WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

おかえりモネ展

2021年11月07日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 556◎
Salena Jones
Mystery Love
  「おかえりモネ」の最後の2週、「大人たちの決着」「あなたが思う未来へ」は、非常に印象深い内容であった。いままで放送された内容と結びつき、一挙に疑問が氷解され、いろいろ考えさせられるものだった。
 先日、私の住む気仙沼市にある「海の市」という物産施設を訪れた。たまたま用事があって近くに行ったところ、「おかえりモネ展」を開催しているというので立ち寄ってみたのである。どうせ気仙沼市のやる事だからまた中途半端なものだろうという思いもあったが、話のタネにと考え赴いた。ところが結果からいえば、意外と充実したものだったように思う。あまり期待していなかったのでそう思ったのかもしれないが、私のテンションは急上昇だった。
 入場は無料である。

 大きなパネルやドラマの場面の写真、撮影風景の写真を中心に構成されていたが、中にはこんなものもあった。
 テーマソングの映像を模して、ここに入って走るポーズで写真を撮るのである。恥ずかしながら、私もやってみた。こういうものがあると、やってみたくなるのだ。
 興味深かったのは、小道具の展示だった。実際に撮影に使われた小道具がいつくも展示されていた。なかなか興味深かった。
 「かさいるか」ちゃんと「こさめ」ちゃんである。
 チーム鮫島の関連小道具もいくつか展示されていた。
 りょうちんの「カンバン」である。このような着物を地元気仙沼ではカンバンという。全国的には「まいわい」というようだ。ずっと以前、網野善彦さんが気仙沼市でこの「まいわい」に関する講演を行ったのを思い出す。もう30年程前のことだ。
 最終週のりょうちんがこの「カンバン」を着るシーンは、実に感動的だった。彼は、自分自身の人生を生きる航海へと旅立とうといているのだ。

 今日の一枚は、サリナ・ジョーンズの1984年作品、『ミステリー・ラブ』である。サリナ・ジョーンズはLPもCDも持っていない。けれども、このアルバムはよく聴いた。学生時代に貸しレコード屋で借りたものを録音したカセットテープで聴いたのだ。そのテープは今も持っている。サリナ・ジョーンズのことは詳しくは知らないが、このアルバムは好きだ。何度も聴いた記憶がある。このアルバムを手に入れたいが廃盤のようだ。Apple Musicでも見当たらない。いくつかあるベスト盤の一つなのかもしれない。
 学生時代以来聴いていなかったサリナ・ジョーンズのことを思い出したのは、数年前、大船渡のあった頃のh.イマジンで聴いてからだ。たまたま訪れたときにかかっていたのである。それがサリナ・ジョーンズであることはすぐに分かった。細胞にインプットされているのである。それほど聴き込んだのだ。音のいいセットで聴くしばらくぶりのサリナ・ジョーンズは、なかなかのものだった。以来、『ミステリー・ラブ』を手に入れたいとずっと思っている。
1. Mystery Love
2. Up Where We Belong
3. Love Is In The Air
4. Still
5. The Way We were
6. Sentimental Journey
7. You've Got A Friend
8. Stuck On You
9. My Love
10. Antonio's Song
11. Lately
※LPから録音したのだが、どこまでがA面なのかわからない。


さあ、私も気仙沼に帰るか

2021年10月05日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 551◎
Sonny Rollins
Alfie'
 やっと退院の許可がおりた。今日の午後退院だ。妻の迎えを待つと夕方になってしまう。ちょっと大変だが、高速バスで自力で帰ろうと思う。思えば、今回の入院は3度に分けてトータル46日間となった。もちろん、これまでにない経験だ。ステロイドのため免疫力が著しく低下し、体力も明らかに低減している。血糖値も安定せず、ステロイド糖尿病の症状もある。数日間は自宅で体調を整え、仕事に復帰するのは来週からにならざるを得ないだろう。
 それでも退院はうれしい。「おかえりモネ」も地元に帰り気仙沼編が始まっている。私も気仙沼に帰り、動き始めよう。

 今日の一枚は、ソニー・ロリンズの『アルフィー』である。1966年のイギリス映画『アルフィー』の音楽を、ソニー・ロリンズが担当したものである。 オリバー・ネルソンのアレンジによる好盤である。今日の退院と気仙沼へと向かうテーマソングにしようと、apple musicからダウンロードした。ブラスの音を感じながら、バスの旅を楽しみたい。

さようなら、困ったちゃん

2021年08月05日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 528◎
Tommy Flanagan
Overseas

