WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

おとな買いをしてみた!

2013年09月16日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 341◎

 Eagles

 The Studio Album 1972-1979

Cimg0388_2

 おとな買いっていうのだろうか。あまり懐かしくて買ってしまった。安かったからだ・・・。

 イーグルスの1972年のデビューアルバムから1979年の最後のアルバムまで、6枚で2100円也だ。BOXセット、「Eagles  The Studio Album 1972-1979」。もちろん輸入盤である。まあ中身はジャケットの中にCDが裸で入っているような代物だが、音質はそんなに悪くはないのではないかな。アコーステックギターの響きも鮮度があるし、左右チャンネルの分離加減もなかなかいい。6枚で2100円じゃなかったらきっと買わなかったと思うが、ちょうど「ホテルカリフォルニア」なんかをカーステレオで聴きたいなって思っていたところだったし、昔、ちきんと聴きこんでいなかったアルバムもあったし、お買い得だったんじゃないかな。

 BOXに入っているのは、1970年代のイーグルスの全スタジオ盤。

「Eagles(イーグルス・ファースト)」(1972)
「Desperado(ならず者)」(1973)
「On The Border(オン・ザ・ボーダー)」(1974)
「One Of These Night(呪われた夜)」(1975)
「Hotel California(ホテル・カリフォルニア)」(1976)
「The Long Run(ロング・ラン)」(1979)

の6作だ。

 こうやってみると、「ロング・ラン」以外は1年に1作のペースでアルバムを発表していたんだね。「ホテル・カリフォルニア」から「ロング・ラン」までが約2年半。やはり、よく言われるように、「ホテル・カリフォルニア」でウエストコーストロックの頂点を極めた後、周囲の期待に対する大きなプレッシャーがあったのだろうか。そのプレッシャーの中で、結果的に最期のアルバムとなった「ロング・ラン」は作られた、ということなのだろうか。

 というわけで、ここ2週間程、昔懐かしのイーグルスを中心に聴いている始末です。個々のアルバムについては、そのうち批評めいたことを書ければいいなと思っています。

Cimg0384

 上の写真はラップに貼ってあったシール。こんな宣伝文句が書かれていた。「モーレツからビューティフルへと時代が変わりつつあった70年代-アメリカンドリームに憧れ、ほろ苦い青春を送る僕らの傍らには、常に彼らの音楽があった。」

 ちょっと陳腐すぎる宣伝文句だ。けれど、陳腐だと思いながら、なんとなく感慨を感じてしまう私は、やはり、おじさんなのだろうか。

 


まるでクラプトンのようなクラプトン

2012年08月25日 | 今日の一枚(E-F)

☆今日の一枚 325☆

Eric Clapton

Just One Night

Scan10022

 エリック・クラプトンの1979年12月3日の日本武道館でのライブ録音盤『ジァスト・ワン・ナイト』である。ずっと前にカー・オーディオのHDDに入れたのであるが、ここ数日なぜか毎日聴いている。結構いい・・・・。ホワイト・ブルースを基調にしたギター・フレイジングと、しゃがれ声の渋いボーカル。恐らくは、それが多くの日本のファンが、こうあってほしいと望んでいたようなクラプトンではなかったか。少なくとも、私が1970年代以降のクラプトンに勝手にもっいたイメージはこのアルバムの演奏のようなものだった。私が、あるいは日本人がクラプトンに持っているようなイメージを、クラプトンが演じたような作品である。まるでクラプトンのようなクラプトンの演奏だ。

 アルバム・ジャケットだってかっこいい。顔にはひげをたくわえ、ジーンズに、シャツにベスト(チョッキ)、そしてなんとギターは黒のストラトキャスター、「ブラッキー」だ。これぞクラプトンというジャケットじゃないか。アルバムの中にある次にあげる写真なんてもう最高。これぞ、高校生の頃の私が思い描いていた、かっこいいクラプトンの理想像といっていい。何度まねをしようしとたことか。ひげの薄い私には無理だったのだけれど・・・・。

