WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ベージュの手帖……青春の太田裕美⑬

2007年01月23日 | 青春の太田裕美

Scan10001_6  何度か取り上げてきた太田裕美の快盤『手作りの画集』収録の「ベージュの手帖」だ。いつものように、作詞は松本隆、作曲は筒美京平である。 

 家出の歌である。失踪の歌である。駆け落ちなのであろう。いかにも歌謡曲チックな前奏の次にあらわれる一番の歌詞は、その前奏とはおよそ似つかわしくない、考えようによってはちょっと衝撃的なものだ。すごい歌詞ではないか。日常性に亀裂が生じるそんな一瞬が表現された歌詞だ。 

(と、思ったら、他のブログで知ったことだが、この歌詞はビートルズの"She's leaving home"の焼き直しなのだそうだ。そういえば、歌に出てくる女の子もヨーコではないか。) 

   陽子はクラスで一番無邪気な娘なの 

   誰でもウインクひとつで友だちだった 

   翳り一つない笑顔 

   十月の寒い朝  トランクを一つ持ち 

   寝静まる家のドア  ひっそりと閉めた陽子

    机にベージュの手帖  残る言葉は

    「自由になりたい」

       ※   ※

    陽子はほんの子供とおこる父親

    手塩にかけ育てたと泣いた母親

    ガラス箱の人形ね

    十月の雨の朝  トランクをひとつ持ち

    ありふれた幸せに  背を向けて消えた陽子

    心の裏側なんて  誰も読めない

    「自由になりたい」

      ※   ※

    十月の雨の朝  トランクをひとつ持ち

    背の高い青年と  手をつなぎ消えた陽子

    ほんとの幸せなんて  誰も知らない

    「自由になりたい」   

  「寝静まる家のドア ひっそりと閉めた陽子」という部分が何ともいえずいい。続く2番以降がやや説明的すぎて凡庸な気がするのは気のせいだろうか。70年代には、「自由になりたい」という言葉の語感が、いまとは少し違って、爽やかで軽い孤独感をともなうものであったような気がする。

  それにしても、「残る言葉は、自由になりたい」という部分を聴いて、やや身勝手さを感じてしまうのは、時代のせいなのだろうか。あるいは、私が年をとり権威主義的になってしまったということなのだろうか。


振り向けばイエスタディ……青春の太田裕美⑫

2006年11月28日 | 青春の太田裕美

 Photo 1978年発表のアルバム『海が泣いている』収録曲だ。私の不確かな記憶によれば、LA録音とかで、ギターを弾いているのはリー・リトナーだったような気がする。気がするだけだが……。

 ところで、あったはずのLPがない。確かにもっていたはずだ。あるはずのものが見当たらないのは、何かしら、人を不安で、落ち着きの悪い心持ちにさせるものだ。アルバムにはタイトル曲の「海が泣いている」や「栞の結婚」などの名曲が入っており、それをアナログ盤で聴けないのは残念である。 

 「振り向けばイエスタディ」というタイトルは、気持ちはわかるが、ちょっとダサい。当時はこういう言葉の使い方がお洒落だったのかも知れないが、今となっては恥ずかしい表現である。歌詞の中に「振りむけばイエスタディ」という言葉が登場せず、その意味では練られたタイトルだったのかもしれない。ただ、歌詞に関しては、ちょっと芝居じみた感もあるものの、情感溢れるノスタルジックなものであり、私自身、心に迫るものがある。 

 大人の歌である。過ぎ去ってしまったアドレッセンスを追憶する静かな寂しさが漂っている。我々は年をとっていく。金持ちも貧乏人も同じように時間を失っていくのだ。たからこそ、追憶の歌は多くの人の共感を呼ぶのだ。 

 歌を聴きながら、その情景がイメージされるような映像的な歌詞だ。「君とは一緒に一夜づけした ノートの隙間に朝が見えたね」とか「女は名前を何故変えるのか この次逢ったらなんて呼ぼうか」など多くの人が自分の体験とダブらせて、感慨に浸ることだろう。 

