WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

大学生の成績通知表

2015年03月23日 | 今日の一枚(C-D)

今日の一枚 428●

Claude Williamson

'Round Midnight

長男の通う大学から「成績通知表」なるものが郵送されてきた。情報公開の観点から、毎年一回、3月に郵送するのだという。親としては息子の成績にはやはり興味がある。高校時代ですら見せてもらえなかった息子の成績表であればなおさらである。けれど、翻って、ちょっとやり過ぎではないかという思いもある。大学生ともなれば、親の管理から自由にしてやらなければならないのではないか。心配なことは多々あるが、そうでなければいつまでも大人にはなれないのではないかと思う。私の頃は、もちろん成績表の親への郵送などはなかった。学生それぞれが教務課にもらいにいくというシステムだったように記憶している。中には、成績表すら取りにいかない「不良学生」も結構いたものだ。それがいいかどうかは別にして、少なくともそのことを通して、良くも悪くも表面的な成績という呪縛から自由になっていった気がする。それは学問を軽視するということではなくて、成績表の評価とは違う次元で、学問の価値や崇高さを確かに感じていたように思う。

ところで、現代の大学では成績全体の評価として"GPA"なるものがあるようだ。GPAとはGrade Point Averageのことであり、成績の平均値のようなものだ。長男の大学を例にとれば、A評価を4.0、B評価を3.0、C評価を2.0、それ以下を不認定の0として換算し、(4.0 × Aの修得済単位数 + 3.0 × Bの修得済単位数 + 2.0 × Cの修得済単位数)÷履修科目総単位数、という算式で求められる。したがって、4.0を最高点に、それにどれだけ近いかで成績の良さを表したものということになる。不認定の単位数も分母(割る数)に換算されることで、単位を落とせばGPAが著しく低下することになる、おちおち単位を落とすこともできないしくみだ。このGPAの数値が、就職や大学院進学の成績評価や、奨学金申請などに使われるのだそうだ。親としては、息子の勉学のレベルをとりあえず認識できる反面、このような数値に縛られる現代の大学生を可哀そうにも思う。成績をGPAという数値で示されると、親としてはやはりその数値が高いことをのぞむようになり、つい、勉学に励めなどと口走ってしまいそうになるものだ。

"白いバド・パウエル"と呼ばれたクロード・ウイリアムソンの1956年録音作品の『ラウンド・ミッドナイト』である。彼が敬愛するバド・パウエルの愛奏曲を中心に構成された作品である。鬼気迫るような"呪われた部分"に属するような作品ではない。その意味ではB級作品なのだろう。けれども、なぜだろう。聴けば聴くほど、良さが身に染みてくる。小気味よいスウィング感の中にも、滋味深さを感じさせる作品だ。⑤ ムーンビームスは、淡々とした中にも哀感と歌心を感じさせる、他とは一味違った演奏で、印象深い。

クロード・ウィリアムソン(p) / レッド・ミッチェル(b) / メル・ルイス(ds)


テレキャビンが消えた

2015年03月22日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 427●

Ann Burton

Blue Burton

 先日、スキーの話題を記したことがきっかけで昔よく行ったリゾートパーク・オニコウベ(オニコウベスキー場)のことが懐かしくなりwebで検索してみたのだが、なんとスキー場マップからテレキャビン(ゴンドラ)が消滅しているではないか。もう少し調べてみると、どうもテレキャビン自体がなくなったわけではなく、グリーンシーズンの休日祭日のみの営業で、ウインターシーズンは休業しているらしい。これではチロリアンロードやディアロードが滑れないではないか、などと思ったりもしたわけだが、よく考えてみると、スノーボードが主流となった(らしい)現在にしてみれば、超急斜面のディアロードや、連絡通路のように狭いチロリアンロードの利用者は少なかったのかもしれない。恐らくは採算が取れなかったのだ。時代の変化ということなのだろう。