Scan10023 

 とまあ、これでもかこれでもかと、「かくあるべきクラプトン像」が提示される。ちょっと、過剰サービス気味といえなくもないほどだ。その意味では、予定調和的でスタティックな、いかにも、というステレオタイプなアルバムといえるかもしれない。しかし、1960年代のクリーム時代と、1970年代初頭のサザンロックとの出合いを除けは、クラプトンとはそういう存在だったのではないか。人々がクラプトンに求めていたものは、ディオニソス的な、ある種の革命的な新しさではなく、むしろ、どこか懐かしい、静かで穏やかな安定だったように思われる。また、クラプトン自身もそのことを十分に理解し、演じてきたように見える。だから、そのことをもってクラプトンの演奏のロック・シーンにおける優劣を論ずるのは、正しい遇し方とは思われない。私は、といえば、そういうクラプトンが嫌いではない。


エラ & ルイ

2010年04月23日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 259●

Ella Fitzgerald & Louis Armstrong

Ella & Louis

Scan10006_2

 今日はしばらくぶりに早い時間に帰宅した。楽天イーグルスもどうやら大量リードしているようだ。ゆっくり音楽でも聴くかと自室に篭城し、久々に取り出したのがこの一枚である。

     *     *     *

 エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングの共演作、1956年録音作品の有名盤『エラ & ルイ』である。バックをつとめるオスカー・ピーターソン・トリオの好演も見逃せない。

 いやあ、楽しい。本当に楽しい。本当にいいアルバムだ。こういうアルバムに対して批評めいたことを書くのが恥ずかしくなってしまう。エラフィッツもサッチモもリラックスしつつ本当に音楽を楽しんでいるようだ。その楽しさがダイレクトに伝わってくる気がする。これ以上、何をつけくわえればいいのだろう。⑧「アラバマに星落ちて」、いいなあ、好きだなあこの曲、心がとろけそうになる。⑩「ニアネス・オブ・ユー」、アルバム帯の日本語タイトルが「あなたのそばに」となっている。なるほど、これは「ニアネス・オブ・ユー」じゃなくて、「あなたのそばに」だ。

 我々の人生には、こういう音楽が絶対に必要だ。


ミスティーのオリジナル演奏

2010年04月10日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 252●

Erroll Garner

Contrasts

Scan10007

 JBL(バスケットボール)の2009-2010シーズンセミファイナル、パナソニックvsリンク栃木は歴史に残るほどの名勝負だった。試合は終始パナソニックリードで展開し、第4ピリオド残り5分20秒の段階で66-77と11点の差があった。しかし、ここからリンク栃木の怒涛の反撃がはじまる。田臥のワンマン速攻と物凄いストップジャンプからの3ポイントシュートで、残り2分42秒で79-74、さらに田臥の3ポイントで2分05秒には77-79、残り1分03秒には田臥のキラーパスから外国人選手⑫のダンクシュートでついに79-79と負いついた。そして最後は、残り39秒、田臥のパスから①川村卓也のミドルシュートで81-80となり、リンク栃木が勝利した(詳しい試合展開は→こちら)。

 ゲーム自体も面白かったが、地域をあげて応援しているようなリンク栃木のファンの盛り上がりもすばらしかった。ファンの応援の後押しが勝利の要因の1つであるといっても過言ではない。JBLはプレーの質は高いものの、地域に根づいたリーグとはなっておらず、その点bjリーグに一歩譲るのだが、リンク栃木のあり方はこれからのJBLを考えるにあたって一石を投じるものといえるように思う。今後、JBLとbjリーグは統合も含めて話し合いに入るというが、是非実現させて欲しいものである。

 しかしそれにしても、田臥のバスケットは面白い。単にうまいだけでなく、魅せるものがある。有料放送のskyA+だけでしか彼のプレーを見れないのは本当に残念だ。今日からはいよいよ、ファイナルだ。アイシンvsリンク栃木。王者・アイシンの方が優勢だろうが、リンク栃木が展開の速いバスケットでどう挑むか。本当に楽しみである。それにしても、JBLファイナルを深夜の録画放送でやるとはどういうことだ。生放送でみたい。

     *     *     *     *     *

 今日の一枚は、エロル・ガーナーの1954年録音作品『コントラスツ』。佳曲「ミスティー」のオリジナル演奏が収録されているアルバムである。いい曲だ、本当にいい曲だ。優美で美しい。しかし、この演奏は短すぎはしないか。うっとりしている間に曲は終わってしまう。感動の時間はあっという間だ。