 太田裕美は、自分自身が年齢を重ねながら、同世代が思いを分かち合えるような歌を歌っていく。「青春の太田裕美」の所以である。 

※   ※   ※   ※   ※   ※ 

英語のカードを片手にかざし  ラケット抱えた少女がとおる 

もうじき期末のテストなんだよ  あれから何年たったんだろう 

今でも時々夢を見るんだ  白紙の答案にらんでる夢 

君とは一緒に一夜づけした  ノートの隙間に朝が見えたね

愛って何?さって何?  小首かしげて君は聞くけど

答えがないから青春だった  答えがないから・・・woo  woo woo

              ※             ※

化粧を変えてもすれ違うとき  不思議に一目で君とわかった

お茶でもどうって誘う言葉に  うなづく仕草は昔の君

結婚するってうわさ聞いたよ  相手がやさしい人ならいいさ

女は名前を何故変えるのか  この次逢ったらなんて呼ぼうか

愛って何?若さって何?  小首かしげて君は聞くけど

答えがないから青春だった  時ってでっかい河みたいだよ

想い出はなつかしい友達なんだね


一つの朝……青春の太田裕美⑪

2006年11月24日 | 青春の太田裕美

 Photo_2  極私的名盤『十二ページの詩集』のB面2曲目。何ということのない詩である。恐らくは、新しい恋に出会ったばかりの少女の何気ない日常の風景を素描したに過ぎない詩である。けれども、そこがまたいい。今風にいえば、癒されるのである。佐藤健作曲のおだやかで浮遊感覚のある旋律が、70年代の女の子の何気ない日常を際立たせている。よく読んでみると、詩も何か特別のことを語っているわけではないが、少女の心象風景をよく表しているではないか。「道ばたの石ころを何気なく投げたら 幸せの影がキラリとのぞいたよ」というところが、何ともいえず乙女チックでいい。

 このブログの「青春の太田裕美」シリーズではすでに何度も論じたことであるが、70年代的な内向、すなわち「自閉」という時代の空気が生んだ作品の一つといえよう。 

     ※            ※ 

  「好きだよ」といわないで    不確かな言葉です 

  生まれたばかりの恋なんて  決まり文句では語れない 

  朝焼けを見る人は淋しがりだという 

  その横顔を私は信じたい 

    ※            ※ 

  散歩して出逢っても    挨拶は抜きにして 

  ただつないだ手のぬくもりで 本当の優しさ伝えてよ 

  道ばたの石ころを何気なく投げたら 

  幸せの影がキラリとのぞいたよ

 


袋小路……青春の太田裕美⑩

2006年10月14日 | 青春の太田裕美

2_15  太田裕美の3rdアルバム『心が風邪をひいた日』収録の「袋小路」……。隠れた人気曲だ。 

 暗い曲だ。けれども好きだ。松本隆による情景が目に浮かぶような映像的な詩が、荒井由美作曲の旋律によって言葉の輪郭がより鮮明になり、詩の意味を噛み締められるような構造になっている。 

  「椅子のきしみ」や「レモンスカッシュの冷たい汗」などの一見具体的でリアルな言葉がかえって全体の抽象度を高めている。 

  「もしどちらかにひとつまみでもやさしさがあったなら袋小路をぬけだせたのに」というところは、多くの人には心当たりのあることだろう。しかし、現在の若者たちを、例えば手を繋いで街を歩く高校生などをみていると、この歌詞のせつなさを理解できるだろうかと思ってしまう……。 

 この歌詞の主人公は男女関係がうまくいかなかったことを引きずって生きているわけだ。かつては、男女交際というものは、現在のように「気軽な」ものではなかった。人は傷つくことを恐れあるいは世間の目を気にして、簡単に積極的な行動を取れるわけではなかったのだ。秘められた「つのる想い」を胸に抱きながら生きていたのだ。人が積極的な行動に出るのは、ある条件のもとでそれを許された時か、想いがあるレベルを超えたときだったと思う。したがって、男女交際というものは、ある種特別のものであり、それが挫折した場合には深く傷つき、その傷を長く引きずったわけだ。 

 気軽に付き合う相手を変え、けろっとしている現代の多くの若者たちを見ると、正直ちょっとうらやましい気もする。けれど、もう一度今の時代に青春を送り、自分もそのようにしてみたいかと問われれば、否と答えるだろう。「秘められた想い」……。それが時代のつくった虚構であると知りつつも、やはりその時代に生きた私は、それが美しいと感じてしまう。


