●今日の一枚 186●
Linda Ronstadt
For Sentimental Reasons
はっきりいって、2級品、3級品の類である。声にはしっとりとしたやわらかさが感じられず、硬くやや荒れている。表現にも余裕がなく、あまりに直接的で性急である。全体的には凡庸である、といってしまっても差し支えないかもしれない。
なのに、また聴いてしまった。しばしば聴くわけではないが、本当に時々、何故だかトレイにあるいはターンテーブルに乗せてしまうのだ。合理的な理由はない。おそらくそれは、歌っているのがリンダ・ロンシュタットだからだろう。それ以外に理由は思いつかない。必然性もない。
思えば、1970年代のリンダ・ロンシュタットは輝いていた。アルバム『ミス・アメリカ』の頃だ。その歌声と太ももははちきれんばかりに輝かしく、そのキュートな唇から紡ぎだされるポップなメロディーは我々の心を魅了したものだ。中学生の私は、その狸顔の瞳に見つめられると(もちろん写真だ)、胸が苦しくなるほどだった。当時は、「洋楽」女性歌手は、オリビア・ニュートンジョンとリンダ・ロンシュタットが人気を二分しており、日本のリスナーはオリビア派かリンダ派に分かれていたように記憶している。当初私は、控えめでしかも太陽のように明るい初期のオリビアを好きだったのだが、本当はどこかで自由奔放で恋多き女性のリンダに憧れを抱いていたのだと思う。リンダの写真を見て胸が苦しい気分になるには多くの時間を必要とはしなかった。
さて、リンダ・ロンシュタットの1986年作品『フォー・センティメンタル・リーズンズ』である。何を思ったか1980年代に入ってリンダは、ジャズ風味のスタンダード・アルバムをたて続けに発表し、結構ヒットした。この作品は、『ホワッツ・ニュー』『ラッシュ・ライフ』に続く第3作目である。自由奔放なリンダがなぜスタンダードに興味をもったか。「1981年にブロードウェイで古い名作オペレッタ『ペンザンスの海賊』に主演したことから、さまざまな歌を勉強しようと考え、スタンダードを聴いているうちに、これらの歌が自分の思考や感情を表現できることを痛感した」というのが公式見解のようだが、そこはリンダのこと、自由奔放な恋が背景にあることは多くの評者の指摘する通りである。
このアルバム、前述のように、聴くたびに2級品、3級品の類と思いながら、なぜか時々聴いてしまう。……初々しいのだ。ジャズポーカルとしては決してうまくはないが、素人の、凡庸だが素直な歌心がまっすぐに伝わってくる。そのまっすぐさに、あるいは初々しい凡庸さに共感するのだ。リンダは、心に描いた情景をシンプルに、そして素直に歌に置き換えていく。最大多数の感性に訴えるある種の凡庸さというのは、思えばロックやポップの手法なのであり、ロックあるいはポップ畑出身のリンダにしてみれば当然のことだったのかもしれない。
ジャズは、うまい、下手ではない、といったのは誰だっただろうか。その言葉をあらためて考えさせられる一枚なのかも知れない。