WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

後妻(うわなり)打ち

2022年03月30日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 574◎
日向敏文
夏の猫 Chat 'd Ete
 『鎌倉殿の13人』の話題である。
 先週の放送で、北条政子が、源頼朝の愛妾の亀の前が住む屋敷を襲わせた場面があった。亀の前が預けられている伏見広綱の屋敷を襲撃させたのだ。《後妻(うわなり)打ちである。《後妻打ち》は、平安中期から江戸前期にかけて実在した慣習であり、女友達を大勢呼び集めて、夫を奪った憎い女の家を襲撃して徹底的に破壊する行為だ。ときには相手の女の命を奪うこともあったようだ。興味深い風習である。「うわなり」とは、古語で前妻を意味する「こなみ」に対する後妻、あるいは第二夫人・妾を意味する言葉だ。清水克行『室町は今日もハードボイルド~日本中世のアナーキーな世界~』は、いくつかの事例をあげて《後妻打ち》について詳述しており、やはり広く実在した慣習のようだ。
 清水氏は、後妻打ち》は中世の女性に当たり前に許されている行為だったとして、この妾襲撃事件が政子の嫉妬深さや男まさりな性格を際立たせる材料として使われることに不満の意を表している。もっとも、『鎌倉殿の13人』では、政子はそんなに派手にやるつもりはなかったものの、源義経が勝手に大規模な破壊活動を行ったものとして描かれている。後妻打ち》という、中世に広く実在した慣習に配慮したのかもしれない。
 いずれにしても、大河ドラマでこういった中世の慣習が描かれるのは興味深いことである。

 今日の一枚は、日向敏文の1986年作品、『夏の猫』である。若い頃、日向敏文の作品をよく聴いた時期があった。きっかけは、大貫妙子の作品に日向敏文が参加していたことだったように記憶しているが、貸しレコード屋で借りたレコードを録音したカセットテープでずっと聴いていた。たまたま、apple music で発見し、外付けUSB-DACを通して聴いている。懐かしい音楽の響きである。昨日からちょっとイライラしていたが、おかげで心が穏やかになってきた。狂おしくも美しい④ 孤独なピアノや、印象的な⑥異国の女たちは出色である。

イチローズ・モルト

2022年03月26日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 573◎
Thelonious Monk
Monk's Music
 昨年の秋、思いもかけず大学時代の友人から『イチローズ・モルト』が届いた。数年前に、その友人が東北地方を旅行した際、一関に立ち寄ってもらい、ともに飲んだのだが、その時お土産として『イチローズ・モルト』をもらった。赤い葉っぱのラベルのものだった。もちろん、美味しかった。また手に入ったら送るよとのことだったが、今回のは黒いラベルのものだった。
 イチローズモルトは、「株式会社ベンチャーウイスキー」が造る、ジャパニーズウイスキーで、埼玉県の「秩父蒸溜所」にて、2007年11月より生産されているとのことだ。世界中から高評価を受け、入手困難のものが多数存在する、絶大な人気を誇るウイスキーであり、定価で入手するのが難しいらしい。「イチローズ・モルト」の名前は、創業者の「肥土伊知郎(あくといちろう)」氏からきているようだ。

 貴重なウイスキーということで、ずっと飲まずにしまっておいたが、4月からの異動が決まり、今の職場での仕事に一段落ついたことから、数日前に一杯だけ飲んでみた。美味い。やはり美味い。最高だ。独特のバニラのようなまろやかな味わいに、思わず笑みを浮かべ、唸ってしまった。

 今日の一枚は、セロニアス・モンクの1957年録音盤『モンクス・ミュージック』である。②ウェル・ユー・ニードントや⑤エピストロフィーで打ち合わせ不足による勘違いのプレーがあるが、そんなことが気にならないほど充実した作品だ。ホーン入りの作品ということで、ピアノソロの時の奇妙に歪んだ独特の世界観は若干違うが、演奏全体にモンクの影響が漂っているのがよくわかる。
 何となく郷愁を感じる、①アバイド・ウィズ・ミーが好きだ。こういう音楽を聴くと、今夜も貴重な「イチローズ・モルト」が飲みたくなってしまう。

