太田裕美が好きだった。青春の一時、アイドルだったといってもいい。ところで、意外なことであるが、私と同世代の人には太田裕美の隠れ支持者が多いようである。飲み会などで、ちょっと昔の思い出話などになると、この「太田裕美」という名前が登場することが多いのである。しかも、ずっと昔の一過性のアイドルというのではなくて、今でもその記憶を大切にしている人が多いのだ。 太田裕美には、周知のように多くのヒット曲があるが、ヒット曲以外の一般的にはまったく無名の曲(アルバム収録曲)を愛する人たちも少なくない。彼ら隠れ太田裕美支持者たちの心の中では(もちろん私もその一人だ)、今でもそうした無名曲が鳴り響いているのである。
10年ほど前、知人と酒を飲んでいる際、ふとしたことから太田裕美の話題となり、その人物が隠れ太田裕美支持者であることがわかったのだが、さらに会話をすすめていくと、彼が愛する曲は「木綿のハンカチーフ」でもなく、「最後の一葉」でもないという。まさかと思って尋ねてみると、なんとアルバム『手作りの画集』収録の「茶色の鞄」という曲だったのだ。その時の驚きはいまでも忘れられない。我々の間に一種の共犯関係のような奇妙な連帯意識が生まれ、互いにニヤッとほくそえんだのだった。そしてそれ以来、実は私は同じような体験を何度かしているのだ。最近、試しにウェッブで検索してみたら、まったく意外にも、この「茶色の鞄」が多くの支持を集めていることがわかった(古いアルバムもいまだに廃盤とならずに、CDとして発売され続けているのだ)。私にとっては、ちょっとした驚きだった。
アルバム『手作りの画集』は、よくできたアルバムである。テンポがよく、ポップな旋律をもつ人気曲「オレンジの口紅」からはじまり、ヒット曲「赤いハイヒール」や支持者たちの間で人気の高い「都忘れ」や「遠い夏休み」、「ベージュの手帖」などをへて、最後の曲がこの「茶色の鞄」なのである。聞き飽きしない構成だ。
それにしても、と思う。この時代の太田裕美における松本隆という作詞家の詩は、当時の若者の心象風景をみごとにつかんでいるものが多い。まるで、屈折した当時の自分がそこに映し出されているようである。名曲「茶色の鞄」の詩(1番)はこんな風である。
路面電車でガタゴト走り 橋を渡れば校庭がある
のばした髪に帽子をのせた
あいつの影がねえ見えるようだわ
人は誰でも振り返るのよ 机の奥の茶色の鞄
埃をそっと指でぬぐうと よみがえるのよ懐かしい日々
「のばした髪に帽子をのせたあいつの影がねえ見えるようだわ」というところが良いではないか。「茶色の鞄」とは、かつてちょっと不良っぽい高校生が持っていたぺったんこの鞄だ。2番の歌詞はこうだ。
学生服に煙草かくして 代返させてサボったあいつ
人間らしく生きたいんだと
私にだけはねえやさしかったわ
もう帰らない遠い日なのに あの日のままね茶色の鞄
大人になってかわる私を 恥ずかしいような気持ちにさせる
「人間らしく生きたいんだと」というところがなつかしい。昔の高校生はこういうことを言ったんですね。「もう帰らない遠い日なのに あの日のままね茶色の鞄」というところが、時間の静止をイメージさせて秀逸である。具体的なモノをを登場させることで、イメージが広がっていく。3番(というか、リフレイン)だ。
運ぶ夢などもう何もない。中は空っぽ茶色の鞄
誰も自分の幸せはかる ものさしなんてもってなかった
誰かが描いた相合傘を 黒板消しでおこって拭いた
あいつも今は色褪せてゆく 写真の中でねえ逢えるだけなの
なんというか、せつない。多くの人が、自分なりの情景を思い描くだろう。「誰かが描いた相合傘を 黒板消しでおこって拭いた」などというところは、実に70年代的だ。色褪せてゆくアドレッセンスを見事に表現した名曲である。
参考文献(太田裕美関連サイト) ↓
http://www.force-x.com/~raindrop/
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/hiromiohta/
http://hiromi.m78.com/index.htm