青春のしおり……青春の太田裕美⑨

2006年09月26日 | 青春の太田裕美

1_3   太田裕美の3rdアルバム『心が風邪をひいた日』……。ジャケット写真とアルバムの内容が違いすぎる。明るくかわいいジャケット写真にくらべて、内容は70年代ノスタルジーそのものである。大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」を含むこのアルバムは、概して内向的な曲が多く、どちらかといえば「暗い」内容である。 

 「青春のしおり」は、このアルバムの中でも支持者の多い曲らしい(もちろん私も気に入っている)。実際、歌詞の中に「若い季節の変わり目だから 誰も心の風邪をひくのね」とあり、アルバムタイトルの『心が風邪をひいた日』はここから名づけられたと推定される。 

「赤毛のアン」や「CSN&Y」や「ウッドストック」など具体的なことばがかえって抽象度を高める効果をだしており、聴くものは時代をイメージし、自己を投影しやすい構造になっている。 

 歌詞は、「若い季節の変わり目」、すなわち無邪気な時代を過ぎ、大人になっていく過程の喪失感や心の空虚さをうたったものだが、これも1970年代という焦点の定まらない時代を抜きにしては考えられない。喪失感や空虚感は1970年代の時代の雰囲気といっていい。 

 高度成長や若者の反乱も終わり、はっきりとした目標を見出せず、熱くなれるものもなくなってしまった若者たちには、喪失感や空虚感だけが残ったのである。共通の目標やともに熱くなれるものが無くなったということは、それだけ個人の自由度が増したということでもあるが、社会や他者とのつながりを喪失していくということでもあった。若者たちはしだいに自閉するようになり、他者の心をつかむことができないという苦悩に陥ることになる。他者がつかめないということは、自己の輪郭もつかめないということなので、当然人々はアイデンティティの危機におちいるわけだ。例えば、初期の村上春樹はそれをテーマにしていたし、以後もその克服が村上文学の底辺には流れていると思う。若い頃に読んだエッセイだが、三浦雅士『村上春樹とこの時代の倫理』は村上春樹の作品の中に、1970年代後半の時代の気分を読み解いた好論である。  

 しかし、そんなわかったようなことを口にしながらも、この「青春のしおり」を聴いた瞬間、胸がしめつけられ、心がかぜをひいたようになってしまう。空虚でむなしかったが、いとおしきは、1970年代である。 

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木綿のハンカチーフ……青春の太田裕美⑧

2006年09月24日 | 青春の太田裕美

Cimg1561  太田裕美サイン入りLPである。「82,9,1」と日付も記されているが、私がサインしてもらったわけではない。たまたま買った中古レコードにサインがあったのだ。私は田舎の静かで控えめなファンだったので、サイン会はおろか、コンサートにさえいったことがない。生きて動く本物の太田裕美には、現在にいたるまで会ったことがない。それは、恐らくは、今後も変わらないだろう。それで不足ないと考えている。太田裕美的世界にこそ関心があるのだから……。 

 このベスト・アルバムの帯には「今、まぶしい青春。ヒロミフィーリングを経験してみませんか!」と記されている。今という地点から見ると、ちょっと恥ずかしい宣伝文句だが、当時太田裕美はそのようなイメージでPRされていたのだ。しかし、多くのファンにはもう少し異なるイメージで受容されてきたように思われる。少なくとも太田裕美的青春とは「まぶしい青春」ではないだろう。また「ヒロミ・フィーリング」という表現にも違和感がある。太田裕美は、もっと内向的で感傷的な何ものかにかかわるイメージで受容されてきたように思う。それが現在にいたるまで根強いファンをもち、アイドルを脱皮して生き残っている理由であろう。 

 ところで「木綿のハンカチーフ」である。いわずと知れた大ヒット曲であり、一般的には太田裕美の代名詞といっても過言ではあるまい。しかし、あれ程の大ヒットでありながら、この曲はチャートの1位にはなれなかった。同時期に、まったく同時期にあの「およげたいやきくん」が存在したからだ。1位にはなれなかったが、「木綿のハンカチーフ」はその後も青春の歌として歌い継がれ、人々の記憶に残る歌となったわけだ。 