梅はまだか

2022年03月21日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 572◎
Alan Gorrie
Sleepless Night
 庭の梅がまだ咲かない。いつもならもう咲いている頃だ。私の住む宮城県気仙沼市は、風はまだ冷たいが、それでも日差しはだいぶ暖かくなってきた。梅にはやっと小さなつぼみができたが、まだまだ硬いようだ。咲くまでには、もう2週間以上はかかりそうだ。梅だけではない。花桃も花海棠もハナミズキも、今年はまだまだかかりそうだ。
 庭が色付かないと寂しい。春が来た感じがしない。
 今日の一枚は(といっても3枚目だが)、アラン・ゴリーのデビュー作、1985年作品の『スリープレス・ナイト』である。レコード棚を整理していて発見した一枚である。その存在は知っていたし、何度か聴いたことも覚えている。しかし、どんな経緯で買ったのか、全く思い出せない。アラン・ゴリーがどんな人なのかも知らない。このアルバムがリリースされた1985年前後は、私がAORを聴きはじめた時期なので、その流れでどこかで知ったのだろう。webで検索すると、アラン・ゴリーという人は、スコットランドのミュージシャンで、ソウル、ファンク系バンド「アヴェレージ・ホワイト・バンド」の中心メンバーの一人ようだ。 ②Diary of A Fool は佳曲である。この曲を聴いて、当時の情景が何となく蘇ってきた。

八重姫

2022年03月21日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 571◎
Peter Allen
Bi-Coastal
 『鎌倉殿の13人』の話題である。
 ガッキー演じる八重姫のことが気にかかっている。八重姫は伊東祐親の三女とされるが、wikipediaによれば、延慶本『平家物語』、『源平盛衰記』、『源平闘諍録』、『曽我物語』などの物語類にのみ登場し、古記録などの同時代史料や『吾妻鏡』などの編纂史料には見えないという。 源頼朝の最初の妻であり千鶴丸を生んだとされるが、史実かどうかはわからない。大河ドラマの脚本はそれら物語類に立脚したもののようだ。
 ドラマでは、頼朝の最初の妻だった八重姫に、小栗旬演じる北条義時が思いを寄せる筋書きとなっているが、中世史家の坂井孝一氏は、八重姫が北条義時と再婚して、北条泰時を産んだのではないかとの仮説を提示している。北条泰時の母は、出自不明で「御所の女房」とのみ記される人物であり、ありうることかもしれない。『鎌倉殿の13人』の時代考証を務めているのは坂井氏その人であり、ストーリーはそういった方向に進むのだろう。

 今日の一枚は、ハリー・アレンの1980年作品、『バイ・コースタル』である。先日、「ひまわり」のテーマの入ったレコードを探そうと、レコード棚を物色中に目にとまった。買ったことは憶えており、その存在も認識していたが、思い起こすと聴いた記憶はほとんどない。
 帯には、「ピーター・アレンは、洗練されたアメリカン・ポップ感覚の持ち主であるとともに、私の最も好きなソングライターの1人です。今回はデヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎え、まさしくバイ・コースタルな雰囲気で一杯の素敵なアルバムを作ってくれました。」という竹内まりやの推薦文が載っており、参加ミュージシャンにも有名どころのミュージシャンが名を連ねている。
デヴィッド・フォスター(key)
ジェイ・グレイドン(g)
スティーヴ・ルカサー(g)
ジェフ・ポーカロ(ds)
マイク・ポーカロ(b)
 悪くない。なかなかいいアルバムだ。特に、②Fly away は印象深い佳曲である。2回繰り返して聴いているうちに、何だかサウンドに同化してきた。同時代に聴いていたら、お気に入りの一枚になったかもしれない。