 《困ったちゃん》が転院していった。数日前に記した、頻繁にナースコールをして看護師を困らせていた同じ病室の人である(→こちら)。
 看護師の他にも多くの人を困らせているようだった。リハビリがちょっときついと、もうリハビリはやらない、リハビリ担当を変えてくれ、あいつは態度が悪い、と騒ぎだす始末だった。担当医がわざわざ来て、治す気があるならきちんと取り組むよう説得しても、今度はその都度理由をつけてキャンセルするようになった。
 数日前から、担当医師が来て転院するよう説得、というより通告していた。彼はもともと他の病院にいたが、治療の目的でこの病院に一時的に転院したらしかった。この病院での治療が終わったので、元の病院に帰らなければならないという。彼はものすごい勢いで抵抗した。あの病院は、人を人間扱いしないといい、たくさんの具体的事例をあげた。実際、前の病院では彼にいくつかの禁止事項が設定されていたようだ。それはもちろん、彼が多くのルール違反を犯して周囲に迷惑をかけていたことが原因だったらしい。しかし、彼は自分に対する扱いに反発を強め、暴れたり、人を殴ったりしたようだった。
 今朝、元の病院に戻るようにという医師からの最後の通告に、彼は「絶対戻りません」「あの病院に戻るなら、ここで息を止めて死にます」とまでいった。しかし、もう決まっている、ご家族も了解して今日迎えに来る、前の病院からももうすぐ迎えに来る、などの話を聞いて、結局観念したようだった。転院の支度をしながら、彼は看護師に前の病院がいかに酷いところがを力説し、この病院は良かったなあと語った。そして、10時過ぎにひっそりと転院していった。
 彼の落ち度や問題点はかなり大きいと思う。けれども、やはり病人は社会的弱者なのだと改めて思った。病人、障がい者、子ども、老人、当然のことながら、上野千鶴子先生はここに女性も付け加えるだろう。みんな社会的弱者である。誰もがいつか、社会的弱者になる。

 今日の一枚はトミー・フラナガンほ1957年作品、『オーバー・シーズ』である。ピアノトリオの名盤である。今日も入院中ということでアップルミュージックで聴いた。学生時代、渋谷の音楽館でよくかかっていた。本当にしばらくぶりに聴いた。ザ・ピアノトリオ、ザ・昔のジャズ喫茶の音楽という感じだ。
 眺めの良い5階の面会室で、病院のコンビニの100円のコーヒーをすすりながら、安いベッドホンでこのアルバムを聴いた。窓の外には、仙台の夕暮れの風景が広がっている。
 さようなら、困ったちゃん。




全身麻酔で時間が消えた!

2021年08月03日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 525◎
Tom Waits & Crystal Gayle
One From The Heart

 開腹手術をした。全身麻酔である。初めてである。すごい。私の人生の時間の一部が、きれいさっぱり消え去ってしまった気分だ。
 麻酔は点滴で入れた。手術台に寝て何か話しているうちに眠ってしまったようだ。いつどのように眠りに着いたかわからない。眠りに着く過程も全く記憶にない。名前を呼ばれて目を覚ますと、もうすべて終わったとの事だった。この間、時間の感覚はまったくない。数分あるいは数秒間眠ってしまったら、もうすべて終わっていたのだ。実際には2〜3時間あったようだ。
 私の人生の時間が消え去ってしまったという感覚だ。

 今日の一枚は、トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの『ワン・フロム・ざ・ハート』である。1982年作品、映画のサウンドトラックである。
 大学生の頃、同郷の、学生としてはやや高価なオーディオセットをもっている友人の下宿でこのアルバムのLPを聴いた。内容もさることながら、冒頭のコインが転がる音が実に印象的だった。ところが、自分の下宿帰って聴いてみると、その頃の私の、チープなステレオセットでは、その鮮度のいい音はでなかった。
 後年、高価ではないがそれなりのステレオを手に入れた私は、このアルバムを聴いてみよう思ったこだが、タイトルを忘れてしまっていた。
 今回の入院でアップルミュージックをいじっていて、偶然にもこのアルバムに再会することになったのである。今、傷口の痛みに耐えながら、およそ40年ぶりに、『ワン・フロム・ざ・ハート』を聴いている。
 今夜は、眠れそうもない。