  時代が変わったといえば、渋谷の東急プラザが本日をもって閉店したようだ。学生時代、貧乏だった私は、お洒落な洋服屋やレストランにはあまり縁がなかったが、東急文化会館の三省堂と東急プラザの紀伊国屋には毎日のように立ち寄ったものだ。そういえば、もう長い間渋谷の街を歩いていない。渋谷の街もだいぶ変わってしまったに違いない。音楽館やジニアスはすでにないようだ。道頓堀劇場もかなり前に閉店したらしい。『なんとなくクリスタル』の註にもあげられたグランドファザーズや、ロック喫茶のBYGはまだあるのだろうか。伝説のラーメン屋といわれた「喜楽」はどうなったのだろう。

 今日の一枚は、アン・バートンのデビュー作、1967年録音の『ブルー・バートン』である。アン・バートンはすごく好きだ。すごく好きなのだけれど、どこがいいのかと問われれば何となくいいのだとしか答えられない。ほどよいスウィング感、ほどよいブルージー感、ほどよいしっとり感。そういった、"ほどよい"の絶妙なバランスの上に成立した、最高の歌唱なのだと思う。その歌唱をベースが的確なアクセントでサポートし、ルイス・ヴァンダイクのデリケートなピアノが花を添える。時折顔をだすサックスもなかなかに美しい。ささやくようなボーカルとして高い評価を得るアン・バートンであるが、その演奏は意外に綿密に考え抜かれた構成的なもののようにも思える。 


スキーに行ったらリフトの上で聴きたい

2015年03月16日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 426●

日向敏文

いたずら天使 Little Rascal

 大学生の息子はスノーボードに夢中のようだ。青春を、学生生活を謳歌しているのだなと思う。ちょっと、うらやましい。もちろん、私だって青春を謳歌した。ただ、お金がなかった。貧しく、蹉跌とルサンチマンに満ちた青春時代だった。学生時代、スキーに誘われたことがある。是非やってみたかった。いくらぐらいかかるのか聞いてみると、用具は一式10万円ぐらいかな、あと交通費と宿泊費で2~3万ぐらいかなと真顔でいわれた。パックだから安いのだといわれた。・・・驚愕した。10万円とかのお金を普通に使う東京の人たちはお金持ちなのだなと思った。自分が貧乏学生であることを再認識した瞬間だった。

 そのコンプレックスだったのだろうか。就職してから、特に宮城に帰ってきてからはスキー三昧だった。若さに任せて滑りまくった。鬼首・鳴子(花渕山)・えぼし・夏油・雫石・安比・網張・田沢湖、それ以外にもいろいろなスキー場に行った。北海道のキロロやニセコやルスツにも何度か足を運んだ。特に鬼首は覚えたての頃、よくいったスキー場だ。週に数度、部活動指導をちょっと早めにきりあげ、夕方に出発してクルマで1時間半~2時間かけていくのだ。ナイターで滑ってアパートに帰ってくるのは12時を回ったころだった。休日には、雫石や安比あたりに遠出した。こんなふうにして、1シーズンに40回~50回程滑ったことも何度かあった。

 滑るのも効率を重視した。遅いリフトはあまり利用しなかった。いちいちスキーを外さなければならないゴンドラもあまり好きではなかった。よく使ったのは高速のクワットだ。高速リフトで何本も何本も本数を稼ぐのだ。雫石のレディース・ダウンヒルや安比のザイラーはのように、比較的空いている長いコースがお気に入りだった。リフト待ちの時間の短い、長いコースでのびのびと効率的に滑るのだ。ハードバーンにも果敢に挑戦した。鬼首のスネークロードはよく滑った。「馬の背」といわれる鳴子の花渕の壁や、1シーズンに数度しか開かない鬼首のディアロードに挑戦したこともある。リフトの上ではおにぎりを食べ、よく煙草を吸った。雪山を見ながら吸うたばこは本当に美味かった。リフトの上でヒット曲を聴くのも悪くなかった。広瀬香美やZooなど、スキー場のテーマソングもバッチリ揃っていた。時代はいまだバブルの余韻を残していたのだ。

