今日は春の運動会の予定でしたが、残念ながら天候不順のため明日に順延となりました。思わぬ休日に当たり、史跡巡りで、工業団地内にある八幡山古墳にいってみました。「関東の石舞台」と呼ばれ古墳の塚の中にある石室がむき出しになっています。
7世紀前半の古墳とされ、昭和19年に埼玉県指定史跡になっています。昭和9年の市内小針沼の干拓のために、古墳の塚を切り崩しその過程で横穴式石室が現れたようです。普段は石室は施錠されており、土日の昼間だけ公開されます。羨道から奥まで入ることができ、埋葬者の気持ちで石室の天上を見上げることができます。また奥室は昼間でも暗いためセンサーライトがつけられています。羨道の入り口に八幡社の石祠が佇みます。設置されている資料によれば、この古墳は物部連兄麻呂が埋葬されたとされる説があるそうです。聖徳太子の部下としてつかえたとされ、633年に武蔵国造に任じられています。歴史の教科書から地元の古代史に繋がります。六年生長女が興味深く見ていました。
7世紀前半の古墳とされ、昭和19年に埼玉県指定史跡になっています。昭和9年の市内小針沼の干拓のために、古墳の塚を切り崩しその過程で横穴式石室が現れたようです。普段は石室は施錠されており、土日の昼間だけ公開されます。羨道から奥まで入ることができ、埋葬者の気持ちで石室の天上を見上げることができます。また奥室は昼間でも暗いためセンサーライトがつけられています。羨道の入り口に八幡社の石祠が佇みます。設置されている資料によれば、この古墳は物部連兄麻呂が埋葬されたとされる説があるそうです。聖徳太子の部下としてつかえたとされ、633年に武蔵国造に任じられています。歴史の教科書から地元の古代史に繋がります。六年生長女が興味深く見ていました。