WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

上田知華+KARYOBIN[2]

2007年07月22日 | ノスタルジー

Wpc68017  今日は息子の野球の試合のはずだったが、雨のため中止になった。日程がつまっているため、7月25日の夜にナイターでやるという。仕事の予定を繰り合わせて応援に行こうと考えていたが、予定が外れてしまった。まあいい、たまには家族を映画にでも連れて行こうかと考えている。

 だいぶ前に上田知華+KARYOBIN[3]についての記事を書いたが、アクセスしていただくことが多いようだ。ニューミュージックに「はまった」ことはないのだが、なぜか上田知華+KARYOBIN[3]というレコードが棚にあり、よく考えてみると、上田知華+KARYOBIN[2]という作品もカセットテープにある。そういえば、若き日々に聴いていたような気がする。西洋かぶれの私は、「邦楽」(死語となってしまった)に熱中することはほとんどなかったのだが、何かひっかかるものがあったに違いない。そんなわけで本当にしばらくぶりに、上田知華+KARYOBIN[2]のカセットテープを聴いてみた。レコードから録音したらしく、針の音がかなり激しい。

 上田知華+KARYOBINは、ピアノ+弦楽四重奏というめずらしい編成でポップスを演奏したグループで'78年夏にデビューしている。上田知華+KARYOBIN[2]というアルバムについては、データがないのではっきりしたことはわからないが、状況から1979年の作品ではないかと推察される。全体的に素人っぽさが感じられ、楽曲や歌詞、サウンドには破綻も多いが、既成のポップスに対して新しい何かを持ち込もうとする清新な気概は感じられる。また、素人っぽいだけに、70年代末の内気で控えめな、あるいはおきゃんでいたずらっぽい女の子の心象風景がリアルに表現されているようにも思う。

「サンセット」という曲が異彩を放っている。親しみ易いメロディーもさることながら、情景が目に浮かぶような映像的な歌詞が好ましい。たいへん個人的な視点であるが、私の学生時代の風景がそこに展開されているようである。「図書館の広い窓に  5時の鐘わたるとき」というところが何ともいえずいい。

  ※  ※  ※  ※  ※  ※

    サンセット

 図書館の広い窓に

 5時の鐘わたるとき

 言いかけた言葉さえぎって 

 あなた席を立つ

 私からあなたとれば 

 残るのは涙だけ

 だけどもう遠ざかる時間は 

 誰にも止められない

 Sunset  それは黄昏 

 夢が沈んでいくわ

 Sunset  知らないうちに

 色褪せていく季節

 どこか二人と似てるわ


 心のままを口にする

 勇気が少しあれば

 帰り道溢れる後悔に 

 立ち止まり振り返る

 Sunset  そこは黄昏 

 夕日にあなた滲む

 Sunset  これもあなたの 

 やさしい思いやりなの

 悲しいぐらい きれいよ


 Sunset  知らないうちに

 色褪せていく季節

 どこか二人と似てるわ


(カセットテープからおこしたので、あるいは誤解もあるかも知れません)


巣立つ日まで

2007年03月29日 | ノスタルジー

 先日、なにげなくインターネットをみていたら、「巣立つ日まで」という言葉に出会った。なつかしい、「巣立つ日まで」というば、NHK少年ドラマシリーズとして1976年の9月10日~10/1にかけて放映された名作ドラマである。確かに見ていた記憶はあるのだが、内容が思い出せない。しかし、その感動的な主題歌のメロディーと詩ははっきりと覚えている。作曲はあの三枝成章である。にやけた奴だと思っていたが、こんな素敵な曲を書くなんてすごい。

       巣立つ日まで

               作詞・立原あゆむ  作曲・三枝成章

きらめく風を追いかけて
どこまで君と駆けただろう
陽ざしの中に微笑んだ
淡いかおりの あこがれよ
幼い翼ひろげて 
巣立つ小鳥のように
空の広さを 雲の行方を 知りたい

まぶしくゆれる木もれ陽は
青い季節の始めだろう
心を告げることもなく
みつめあう この時よ
幼い翼ひろげて 
巣立つ小鳥のように
空の広さを 雲の行方を 知りたい