蜂ケ崎展望台

2021年04月11日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 493◎
Stanley Cowell Trio
Dancers In Love
 新しくできたという「蜂が崎」展望台に行ってみた。東北地方最大のつり橋、気仙沼湾横断橋を近くで見学するために、大浦地区の防潮堤上に作られた施設で、横断橋を真横の角度から見ることができる。遠くには気仙沼大島大橋も見え、2つの橋が重なった形になる。2つの橋を含む風景の雄大さという点では、安波山からの眺望に一歩譲るが(→こちら)、横断橋をより近くで、海の青さを感じながら眺められるという点では、こちらがいい。今日は天気はもよく、気持ちの良い気候だった。心穏やかな一時だった。
 今日の一枚は、スタンリー・カウエル・トリオの『恋のダンサー』である。1999録音。venus盤である。ラグタイム的な曲想で、気持ちよくスウィングするピアニストだ。venus盤らしい、ベース音を強調した音の強い録音である。スウィングを信条とするこのピアニストには、venusの音が意外とマッチしている気がする。心ウキウキ。何だか楽しい。今日のような心晴れやかな日は、こういうサウンドがいい。

徳洲会の救急車

2021年03月29日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 483◎
Steve Kuhn Trio
Sing Me Softly Of The Blues
 震災のときのことで思い出すことの一つに、徳洲会の救急車がある。震災後には医療的ケアが必要なことがたくさんあった。震災の翌日か翌々日か忘れたが、避難所となっていた階上中学校に、何十台もの救急車が列をなして現れたのである。救急車には「徳洲会」と記されていた。すごい、と思った。助かった、と思った。
 徳洲会は、へき地・離島医療などに力を入れている巨大民間医療グループである。「生命だけは平等だ」「生命を安心して預けられる病院」「健康と生活を守る病院」を理念として、医師会の既得権益に抵抗した結果、各地で救急医療が受けられるようになったと評価される一方、wikipediaによれば臓器売買事件、親族への利益移転、暴力団との関係、選挙違反、政治献金などさまざまな問題が批判的に指摘されている。ただ、覚えておかなければならないのは、批評家らの安全な場所からのさまざまな批判的な言説にもかかわらず、震災のときに誰よりも早く、大規模な救援の手を差し伸べたという事実である。さまざまな批判にもかかわらず、医療という一点においては、徳洲会の活動は評価されなければならないだろう。昨今のコロナ禍においてもそうだ。いくつかの徳洲会病院で院内感染が発生したという批判がある一方で、小賢しい理屈を述べコロナ患者の受け入れに消極的な医師会と対照的に、早くから積極的に受け入れを行ってきたという事実がある。われわれの社会にはさまざまな言説が渦巻いているが、困難な状況下でその真偽は試されるのだ。

 今日の一枚は、スティーブ・キューンの1997年録音作品『ブルースをそっと歌って』である。venus盤である。パーソネルは、Steve Kuhn(p)、George Mraz(b)、Pete LaRoca Sims(ds)である。ECM時代の知的で洗練された、透明感のある演奏から一転、音の強い、ゴリゴリ、ゴツゴツした感じの骨太のスティーブ・キューンである。しかし、その強力なスウィング感をもつ手触りの粗いブルージーなサウンドの中で奏でられるスピーディーで流麗なメロディーラインに、やはり知的なものを感じてしまう。

 


邪馬台国について

2021年02月27日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 471◎
富樫雅彦
Spiritual Nature
 邪馬台国に興味をもったのは,1999年の歴史教育者協議会奈良大会で、当時橿原考古学研究所にいた寺沢薫さんの、纏向遺跡についての話を聞いてからだった。纏向遺跡についての当時の最新の研究成果を知り、おそらく邪馬台国九州説はもう成り立たなくなるだろうという感想をもったものだ。その後の考古学研究の進展と文献史学の深化により、学界の大勢はもはや完全に畿内説となったようだ。それは、例えば吉村武彦『ヤマト政権』(岩波新書:2010)の次のような記述からもわかる。
日本列島が倭国として統合されたプロセスとしては、1世紀末の段階では九州が進んでいたが、2世紀後半になると近畿地方が優位に立った。こうしたなかで、卑弥呼が存在した3世紀初頭には邪馬台国が倭国の盟主となっていったのである。
 古墳などの墳墓や副葬品などの遺物の、緻密な分析と編年研究が進展したことが大きかったようだ。
 同書は、位置論争のポイントの一つだった『「魏志」倭人伝』の邪馬台国への道程の記述についても、15世紀に朝鮮で作られた次の地図(中国元代の地図をもとにしているものらしい)を提示する。
 すなわち、古代・中世の大陸の人々は、日本列島は南にのびていると認識していたのではないかということである。『「魏志」倭人伝』の記述に従えば、邪馬台国は九州の遥か南方の海の上ということになる。簡単に言えば九州説は方角を重視したものであり、畿内説は距離を重視したものだ。しかし、これは近代科学主義的な地図を念頭に置いたものである。この地図のような地理認識を念頭に置けば、話は全く変わってくる。「魏志」の記述と畿内説は矛盾しないことになる。当時の人々の生活世界の視点から論を進めるやり方は、非常に納得のいくものだ。
 もはや、邪馬台国畿内説はほとんど通説であり、問題意識は邪馬台国とヤマト政権がつながっているのか、いないのか、あるいは卑弥呼の墓との伝承のある箸墓古墳を邪馬台国に引き付けて理解するのか、ヤマト政権に引き付けて理解するのかにシフトチェンジしているようである。
 かつて学生時代に、邪馬台国論争は正統な学問が手を出すところではないといわれていたことを考えれば、隔世の感である。

