●今日の一枚 69●
Pink Floyd
The Dark Side Of The Moon
The Dark Side Of The Moon を「狂気」と訳すセンスはなかなかいいと思う。月の裏側……。私ならもっと拡大解釈して、ニーチェにならって「善悪の彼岸」などと訳したいところだ。ちょっと、スノビッシュな発想だろうか。
君は僕の中にある狂気を閉じ込めようとするが、そうはいかない / 僕の中に住み着いた僕でないものはもう動きはしない / 君だって僕たちのたたき出す異音を聞いてしまったら、異質な場所にたっている自分を発見するようになるだろう (⑨ Brain Damage)
ここで語られているのは、誰でもがもっている狂気の側面であり、それを狂気として排除する構造、すなわち自らが正常の側にたって狂気を異常として退ける心性や社会構造への懐疑である。
渋谷陽一が『ロックミュージック進化論』(新潮文庫)で述べたように、「ロックとはもともと現実との違和感を徹底的に増幅し、そのひずみを音にしてきた音楽」である。そして、「その違和感を対象化し、原因をあらわにしていくのがプログレッシブ・ロックだった」といってよい。ところがピンク・フロイドはさらにすすんで、「ただ単に我々の存在の不幸と不条理を嘆くだけでなく、その不幸を乗り越える方法論を求めるべく、新しい表現領域に進んでいった」のである。それがより鮮明な形になったのがアルバム『アニマルズ』や『ザ・ウォール』であり、その中で彼らは(特にロジャー・ウォータースは)疎外論的な社会主義思想に接近していったのだ。この『狂気』はその出発点になったといっていいかもしれない。
こんなことを書くと何か小難しい音楽のように見えるが、もちろんそんなことはない。非常に大衆的なつまりポップな側面をもっており、受け入れられ易いサウンドだと思う。1973年作品のこのアルバムが、それ以後ビルボードTOP200に15年間(850週)もチャートインし、日本においても並みいる歌謡曲のレコードを押しのけ、チャートの1位となったことはそのことをよくあらわしている。
私がこのアルバムを最初に聴いたのは高校生の頃だったが、この作品のすごさに気づきに本当にハマッてしまったのは30代も後半を過ぎてからだ。若い頃はどうもその前衛性にだけとらわれ、トータルに感じ評価することができなかったのだ。その外見の前衛性に反して、非常に気持ちの良いサウンドであり、聴いていて落ち着くアルバムだと思う。何というか、人間の生理的なリズムに合致したサウンドなのだ。① Speak To Me の出だしの心臓の鼓動のような音を聴いて、初期の村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を想起するのは私だけではないだろう。ビートが心臓の鼓動に共振し、素直に音楽に同化することができる。サウンド全体が非常に安定しているように感じるのはそのためだろう。しかも、安定したサウンドではあるが、決して予定調和的なものではない。時折聴こえてくる「叫び」や「つぶやき」や「笑い声」は、人間的な生々しさを感じさせ、自分自身を揺さぶり覚醒させる効果をもつ。レジや時計の鐘の音などの挿入も一見前衛的に見えるが、決して奇をてらったものでなく、聴くものを覚醒させるという効果を十分に発揮していると思う。
最初に聴いた高校生の時以来長い間く取り出すことはなく、レコードは埃をかぶっていたが、10年ほど前にたまたま乗り合わせた友人のカーステレオでかけてあったのを聴いて衝撃を受け、再び聴くようになった。今ではハイブリッドCDも購入し、しばしば再生装置のトレイにのるようになっている。ジャズを中心に聴くようになって20数年、ロックに対する興味はすっかり薄れてしまったが、このアルバムは別である。聴くたびに発見があり、インスパイアされる稀有な作品といっていいであろう。