皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

しもつかれ、すみつかれ

2018-02-21 21:06:11 | 食べることは生きること
[user_image 36/13/e3f9f40d6e0d3afa11fabc761f47faed.jpgB級グルメという言葉が流行って久しいか、北関東の郷土料理に「しもつかれ」なるものがある。我がではずっと「すみつかれ」と言って母が今でも作っている。下総の国茨城では国名にちなみに「しもつかれ」の名でスーパーの店頭にも並ぶ。
初午の日に赤飯と共に稲荷神社に備えるのが習わし。鮭の頭と野菜の残りを煮込み大根おろしと混ぜた料理だ。子供のころは、決して美味しいとは思わなかった。茨城で働く事になって、まさか店で売っているとは思わなかった。名前の由来は宇治拾遺物語の説話にあるらしく、「酢む漬かり」を起源とするらしい。発音から言えば、我が家の「すみつかれ」のほうがより近い。「宇治拾遺物語」は仏教説話、民間伝承などを収録した13世紀の物語集。「今昔物語」と並ぶ作品とされる。「わらしべ長者」や「こぶとりじいさん」などが有名だ。私はこのわらしべ長者の説話が好きだ。縁を紡いで豊かになる物語だ。
我々世代では森高千里の「ロックンロール県庁所在地」にバックコーラスフレーズとして、歌われている。
稲荷神社の神使は狐であることから、お供えとして、油揚げを上げるが、地方によっては赤飯をお供えすることも多いあり、行田市桜町(長野)の久伊豆神社の境内社は赤飯稲荷(しゃくじきいなり)と呼ばれている。赤飯と共にすみつかれも供えられていたのだろう。
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鷺栖神社と石田堤

2018-02-21 20:27:33 | 神社と歴史 忍領行田

 荒川左岸に位置する行田市門井町は元荒川水源近くに位置し、忍城水攻めの際に築かれた石田堤の西の端にあたります。当地の鷺巣神社は現在この堤後に建てられていて、小高い塚の上に立つ社殿の様子はことのほか美しく見えます。元は神明社と称し、いつのころからかこの社に鷺が飛来するようになり、棚田村の鷺栖神社から分霊し勧請したと伝わります。慶長期に社殿が構築されたとあるため江戸初期の頃です。その後大井村から分村し門井村となり、伊勢に倣い月読神社等を祀り、明治になって山神社、塞神社など合祀しています。主祭神は日本武尊。土地柄農耕治水の神として信仰されてといわれます。
 元荒川の氾濫から水の神として信仰され、口碑に江戸期久下村(熊谷市)の土手が切れ大水害となった際、この地では堤に神社を祀っていたため難を逃れたと伝わります。現在でも神社脇の道は狭く、JR行田駅からわずかの距離にもかかわらず、静かな環境です。この道の先に棚田神社があり、道沿いには道祖神、賽神が祀られ、それぞれ延宝七年、寛文十三年の年号が刻まれ、江戸期からの信仰が見て取れます。

農業地区から駅前の信仰住宅地に変化しつつも、最近行われた伊勢講、出雲講の石碑が建てられており、地域の神社に対する信仰の深さが分かります。
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