◉今日の一枚 441◉
Thelonious Monk
5 By Monk By 5
セロニアス・モンクの1959年録音盤「5・バイ・モンク・バイ・5」だ。5人のミュージシャンでモンクのオリジナルナンバー5曲を演奏するという趣向である。サド・ジョーンズ(cor)、チャーリー・ラウズ(ts)によるホーン隊の生真面目な演奏に、やや調子っぱずれのモンクのピアノが、独特のタイム感覚でおちょくるように絡んでくるのが何ともいえず楽しい。モンクの作品の中でも、特筆すべき一枚だと思う。村上春樹氏はこのアルバムについて、
このLPはずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた (「ポートレート・イン・ジャズ」新潮文庫)
と記している。
ところで、このアルバムが録音された1959年は、周知のように、数々の名盤が怒涛のように録音されたジャズ史上特筆すべき年である。たまたま手元にある油井正一「ジャズ~ベスト・レコード・コレクション」は、ジャズのアルバムを録音年順に並べたなかなか重宝な本であるが、同書は1959年録音作品として次の作品を取り上げている。
Eddie Costa : The House Of Blue Lights
Paul Chambers : Go
Cannonball Addarley : In Chicago
Wynton Kelly : Kelly Blue
Miles Davis : Kind Of Blue
Junior Mance : Junior
Ben Bebstar : And Associates
Jackie McLean : New Soil
John Coltrane : Giant Steps
Bill Evans & Jim Hall : Undercurrent
Ornette Coleman : Shape Of Jazz To Come
Benny Golson : Gone With Golson
Horace Silver : Blowin' The Blues Away
Paul Desmond : First Place Again
Jackie McLean : Swing Swang Swingin
Cannonball Addarley : In San Francisco
Donald Byrd : Fuego
Kenny Dorham : Quiet kenny
Miles Davis : Sketches Of Spain
Bill Evans : Portrait In Jazz
John Coltrane : Ballade
Quincy Jones : The Birth Of A Band
すごいアルバムの勢ぞろいではないか。ジャズ史上の転換点などといわれるのも当然である。菊地成孔・大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー(歴史編)」は、John ColtraneのGiant Steps、Ornette ColemanのShape Of Jazz To Come、Dave BrubeckのTime Out、Bill EvansのPortrait In Jazz、そしてMiles DavisのKind Of Blueを取りあげ、その楽理的意義について詳細な分析をしているが、難しすぎて私には理解できない。まあ文系的には、ハードバップの最も洗練された到達点と、そこから自由になる試みということになろうか。
ところで、「5・バイ・モンク・バイ・5」がないではないか。上にあげた諸作品と比べて勝るとも劣らないと思うのだが、油井氏は取り上げなかったということになる。それだけではない。油井氏の前掲書に取り上げられたモンクの作品は5作品のみである。これは多くのアーティストに比して少なくはないが、例えばソニー・ロリンズやマックス・ローチが9作品ずつ掲載されていることから考えると、モンクが冷遇されている感じさえする。モンクのファンにとっては、はずせないはずのものがはずされているとも映るだろう。油井氏が同書において、ジャズ・ジャイアンツの一人としてモンクを取り上げ、特別にエッセイを記していることから考えてみても、奇妙である。一方、大ヒットアルバムである Dave BrubeckのTime Out もはずされていることから、ある種の恣意性を感じたりもする。
しかし、翻って考えてみると、モンクの個性的な音楽は、ビバップ→ハードバップ→モードなどという楽理的なジャズ史とは別次元のところで展開されていたのではなかろうか。1959年にモンクは何をしていたのだろう。いつものモンクと同じである。いつも通り革新的だった。いつも通り革新的であるとは、予定調和的な音楽ではないという意味においてだ。
モンクの音楽は、ジャズ史に記述されるような、その時代の音楽に対する前衛や変革としての方法論とは別のところで、いわば超時代的な前衛や革新としてあるのではないか。油井氏が、モンクに関するエッセイのサブタイトルを「わが道を生き抜いたモダンピアノの奇才」としたのも、そのことと関連するように思う。「わが道」とは、時代性に対するわが道なのだ。その意味では、発展段階論的に記述されるジャス史の中では、扱いにくいミュージシャンなのだろう。モンクの音楽は、いつの時代にも、音楽そのものに対する前衛や変革として存在しているのだ。