 結婚をして子どもができると、次第にスキー場から足が遠のいていった。仕事もそれなりに責任のある部署を担当するようになり、忙しくなったこともあった。もう、10年以上もまともに滑っていない。結婚前、最後の抵抗にと、板だけで10万以上もする上級者向きのスキーを買ったのだが、それもいまでは庭の花壇の土どめに使われている。だから、息子がスノーボードに夢中なのがすごくうらやましく思える。青春のまぶしさを感じることもある。再びスキー場で滑ってみたい。息子のスノーボードの話を聞くたびにそう思う。身体がついてこれるかどうか心配なところではあるが、初心者の息子などにはまだまだ負けないという気概はある。華麗な滑りを見せつけてやりたいとも思う。ただ、おそらくはもう、高速リフトは使わないだろう。遅いリフトで十分な休養をとりながら、美しい雪山の景色を眺めよう。アバンギャルドな滑り方はしない。安定したパラレルターンで気持ちよく風を切り、滑った後は温かい温泉に入ろう。湖に落ちていくように滑る、田沢湖の国体コースや、自然豊かな八幡平の山々の風景をもう一度眺めたい。そう夢想しただけで心は躍る。20歳の若者のように胸が高鳴る。

 今日の一枚は、日本の作曲家・編曲家である、日向敏文の1994年作品『きまぐれ天使』である。1980年代に貸しレコード屋で彼の『夏の猫』というアルバムに出合い、ダビングしたテープでずっと聴いていた。その頃のお気に入りの作品になった。その後、大貫妙子のピュア・アコースティック作品で再び彼の名を目にし、いくつかの作品を聴いてみた。才能のある人だと思う。ヨーロッパの香りのするこの『気まぐれ天使』もなかなかいい作品だ。サウンド全体の印象を重視した、映像的な音づくりである。おだやかに、ゆったりと時間が流れるような独自の世界観だ。音楽を聴いていると、ぼんやりとした映像のようなものが脳裏に現出し、古い映画を見ているような錯覚に陥る。しばらくぶりに聴いたが、映画音楽のようでもあり、ポップスのようでもあり、またジャズのようでもある、その音楽世界にすっかり魅了された。悪くないアルバムだ。

 今度スキー場に行ったら、遅いリフトの上で雪山を眺めながら、ひとり、このアルバムを聴きたい。その穏やかで趣のあるサウンドが、雪山の風景には意外とあいそうだ。


魂へのバッハ

2015年03月11日 | 今日の一枚(various artist)

 ●今日の一枚 425●

魂へのバッハ

 3.11である。もう4年だ。あの大津波の翌日だっただろうか。避難所になっていた地元の中学校で、かつての教え子に出くわした。彼女は私を見つけると駆け寄り、興奮した様子で堰を切ったようにしゃべりはじめた。用事があっていっていた市街地で津波に遭遇し、一旦流されたが必死の思いで逃れたのだという。衣服はぴじゃびじゃに濡れてしまったが、たまたまそばにいた人の好意で服を貸してもらい、なんとかこの地元の避難所まで辿りついたのだそうだ。彼女はそしてこう続けた。山形に嫁ぎ、子どもをつれて里帰りしていたのだが、実家の母親に子どもを預けて用事に出かけていた。子どもと母親の消息がわからない。そういって彼女は泣き崩れた。携帯電話も流されて連絡のつけようがないとのことだった。私は、電池がなくなってもかまわないから使いなさいと携帯電話を差しだしたが、何度かけなおしても通じなかったようだった。彼女の実家は海の近くであり、家屋は流されたはずだ。翌日、避難所で再び彼女に出合ったのだが、まだ子どもと母親の消息は分からないとのことだった。私は、その時知っている限りの探す方法を教え、希望を失なわないよう声をかけたが、それ以来、避難所で彼女と会うことはなかった。現在に至るまでそのままだ。彼女と、彼女の子どもと、そして彼女の母親がどうなったのかはわからない。ただ、無事を祈るのみだ。