 まったく独習でピアノをマスターし、読譜の知識もなかったといわれるエロル・ガーナーの演奏をうまいとは思わないが、やはり音楽的才能のある人だったのだろう。「ミスティー」は、ガーナーが飛行機で窓の外の深い霧を眺めていた時、ふとメロディが思い浮かび、ホテルに着くなりピアノの前に駆けつけ作曲したのだという。


「安息の地を求めて」

2010年03月29日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 243●

Eric Clapton

There's one In Every Crowd

Scan10002_3 

 ご無沙汰しています。

 ほぼ、一年ぶりの更新である。一年間も更新を怠っていた理由はいずれ書き記すこともあるだろう。

 さて、しばらくぶりの今日の一枚は、エリック・クラプトンが1975年にリリースしたアルバム、『安息の地を求めて』である。かつての私の愛聴版のひとつである。

 最近、車を買いかえたのだが、その車につけたカーナビゲイションシステムにHDDオーディオ機能というのがあった。CDなどの音源をカーステレオのHDDに貯蔵しておけるというものである。例によってジャズ系のものを何枚か入れてみたわけであるが、ふと、車で聴く音楽には古いロックもいいのではないかと思い立ち、その作業をはじめてみた。いくつかのアルバムをHDDにいれてみて、久しく聴いていなかったこのアルバムを思い起こした。若いころ、文字通りレコード盤が擦り切れるほど聞いたアルバムである。レコードは所有しているが、HDDに入れるにはCDが必要ということで、早速購入してみた次第である。

 やはり、レコードとはどこかサウンドのニュアンスが違う気がするが、一聴して、「ああ、やっぱり、私はこのアルバムが好きなのだ」と思った。思わず顔がほころんでくるのが自分でもわかる。小気味よいレゲエのリズムと歌心溢れるヴォーカル&コーラス、そして何よりチープな感じのギターをフューチャーしたサウンドが好ましい。全編に寛いだ、レイドバックした空気が流れ、文字通り音を楽しむようなヴォーカルとコーラスの、またそれぞれの楽器の掛け合いがたまらなくいい。そして、中盤の⑦ Make It Through Today の静けさ……、身体の細胞の振動と共鳴するかのようなゆったりとした世界は、根源的な安らぎといってもいいほどだ。

 ロック史上の大名盤とはいえないだろうが、間違いなく私のフェイバリット・アルバムのひとつであり、音楽を聴くことの喜びを教えてくれる一枚だ。HMVのウェブのレビューにある藤沢の「サンボボ」さんの「若いときはどうしても461ばかり聴いていたけど年齢を重ねたいまはこのアルバムを支配する空気感がたまりません。これもまた名盤です。」との言葉がこのアルバムの核心を語っているように思う。


In A Jazz Tradision

2009年03月14日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 239◎

Eric gale

In A Jazz Tradision

 今日の一枚もエリック・ゲイル。カセットテープで聴いている。これもCDを購入し損ねたアルバムである。彼がカリフォルニア州のメキシコバハで亡くなったのは1994年だったが、それからの15年という歳月が長いのか短いのかよくわからない。ただいえることは、彼の存在感がしだいに過去のものになりつつあるのではないかということである。例えば先日も記したように、HMVで検索してみるとわずか4枚のCDしかでていない。amazonでも同様だった。驚異的なフュージョングループ「スタッフ」のギタリストとして一世を風靡し、多くのギタリストに影響を与えた彼も、時間の経過とともに忘れ去られていくということなのだろうか。そう考えると、今もっているカセットテープが貴重なものに思えてくる。(まあもちろん、今後CD化される可能性はあるのだろうが……)最近、立て続けに昔のカセットテープを聴くのはそのためかもしれない。

 エリック・ゲイルの1987年録音作品、『In A Jazz Tradision 』。何と、エリック・ゲイルが純正ジャズに取り組んだ一枚だ。Normalポジションながら、TDKのARXというテープに録音されており、思ったよりかなり音がいい。音量を上げても十分に快適に聴ける。参加ミュージシャンは次の通り。

