忍城の西、大宮口と呼ばれる城門は天正18年石田三成が忍城攻めの火蓋を切った所とされる。やがて攻めあぐねて、世に有名な水攻めが始まる事となった。大宮口の久伊豆神社は、その名前通り武蔵一ノ宮氷川神社から勧請している。但し御祭神は事代主命。
創建年代は明らかでないが、成田氏が忍城築城に際して、裏鬼門に当たる故をもって産土神久伊豆神社を祀ったものである。城表鬼門避けの長野の久伊豆神社と区別している。拝殿前には一対の灯明が残っているが、成田氏長は社殿消失の際、大宮の一石を灯明代として免地としたと伝えている。
九月五日の大祭は盛大で、城下に響き渡るが如く花火がうち上がる。灯籠も数多くたてかけられる。氏子の敷地には屋敷稲荷が多く、初午にはすみつかれを供えることが習わしだったとされている。
創建年代は明らかでないが、成田氏が忍城築城に際して、裏鬼門に当たる故をもって産土神久伊豆神社を祀ったものである。城表鬼門避けの長野の久伊豆神社と区別している。拝殿前には一対の灯明が残っているが、成田氏長は社殿消失の際、大宮の一石を灯明代として免地としたと伝えている。
九月五日の大祭は盛大で、城下に響き渡るが如く花火がうち上がる。灯籠も数多くたてかけられる。氏子の敷地には屋敷稲荷が多く、初午にはすみつかれを供えることが習わしだったとされている。