WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ジャズ史における1959年とセロニアス・モンク

2019年08月15日 | 今日の一枚(S-T)
◉今日の一枚 441◉
Thelonious Monk
5 By Monk By 5
 セロニアス・モンクの1959年録音盤「5・バイ・モンク・バイ・5」だ。5人のミュージシャンでモンクのオリジナルナンバー5曲を演奏するという趣向である。サド・ジョーンズ(cor)、チャーリー・ラウズ(ts)によるホーン隊の生真面目な演奏に、やや調子っぱずれのモンクのピアノが、独特のタイム感覚でおちょくるように絡んでくるのが何ともいえず楽しい。モンクの作品の中でも、特筆すべき一枚だと思う。村上春樹氏はこのアルバムについて、
このLPはずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた (「ポートレート・イン・ジャズ」新潮文庫)
と記している。

 ところで、このアルバムが録音された1959年は、周知のように、数々の名盤が怒涛のように録音されたジャズ史上特筆すべき年である。たまたま手元にある油井正一「ジャズ~ベスト・レコード・コレクション」は、ジャズのアルバムを録音年順に並べたなかなか重宝な本であるが、同書は1959年録音作品として次の作品を取り上げている。
Eddie Costa : The House Of Blue Lights
Paul Chambers : Go
Cannonball Addarley : In Chicago
Wynton Kelly : Kelly Blue
Miles Davis : Kind Of Blue
Junior Mance : Junior
Ben Bebstar : And Associates
Jackie McLean : New Soil
John Coltrane : Giant Steps
Bill Evans & Jim Hall : Undercurrent
Ornette Coleman : Shape Of Jazz To Come
Benny Golson : Gone With Golson
Horace Silver : Blowin' The Blues Away
Paul Desmond : First Place Again
Jackie McLean : Swing Swang Swingin
Cannonball Addarley : In San Francisco
Donald Byrd : Fuego
Kenny Dorham : Quiet kenny
Miles Davis : Sketches Of Spain
Bill Evans : Portrait In Jazz
John Coltrane : Ballade
Quincy Jones : The Birth Of A Band
 すごいアルバムの勢ぞろいではないか。ジャズ史上の転換点などといわれるのも当然である。菊地成孔・大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー(歴史編)」は、John ColtraneのGiant Steps、Ornette ColemanのShape Of Jazz To Come、Dave BrubeckのTime Out、Bill EvansのPortrait In Jazz、そしてMiles DavisのKind Of Blueを取りあげ、その楽理的意義について詳細な分析をしているが、難しすぎて私には理解できない。まあ文系的には、ハードバップの最も洗練された到達点と、そこから自由になる試みということになろうか。

 ところで、「5・バイ・モンク・バイ・5」がないではないか。上にあげた諸作品と比べて勝るとも劣らないと思うのだが、油井氏は取り上げなかったということになる。それだけではない。油井氏の前掲書に取り上げられたモンクの作品は5作品のみである。これは多くのアーティストに比して少なくはないが、例えばソニー・ロリンズやマックス・ローチが9作品ずつ掲載されていることから考えると、モンクが冷遇されている感じさえする。モンクのファンにとっては、はずせないはずのものがはずされているとも映るだろう。油井氏が同書において、ジャズ・ジャイアンツの一人としてモンクを取り上げ、特別にエッセイを記していることから考えてみても、奇妙である。一方、大ヒットアルバムである Dave BrubeckのTime Out もはずされていることから、ある種の恣意性を感じたりもする。

 しかし、翻って考えてみると、モンクの個性的な音楽は、ビバップ→ハードバップ→モードなどという楽理的なジャズ史とは別次元のところで展開されていたのではなかろうか。1959年にモンクは何をしていたのだろう。いつものモンクと同じである。いつも通り革新的だった。いつも通り革新的であるとは、予定調和的な音楽ではないという意味においてだ。

 モンクの音楽は、ジャズ史に記述されるような、その時代の音楽に対する前衛や変革としての方法論とは別のところで、いわば超時代的な前衛や革新としてあるのではないか。油井氏が、モンクに関するエッセイのサブタイトルを「わが道を生き抜いたモダンピアノの奇才」としたのも、そのことと関連するように思う。「わが道」とは、時代性に対するわが道なのだ。その意味では、発展段階論的に記述されるジャス史の中では、扱いにくいミュージシャンなのだろう。モンクの音楽は、いつの時代にも、音楽そのものに対する前衛や変革として存在しているのだ。







 



宮城オルレ唐桑コーストレッキング

2019年08月11日 | 今日の一枚(M-N)
◉今日の一枚 440◉
Moncef Genoud Trio
It's You
 昨日は、懸案の宮城オルレ唐桑コースにチャレンジした。天候が心配だったが、天気予報では午前中は曇り、午後は降水確率40%前後ということだったので、とりあえず現地に行ってみた。私より先に歩いている人はいないということだったので不安はあったが、来週は雨の日が多いという予報もあり、思い切って決行することにした。