Eric Gale : guitar
Houston Person : tenor saxophone
Lonnie Smith : organ
Ron Carter : bass
Grady Tate : drums

 このおよそエリック・ゲイルらしからぬアルバムの評価は様々であろうが、私としてはサウンド的に多少の物足りなさを感じるものの、演奏自体は結構評価している。まるでロン・カーターのリーダー作であるかのようなジャケット写真からもわかるように、エリック・ゲイルは演奏においても決してでしゃばったまねはしない。あくまでバンドの中のひとりとして、全体のバランスの中でプレイしているようにみえる。しかし、それでいてしっかりとした存在感が感じられるのは、やはりエリック・ゲイルが凄腕ギタリストであることの証なのであろう。純正ジャズを演奏し、サウンド的にもまぎれもない純正ジャズでありながら、どこかフュージョン的な、あるいはエリック・ゲイル的なテイストを感じるのは不思議なものだ。それはオルガンの使用によるものかもしれないし、チョーキングを多用するエリック・ゲイルのプレイスタイルのせいかも知れない。いずれにせよ、優れた音楽家の演奏というものは、そのオリジナリティーが自然に、滲み出るように表出されるものなのであろうか。

 どの演奏も質の高いものであるが、典型的なハードバップでぐいぐい迫ってくる ① Eric's Gale 、私の大好きな名曲 ⑤ Jordu 、ブルースフィーリング溢れる最後の曲 ⑦ Blues For Everybody  、が私のお勧め、特に印象に残った演奏である。


In The Shade Of A Tree

2009年03月11日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 238◎

Eric Gale

In The Shade Of A Tree

Intheshadeofatree

 寒い一日だった。私の住む街(東北地方太平洋岸)では、午後からは雪が舞っていた。数年前に新築した自宅は暖かい。高断熱高気密住宅と温水パネルヒーターのおかげで、家の中ではTシャツ一枚という有様だ。これは正常な人間の生活ではないと思うことがある。暖かすぎるのだ。その暖かさゆえ、人間性を回復したいと考え、時折Tシャツ一枚で外へ飛び出して、寒い風に吹かれ、遠くに家々の明かりを見ながら、闇に向かって立小便をする。気持ちいい。自由で開放的な時間だ。それは、宇宙に向かって立小便をするといったほうが適切かも知れない。それが正常な行動ではないと知りつつも、そうせざるをえないのだ。快適な文明を享受しつつも、一方でそれへの違和を感じてしまう。酔った勢いで短絡的に考えれば、それは始原の記憶のせいなのかもしれない。

 今日の一枚もエリック・ゲイル。どうしちゃったんだろう。ここ数日、エリック・ゲイルばかりだ。もちろんカセットテープである。これもLPからのダビングだったようだが、Normal ポジションながらTDKのARというテープに録音されていて、昨日のIsland Breeze よりはかなり音がいい。最近、聴いてみて思うのだが、カセットテープという媒体もなかなかいいものだ。早送りという機能が簡単にできないのがいい。もちろん、自動早送り機能というものもあるが、CDほど簡単ではなく、一定の時間待たなくてはならない。また、何度も早送りをして、テープが伸びることを心配するため、結果的に早送り機能をを使う頻度は減少する。早送り機能を使わないと、必然的にアルバムをじっくりと聴くことになるのだ。

 1994年に惜しくも死んでしまった、脅威のワンパターン・ギタリスト、エリック・ゲイルの1981年録音作品 In The Shade Of A Tree だ。これも、過ぎ去りしアドレッセンスによく聴いたアルバムである。グローバー・ワシントンJrをフューチャーした② Lonely In a Crowd が素晴らしい。エリック・ゲイル自身もそうだが、グローバー・ワシントンJrのサックスはほんのちょっと聴けばそれが誰の演奏かすぐわかる、個性的ものだ。素晴らしい。⑦ Etoile も好きだ。サイドギターのストロークワークがなんともいえない。若い頃は、例えば Touch Of SilkIsland Breeze に比べるとサウンドがややスカスカでワンランク劣るアルバムのように思っていたのだが、今聴くと決してそのようなことはなく、かなりクオリティーの高いアルバムだと確信する。かつては、先にあげたアルバムに対する思い入れのあまり、公平な評価ができなかったのかもしれない。