  「木綿のハンカチーフ」が、人々の記憶に残る歌となったのは、メロディアスで受け入れ易い旋律であることとともにやはり歌詞の力が大きいのであろう。ストーリー形式で展開する歌詞は、1番、2番、3番と男女の対話で構成され、その心の変容が語られるとともに、最後の4番まで聴かなければ「木綿のハンカチーフ」というタイトルの意味がわからないしくみになっている。このことこそが他の凡百のヒット曲と異なり、オーディエンスが曲全体の歌詞をきちんとふまえて感情移入することができる秘密であろう。そのことによって、この曲は単なる一過性のヒット曲ではなく、人々に歌い継がれる曲となったといえはしまいか。 

 ところで、このブログの他の記事のところで「くま田なおみ」様から、「『木綿のハンカチーフ』の女の子は何故彼のもとにいかなかったのか。何故帰ってこない男の子を咎めなかったのか。不思議に思ったものでした」というコメントをいただいた。そういわれてみれば、その通りだ。くま田様の疑問はもっともだと思う。もっとも、この女の子が彼のもとへいってしまったら、この曲特有のセンチメンタルな雰囲気は成立しないわけだが……。 

 ただ、思い返すに、全体としてみればそういう時代だったのではないか。つまり、女の子というものが、文化として今よりずっと「内気」で「奥ゆかしく」(フェミニストに糾弾されそうな表現だが……)、いい意味でも悪い意味でも自分を解放できないあるいはしない時代だったのだろう。積極的であることは排され、消極的で受身であることが、女性として「かわいく」「けなげ」だとみなされたわけだ。以前このブログのほかの記事でも述べたことがあるが、その後80年代に入って以降、女性はどんどん自分を解放し、自己主張をするようになっていった。『木綿のハンカチーフ』で「ハンカチーフください」と哀願した女の子は、例えば、あみんの『待つわ』では、「待つ」という行為によって自己主張を行い、石川ひとみの「まちぶせ」ではまちぶせて「あなたをふりむかせる」という積極的な行動をとるようになるのである。その後、80年代後半のバブルの時代をへて90年代に入ると、女性はどんどん積極的になり、「木綿のハンカチーフ」的メンタリティーはほとんど失われてしまった。現代では、男女関係において女性が主導権をとることはまったくめずらしいことではないのは周知の通りである。 

 興味深いのは、女性性の解体とともに男性性も急激に解体したということである。「女らしさ」とともに「男らしさ」も急激に消え去ったということだ。男女の文化的性が相対的なものであることを考えれば当然のことなのかもしれないが、私は女性解放に際して「物語」という「形」があたえられずに、ただアナーキーに行われていったことが大きな原因であると考えている。自らを「どのように解放してどのような素敵な女性になるのか」というお手本になるべき物語が欠落していたのではないか。私は、女性解放に否定的なわけではまったくないが、フェミニストの糾弾をおそれずに思い切っていえば、アナーキーで無節操な「物語」なき女性解放によって、世間はますますつまらないものになってしまったような気がする。もはや、現代では男も女も入り乱れてしまった。CMの大滝秀治にならって、「つまらん」と叫びたいところだ。 

 こう考えるのはやはり、「男性中心主義」なのだろうか。

 

 

 


南風-South Wind……青春の太田裕美⑦

2006年09月17日 | 青春の太田裕美

Scan10015_2  1980年の作品だ。何かのコマーシャルで使われていたと思う。それまでの「ノスタルジー」を基調にした太田裕美から一転、明るく、溌剌とした太田裕美だ。ジャケットにもスポーティーな服装に身を包んだ太田裕美がいる。歌詞からも真夏のきらきらした風景と開放的なイメージが想起され、これまでと異なる路線を目指したことがわかる。爽快だ。 

 以前にも書いたことがあるが、1980年代とはそういう時代なのだ。1970年代が自己に閉じこもる自閉と内省の時代であるとするなら、80年代はそれからの解放の時代だったのだ。70年代的な価値感は「暗い」「根暗」として糾弾され、「明るい」ことが善しとされるようになったのだ。しかし、その「明るさ」は、政治的文化的挫折に起因する70年代的「暗さ」の本質を解決・克服したものではなく、いくら内向・内省してもその先に本当に知りたいものや欲しいものが見出せないという焦燥とジレンマからくるものであった。以後、人々は自己の内部を掘り下げることなく、外部の世界の快楽に身をゆだねる生活を選んでいくことになる。 