歌っている人は違いますがここをクリックすると曲が聴けるページにジャンプします。

You Tube にもありました→ここをクリック


失われた歌詞・失われた記憶

2006年07月28日 | ノスタルジー

 1973~4年頃だと思うのだが、『若い先生』というドラマがあった。30分もので(確か7:30からで、提供はブラザーじゃなかったかと思う)、主演は篠田三郎水沢アキだった。

 今日、なぜか、その主題歌を口づさんでしまった。

 ♪それは、あなたよ、若い先生

  風の中を駆けていったのあなた

  君の涙は熱いはずだと

  泣いた私に微笑みくれたわ

  若い季節の変わり目は、誰も心が揺らいで

  そんな○×△※○×△※○×△※○×△※♪

と、途中で歌詞がわからなくなってしまった。メロディーはわかるのだが、歌詞がわからない。インターネットで調べてみたが、どうもわからない。新しい曲なら調べようもあるのだろうが、古いあまりヒットもしなかったドラマの主題歌となると、なかなか難しいようである。ということは、私が何かの拍子にでも思い出さない限り、この歌詞は永遠に失われてしまうのだろうか。

 年齢を重ねるとはそういうことなのだろう。人は生きるごとに多くのものを失って行く。

 失われた記憶……失われた歌詞。

[追記]

コメントの「くま田なおみ」様のご教示によれば、「そんな○×△※○×△※○×△※○×△※♪」の部分は、どうやら

「そんな言葉のひとつでも 生きる望みに変えるの」

らしい。


「俺たちの旅」箴言集(加筆)

2006年07月28日 | ノスタルジー

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Scan10007_4 若い頃に見た、「俺たちの旅」というテレビドラマを忘れられない。1975年から1976年にかけて、日本テレビ系で放映されたドラマなので、もう30年も前のことになる。しかし、私と同世代の人には、同じ思いの方も多いのではなかろうか。

 今振り返れば、高度経済成長の時代もおわり、それまでの社会や国家や家族のために献身する人生観に対して、「愛」や「友情」などの個人主義的な人生観を提示してみせた作品ということになろうか。社会的な価値観から相対主義的な価値観への転換といってもよかろう(これについては近い将来論じてみたい)。まあ、その行き着いた先が、現代の自分勝手の一億総「おれ様」化といえなくもないのだが……。

 しかし、当時は、やはり、「俺たちの旅」の提示した人生観に魅了されたものだ。その後何回か再放送され、1985年には角川文庫より鎌田敏夫原作で「青春編」「恋愛編」「出発編」の三冊本として、活字としても出版された。ただ、角川文庫版では、「青春編」4章、「恋愛編」6章、「出発編」6章の計16話構成であるのに対して、実際のドラマは46話だった。私も含め、再放送も見、活字版も読んだという人は、意外と多いのではないだろうか。

 ところで周知のように、「俺たちの旅」においては、毎回ドラマの最後にその回のテーマと関連づけられた意味ありげな箴言が字幕で流され、多くの人に感銘をあたえたものだ。今となっては、やや滑稽なものもあるが、当時の視聴者がそこから何かを学び取ったのもまた事実だろう。例えば、「誠実さ」とか「友愛」とか「自立」とかをだ。文庫本にもそれらは収められているが、何せ16話分しかない。もう一度全部確認したいと考えていたら、それを載せているホームページがあったので紹介する。もちろん、熱烈なファンの間では、よく知られているものなのであろうが……。

 

http://www.yo.rim.or.jp/~nag/OreTabi.html

 その中からいくつか印象的なものをあげてみる。

◎  明日のために  今日を生きるのではない

   今日を生きてこそ  明日が来るのだ

◎  いろんな悲しみがある  だがそれをわかりあえた時

   悲しいもの同士の心が  かたくむすばれる

◎  男は女の  やさしさを求め  女は男のやさしさを求める

   皆が  やさしさに飢えている

◎  それぞれの人間が  それぞれの人生を

   一生懸命に  生きている

◎  人は  なりふりかきわず  働くとき  なぜか美しい

◎  淋しさを知っている  人間だけが

   笑って生きて行くことの  楽しさも知っている

◎  やさしさを持った人間が  どうしようもない

   せつなさを心に抱いて  この世の中を生きて行く


ホテル・カリフォルニア

2006年07月02日 | ノスタルジー

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 実家の倉庫から発見されたシングルレコード群の中になんとあの「ホテル・カリフォルニア」があった。それもシングルですよ、シングル。すごいですねー。LPもあったのですがね。きっと最初はシングル版で聞いていたのでしょうね。