 歳を重ね、もう一度同じものを聴いてみるということ……。その頃の情景が頭をよぎると同時に、恐らくはより公平な目でかつての自分自身を見直し、ひとつの総括をするという行為なのかもしれない。


アイランド・ブリーズ

2009年03月10日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 237◎

Eric Gale

Island Breeze

Islandbreeze_4

 先日、Stanley Turrentine :『Straight Ahead 』のカセットテープを久々に聴いたことを契機に、永らくカセットラックに置き去りにされてきた大量のテープのうちのいくつかを聴いたみた。やはり、お気に入り作品であるにもかかわらず、CDに買い換えなかったものがかなりの数あるようだ。

 伝説的なフュージョン・バンド”スタッフ”のギタリスト、エリック・ゲイルの1982年録音作品『アイランド・ブリーズ』。気持ちいい。ワンパターンの指ぐせ全開である。もちろん褒め言葉である。エリック・ゲイルを私は、脅威のワンパターン・ギタリストだと認識している。ほんの少し聴いただけで彼のものだとわかるそのフレーズは、それが指ぐせであるかどうかにかかわらず、完全に個性の領域に属している。ワンパターンに思えるのだが、それが全然いやみにならず、むしろ爽快な気持ちよさを感じさせるところが素晴らしい。

 私の知る彼の作品中、タッチ・オブ・シルクの次によく聴いたアルバムである。録音されているテープは、SonyのBHFというNormal ポジションのもので、録音状態はお世辞にも良いとはいえない。もともとの音源がなんであったかもよくわからず、レコードジャケットもはっきり憶えていない始末だ。録音の状況から、LPレコードからのダビングであることは間違いない。だだ、出はじめのウォーキングステレオで何度も何度も聴いたアルバムであり、今でもギターソロのメロディーがほぼ完全に口をついて出てくる。渋谷の街を駆け巡っていた生意気な日々に、私の耳元でよく聴こえていたサウンドである。CDを購入しようかとwebを検索してみたが、Blue Horizon との2枚合体盤が発売されているのみで、単体としては廃盤の状態のようだ。残念なことだ。このアルバムに限らないのだが、超名盤は別にして、若い頃によく聴いたアルバムが調べてみると廃盤であることがしばしばある。とくに同時代にリアルタイムで聴いた作品がそうであることが多いようだ。その時購入しなかったことをいつも悔やむのだが、当時経済的な余裕がなかったこともまた事実なのだ。仕方がない。So it go (そういうことだ)。

 Sandy Barber のボーカルをフューチャーした② We'll Make It, Sooner Or Later にいつも魅了される。美しい絶品のバラードであるにとどまらず、エリック・ゲイルの繊細で気持ちの良い”ワンパターンなソロ”が最も良質な形で記録されたトラックであろう。


ロング・ロード・アウト・オブ・エデン

2007年12月19日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚203●

Eagles

Long Road Out Of Eden

Watercolors  ちょっと前、たまたま見ていたNHKの夜7時のニュースが、イーグルスが約28年ぶりにニューアルバムをリリースして話題になっている、と報じていた。NHKの夜7時のニュースでだ。これはちょっとした事件ではないか。しかも、結構な時間が割かれていたのだから驚きだ。何でも、社会的なメッセージが含まれているということだった。

 社会的なメッセージに期待して購入したこのアルバムだったが、私を魅了したのはそのサウンドだった。何なのだろう、この安らぎの感覚は。何なのだろう、平穏な心の奥底から込み上げてくる熱いものは。こんなロックが聴きたかったのだ、心の中で私はそうつぶやいた。

 グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットの4人によるイーグルス28年ぶりの2枚組みスタジオ録音作品だ。ドン・フェルダーはどうした、ランディ・マイズナーはどうしたという声が聞こえてきそうだし、事実私もそう思ったものだが、聴き込めばそんなことはどうでもいい。そう思わせるほどにしっかりとした大人のための良質のロック・ミュージックだ。