 それは基本的に正しい選択であったろう。自己の内面にものごとの本質などはありはしないのだから……。例えば、『二十歳の原点』の高野悦子は80年代に青春をおくれば自殺などせずにすんだであろう。彼女は自己の内部になどありはしない人生や世界の本質を捜し求めてしまったのだ。 

 しかし、その明るさはやはり空虚だった。いくら明るく振舞っても心の空白は埋めることはできない。それが80~90年代の新興宗教ブームにつながっていくのであろうが、このシングル『南風』のB面に「想いでの赤毛のアン」と題する70年代的な曲が収録されているのは興味深い。このレコードが70年代的なものから80年代的なものへの過度期の作品であることをあらわすと同時に、80年代的な「明るさ」が埋めきれない70年代的「内向」を表現したものであると考えるのは、うがった見方であろうか。 

 ところで、「南風」のなかのオレンジ・ギャルという語が、小麦色に日焼けした女性を表すことにやっと最近気づいた。「ギャル」という語は、当時はもっと違った「さわやかな」語感があったはずだが、今となっては、怠惰でおちゃらけた女性たちをイメージしてしまい、わが太田裕美には、まったく合わない。 

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パパとあなたのかげぼうし……青春の太田裕美⑥

2006年09月16日 | 青春の太田裕美

Srcl05084_3   「パパとあなたの影ぼうし」……。この歌を今日知った。2001年の4月~5月にNHK「みんなの歌」で流されて、大きな反響のあった曲らしい。

 後から後から涙が出てきてとまらなかった。自分のことを歌われているようだと思った(私はなんでもできる優秀な人間ではないが……)。思わず、自分の息子を抱きしめたくなったが、宿泊学習にいっていて不在だ。

 やはり、太田裕美はすごい。人生のいろいろな局面で何かを教えてくれる。

2006.9/12

 ここで聴けます(歌詞

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[歌詞]  

作詞・作曲:こんの ひとみ

   運動会のかけっこあなたは みんなの一番後ろ走ってる
   パパは本気で歯ぎしりしてる 真っ赤な顔をして走るあなた見て
   パパはいつも何でも一等で 思い通り生きてきたから
   不器用な息子を思うばかりに あなたにつらくあたるのね

   逆上がりがすぐにできない子はできる子よりも
   痛みがわかる分だけ強くなれることを
   パパに伝えたいね いつかわかる日が来るよね
   放課後 校庭 鉄棒に映る ママとあなたの影

   パパは今度初めて仕事で 一等をとれなかったの
   弱気な顔を見せてぐちって その方がずっと好きになれる
   「ねえ、パパ逆上がりを教えて」息子なりの励ましかしら
   日曜の午後パパはしぶしぶ あなたと外に出た

   何度も何度も足が宙を切って落ちる
   それでも空に向かって大きく足を振り上げる
   パパはもうわかってる あきらめないのが大切だって
   夕日の校庭 鉄棒に映る パパとあなたの影

再アップ(初アップ2006/9/12)  

  

 


青い傘……青春の太田裕美⑤

2006年09月05日 | 青春の太田裕美

Photo_1  最近、このウェブログを書くようになって、昔の太田裕美を時折聞き返すようになり、青春の太田裕美への想いはつのるばかりである。

 今日の昼休み、インターネット検索をしていたら、太田裕美がNHK-FMで毎週金曜日PM 16:00から「Music Plaza   太田裕美のオールジャンル・リクエスト」という番組をやっているのをしった。今週から聴いてみたいものだが、仕事があるので無理だ。そのホームページには過去にオンエアーした曲のリストも掲載してあり、なかなか楽しい。そのリストを眺めていたら、2006.6.9に彼女の「青い傘」がかけられたことを知った。「青い傘」といえば、荒井由美作詞作曲になる太田裕美ファンの多くが名曲と認めるであろう作品だ。私の頭の中に「青い傘」がこびりつき、仕事をしていてもまるでプラトンみたいにそのことがしばしば「想起」されるというありさまだった。幸運なことに、今日は仕事がはやく片づいた。帰宅して半ば義務のように家族との語らいを終えるいなや、自室に篭