 30代の頃だったろうか。ちょっとしたことがきっかけでクラッシック音楽に目覚め、毎日興奮して聴いていたことがあった。このコンピレーションアルバム『魂へのバッハ』は、その頃購入したものだ。クラシックへの入門編として、かなり聴きこんだCDだ。

 3.11の、その後の数日間の避難所のことを思い出すと、このアルバム所収の、③ 「神よあわれみたまえ」(『マタイ受難曲』より)が頭の奥の方から聴こえてくる気がする。逆に、この曲を聴くとその時の情景が浮かんできたりもする。その雰囲気があまりにぴったりだからだろうか。避難所になった中学校の、体育館の更衣室につぎつぎと遺体が運び込まれてきた光景が、記憶に焼きついて離れない。尋ね人を捜すホワイトボードに書かれた見覚えのある名前が、そのいつまでもいつまでもずっと残っていた文字が、今もありありと思い出される。息子の同級生の、一緒に少年野球をやった仲のいい友だちの名前だ。避難所となっていた体育館で行われた卒業式で、答辞に立った代表生徒の、「天が与えた試練というには,むごすぎるものでした」「命の重さを知るには大きすぎる代償でした」という言葉は、マスコミに取り上げられて全国的に有名になった。彼は、息子とも、行方不明の生徒とも、保育所の頃からずっと一緒の仲のいい友だちだったのだ。その行方不明の生徒は、後に遺体で発見された。

 音楽は現実を変えることはできない。けれど、「神よあわれみたまえ」の悲壮なメロディーは、幾ばくかでも我々の魂を浄化してくれる。それはおそらくは受苦的であるということと関係がある。音楽が、悲しみや苦しみを分かち合ってくれるように感じるのだ。素手で立ち向かうにはあまりに辛い現実もある。音楽が自分自身を支える手助けとなることもあるのだ。かつて暗すぎて敬遠していたこの曲が、今は優しく心に響く。おそらくは商業的な戦略としてつけられたであろう『魂へのバッハ』というタイトルが、今となっては身に沁みる。


「生きるのがつらいと感じることがある」

2015年03月09日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 424●

Blossom Dearie

Blossom Dearie (verve)

 

 数字のもつある種の客観性は重要である。例えばバスケットボールでは、相手チームに良いプレーがあると、その印象が強すぎて対応を誤ることがある。実際には、そのプレーでやられているのは数点に過ぎず、多くはゴール下の泥臭いオフェンスリバウンドでやられていたりするのだ。だから、HCは必ずスコアを確認する。人間の脳に焼きついてしまった印象を数字のデータで補正するわけだ。実際、豪快なダンクシュートでも2点、平凡にみえるイージー・レイアップでも2点なのだ。勝利するためには、そう判断するクールさが必要だ。

 数日前、震災後の被災者の生活のアンケート結果がニュースになった。約半数の人が「気持ちが前向きになりつつある」と答える一方、43%が「生きているのがつらいと感じることがある」と答えたというのだ。衝撃的な数字ではないか。もちろん、アンケートには質問の内容・構成や集計の方法などに、ある種の恣意性・意図性があることはいうまでもない。それでもやはり、その数字のデータには謙虚になるべきだと思う。