 心が躍り、思わず笑みがこぼれるような曲がいくつもある。ほとんどすべての曲がそうであるといってもいい。オヤジロックという言葉がある。世間は、もしかしたらこの作品をそのカテゴリーに押し込めるのかもしれない。けれども、私はこの作品を聴いて確信したのだが、少なくとも私にとって、オヤジロックとは「良質のロック」と同義である。ロックがロックとして成立しているようなロックのことである。

 アルバムの宣伝文句には、「カリフォルニアがまだ遠かった僕らの青春時代。僕らはイーグルスを聴いて大人になった。」とある。中年をターゲットにした回顧趣味的で凡庸な文章だ。我々の心の奥底を揺さぶるようなこの作品に、この宣伝文句はふさわしくはない。中年諸君は、もっとはっきりと、《 私は本当のロックを知っている。そして今でも我々にはイーグルスがいる 》、というべきだろう。


ユートピア

2007年08月26日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 194●

Eric Gale

Utopia

Watercolors0009_5  残暑厳しい日曜日、午後からコーチを務める高校女子バスケットボール・チームの練習に付き合い、夕方から自宅のテラスで冷たいビールを飲んだ。ちょっとしたリゾート気分だ。夏休みの最終日で残った宿題の始末に追われる我が子どもたちには気の毒だが、幸福な時間だ。程よい疲れが、脱力感をともない、かえって気持ちがいい。こんなリゾート気分にフィットする音楽はないものかと考え、頭に浮かんだのは、脅威のワンパターン・ギタリスト、エリック・ゲイルの"ISLAND BREEZE"だったのだが、レコード棚を探してもなかなか見つからない。確かにあったはずなのに、一体どこにいったのだろう。

 あきらめて、かわりに取り出したCDがこのアルバムだ。エリック・ゲイルの1991年録音作品『ユートピア』、エリック・ゲイルのラスト・レコーディングである。周知のように、エリック・ゲイルは、1970年代にフュージョン・ミュージックのパイオニア的グループとして活躍した"スタッフ"のギタリストだったわけだが、私はソロになってからのエリック・ゲイルの方が好きだ。何というか、人間的な温かみがあるのだ。思えば、エリック・ゲイルは卓越したテクニックをもちながら、超絶技巧に走らず、最後までフィーリングを大切にしたプレイヤーだったように思う。彼のギターからはその人の良さと、他者に対する温かさを感じることが出来る。聴衆の度肝をぬく超絶技巧も素晴らしいが、演奏から人柄を感じることが出来るというのも素晴らしい表現力なのではなかろうか。

 雑誌『ADLIB』の編集長、松下佳男氏はこのアルバムについて、「ヒューマンであったかいムードが心にしみるエリックのギター!今の時代がうしなっている音楽が、このアルバムには確実にある」と、絶賛している。今の時代が、ヒューマンな音楽を失っているかどうかは別として、人間味のある穏やかで温かなフィーリングが伝わってくるのは確かだ。加えていうなら、今日聴いてみて、このアルバムでも十分リゾート気分を味わうことができた。

 暑い日中の後の涼しい夕べ、心地よい脱力感と冷たいビール、秋を感じさせる虫の声と遠くを走る自動車たちの明かり、心温まるエリック・ゲイルの『ユートピア』、……、気分が良い。幸福だ、と思う。およそ一時間の幸福……。

 たった一つの不安、"ISLAND BREEZE"のLPはどこにいってしまったのだろうか。


461オーシャン・ブールヴァード

2007年07月15日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 181●

Eric Clapton

461 Ocean Boulevard

Watercolors0012_2  久々にロックだ。エリック・クラプトンの1974年作品『461 オーシャン・ブールヴァード』。名作である。『レイラ』発表後、ヘロイン中毒でロックシーンから姿を消していたクラプトンが、再起を期して発表したアルバムであり、例えば渋谷陽一はこのアルバムについて、

《 堕ちるところまで堕ちた人間がつかみとった救い、というある種ゴスペル的でスピリチュアルな感じのアルバム…… 》

などという過大とも思える評価を与えている。ちょっといいすぎであると思う反面、このアルバムとそれに続く『安息の地を求めて』『ノーリーズン・トゥ・クライ』が、人生の苦杯をなめた男の、肩の力を抜いた安息の境地を感じさせるのは確かだ。