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城して、レコード棚から『12ページの詩集』を取り出し、何ものかに憑かれるかのように、この曲を聴いた次第である。

  やはり、名曲だ。感激である。旋律も素晴らしいが、歌詞もまたすばらしい。相手を想い、伝えかねる「つのる思い」を背負いつつ、街をさまよう女性の歌だ。ウェブを検索するとこの曲を「今ならストーカー」などと不用意に語るウェブログもあるが、私はここに宣言しよう、これは断じてストーカーの歌などではない。70年代特有の(もちろんそれは現在でも有効である)純粋な「つのる想い」を歌った曲だ。携帯電話やメールのない時代、人々は「つのる想い」を心の中で暖め、純化していったのだ。大体、近頃は、ちょっと相手を追いかけただけでストーカー呼ばわりされる。大して迷惑もかれていないのにストーカー呼ばわりでは、他者を想う心の生きるスペースがないではないか。「つのる想い」を受け止める精神の豊かさが欠如している。おかしな世の中だ。個人の人権意識が広まった結果、自分を想ってくれる他者の気持ちが理解できなくなったのだろう。すぐに「ストーカー」の語を使いたがるような人たちは「つのる想い」を知らないか、忘却してしまった人に違いない。1つの概念を鬼の首を取ったかのように、拡大解釈したがるのは、日本的貧困だ。

 もう一度、素直な心でこの曲を聴いて、歌詞を噛み締めてみよう。軽々しく「ストーカー」の語を使う自分が恥ずかしくなるはずである。

 「わたしのさしてる青い傘は、歩道に浮かんだしみのようね」というところが、せつない……。

 このせつなさをどうしたらよいのだろう……。

   


しあわせ未満……青春の太田裕美④

2006年08月28日 | 青春の太田裕美

Scan10008_10  太田裕美の1977年作品「しあわせ未満」のシングルレコードがあった。実家の物置から発見されたのである。保存状態もよく、まだまだ十分聴ける代物である。

 いい曲だ。ジャケットもかわいい。しかし、この詩はなんだ。(今風にいえば)ナンパして同棲をしたが、ピンボーで生活が苦しく、「部屋代のノックに怯え」たり、「指にしもやけ」ができたりした彼女を不憫に思い、「もっと利口な男探せよ」とか「もてない僕をなぜ選んだの」とかいってしまう男の歌なのだ。その女性を気遣う心の純粋さを歌ったものだ。「思いやり」の

2_7なのだ。

   しかし、現在という地点から考えれば、生活力も責任感もない男の自己弁護・自己慰安の詩ととらえられても仕方のない部分がある。意地悪くいえば、女性を思いやる「優しい心」が、生活力のない男のみじめさを隠蔽している。以前、他のところでも書いたが、「心の純粋さ」に高値のついた1970年代にしか存立し得ない歌詞だ。

 F・ニーチェならば、弱者のルサンチマンにすぎないときって捨てるであろう。そしてそれは、残念ながら、恐らくはあたっている。当時の「心の純粋さ」と社会的な「弱わさ」とは微妙にリンクしていたように思われる。 学生運動などの挫折の後、ちょっとやそっとでは変わりそうもない世界に対する無力感と違和感とが、若者たちを自己のうちに閉じこもらせ、独我論的な方向へと向わせたのである。そういう意味では、体制や世界に対するひ弱な異議申し立てと言えなくもないだろう。自閉した若者たちは、汚れた外の世界との対比において、汚れなき「心の純粋さ」に正義を見出したのである。

 にもかかわらず、われわれにとっては大切な歌である。多かれ少なかれ、われわれの世代はそのようなひ弱な「心の純粋さ」を持ちながら、ある者はそれを武器に、ある者はそれと決着をつけずに留保したまま、ある者はそれと格闘して乗り越え、もう一度世界に立ち向かおうとしたのだから……。

 歌詞の最後の「あー二人、春を探すんだね」というところが、せめてもの救いである。この二人は、今頃どういう生活を送っているのだろうか。


遠い夏休み……青春の太田裕美③

2006年08月26日 | 青春の太田裕美

Scan10005_3  アルバム『手作りの画集』収録の「遠い夏休み」。"いまでもファン"の多くが支持する名曲である。もちろん、私も大好きだ。日本的な哀愁を帯びた旋律、古き良き(?)日本の情景を思い出させる歌詞。思わずジンときて、涙腺が緩みそうになる。