 今日の一枚は、富樫雅彦の「スピリチュアル・ネイチャー」である。1975年の東京新宿厚生年金小ホールでのライブ録音(④のみスタジオ録音)である。帯の宣伝文句には「聴衆を釘付けにした伝説的コンサート」とある。パーソネルは、富樫雅彦(per, celesta)、渡辺貞夫(fl, ss, as)、鈴木重男(fl, as)、中川昌三(fl)、佐藤充彦(p, marimba, glocken-spiel)、翠川敬基(b, cello)、池田芳夫(b)、中山正治(per)、豊住芳三郎(per)、田中昇(per)、である。
 日本のフリージャズである。フリージャズだが、私には非常に叙情的に感じられる。演奏を聴いていると、何か映像が目の前に浮かんでくるようだ。それは例えば、卑弥呼も見ていたかもしれない、弥生時代の穏やかな日常の風景だ。そういう、ある種の「古代」を感じる。演奏者は何をイメージしていたのだろうか。

風呂場でJAZZ

2021年01月31日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 466◎
Niels Lan Doky /Trio Montmartre
The Look Of Love
 この一週間ほど、入浴しながらJazzを聴くのがマイブームである。半年ほど前、テラスでひとりビア・ガーデンをするために買ったAnkerのBluetoothスピーカーで聴くのだ。風呂場特有のエコー効果で程よく音が増幅され、低音も迫力あるものになる。Apple Music で聴くが、聴く音楽は、圧倒的にピアノ・トリオが多い。風呂場でJAZZ。風呂場でピアノ・トリオである。ステイホームの楽しみの一つである。
 風呂場でピアノ・トリオを聴くというアイデアは、たまに行く銭湯「友の湯」で得たものだ。「友の湯」については、以前、記したことがあるが(→こちら)、昔ながらの銭湯の中でいつもピアノ・トリオが流れているのだ。小さな音だが、風呂場に反響していい感じになる。空いていて、風呂場に自分一人の時などはもう最高だ。手足を伸ばして、ピアノ・トリオに浸っている。「友の湯」については、機会があればそのうちまた書きたいと思っている。
 今日の一枚は、ニルス・ランドーキー率いるトリオ・モンマルトルの2003年録音盤、『ザ・ルック・オブ・ラブ』である。ニルス・ランドーキーあるいはトリオ・モンマルトルの作品は一時は結構聴いた。CDも数枚所有している。長いこと聴いていなかったが、風呂場で聴くピアノ・トリオということで、脳裏に浮かんだもののひとつがトリオ・モンマルトルだった。風呂場で、聴くピアノ・トリオは、攻撃的な演奏は合わない気がする。鬼気迫る演奏も必要ない。多少、凡庸でも、ゆったりと癒してくれるものがいい。手足を伸ばして、ゆったりと何も考えずに音楽に浸りたい。今夜はこのアルバムで風呂に入ろうと思っていたら、Apple Musicにはないようだ。なぜだ。

トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ⑤

2021年01月03日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 459◎
Tom Waits
Foreign Affairs
 あの人の底辺で生きることのあこがれはよくわかるし、歌も生き方も大好きよ。でも二人で一緒にそれを続けていたら、どちらかが先にダメになってしまう。
 トム・ウェイツについてのリッキー・リー・ジョーンズの言葉らしい。二人の離別は、1979年か1980年頃と推測される。二人にはもちろんそれぞれの個性があるが、その作風は微妙にシンクロしているように見える。二人が暮らした日々は、その後のそれぞれの音楽に大きな影響をもたらしたのかもしれない。
 今日の一枚は、トム・ウェイツの1977年作品、『異国の出来事』である。ジャケットは、トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズの写真である。残念ながら、私は現時点でこのアルバムを所有していない。慌ててamazonに注文して、届くのを待っている。今はapple musicで聴いている。やはり、初期の作品は、よりジャズの影響が強いようだ。じっくり聴きたいアルバムである。③ I Never Talk To Strangers は、ベット・ミドラーとのデュエットだ。ベット・ミドラーのボーカルは十分に素敵だが、リッキー・リー・ジョーンズだったらどうだったろうなどと夢想してしまう。今、傍らでは⑦ Burma-Shave が流れている。いい曲だ。

トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ④

2021年01月02日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 458◎
Tom Waits
Blue Valentines
 私たちは同じ通りの周辺を歩いているの。私たち2人にとっては、主にジャズのためにこういう状況になったのだと思うわ。私たちは人生のジャズ側を歩いているのよ。
 リッキー・リー・ジョーンズが、トム・ウェイツについて語った言葉だ。《ジャズ》という言葉を使っているところが興味深い。二人の音楽からは、ジャズの濃厚な影響が感じられるからだ。音楽が二人を結び付け、リッキー・リー・ジョーンズの音楽的成功が二人を引き離したということになるのだろうか。本当のところは誰にも分らない。
 離別した後のトム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズは別々の道を歩んだ。以後、共演したこともないようだ。
 リッキー・リー・ジョーンズは、商業的な意味では、デビュー・アルバムのような大ヒット作には恵まれなかったが、時代に媚びない音楽を作り続けた。1980年代後半には数年間音楽活動を中断したものの、その後活動を再開し、個性的でクオリティーの高いアルバムを発表し続けている。

 一方、トム・ウェイツも個性的な作品を発表し続けた。すでに、音楽業界内では高い評価を得ていたが、1985年の『レイン・ドックス』のヒットによって、その音楽は一般の人々にも広く知られるようになった。初期の作品群も名盤として再評価されるようになり、1993年と2000年にはグラミー賞を受けている。下層の人々をユーモラスに描きながらも温かい目で見つめる作風は多くの支持を集め、2000年代以降も、たびたびグラミー賞にノミネートされている。2011年には《ロックの殿堂》入りを果たし、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」 や、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」 にも選ばれている。
 私は思うのだが、《トム・ウェイツ》という言葉は、その個性的で独特の音楽ゆえに、もはや人名ではなく、一つのジャンルとしてもいいのではなかろうか。
  
 今日の一枚は、美しいジャケットが際立つ、トム・ウェイツの1978年『ブルー・ヴァレンタイン』である。全編にわたりジャズ・テイストが色濃く反映したアルバムだ。時にビートに乗り、時にしっとりと繊細に歌うトム・ウェイツを堪能したい。最後の曲、⑩ Blue Valentines が終わった後の、どうしようもなく深い静寂感が、この作品の素晴しさを表している。このアルバムは、リッキー・リー・ジョーンズと恋人同士だった時期のアルバムであり、ジャケットの裏に使われた写真は、トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズのものだという。

トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ②

2020年12月31日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 456◎
Tom Waits
Heartattack And Vine
 二人が出会ったのは、1977年、トム・ウェイツが28歳、リッキー・リー・ジョーンズは22歳の時だったようだ。トム・ウェイツはデビューしてアルバムを数枚発表していたがまだ知名度は低く、リッキー・リー・ジョーンズはデビューすらしていない下積みの時期だった。
 1979年にリッキー・リー・ジョーンズのデビュー作『浪漫』(→こちら)が発表されると、ロックにフォークやジャズ、ブルースを融合させたその音楽は、多くの支持を集めるようになる。このアルバムは全米3位のヒットとなり、翌年のグラミー賞最優秀新人賞を獲得するなど、彼女は一躍スターダムにのし上がっていく。
 この後、リッキー・リー・ジョーンズはトム・ウェイツと暮らしたロスを離れ、ニューヨークへと旅立って行くことになる。

 今日の一枚は、トム・ウェイツの1980年作品『ハートアタック・アンド・ヴァイン』である。トム・ウェイツの6作目のアルバムだ。ジャケットは新聞紙を模したデザインだが、よく見ると、曲名と歌詞が書かれている。
 リッキー・リー・ジョーンズとの別れを歌ったとされる⑨ Ruby's Arms(ルビーズ・アームス)は、胸がしめつけられるほど切なく美しい曲である。心がかき乱されるほど切なくなり、じっとそこにたたずむのみである。
俺の服は置いていく
お前といた時のものさ
今はブーツと皮のジャケットがあればいい
ルビーの腕に別れを告げる
俺もつらいけれど
カーテンごしに出ていくさ
お前の目をさまさないように
 ちなみに、⑤ Jersey Girl(ジャージー・ガール)は、リッキー・リー・ジョーンズと別れた後、出会った脚本家キャサリン・ブレナンに捧げた曲である。二人は、このアルバムのレコーディングを終えた後、結婚することになる。