 早速聞いてみたのだが、あまりの感激にことばを失ってしまった。70年代ロックの名曲・名盤である。このような作品のために、「名曲」ということばは用意されているのですね。周知のように、「ホテル・カリフォルニア」はアメリカンドリームあるいはカリフォルニア幻想の崩壊と終焉をテーマにした作品だ。メランコリックな曲想。歌詞の構成のみごとさ。イントロの十二弦ギターの響き。静かだがしっかりと全体を支えるレゲエのビート。絶妙のタイミングで入ってくるギターのオブリガード。そしてなんといっても、最後のドン・フェルダーとジョー・ウォルシュによるツインギターのハーモニー。

 数年ぶりに聞いたのだが、感激した。こういう作品を聞いてに大人になることができたわれわれの世代はほんとうに幸せだ。ギター少年たちは必死にコピーし、ラジオ局は延々と流し続け、キャバレーのお姉ちゃんたちも口ずさんだといわれる大ヒット作である。結局、イーグルスは、この作品を超えるものを創らねばならないというプレッシャーに苛まれ、メンバーは少女淫行事件を引き起こし、3年ちかくかかって新作『ロングラン』を発表するもすぐに解散してしまうのであるが……(そういう意味では、イーグルスを解散させた作品であるともいえる)。

 それにしても、さっき聞いてレコードの音のいいことに感激した。試しにCDと聞き比べてみたのだが、全然ちがう。音の生々しさや響きの深さが全然ちがうのだ。70年代のあの時の音がぱあっと広がってきた感じがした。(CDの音は確かにクリアできれいなのだが、何かが足りない)

 LPレコードもあるはずなので、探して聞いてみたい。今週は忙しいので来週になるだろうが……。「ニューキッド・タウン」をアナログで聞くのが楽しみである。


いとしのレイラ

2006年07月01日 | ノスタルジー

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 これも先日実家の倉庫の中から発見されたシングルレコード群の中の一枚である。「いとしのレイラ」のシングル。こんなのあったのですね。デレク・アンド・ドミノスではなく、エリック・クラプトンとクレジットされている。不思議だ。どうもこれは再発売されたもののようだ。曲も最後の変奏の部分がカットされており、アルバムlayla and other assorted love songs収録の同曲を聞きなれた耳には、唐突に終わる印象をうける。

 しかし、「いとしのレイラ」はそんなにいい曲だろうか。私のような元ギター少年にはとても印象的な曲である。コピーすると、あのリフが気持ちいいのである。しかし、ギター少年という立場から離れて純粋に音楽を聴いた場合、そんなに特別の曲なのであろうか。今回変奏部のないシングルレコードを聴いて、正直感動はなかった。

 確かに、「いとしのレイラ」がジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドへの激しい恋から生まれたものであることは、クラプトンを語るとき重要なことではあろう。また、デュアン・オールマンの空を駆け回るようなスライドギターは、印象的であり、すばらしいものである。けれども曲全体としてはイマイチかなと思ってしまう。

 「いとしのレイラ」が収録されているアルバムlayla and other assorted love songsは、クリームでインプロビゼーションをしていたクラプトンの音楽が、ブラインド・フェイスでサザンロックの影響を受けたものに変貌をとげ、それを発展させたものという意味で重要である。確かに秀作だと思うし、完成度も高いと思う。私も高校生の頃よく聞いたものだ。しかし、「いとしのレイラ」一曲だけ取り出して聴いてみると、正直これがそんなにいい作品だろうかと思ってしまう。しかも、あの感動的な変奏部がないのだ。

 クラプトンは、今では、ギターの神様という形容をしなくても、それだけでビックネームである。「いとしのレイラ」はその代表曲として取り上げられることが多く、反論が許されない雰囲気すらあるが、シングル「いとしのレイラ」に関してはあえて「王様は裸だ」といいたい。

 アルバムlayla and other assorted love songsについても、大変すぐれたアルバムだとは思うが、私としては代表作と冠するなら、461 ocean boulevard there's one every crowdあたりを推したい。

 高校3,年の夏休み、受験勉強もせずに、私は 461 ocean boulevard を何十回聞いたことだろう。何度聞いても聞き飽きない。サザンロックの名作である。


二葉百合子の「岸壁の母」(加筆)