 教師として生徒に接している限り、少なくとも学校という場においては震災の後遺症はほとんど感じなくなっているように思う。中央から来たスクール・カウンセラーが生徒の相談内容の背景に震災の後遺症があるといっても、何かピンとこないものがあり、こじつけのように感じてしまうこともあるほどだ。ただ、よく考えてみれば、家庭の経済状況は間違いなく悪化したはずであるし、震災から4年たつ現在でも経済的な問題を抱える生徒が少なくないことは想像に難くない。また、長引く仮設住まいの中で、両親が不仲ににり、離婚が増加していることはしばしば報告されている。先日の会合でも、震災後に中学生の不登校が急激に増加していることが話題になった。数字のデータがもつ恣意性・意図性を念頭におきつつもやはり、我々はそれに対して謙虚であるべきなのだと思う。その意味では、本当に大変なのはこれからなのかもしれない。

 今日の一枚は、ブロッサム・ディアリーの1956年録音作品の『ブロッサム・ディアリー』である。フランスでカクテル・ピアニストとして活動していた彼女に、ヴァーヴのノーマン・グランツが目をつけ、「アメリカで君の歌を録音したい」と提案して制作された作品のようだ。心地よい、ささやくような彼女の歌声はもちろんなのであるが、哀感を湛えたブロッサムのピアノの素晴らしさも特筆に値する。⑤ More Than You Know にいつも聴きほれてしまう。この曲を聴くたびに、ウイスキーを飲みながら、彼女の演奏をLiveで見てみたかったと夢想する。ブロッサム・ディアリーが84歳でその生涯を終えたのは2009年だった。2006年までステージで歌っていたとのことだ。その気になれば、Liveをみるチャンスもあったのかもしれない。大切なことに気付いた時にはもうそれは終わっている。いつもそうだ。

 今、⑦「春の如く」が流れている。ピアノも歌も素晴らしい。何ともいえぬ心地よさだ。いいなあ・・・。


ならず者

2015年03月08日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 423●

Eagles

Desperado

 HCを務める女子バスケットボール部の3年生を送る焼肉の会があった。女子のクラブ活動にはお楽しみのイベントが必要だと考えて、私が赴任してからはじめてずっと続けている行事のひとつだ。いつの頃からか、3年生の分と全員のアイスクリーム代は、私のおごりということになってしまった。女子高校生は焼肉が好きだ。信じられない勢いで食べる。90分食べ放題、飲み放題のプランなのだが、わずか6人で牛カルビ・豚カルビ、鳥せせりを10回以上もお変わりした。ご飯と飲み物も次々と数限りなくおかわりしていく。絶句である。

 3年生はプレーヤー2人とマネージャー1人のわずか3人だ。可哀そうな3年生たちだった。下級生が5人入部して士気は上がっていた。長身プレイヤーや能力のある選手もおり、練習しだいでは地区優勝や県レベルでの上位進出も狙うことができたはずだった。地区新人大会が迫った、10月だっただろうか。家庭の事情や、ハードな練習についてこれないことを理由として、下級生3人が退部を申し出てきたのだ。選手は4人となり、新人戦は欠場するほかなかった。それでも引退した当時の上級生や卒業生の協力で、練習試合やスプリングキャンプで試合経験を積み、練習を続けた。昨年の3月には退部したうちの1人が戻ってきて、やっと自前のチームでゲームができるようになった。5月の地区予選の代表決定戦、終始リードしていたものの、人海戦術で向かってくる相手チームに対して、5人で戦い続けた我々は、最後の最後で運動量が落ち、数点差で敗れてしまった。悔しい敗北だった。それでも3年生は下級生のために夏のウインターカップ予選まで付き合い、県レベルの大会で2日目に残った。悔しいこと、辛いことがたくさんあった高校バスケだっただろうが、焼肉の会での顔は輝いていた。

 今日の一枚はロックだ。イーグルスの1973年作品の『ならず者』である。アルバムとしてもたいへんすぐれた作品だと思うが、現在の私が聴くのはほとんどタイトル曲の「ならず者」のみである。「ラヴ&ピース」を合言葉に、自由を求めて社会に背を向けた1960年代後半の若者たちが、大人になって「社会」からの孤立に直面したことを歌った曲だ。「社会」との関係を考え直し、もう一度社会とのつながりを回復すべきことを訴えた歌であり、観念にがんじがらめになってしまった「生」からの脱出を説いた歌である。その意味で高度に大人の歌である。曲の美しさ、素晴らしさはもちろんであるが、社会の中での人間のあり方をテーマにするところが、私にとってのイーグルスの魅力だ。