 しかし、歌詞の描く世界が妙に遠くに感じるのはどうしたことだろう。「ランニングシャツ」「小川で沢ガニ」「夕焼け道」などのことばは、現代の生活の中ではリアリティーが薄くなってしまったのではなかろうか。おそらく、ある年代以下の人間にはもはやイメージできない情景だろう。「カタコト首振る古扇風機」「線香花火に浮かんだ顔」「(髪の毛を)風でとかした」などの表現から伝わってくるノスタルジックなニュアンスもぴ2_2んとこない人が多いに違いない。

 1970年代とは社会も生活も風景も感性も大きく変わったことを感じざるを得ない。かつては、地方はまぎれもなく「田舎」や「国」であり、人々の心の中には「田舎」の原風景が存在したのである。

 高度資本主義は、都市と田舎の境界を解体し、日本列島の均一化を推進してきた。そして、今や日本全国どこにいってもコンビニエンスストアーにがある時代になったのである。多くの若者が旅先で安堵の感情をもつのは、心の原風景に触れることではなく、コンビニがここにもあったということであるという。

 

 

 

 

 そんなことを考えつつ、「遠い日の夏休み、もう帰らない」という歌詞をしみじみとと噛み締めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


君と歩いた青春……青春の太田裕美②

2006年08月17日 | 青春の太田裕美

Cimg1560_3  アルバム『12ページの詩集』 (1976年作品)収録の「君と歩いた青春」は、隠れ太田裕美ファンの中でも支持者の多い曲だろう。それを裏付けるかのように、1981年には別バージョンでアルバム『君と歩いた青春』が発表され、タイトル曲がシングルカットされている。『12ページの詩集』 は、12人の異なる作曲家の楽曲を太田裕美が歌うという企画で制作されたもので、知る人ぞ知る名盤の誉れ高い作品である。中でも伊勢正三作詞作曲の「君と歩いた青春」は、ファンの間ではいまだに根強い人気を誇る曲である。この曲は、松本隆&筒美京平というそれまでの太田裕美の路線とは異なるものだったが、歌詞のイメージの方向性などは松本&筒美コンビの路線を踏襲したものといえるだろう。 

 2ところで、「君と歩いた青春」の歌詞を今改めて眺めると、1970年代がもはや本当に遠い昔であることを実感せざるを得ない。幼い頃からともに遊んだ恋人と都会で暮らし始めたがうまくいかず、田舎に帰ろうとする彼女に対して男が語る思いやりのことば……。 

  今となっては、生活力のない男の女々しい自己弁護・自己満足のことば、ととらえることもできないでもないが、それを優しさとしてとらえることが可能な時代だったのだろう。思えば、社会全体が優しさを求めていた時代だった。高度成長が終わって人々は目標を見失い、一方、若者は学生運動の終焉とそれに続く連合赤軍事件や内ゲバによって社会変革への夢を閉ざされた。若者たちは「自己」の中に閉じこもり、そこに小さな幸せを見出すようになったのだ。そこで「発見」されたのが、「心」であり、心の「優しさ」や「純粋さ」に束の間の慰安を求めたのだ。  

 おそらく、この時代ほど、「心」というものに高値がついた時代はないのではないか。社会的な活動やエスタブリッシュメントは傲慢な自己主張としてしりぞけられ、純粋な心の優しさが重要な価値となったわけだ。

 皮肉なことに、その後の消費社会の進展と高度資本主義によって、「心」や「純粋さ」や「優しさ」さえも自己慰安的な欲望のひとつにすぎないとされるようになり、パロディーとしてしか成立しえなくなってしまった。資本主義とはまさしく、すべてを飲み込み、すべてを解体してゆくシステムなのだ。 

 恐らく、我々は、もはや1970年代のような「純粋な心」や「優しい心」という夢を見ることはできないだろう。そう思いながらも、この曲を聴きながら、過ぎ去りし「みんなが優しさを求めていた日々」に想いはめぐる。懐かしきは、われらが1970年代である。


茶色の鞄 …… 青春の太田裕美①  (加筆)