毎年迷う神棚飾り(2021)

2020年12月28日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 449◎
Stan Getz
Serenity
  昨日27日は、大安だというので神棚づくりを行った。家を建てたばかりの頃は、奮発してエビも7房のものを数年間使ったものだが、なにせ不必要に高額なので、しだいに5房のものになり、近年では3房のものでいいと考えるようになった。私の住む地域特有のものらしい切り紙や星玉の配列も、はじめは父親から教えられたようにしていたが、考え方に諸説あることや家によって異なる場合もあることを知り、最近ではいろいろ変えてみたりしている。
 いつも迷うのが、恵比寿・大黒のポジショニングである。例えば、星玉(一番手前のカラフルなもの)5枚の場合を例にとれば、向かって右側から松・竹・梅・恵比寿・大黒の順だと教えられたものだが、恵比寿・大黒・松・竹・梅の配列の家も多いらしい。いずれにしてもこの場合、松・竹・梅の配列から見ると、向かって右がより上位のものと考えられるが、それではなぜ大黒より恵比寿が上位なのだろうという疑問が生じる。大黒は「大国主神」であり、恵比寿は「事代主神」であるが、「事代主神」は「大国主神」の子なのだ。『古事記』の中で果たす役割も、大国主の方が重要だ。もちろん、歴史の中でいろいろな神仏と習合した結果であると考えることもできようが、やはり納得はできない。また、また、正面から見て左右対称になる場合、中心に上位のものが位置すべきではないのかとの疑問もある。実際、神棚の神宮大麻(天照皇大神宮)・氏神神社・崇敬神社のお札の配列も、神社本庁によれば、3枚並べる場合は真ん中は天照皇大神宮のお札らしい。であれば、松・竹・梅も松を中央にすべきではないか。さらに、天照皇大神宮のお札を中央にした場合も、2番目に上位のものと考えられる氏神神社はなぜ向かって右(つまり神棚から見て左)なのだろう。古来日本では、左より右が尊いとされる風習に従えば、氏神神社が神棚から見て右(向かって左)になるべきではなかろうか。これを松・竹・梅に当てはめれば中央が松、向かって左が竹、右が梅という考え方もありうるのではなかろうかなど毎年考えてしまう。
 とりあえず今年は下の写真のようにしてみた。松・竹・梅は向かって右から左へ、両脇に恵比寿・大黒を配した。恵比寿を向かって左、大黒を右にしたのは、絵の星玉の場合、恵比寿は左側を、大黒は右側を向いており、恵比寿・大黒は向かいあっているのがいいのだという亡き伯父の教えによる。

 今日の一枚は、スタン・ゲッツの『セレニティー』である。1987年7月のカフェ・モンマルトル(コペンハーゲン)でのライブ盤だ。晩年のゲッツの演奏である。ピアニストはケニー・バロン。晩年のゲッツのお気に入りのピアニストだ。この時のライブは、このアルバムと以前紹介した『アニヴァーサリー』(→こちら)の2枚に収められている。
 多くの言葉を費やす必要はなかろう。素晴らしいアルバムだと思う。晩年のゲッツの円熟した音色。そして若いころからずっとそうだった、淀みのない流麗なフレーズにただじっと耳を傾けたい。③Falling In Love の静寂な世界に思わず目を閉じてしまう。アルバムタイトル通りの Serenity=静けさの中に、ゲッツのテナーの深遠な世界が現出する。音楽というもものが、音と、音と音の間の無音の空間によって構成されているのだということが、本当によくわかる演奏である。

