では他人と 呼ばれるふたりに 決して譲れぬ 生き方があった」というところの言葉のリアリティーに立ちつくすのみである。大学生の頃ではなく、少しだけ大人になって出合ったからこそ、この曲に共感できたのだと、今は思う。

 「おたがい寄り添う 月日を思えば 語る言葉もないほど 短い」という虚無感を表出した最後のフレーズの、その「短い時間」が「永遠」につながっているのだ。


奇妙な果実

2015年02月11日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 417●

Billie Holiday

Strange Fruit

 超有名盤である。ビリー・ホリデイの1939年及び1944年録音を収録した『奇妙な果実』である。私が持っているのは特別価格¥1,100のCDだが、オリジナルのアナログレコードと曲順がかなり違うようだ。なぜだろう。名盤であることは論を待たないであろう。CD帯にも、「ビリーの最高傑作」「ジャズ・ヴォーカルの不滅の金字塔」などの文言が並ぶ。

 タイトル曲ばかりが有名だが、しばらくぶりにじっくり聴いてみると、全編にわたる質の高さに驚かされる。古い録音ながら、情感の豊かさと歌に対するフィーリングの素晴らしさが見事に伝わってくる。穏やかな心持になり、歌にじっと耳を傾け、所々で無意識に微笑んでしまう。

 実業高校で世界史A(近現代史)を担当した時、タイトル曲の「奇妙な果実」を使った授業をつくった。歌詞を示しながら曲を聴かせ、何を歌っているのかを考えさせる授業である。第一次世界大戦後のアメリカの空前の繁栄の陰で、禁酒法や移民法の制定、共和党の大統領が続いたこと、マフィアの暗躍、そしてKKKの勢力拡大など、WASPの保守化が進んだことを考えさせるのがテーマだ。映像や写真を見せることもできるが、あえて音楽と言葉によってイメージを喚起させることを狙ったものだ。マイナーチェンジをしながら数年間続けたが、教壇の私はいつも演奏に聴き入ってしまう始末だった。ビリー・ホリデイの歌唱はもちろん素晴らしいが、前奏のピアノの静謐な響きが何ともいえずいい。シリアスで、悲惨な事柄を歌った曲だが、演奏のあまりの美しさ、見事さに魅了されてしまう。

 今、音量をしぼって聴いている。教室で大きな音で聴くのもいいが、深夜ウイスキーをすすりながら一人小さな音で聴くビリー・ホリデイもまた格別である。暗闇の中から、ビリーの声がかすかにたちあがってくるのがたまらない。

 今飲んでいるのは、ブラックニッカのリッチブレンドだ。高いウイスキーではないが、ロックで飲むとなかなかコクがあっていける。NHKドラマ「マッサン」の影響だろうか。最近は、元社長が東北を熊襲の地と侮蔑したサントリーよりも、ニッカのものを飲むことが多い。

南部の木には奇妙な果実がなる
葉には血が、根にも血を滴たらせ
南部の風に揺らいでいる黒い死体
ポプラの木に吊るされている奇妙な果実

美しい南部の田園に
飛び出した眼、苦痛に歪む口
マグノリアの甘く新鮮な香り
そして不意に 陽に灼ける肉の臭い

カラスに突つかれ
雨に打たれ 風に弄ばれ
太陽に腐り 落ちていく果実
奇妙で悲惨な果実

 


批判できないことば

2015年02月07日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 416●

Blossom Dearie

Blossom Dearie (Verve jazz Masters 51)

 批判できないことばというものがある。最近よくきく、「テロとの戦い」というのはそのひとつだ。テロが我々の市民社会に害悪を与えることは事実であるし、もちろんそれを肯定する者などめったにいないだろう。ただ、青臭いことをいうようだが、テロとは何かということが十分に吟味されずに言葉が流布していく。そのことが問題だ。それはやがて肥大化して拡大解釈を許し、社会に大きな問題を残すだろう。

 被災地にも批判できないことばがある。例えば、「復興」がそれだ。あの大災害からの復興をのぞまない者などいない。しかし、ことばが吟味されず、肥大化して流布した結果、「復興」ということばのもとに、何でもありになってしまう可能性がある。実際、無計画な乱開発や、土地所有権の軽視あるいは事実上の略奪が「復興」のことばのもとに顕在化してきている。「復興」を隠れ蓑に、諸勢力が利益を獲得するために暗躍する。「復興」のことばの前に、誰も大きな声では批判することができない。それが被災地の現実だ。

 元祖カマトトボイス、ブロッサム・ディアリーのverve時代のベスト盤である。彼女がverveに在籍した1950年代及び1960年代初頭の録音を集めたものだ。この時期のブロッサム・ディアリーは好きだ。何といっても声が可愛らしいが、歌がうまく、独特の穏やかな世界を作り上げているところがいい。すっと以前に取り上げた、『マイ・ジェントルマン・フレンド』や『ワンス・アポン・ア・サマータイム』は特に好きだ。ブロッサム・ディアリーのベスト盤はいくつか持っているが、このCDを一番よく聴く。2つのアルバムの曲がいくつか取り上げられていることと、何より、大好きな「やさしき伴侶を」が収録されているからだ。

 このベスト盤のライナーノーツを読んで今日はじめて知ったのだが、あのトニー・ベネットがブロッサム・ディアリーを称賛する文章を書いているのだという。

ディアリーの才能と歌声は、なぜ時を経ても色あせないのか。それは彼女が鍛え抜かれたミュージシャンだからだ。彼女は、ナット・キング・コールと同じぐらい素晴らしいピアノを弾く。ディアリーは決して自分のテイストに妥協を許さず、常に聞き手に最高品質の音楽だけを提供する。

なるほど・・・・。

 


国家とはなんだろう?