 「いい子」も「悪い子」も、教師にとって生徒はみな「ならず者」である。それはひとつには予定調和的でないという意味であり、もう一つにはそれでも無視できる存在ではないという意味においてである。退部してしまった下級生も、それでもがんばり続けた部員たちも、そして焼肉をとんでもなくたくさん食べた卒業生と下級生たちも、みんな「ならず者」である。Desperado・・・。

「ならず者」
正気に戻ったらどうだい
もうずいぶん長いこと空をながめては思案しているようだね

全く気難しい奴だな
君なりの理由があるのは僕にもわかっているけど
君を喜ばせているそうした理由ってやつが
どういうわけか君を傷つけることだってあるんだよ

なあ、ダイヤのクイーンは絶対引くなよ
そいつに力があれば君をひっぱたくだろうね
いつだってハートのクイーンが確実なんだって知ってるだろう?

ほらテーブルの上には
いいカードが並んで待っているように僕には思えるんだ
だけど君は手に入らないものを求めるばかりだね

「ならず者」
時が遡るってことはないんだよ
君の痛みや飢え
それらが君を心休まる場所へと駆り立てる

そして自由、ああ自由か、そうだな
そんなこと話す奴もいるってだけのことさ
君は檻に入ってこの世を歩き回っているんだから
たった一人でね

冬になると足が冷たく感じないかい?
空が雪を降らせることはなく、太陽も輝かないなんて
昼と夜を区別することも難しいんだね
心の浮き沈みというものを君は全て失いつつあるよね
そんな感覚がなくなってしまうなんておもしろいことなんかじゃないだろう?

「ならず者」
正気に戻ったらどうだい?
柵から下りてきて門をあけなよ
雨が降っているかもしれない
だけど君の頭上には虹が広がっている
誰かに愛してもらうんだ
今ならまだ間に合うのだから。。。


こんな山奥にカフェ…?

2015年03月02日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 422●

Art Farmer

Yesterday's Thoughts

 卒業式の代休である。祝賀会で飲み過ぎたせいで二日酔いぎみだが、午後からはバスケットボールの練習に付き合わねばならない。妻と次男を送り出し、大量の水分を補給して再びベッドに入った。少し前に目覚めて、コーヒーを淹れて飲んでいる。コーヒーといえば、先日、すごいカフェを発見した。とんでもない山奥にあるのだ。確かに、最近では名所や景観のいい山奥にカフェがあるのは珍しくはないかもしれない。けれどもここは、ただの普通の山奥の、どこにでもあるような集落の中なのだ。「八瀬」という集落だ。私の住む街には「ぜいごっ太郎」という方言がある。「ぜいご」はおそらくは「在郷」という意味だろう。「田舎者」という意味だ。田舎者をちょっと小バカにしたニュアンスの言葉である。住んでいる人には大変申し訳ないが、「ぜいごっ太郎」ということばがよく似合う集落である。私の住む地域で「ぜいこっ太郎」といえば、ほとんどこの「八瀬」の集落をさすといっても過言ではない程だ。この地域の"チベット"とあだ名をつける人もいる。その「ぜいごっ太郎」の集落に、まったくアンバランスなお洒落なカフェがぽつんとあるのだ。店の名を"YASSE COFFEE"という。他のwebからのコピー画像なので季節は違うが、こんな感じだ。

 お洒落な店だ。その日は日曜日ということもあって、思いのほか込んでいた。結構はやっているようだ。雰囲気もいい。味もいい。確かにちょくちょく来たくなる感じはある。けれども、やはり・・・、遠すぎる。