陸前高田の「h.イマジン」

2020年12月13日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 447◎
Thelonious Monk
Underground
  最近、たまに行くジャズ喫茶は、宮城・伊豆沼(若柳)のコロポックル(→こちら)と、岩手・陸前高田のh.イマジンである。h.イマジンについては震災の時の新聞で知った(→こちら)。その後、岩手・大船渡に再建してから何度か訪問したことがあったが(→こちら)、この大船渡の店は諸事情でわずか数年で閉店してしまった。再び陸前高田に戻るらしいとの情報は知っていたが、それがいつでどの場所かはわからず、余計なお世話ながら心配していた。2019年に陸前高田で再スタートしているらしいとの情報を聞き、初めて訪問したのは今年の春のことだった。以来、4~5回訪問しているが、私が行くときはたまたまいつも空いており、のんびりと音楽に浸る時間を楽しんでいる。今の私は、ジャズ喫茶で原則リクエストはしない。聴きたい演奏なら家で聴けばよいと考えているからだ。気に入ったものもそうでないものも含めて、マスターがかけるアルバムを、じっと座って一定時間聴かねばならないというところにジャズ喫茶の醍醐味があると思っている。そのある種の強制力の中で、いろいろな発見があったりするわけだ。

 今日の一枚は、セロニアス・モンクの『アンダーグラウンド』である。1967~68年に録音されたモンク円熟期の作品だ。グラミー賞の最優秀アルバム・カヴァー賞を受賞したというジャケットは確かにユニークであり印象的なものだ。私は、一見トム・ウェイツの作品かと思ってしまった。
 たいへん聴きやすいアルバムである。いつもながらに、ちょっとヘンテコで、タイミングを遅らせたように奏でられるモンクのピアノは、私にはとても好ましい。モンクの作品を聴くと、いつもそれがジャズ史的な名盤かどうかということより、私にとって好ましいかどうかということを意識させられる。何というか、癒されるのだ。その意味で、モンクの音楽は、私にとっていつでも極私的なものなのだ。チャーリー・ラウズの軽めのテナーサックスが、ほのかな哀愁を感じさせてなかなかいい。モンクのお気に入りのテナー奏者らしいが、モンクの音楽にはこのテナーはあっている気がする。
 ライナーノーツの中山康樹氏の次の言葉は、首肯させられるものだ。
「深読み」と同じく「深聴き」をしようと思えば、いくらでもできる。モンクの音楽はシンプルに見えて、じつは深い。しかしぼくとしては、その深みの手前に無数に用意されている「楽しそうな扉」を次々に開けたくなってしまう。そしてそれが「セロニアス・モンクを聴く」ということだと思っている。難解な部屋にモンクを閉じ込めてはいけない。

ゲッツのルースト盤

2020年12月06日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 443◎
Stan Getz
Split Kick
 雑誌『文學界』11月号(2020)は、「JAZZと文学」の特集だった。結構売れたのではないだろうか。何かでこのことを知り、書店に急いだ時にはすでに売り切れだった。隣町の書店にも足を延ばしたが、やはり売り切れだった。たまたまたAmazonで手に入れることができ、ほっとしている次第である。
 その巻頭の「村上春樹さんにスタンゲッツとジャズについて聞く」(聞き手:村井康司)で、次のような発言があった。
あと、ホーレス・シルヴァーが入っている時代も好きです。「スプリット・キック」とか入っているやつ(スタン・ゲッツ・オン・ルーストVol.2)。ドライブが利いているホーレス・シルヴァーのピアノにスタン・ゲッツもお尻から追いまくられるみたいで、かっこいいんですよね。( 中略 )ホーレス・シルヴァーはゲッツが発見したから。それに比べると、アル・ヘイグ、デューク・ジョーダンといったピアニストはちょっとボルテージがひくいんです。その分、ゲッツは落ち着いてプレイしているんだけど、ホーレス・シルヴァーのあのドライブ感は捨てがたい。やっぱり刺激を受けないと燃えないところがあるから。
 ???。オン・ルーストVol.2??。調べてみると、例の「ディア・オールド・ストックホルム」が入った"The Sound"がオン・ルーストVol.1なのですね。確かに、"Split Kick" のジャケットの下の方には、"STAN GETZ ON LOOST VOL.2"と印刷されている。レーベルに興味がないわけではないが、ちょっと上の世代の、ジャズ喫茶のマスターのような人たちみたいに、レーベル名を冠してレコードを呼ぶ習慣がないので、ピンとこなかったのだ。そういえば、20年ほど前、このルースト盤がCDで復刻された際、"The Sound" だけ買って、"Split Kick" はそのうち購入しようと思っていたのだった。
 「ホーレス・シルヴァーのピアノにお尻から追いまくられるみたい」というのもうなずけるほどに、小気味よくスウィングする感覚が何とも言えずいい。1950年代的な録音とサウンドにも関わらずだ。それにしても、スタン・ゲッツは相変わらず元気だ。というか、若かったのだから、当たり前か。そう思わせるほどに、ゲッツの演奏はいつの時代でも流麗で淀みがない。
 音が伸びやかなところが何とも言えずいいのだ、ゲッツは。