2006年07月01日 | ノスタルジー

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 爆発的にヒットした一枚である。もちろん、先日実家の倉庫から発見されたシングルレコード群の中の一枚だ。講談師・二葉百合子による「岸壁の母」。私は好きである。涙なくしては聞けない。もちろん、ふざけているわけではない。この曲が流行した頃、私はまだ子どもだった。人々の中に戦争の傷跡へ思いが確かにあった。語りつがれてもいた。思えば、戦争の悲劇に対する感受性が正常に機能していたのは、この時代が最後だったのではないだろうか。

 戦争で行方知れずになり帰ってこない息子を、引き上げ船が来るたびに港へ探しに出向く母の姿。まっとうな日本人のまっとうな感受性、そしてまっとうな平和への願いだ。

 現代の若者たちは、そして大人たちは、この「岸壁の母」をどのように聞くだろうか。涙して聞く感受性を持ち合わせているだろうか。それともやはりパロディーでしかないのだろうか。

 いつの間にか、時代は大きくかわった。アフガン戦争、イラク戦争、日本の戦争へのかかわり。自衛隊の海外派兵は普通のことになった。世の中は、右傾化したといわれる。インターネットの掲示板をみると、確かに国家主義的な言説が渦巻いている。自らの考えにあわない相容れない言説を「サヨ」ときって捨てる硬直的な思考が渦巻いている。

 しかし思えば、こうした時代を準備したのは、「自由な」戦後民主主義だったのだろう。大正デモクラシーの風潮が昭和のファシズムを生み出す母体だったようにだ。けれども再び思う、政治理念や人々の考え方の変化は、理念や政治状況の変化以前に、歴史の根底にあるもの、すなわち戦争や他者の生へのまっとうな感受性が後退したことに起因するのではなかろうか。

 だから問題は難しい。理念や理論であれば議論することもできよう。けれども、「気分」や「感性」的な事象は自己充足的なことが多い。閉じられているのだ。インターネットの掲示板の不毛なことばたちをみるとそう思ってしまう。

 80年代に影響力をもった浅田彰は「時代の感受性を信じる」といった。彼はいまでもそう考えているだろうか。


ジョン・レノンのイマジン

2006年06月30日 | ノスタルジー
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 先日発見したシングルレコード(45回転)の中にジョン・レノンの「イマジン」があった。なぜあるのかよくわからない。買ったような記憶もあるのだが、「イマジン」はLPで聞いていたような気がする。事実同名のLPを所有している。ただ、シングル版のこのジャケットはかすかに記憶にあり、買ったような気がしないでもない。いずれにせよ、シングル版の「イマジン」は結構めずらしいのではないだろうか。 

 かつてジョン・レノンをすごく好きだった。ご多分に漏れず、尊敬あるいは崇拝していたといってもいい。「思想」的なものとか、「哲学」的なものとか、音楽以外の過剰な何かに夢中だったのだと思う。ジョン・レノンではなく、「ジョン」と呼んでいた程だ。彼がニューヨークのダコダアパートの前でマーク・デヒッド・チャップマンに殺された時のことは今でも鮮明に覚えているし、彼の死の翌年、東京の九段会館で行われた追悼集会では、数千人の聴衆を前にスピーチもした。けれどもそれは僕だけではなかったはずだ。ジョン・レノンはlove and peaceのことばとともに、平和運動や社会運動においてそれなりの影響力をもつていたのだ。

 今はどうだろう。もちろん好きだ。けれども尊敬や崇拝はしてはいない。ひとりのミュージシャンとして、すごくいい曲もあるといった位置づけだ。例えは、「ジェラス・ガイ」は好きだ。「スタンド・バイ・ミー」はベン・E・キングのものよりすぐれていると思う。最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』もオノヨーコさんの歌がなければとてもいい作品だと思う。いまでも時々、すごく聞きたくなることがある。しかし、崇拝はしていない。哲学的・思想的に尊敬すべき人物は他にたくさん存在する。ジョン・レノンのことばは、思想や哲学と呼ばれうるものではない。もちろん文学的でもない。

 それがまっとうな聞き方だろう。ジョン・レノンが死んだ時、世界が大きく変わってしまうのではないかと思ったが、セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「何も変わりはしないさ、ひとりのミュージシャンが死んだだけだ」と語った。その通りだった。ジョン・レノンが死んでも次の日の朝はやってきたし、その次の日の朝もやってきた。そうして僕たちは大人になったのだ。あの時代の、思春期のあの時期、ジョン・レノンのような存在が、きっと僕たちには必要だったのだろう。