 ギターの神様などといわれたクラプトンが、クリーム時代のような長大でひけらかすギターソロをとることもなく、あるいはむしろそれを封印して、歌を歌い、音楽を演奏するという行為に専念しているところが好ましい。ギターソロが極端に少ないということに不満を感じつつも、この作品の持つ何かに魅了され、高校三年生の夏休み、私は数十回もこのレコードをターンテーブルにのせたものだ。

 最近、押入れの古いダンボール箱の中から、クラプトンにまつわる「完全コピー譜」やギター教本を発見した。ギター少年の私は、どちらかというと、ジェフ・ベック派を自認していたのだが、クラプトンからも多くを学んでいたのかも知れない。しかし、『461 オーシャン・ブールヴァード』以降のクラプトンはギターの神様であることをやめ、普通の洋楽ミュージシャンになってしまったようにも思える。ギター少年だった私にとっては、聴くミュージシャンではあっても、学ぶミュージシャンではなくなってしまったと思われたものだ。そう考えると、『461 オーシャン・ブールヴァード』に魅了されつつも、何か複雑な心境だ。

Watercolors0014_1 Watercolors0015


コンサート・バイ・ザ・シー

2007年07月13日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 179●

Erroll Garner

"Concert By The Sea"

Watercolors0010_3  言わずと知れたエロル・ガーナーの有名盤、1955年録音の『コンサート・バイ・ザ・シー』である。私はCDで所有しているのだが、だいぶ前に購入した輸入廉価盤なので、オリジナルのものとはジャケットがやや異なるようだ。

 もう20年近く前であるが、当時好きだった作家、高橋源一郎が推薦している記事を読んで購入した。ガーナーの代表作にして名盤といわれる作品である。ビハインド・ザ・ビート、つまり左手のバッキングにやや遅れて右手のメロディが入るガーナー独特のビート感覚を記録した代表的作品とされるものである。けれども、私は最近までこのアルバムの良さがどうもピンとこなかった。若い頃の私の悪いくせだが、ビハインド・ザ・ビートなどという「特殊な用語」がでてくると、それを理解したいがために、教養主義的あるいはお勉強主義的に聴いてしまうことがあったのだ。この作品も然りだ。ビハインド・ザ・ビート……、なるほど、フムフムなどとわかったようなつもりになったものの、何がすごいのかよくわからない。どこがいいのかがピンとこない。結局このCDは、以後20年近く、私のCD棚で眠り続けることになってしまった。

 ふとしたことがきっかけで、約20年ぶりに聴いてみたわけだが、何となく、その良さがわかったような気になった。結局、難しいことではなく、ノリの良さがすべてなのではないだろうか。ノリの良さと爽快なスウィング感、そしてライブ特有の大胆な崩した弾き方、大胆に崩してはいるが、あるいはそれ故に、溢れんばかりの歌心が伝わってくるところ。それらが、この作品の良さであろう。

 年齢を重ね、肉体は衰えていくが、若い頃の先入観や思い込みから解放され、少しだけ肩の力を抜いて、「自由に」物事を感じ、考えることが出来るようになること。私はまだまだそれ程の年齢ではないが、四十代も半ばをすぎた今、年齢を重ねることの効用をそんなふうに感じることもある。

 エロル・ガーナーは、1921年6月ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。77年、56歳で死去した。


モカ イルガチェフェ G-1

2007年06月09日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 171●

Eddie Higgins

Don't Smoke In Bed

Watercolors0002_10  今日は久々の完全オフだ(といってとも持ち帰りの仕事はあるのだが……)。早めに朝食を済ませ、コーヒーを淹れて、しばらくぶりに静かで穏やかな朝の時間を過ごしている。私は近所のスタンド・コーヒー店で豆を買っているのだが、今飲んでいるやつがなかなかうまい。エチオピア産の「モカ イルガチェフェ G-1」という豆だ。程よい酸味とコクがあり、上品な香りがする。私は決してコーヒー通ではないのだが、一口のんでこれは全然違うとわかるものだ。聞くところによると、エチオピア産のコーヒーの中でも最も品質が高く評価されているものらしい。