ジャズ史における1959年とセロニアス・モンク

2019年08月15日 | 今日の一枚(S-T)
◉今日の一枚 441◉
Thelonious Monk
5 By Monk By 5
 セロニアス・モンクの1959年録音盤「5・バイ・モンク・バイ・5」だ。5人のミュージシャンでモンクのオリジナルナンバー5曲を演奏するという趣向である。サド・ジョーンズ(cor)、チャーリー・ラウズ(ts)によるホーン隊の生真面目な演奏に、やや調子っぱずれのモンクのピアノが、独特のタイム感覚でおちょくるように絡んでくるのが何ともいえず楽しい。モンクの作品の中でも、特筆すべき一枚だと思う。村上春樹氏はこのアルバムについて、
このLPはずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた (「ポートレート・イン・ジャズ」新潮文庫)
と記している。

 ところで、このアルバムが録音された1959年は、周知のように、数々の名盤が怒涛のように録音されたジャズ史上特筆すべき年である。たまたま手元にある油井正一「ジャズ~ベスト・レコード・コレクション」は、ジャズのアルバムを録音年順に並べたなかなか重宝な本であるが、同書は1959年録音作品として次の作品を取り上げている。
Eddie Costa : The House Of Blue Lights
Paul Chambers : Go
Cannonball Addarley : In Chicago
Wynton Kelly : Kelly Blue
Miles Davis : Kind Of Blue
Junior Mance : Junior
Ben Bebstar : And Associates
Jackie McLean : New Soil
John Coltrane : Giant Steps
Bill Evans & Jim Hall : Undercurrent
Ornette Coleman : Shape Of Jazz To Come
Benny Golson : Gone With Golson
Horace Silver : Blowin' The Blues Away
Paul Desmond : First Place Again
Jackie McLean : Swing Swang Swingin
Cannonball Addarley : In San Francisco
Donald Byrd : Fuego
Kenny Dorham : Quiet kenny
Miles Davis : Sketches Of Spain
Bill Evans : Portrait In Jazz
John Coltrane : Ballade
Quincy Jones : The Birth Of A Band
 すごいアルバムの勢ぞろいではないか。ジャズ史上の転換点などといわれるのも当然である。菊地成孔・大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー(歴史編)」は、John ColtraneのGiant Steps、Ornette ColemanのShape Of Jazz To Come、Dave BrubeckのTime Out、Bill EvansのPortrait In Jazz、そしてMiles DavisのKind Of Blueを取りあげ、その楽理的意義について詳細な分析をしているが、難しすぎて私には理解できない。まあ文系的には、ハードバップの最も洗練された到達点と、そこから自由になる試みということになろうか。

 ところで、「5・バイ・モンク・バイ・5」がないではないか。上にあげた諸作品と比べて勝るとも劣らないと思うのだが、油井氏は取り上げなかったということになる。それだけではない。油井氏の前掲書に取り上げられたモンクの作品は5作品のみである。これは多くのアーティストに比して少なくはないが、例えばソニー・ロリンズやマックス・ローチが9作品ずつ掲載されていることから考えると、モンクが冷遇されている感じさえする。モンクのファンにとっては、はずせないはずのものがはずされているとも映るだろう。油井氏が同書において、ジャズ・ジャイアンツの一人としてモンクを取り上げ、特別にエッセイを記していることから考えてみても、奇妙である。一方、大ヒットアルバムである Dave BrubeckのTime Out もはずされていることから、ある種の恣意性を感じたりもする。

 しかし、翻って考えてみると、モンクの個性的な音楽は、ビバップ→ハードバップ→モードなどという楽理的なジャズ史とは別次元のところで展開されていたのではなかろうか。1959年にモンクは何をしていたのだろう。いつものモンクと同じである。いつも通り革新的だった。いつも通り革新的であるとは、予定調和的な音楽ではないという意味においてだ。

 モンクの音楽は、ジャズ史に記述されるような、その時代の音楽に対する前衛や変革としての方法論とは別のところで、いわば超時代的な前衛や革新としてあるのではないか。油井氏が、モンクに関するエッセイのサブタイトルを「わが道を生き抜いたモダンピアノの奇才」としたのも、そのことと関連するように思う。「わが道」とは、時代性に対するわが道なのだ。その意味では、発展段階論的に記述されるジャス史の中では、扱いにくいミュージシャンなのだろう。モンクの音楽は、いつの時代にも、音楽そのものに対する前衛や変革として存在しているのだ。