2015年02月06日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 415●

Ornette Coleman

An Evening With Ornette Coleman

 国家とはなんだろう。例の「イスラーム国」の邦人殺害事件と日本政府の対応をみていると、ついそんな青臭いことを考え込んでてしまう。わが政府にとって、それは少なくとも国民の総体を意味するものではないようだ。それでは一体何んだろうか。極右政権よろしく、天皇陛下そのものだろうか。もしかしたら本当はそう思っているのかもしれないが、事件への一連の対応をみる限りそのようには見えない。もっと何か違うもの。中身のない、空虚な観念そのもののようにみえる。空虚な観念としての国家を守るために、そしてその誇りを守るために、人は生き死に、あるいは殺し殺され、またあるいは見捨て見捨てられるのだ。もちろん、イスラーム国だって同じだ。空虚な観念などと記したが、観念に中身なんかなくったて構わない。むしろ観念とは、本質的にそのようなものだ。人間というものは、皇国や八紘一宇や、あるいは革命といった空虚な観念のために死ねる存在なのだ。ずっと昔からそうやってきたのだ。

 ただ、確認しておくべきは、近代政治思想はなんだかんだいっても、社会契約説に基づいている。それによれば、国家とはアプリオリに、つまりあらかじめそこにあったものではなく、人間がある目的のためにつくりだした手段であるということだ。ある目的とは人権の擁護だ。そのために国家は存在しているのである。だから、政治の目的とは人権を守ることなのであり、政府の存在意義とは諸国民の権利を調整することなのだ。だからこそ、極右思想は社会契約説を目の敵にして攻撃するのだけれど・・・。

 今日の一枚は、オーネット・コールマンの1965年ロンドン録音作品、『クロイドン・コンサート』である。私のもっているCDの帯には、「『ゴールデン・サークル』と並ぶ、ジャス史を飾る重要作」とある。私は、基本的にフリー・ジャズは嫌いではない。けれど、この作品については正直いってずっとわからなかった。いや、今だってよくわからない。よくわからないから、サウンドに入っていけず、感動とか感銘とかを感じられない。好き嫌い以前に、よくわからないのだ。だから、ずっと以前に購入したCDだが、数度聴き放置したままだった。何のきっかけか、もう一度聴いてみようと思い立ち、ここ数日、ながら聴きをしている。もう3回程聴いただろうか・・・。よくわからないのは変わらないが、もしかしたら意外に叙情的なことをやっていたのではないかと思うようになった。音量をあげたら旋律の輪郭がはっきりしてそんなふうに思ったのである。音量をしぼって聴いてみたら、何だか心地よくて眠気が襲ってきた。これは、サウンドのなせる業だろうか、あるいは単に私が疲れていただけなのだろうか。


魂の一枚

2015年02月01日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚414●

Art Pepper

Thursday Night At The Village Vanguard

 ハイレゾが話題になっている。CDがカットしてしてしまった、人間の耳に聞こえない音域を再生できるシステムだ。SACDにも、ネットワークオーディオにも、多少の興味は感じながら積極的にはなれなかった私であるが、ハイレゾに関してはやや積極的な興味がある。人間の耳には聞こえない音とはいっても、それが空気を震わせて可聴域の音に影響を及ぼすことや、人間の身体そのものに働きかけてくることを考えると、音質を決定する非常に大きな要素になるはずだ。

 CDの音質にはずっと不満があった。確かに音はクリアなのだが、アナログレコードに比べて明らかに高音の伸びやデリケートさが足りない。何よりCDは長い時間聴いているとイライラしたりする。アナログレコードにある安らぎの感覚のようなものが決定的に欠如していると思うのだ。それは、私が何か特殊で敏感な耳を持っているということではなくて、普通の人の、普通の耳でわかるようなレベルでの話である。さっき、仕事帰りのカーオーディオでスタイル・カウンシルのMy Favorite Shop を聴きながら、昔、アナログレコードに針を落として聴いたときのことを想いだした。やはりアナログレコードとは全然違う音だと痛感した。ハイレゾならアナログレコードのような音が聴けるのだろうか。もし、ハイレゾを導入した場合、まず何を聴きたいだろうかなどと考え、いくつかのアルバムが頭に浮かんだが、最初に思い浮かんだのがアート・ペッパーのこのアルバムだった。

 アート・ペッパーの<Thursday Night At The Village Vanguard>、1977年のヴィレッヂ・ヴァンガードでのライブ盤である。この時のライブは曜日ごとに数枚に分けられているが、これは木曜日の分である。ずっと若い時に出合って以来、アナログレコードで何度となく聴き、そのたびに深い感銘を与えてくれた、私にとっては「魂の一枚」ともいうべき作品である。②GoodByeは筆舌に尽くしがたい演奏だ。暗闇から孤独の青白い煙が立ち上がってくるような、人生の深淵を垣間見せる演奏である。弱々しく、消え入りそうなアルトの音色が描き出す静寂さと、フリーキーな表現も辞さず、直截的にその思いを訴えかけてくる痛々しさに魅了される。後期ペッパーのひとつの到達点といってもいいと思う。この演奏の前で何を語ればいいのだろう。私はただ立ち尽くすのみだ。

 少し前に、このアルバムのCDを買った。レコードプレーヤーが破損してしまったためである。どうしても聴きたかったのだ。1991年にデジタル・リマスターされたもののようだ。手軽ではあるが、音質にはかなりの不満が残る。思い入れの深いアルバムだけに失望はなおさらである。ハイレゾが解決策になるかどうかは未知数であるが、思い入れの深い作品はいい音で聴きたいものだ。贅沢なことだろうか。

Art Pepper(as)
George Cables(p)
George Mraz(b)
Elvin Jones(ds)