 今聴いているのは、アート・ファーマーの1975年録音盤、『イエスタデイ・ソウツ』である。アート・ファーマーの爽やかな哀愁のフリューゲルホーン全開の珠玉のバラードアルバムである。①「これからの人生」がいい。この曲は好きだ。これまでにも、アーチー・チェップビル・エヴァンスヘルゲ・リエンの演奏を取り上げたように記憶しているが(もっとあったっけ?)、そのどれとも違う演奏である。フリューゲルホーンはその爽やかの故に、ともすると「軽く」なりがちだが、哀感を帯びたトーンで演奏されることで何というか、対象から距離を置いた「達観」の立場から人生を眺めているような雰囲気になる。

 冴えない頭でコーヒーを片手に聴くには、とてもいいアルバムだ。二日酔いの弱った身体に優しい作品である。やっと、おなかがすいてきたようだ。そろそろ遅い朝食を食べようか。

 

 


宇宙のかけらになったビリー・ヒギンズへ

2015年03月01日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 421●

Charles Lloyd

Hyperion With Higgins

 怒涛の3月になりそうだ。卒業式と祝賀会の準備。入学試験と採点、そして選考会議。少子化の影響で、今年は二次募集の試験・採点・選考もしなければなせない。成績処理と進級認定会議もある。幹事長を務める職員クラブの送別会の準備と運営もある。一方で、HCを務めるバスケットボール部のスプリング・キャンプもあり、それにむけてチーム作りも進めねばならない。

 今年は単位認定できないかもしれない生徒がいる。昨日から追指導をはじめた。今日から約3週間、みっちり勉強してもらう。それでだめなら単位は認定すまいと心に決めている。生徒を「落とす」ことにはエネルギーと勇気がいる。「情」の問題もあるが、不認定を嫌がる校長らとの対決もある。学級担任らを納得させることも必要だ。何より、自分自身の授業への向き合い方が問われる。ずっとそう思ってやってきた。自分の授業に対する緊張感と厳しさがないとだめだと思ってやってきた。そういう生き方は疲れる。もう少し妥協して楽に生きる方法もあるのだと思う。けれども仕方がない。性分なのだ。それがささやかな誇りでもある。

「宇宙のかけらになったビリー・ヒギンズへ捧ぐ」

 実に魅惑的なコピーだ。チャールス・ロイドの1999年録音作品、『ハイペリオン・ウィズ・ヒギンズ』である。あの大傑作『ウォーター・イズ・ワイド』(今日の一枚36)と同一セッションである。そのセッションのうち、ロイドのオリジナル曲を集めたアルバムである。このセッションにも参加した名ドラマー、ビリー・ヒギンズが2001年の5月に急逝したのを機に発表されたものだ。チャールス・ロイドは、当初、このセッションを2枚組で発表するつもりだったようだが、諸般の事情で、2000年にバラード曲を集めた『ウォーター・イズ・ワイド』を先行して発表したようだ。ビリー・ヒギンズの急逝を受けもう一枚が急遽発表されることになり、追悼の意味を込めて『ハイペリオン・ウィズ・ヒギンズ』というアルバムタイトルになったようだ。

 実にいい演奏である。発売とほぼ同時に購入していたのだが、なぜかあまり聴いてこなかった。けれど本当にいい演奏だ。① Dancing Waters , Big Sur To Bahia の美しさは筆舌に尽くしがたい。ビリー・ヒギンズの死を念頭におくとき、涙なくしては聴けないような演奏だ。この曲におけるブラッド・メルドーのピアノのリリカルさは、ちょっと言葉では言い表せない。チャールス・ロイドの哀しみを湛えた神秘的なサックスもいい。その音色に心が洗われていく。サウンドが心に沁み込んでゆき、リンパ液に溶け込んで身体全体にいきわたっていくようだ。不信心な私だが、何かしら敬虔な心もちになっていく。