 2000年録音のエディ・ヒギンズ・トリオ『ベッドで煙草はよくないわ』だ。ドラムレスのピアノ・トリオで、ベースはジェイ・レオンハート、ギターはジョン・ピザレリだ。もう7年も前の作品なのですね。時間が経過するのは早いものだ。このころのエディ・ヒギンズはヴィーナス・レーベルから続けざまに作品を発表し、どれも好調な売り上げを記録していた。ジャズ雑誌の広告にも頻繁に登場し、一世を風靡したものだ。私もご多分に漏れず、何枚かのCDを購入し、はまったという程ではないにしろ、結構熱心に聴いたものだった。けれども、いつしか流行も終わり、エディ・ヒギンズのCDもトレイにのることは少なくなった。昨日、ジェイ・レオンハートのリーダー作を聴いたのがきっかけで、しばらくぶりに聴いてみようかという気になったのだが、今聴くとこれがなかなかいい。本当に寛いだ演奏だ。ドラムレスの良いところが前面にでている。メロディアスでゆったりと流れるサウンドは、今日のような静かで穏やかな朝にはぴったりだ。

 60年代や70年代なら、軟弱者とかプチブルとか罵倒されたかもしれないが、人生のBGMとして生活のクオリティーを上げ、疲れきった神経を補正して、自分自身を取り戻すのも、Jazzを聴くことの効用のひとつだ、と今は思う。

 


哀愁のヨーロッパ

2007年01月31日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 122●

European Jazz Trio     Europa

Watercolors0002_3  ヨーロピアン・ジャズ・トリオの2000年録音盤。当時新進気鋭のギタリスト、ジェシ・ヴァン・ルーラーがゲストとして4曲に参加しており、なぜか、スウィング・ジャーナル選定ゴールド・ディスクのマークがはいっている。

 ヨーロピアン・ジャズ・トリオというグループに私は懐疑的だ。このCDも発表後割合はやい時期に購入したが、1~2度聴いただけで、CD棚に放置されることになった。何というか、演奏が予定調和的に思えるのだ。原曲のメロディーを大切に演奏する姿勢はある意味で買うのだが、演奏自体があまりに当たり前で、驚きや新鮮な感動というものがない。かつての、マンハッタン・ジャズ・クインテットに通じるものがある。決して、悪いアルバムではないような気がするのだが、なぜか聴く気がしなかったのだ。

 今日、本当にしばらくぶりにかけてみた。読書のBGMとしてだ。どうだろう、驚いたことにBGMとして聴くにはすぐれたアルバムだ。決して読書の邪魔をしないし、人の神経を荒立てることもない。何よりとても気分よく読書の時間を過ごせる。アイロニカルな言い方に聞こえるかもしれないが、まっとうな意味で、BGMに適した音楽だと思う。よく見てみれば、帯の宣伝文句もこうだ。「香気漂うピアノ・トリオ、完成したヨーロピアン・エレガンス」……なんだ、そうだったのか。製作者側もそのようなコンセプトで作っていたのですね。

 ジャズにもいろいろなジャズがあり、いろいろな聴き方があるのだ。


ノスタルジア

2006年12月29日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 107●

Fats Navarro     Nostalgia

Watercolors_3  26歳で早逝したバップの天才トランペッター、ファッツ・ナヴァロが、1946~1947年にサヴォイに録音した作品。

 すごい、何がすごいって、録音されたのが1946~1947年だということだ。だって、戦後すぐじゃないか。例えば、安倍極右政権が改正しようとしている「日本国憲法」が制定されたのが1946年、施行されたのが1947年なのだ。この時代にアメリカ人は、流れるようなアドリブ演奏を行っていたのですね。録音とアレンジはやや時代を感じさせるものの、演奏それ自体はまったく古さを感じさせない。60年も前の演奏だなんて信じられないほどだ。

 ナヴァロは、一応「天才」ってことにはなっているが、活動期間が短く残した作品が少ないため、ディジー・ガレスピーとクリフォード・ブラウンをつなぐ人という評価になってしまっている部分があるのは可愛そうだ。

 それにしても、ファッツ・ナヴァロ、クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、ブッカー・リトルと夭折のミュージシャンにはどうしてトランペッターが多いのでしょうね。

 ファッツ・ナヴァロが麻薬と結核のために死んだのは1950年のことだった。