 天気予報がはずれて途中から雨が降ってびしょぬれになったり、カモシカに遭遇したり、階段で足を捻挫したりとアクシデント続きだったが、快晴のときとは違う灰色の海の景色は、水墨画のような趣があり美しかった。やはり、唐桑の海はいつ見ても素晴らしい。唐桑の海の水平線を見ているといつも、やはり地球は丸いのだということを再確認させられる。雨は途中から小降りになり、しだいに晴れ間が見えてくるなどコンデイションはしだいに良くなって、フィニッシュのときには快晴だった。分岐点のコース選択では海沿いのAコースを選び、巨釜の折石へのオプションコースも含めて、約10kmを3時間半程で歩いた。以前歩いた奥松島コースに比べてアップダウンが多く、その意味ではハードコースだが(とくに後半はアップダウンが多くてきつかった)、きちんと整備された道は足場がよく、快適にトレッキングを楽しむことができた。新たに購入したトレッキングシューズとトレッキングポールも大きな威力を発揮してくれた。近いうちに、Bコースをもう一度歩きたいと思っている程だ。日韓関係はどんどん険悪な雰囲気になっているが、9月28日には「大崎鳴子コース」が、今年度中に「登米コース」オープンする予定であり、それらのコースも是非チャレンジしてみたい。


 今日の一枚は、モンセフ・ジュヌ・トリオの1997年録音盤「イッツ・ユー」である。モンセフ・ジュヌという人を知ったのは、寺島靖国 presents Jazz bar 2002 というCDによってだった。彼が演奏するビル・エヴァンスの曲、We Will Meet again は、このCDの中でひと際輝きを放っていた。モンセフ・ジュヌは1961年チュニジアの生まれで、現在はスイス在住とのことだ。1987年にジェノヴァ音楽院で学位を取得、現在同校でジャズのアドリブについて教鞭をとっているようだ。寺島さんのCDを聴いたときには透明な響きのピアノだと思ったのだが、オリジナルアルバムを聴いてみると、意外に太いしっかりとした音のピアノを弾く人だという印象をもった。

 それにしても、寺島さんの一連のCD、小遣い銭稼ぎとかいろいろな悪口を言われたものだが、今考えるとなかなかいい選曲だったように思う。比較的新しい才能のある人を知るのにたいへん便利なCDだ。高いので、あまり買えないのだが・・・。

ニューヨークの青江三奈

2019年08月08日 | 今日の一枚(G-H)
◉今日の一枚 439◉
Helen Merrill
With Clifford Brown
 1954年録音のヘレン・メリル「ウィズ・クリフォード・ブラウン」だ。誰もが認めるジャズの古典的名盤である。大学生の頃、廉価版のLPレコードを買った。ずっとそのLPレコードで聴いてきた。今でもそれを所有している。結構聴きこんだと思う。ところが、よく考えてみるといつしかこのアルバムを聴くことはなくなり、もう恐らくは20年近くターンテーブルにのせてはいない。このアルバムのことを思い出したのは、2日程前に10kmウォーキングをしていたときだ。突然、何の前ぶれもなく、「 ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」のクリフォード・ブラウンのブリリアントなソロが頭の中で鳴り響き始めたのだ。まったく思いがけないことだったが、ブラウニーのトランペットのメロディーを何度も口ずさみながら、残りの道のりをウキウキしながら歩いた。

 さて、「ニューヨークのため息」ともいわれるヘレン・メリルの歌声を聴いて、日本の歌姫、青江三奈とを連想するのは私だけではあるまい。青江三奈のちょっと演歌チックで声質がやや野太いところを除けば、そのヴォイスが醸し出す雰囲気はヘレン・メリルそっくりである。「日本のヘレン・メリル」とか、「伊勢佐木町のため息」などとは呼ばれなかったのだろうか。その辺の同時代的なことは、私には詳しくはわからない。青江三奈のメジャーデビューは1966年であり、登場した年代はヘレン・メリルが先行しているから、彼女が青江三奈を模倣したとは考えにくい。青江三奈がヘレン・メリルの影響を受けたと考えるのが自然である。実際、そうなのかもしれない。けれども、私にとっては青江三奈を知った方が先だったのであり、初めてヘレン・メリルを聴いたとき、「青江三奈じゃん」と思ったものだった。その意味で、ヘレン・メリルをあえて「ニューヨークの青江三奈」と呼びたいところである。

最近、レッド・ガーランドをよく聴く

2019年08月05日 | 今日の一枚(Q-R)
◉今日の一枚 438◉
The 1956 Red Garland Trio

 ふとしたことから、このところレッド・ガーランドをよく聴く。マイルス・デイヴィスの「ワーキン」の美しすぎるイントロを別にすれば、私の中ではずっと、ビル・エヴァンスの登場によって歴史の片隅においやられた、格落ちのピアニスト、という勝手な思い込みをしていた気がする。

 しかし、左手のブロックコードと右手のシングルトーンから生み出される「ガーランド節」は、改めて聴くと、とてもシンプルで受け入れやすいサウンドだ。ガーランドの右手は、ときに美しくときにスウィンギーに、変幻自在のメロディーを奏でる。
 
 近頃よく聴くのは、「ザ・1956・レッド・ガーランド・トリオ」というアルバムだ。輸入盤CDで所有している。アルバムの成立についてはよくわからないが、「A Garland of Red」、「Groovy」、「Red Garland's Piano」、そしてマイルスの「Workin'」に収録されていたものの寄せ集めで、 レッド・ガーランドが1956年に残したトリオ演奏の集大成という企画のようだ。1956年といえば、レッド・ガーランドはマイルス・デイヴィス・グループのピアニストを務めていた時期であり、才気あふれる時代だ。寄せ集め盤だけに、どれも秀逸な演奏だが、① A Foggy Day と② My Romance、そして、⑪ O know way あたりは大好きだ。

 今日も暑いが、幸いなことに涼しい風が入ってくる。夏季休暇を取ったが、妻は遠方から来た友だちのお供で、家には私一人だ。懸案の唐桑オルレに挑戦しようかとも考えたが、暑すぎる故に断念し、午前中はしばらくぶりの一人ジャズ喫茶ごっこに興じている。