2006年07月29日 | 青春の太田裕美

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 太田裕美が好きだった。青春の一時、アイドルだったといってもいい。ところで、意外なことであるが、私と同世代の人には太田裕美の隠れ支持者が多いようである。飲み会などで、ちょっと昔の思い出話などになると、この「太田裕美」という名前が登場することが多いのである。しかも、ずっと昔の一過性のアイドルというのではなくて、今でもその記憶を大切にしている人が多いのだ。 太田裕美には、周知のように多くのヒット曲があるが、ヒット曲以外の一般的にはまったく無名の曲(アルバム収録曲)を愛する人たちも少なくない。彼ら隠れ太田裕美支持者たちの心の中では(もちろん私もその一人だ)、今でもそうした無名曲が鳴り響いているのである。
 

 10年ほど前、知人と酒を飲んでいる際、ふとしたことから太田裕美の話題となり、その人物が隠れ太田裕美支持者であることがわかったのだが、さらに会話をすすめていくと、彼が愛する曲は「木綿のハンカチーフ」でもなく、「最後の一葉」でもないという。まさかと思って尋ねてみると、なんとアルバム『手作りの画集』収録の「茶色の鞄」という曲だったのだ。その時の驚きはいまでも忘れられない。我々の間に一種の共犯関係のような奇妙な連帯意識が生まれ、互いにニヤッとほくそえんだのだった。そしてそれ以来、実は私は同じような体験を何度かしているのだ。最近、試しにウェッブで検索してみたら、まったく意外にも、この「茶色の鞄」が多くの支持を集めていることがわかった(古いアルバムもいまだに廃盤とならずに、CDとして発売され続けているのだ)。私にとっては、ちょっとした驚きだった。 

 アルバム『手作りの画集』は、よくできたアルバムである。テンポがよく、ポップな旋律をもつ人気曲「オレンジの口紅」からはじまり、ヒット曲「赤いハイヒール」や支持者たちの間で人気の高い「都忘れ」や「遠い夏休み」、「ベージュの手帖」などをへて、最後の曲がこの「茶色の鞄」なのである。聞き飽きしない構成だ。 

 それにしても、と思う。この時代の太田裕美における松本隆という作詞家の詩は、当時の若者の心象風景をみごとにつかんでいるものが多い。まるで、屈折した当時の自分がそこに映し出されているようである。名曲「茶色の鞄」の詩(1番)はこんな風である。 

   路面電車でガタゴト走り  橋を渡れば校庭がある 

   のばした髪に帽子をのせた 

   あいつの影がねえ見えるようだわ 

   人は誰でも振り返るのよ  机の奥の茶色の鞄 

   埃をそっと指でぬぐうと  よみがえるのよ懐かしい日々 

 「のばした髪に帽子をのせたあいつの影がねえ見えるようだわ」というところが良いではないか。「茶色の鞄」とは、かつてちょっと不良っぽい高校生が持っていたぺったんこの鞄だ。2番の歌詞はこうだ。 

   学生服に煙草かくして 代返させてサボったあいつ 

   人間らしく生きたいんだと 

   私にだけはねえやさしかったわ 

   もう帰らない遠い日なのに あの日のままね茶色の鞄 

   大人になってかわる私を 恥ずかしいような気持ちにさせる 

 「人間らしく生きたいんだと」というところがなつかしい。昔の高校生はこういうことを言ったんですね。「もう帰らない遠い日なのに あの日のままね茶色の鞄」というところが、時間の静止をイメージさせて秀逸である。具体的なモノをを登場させることで、イメージが広がっていく。3番(というか、リフレイン)だ。 

   運ぶ夢などもう何もない。中は空っぽ茶色の鞄 

   誰も自分の幸せはかる ものさしなんてもってなかった 

   誰かが描いた相合傘を 黒板消しでおこって拭いた 

   あいつも今は色褪せてゆく 写真の中でねえ逢えるだけなの 

 なんというか、せつない。多くの人が、自分なりの情景を思い描くだろう。「誰かが描いた相合傘を 黒板消しでおこって拭いた」などというところは、実に70年代的だ。色褪せてゆくアドレッセンスを見事に表現した名曲である。 

 

参考文献(太田裕美関連サイト)  ↓ 

http://www.force-x.com/~raindrop/ 

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/hiromiohta/ 

http://hiromi.m78.com/index.htm