ひまわり

2022年03月21日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 570◎
Best Of Screen 
 ~Love Theme
 ロシアによるウクライナ侵攻事件が起きてから、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した映画『ひまわり』のことが時折頭をよぎっていた。好きな映画の一つだったのだ。『ひまわり』の再上映が広がっているというニュースにも接し、もう一度見たいという思いが高まった。ところがである。探してみてもnetflixにはなく、近隣のレンタル店にもなかったのだ。仕方なく通販で廉価版のDVDでも購入しようかと考えていた矢先に、この間の地震があった。
 家には被害がなかったが、私の書斎は例のごとく棚から本やCDが落ち、メチャメチャになってしまった。数日間放置して、片付けに取りかかったのは土曜日である。ところが、落下物の中から『ひまわり』のDVDを発見したのだ。昔、TVで放映されたものを録画したもののようだ。ちょっとした幸運である。
 しばらくぶりに見た『ひまわり』は新鮮だった。ストーリーは大体知っているので、ディテールに目が行ったのだ。ひまわりは現在ウクライナの国花らしいが、花言葉は《あなただけを見つめる》だ。映画のソフィア・ローレンのようだ。あの印象的なウクライナのひまわり畑の下には、ロシア兵やドイツ兵やイタリア兵が眠っているという話が出てくる。映画の最後には、一本のひまわりがアップで撮られ、そこからカメラは引いていき、広大な領域に広がる無数のひまわりが映し出される。恐らくは、最初の一本のひまわりはソフィア・ローレンとその悲しい物語の象徴なのであり、広大なひまわり畑はそのような悲しい物語が無数に存在することを表しているのだろう。陽気で明るいイメージのひまわりに悲しい物語を投影することで、その対比によって深い悲しみが静かに広がっていくのだ。

 今日の一枚は、『愛の映画音楽全曲集』である。演奏者はThe Film Symphonic Orchestra とあるが、どのようなオーケストラなのかわからない。企画物なのであろう。レコード棚にあった古いLPである。『ひまわり』のテーマが聴きたくて取り出してみた。いつ買ったのか全く記憶にない。自分で買ったことは憶えている。『ラスト・コンサート』のテーマ曲を聴きたくて買ったのだ。ロックやジャズしか聴いてこなかった自分が、ある時点で映画音楽のレコードを買っていたことはちょっとした驚きだ。
 『ひまわり』のテーマはいい曲だ。映画のいたるところに効果的に配され、強く印象に残る曲だ。映画を見た後に聴いた所為だろうか。ここ数日、耳にこびりついて離れない。

ウルトラセブン最終回(後編)

2022年03月06日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 569◎
Dinu Lipatti
Robert Schumann Piano Concertp,OP54

 ウルトラセブン最終回(後編)がNHK-BSPで放映された。
 ダンがアンヌにウルトラセブンであることを告白する場面は,今見てもなかなか印象深いものであった。突然、画面が影絵になり,シューマンの協奏曲が流れるシーンは,子ども番組にはふさわしくないと思えるほどにシリアスだった。 
(ダン)「アンヌ..僕は..僕はね..人間じゃ無いんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!!」
(ダン)「ビックリしただろ?」 
(アンヌ)「..ううん。人間であろうと宇宙人であろうとダンはダンで変わり無いじゃないの。例えウルトラセブンでも」
(ダン)「有難うアンヌ」
(ダン)「今話した通り、僕はM78星雲に帰らなければならないんだ!西の空に明けの明星が輝く頃1つの光が宇宙へ飛んでいく。それが僕なんだよ」
(ダン)「さよならアンヌ!」
(アンヌ)「待って!ダン!行かないで!!」
(ダン)「アマギ隊員がピンチなんだよ!」 
 「西の空に明けの明星が輝く頃」については、webをみると様々な解釈や憶測があるようだ。《明けの明星》は東の空に見えるものだからだ。何かの言い間違えであるとする説や《西の空》は《輝く頃1つの光が宇宙へ飛んでいく》にかかるとする説、脚本は違う言葉だったが撮影編集の過程でそうなったのだとする説、今となってはわからない。
 この言葉は確かに印象的なものだったが、私にとってはその後のアンヌ隊員の涙が深く心を打つシーンだった。恐らくは当時の少年たちも同じだったのではなかろうか、と勝手に思っている。

 今日の一枚は、カラヤン,フィルハーモニア管弦楽団&ディヌ・リパッティの1958年録音作『シューマンピアノ協奏曲イ短調作品54』である。アップル・ミュージックで聴いている。ウルトラセブン最終回のあの名シーンで流れるピアノである。クラシック音楽には詳しくない。演奏家もそんなに知らない。カラヤンはもちろん名前は知っておりいくつか作品を聴いたことはあるが、ディヌ・リパッティという人は全く知らなかった。ウルトラセブンとのかかわりでクラシック音楽を知り、ピアニストを知る。そんな聴き方も赦されるだろう。