 あのころ、ジョン・レノンへの崇拝のあまり、ポール・マッカートニーをあまり評価しなかった。でも本当は結構すきだったのだ。『バンド・オン・ザ・ラン』はロック史に残るいい作品だ。ある意味では『ジョンの魂』以上にだ。最近、もう一度聞いてみたくなって『バンド・オン・ザ・ラン』をCDでを購入した。やっばりいい作品だった。名作だ。

 発見されたシングルレコード「イマジン」にはこのようなコピーが記されている。

   

 これがジョン・レノンの真実

 これが名作

 これを聞かずしてレノンを語るべからず

 やはり、ちょっといいすぎだと思う。確かにいい作品であるが、いいすぎである。僕はマスコミやコマーシャルに踊らされていたのだなとも今は思う。

 けれども、ときどき(毎年12月あたりに)、ジョン・レノンの曲をを聞きたくなるのはどうしてだろうか。過ぎ去った日々へのノスタルジーなのだろうか。あるいは、失ってしまったアドレッセンスへのレクイエムなのだろうか。

 


オズの魔法使いのテーマ

2006年06月28日 | ノスタルジー
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 先日、実家の倉庫を整理していたらドーナツ版レコード(45回転)十数枚を発見した。LPレコードに関してはその多くをずっと手元にキープしているのだが、シングルレコードのことはすっかり忘れていた。今回発見したのは十数枚だが、記憶ではもっともっとあるはずだ(そのうち探してみます)。レコードはロック、演歌、歌謡曲などいろいろで、自分で購入したものではないものも数多く含まれているのだが、中には懐かしいものや珍しいものも含まれていたので、何回かに分けて紹介したい。

 まず、今回紹介するのは、写真の「オズの魔法使い主題歌」だ。そういえば、子どもの頃、このTV番組を見ていたのだった。私か「オズの魔法使い」という物語を最初に知ったのもこのTV番組だったような気がする。歌っているのは、もちろんシェリー……。A面は「ドロシーの恋の唄」、B面は「虹の彼方に」だ。シェリーの歌声は、今聞くと、(以外にも)透明に澄んだ美しい声だ。日本語もしっかりしている。ジャケットの外国人風の顔とアンバランスなほどである。

 JAZZのスタンダードとしてよく聞く「虹の彼方に」(OVER THE RAINBOW)だが、よく考えてみると、私がこの曲に出会ったのはこのTV番組が最初だった。何と、いまでもその日本語の歌詞をしっかり覚えているのだ。いい年をして、レコードを聴きながら思わず歌ってしまった。ちょっと恥ずかしい。誰かが見ていたら気持ち悪かったに違いない。

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夜毎にみる夢は  虹の橋のデイトの夢  

今日も祈る夢は  虹の橋のデイトの夢

お星様お願い  私の小さな夢

お星様きっとね  一度でいいから  聞いてよ

私の好きな人と  デイトしたいの  虹の橋

                   (水島哲 作詞)

 


音楽館のマッチ

2006年06月20日 | ノスタルジー

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  学生時代、よくジャズ喫茶に通ったものだ。渋谷の「音楽館」や「ジニアス」「ジニアスⅡ」、神保町の「響」、三軒茶屋の小さな店「アンクルトム」などがよく行く店だった。他にもいろいろ探訪したものだが、ジャズ喫茶に行くとマッチをもらい集めていた。集めたマッチは長い時間の中で散逸してしまったが、引き出しの中にまだ「音楽館」のマッチが残っていた。数年前まで「ジニアス」のコースターもあったはずなのだが、見当たらない。ちなみに、ジャズ喫茶とは関係ないが、渋谷(恵比寿方面)にあった喫茶店「リン」のマッチも発見(友人がよく行っていた店で連れて行かれたことがあったな)。こういう自分史的遺物が発見されるのは実になつかしいものだ。

 ところで、有名なHPらしいが、下記アドレスには昔なつかしいジャズ喫茶のマッチが収集・展示してある。こういうのを見ながら、ウイスキーをなめるのも、結構豊かな時間が過ごせるものだ。

「ジャズ喫茶のマッチ」  http://www.neko-net.com/jazz/