皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

第22回講座はストレッチ運動

2019-02-09 21:40:36 | 生涯学習

行田市民大学9期生2学年第22回講座はストレッチ運動。場所は行田市総合体育館グリーンアリーナでした。2年に渡る市民大学講座も今回が最終講座で、残すカリキュラムは各グループにおける研究発表を残すのみとなりました。

 行田市民大学は通常講義は前谷地区のものつくり大学の講堂や教室をお借りしていますが、入学式と2学年合同の運動企画はここグリーンアリーナで行われます。当日はメインアリーナで広々とストレッチ運動を学びました。またサブアリーナでは行田市美術展の準備が行われていました。

2学年合同ですと70名を超える参加者となり、アリーナも賑やかでした。講師は昨年に引き続きクレーマー鍼灸整骨院院長 祖山 旭先生です。

歩き方の基本から学びましたが、大切なのは股関節に重心を置き背筋を伸ばすことのようです。これが難しい。仕事で毎日20000歩以上歩いていますが、意識して歩いていない為かえって背中や膝に負担がかかっているようです。

 体の柔軟性は年齢に関係なく、取り組んでいる人のほうが明らかに柔らかい。私は立位体前屈がマイナスなくらい体が硬い!同じ班の女性陣に大いに笑われてしまいました。

 所要のため途中退出してしまいましたが、楽しいひと時でした。学ぶことも大切ですが、仲間と身体を動かすことは生涯学習においてもっと大事なことの様に思います。

来週は研究発表資料の準備。そして今月21日に研究発表となります。当日の様子は地元ケーブルテレビに収録放映されます。

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川越 仙波東照宮

2019-02-09 19:51:41 | 神社と歴史

川越の名刹天台宗喜多院と境内を接し、市街地となった小仙波地区に鬱蒼とした杜があり、その中心に東照宮が祀られている。仙波東照宮は地元の人々に「御霊舎」(おやたま)と呼ばれ親しまれている一方で、地元の氏子組織はないという。

境内東口に建つ隋神門は八脚門と呼ばれる特殊な構造で、門柱四本の前後に各々四本の控え柱を設けた重厚な門のことを呼ぶ。寛永十五年(1638)に堀田正盛奉納の石鳥居と並んで重要文化財に指定されている。

 喜多院は天長七年(831)年再興とされる古刹で、天正十六年(1581)に入山した天海は慶長十六年(1612)徳川家康に謁見し、「黒衣の宰相」と呼ばれるほど幕政に関与している。家康が元和二年(1616)駿府で没すると、亡骸を久野山から日光へと遷す途中、元和三年三月二十三日から四日間喜多院に留め天海自ら導師となり大法要を営んだという。神棺は久野山から東海道を通って、小田原から府中・ここ川越、そして行田(忍)を経由して利根川を渡り、佐野・鹿沼を経て日光へと到着したという。

 天海はその年の九月に東照宮を勧請し、社殿は寛永十年に建立されている。天海が家康の死後直ちに東照宮を祀ったことは家康公追慕の念によるもので、他の東照宮の勧請とは趣を異にするとされる。

本殿は江戸城二の丸の東照宮を遷したと伝えられていて、手水舎に「寛永十四年九月十七日御本城御社御宝前」と刻まれている。天海の私祭から創始された祭りも幕府の関与が強まり、寛文元年(1661)には二百石が社領として寄進されている。

 知恵伊豆と称され、忍藩主と家光の代に老中を務めた松平信綱奉納の石灯籠なども奉納されている。

 普段は門扉は閉められており、石段を登って門の前で参拝する形式であるが、正月、年三回の祭礼と日曜日に開扉の日と定めているようだ。

 

 

 

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川越八幡神社

2019-02-09 15:41:43 | 神社と歴史

長元元年(1028)下総国千葉城の城主であった平忠常が謀反を起こし、安房、上総、下総の三国を勢力下におき、同三年武蔵国に侵入したという。(平忠常の乱、長元の乱)朝廷は討伐軍を派遣するも三年に渡り、制圧することができなかったという。そこで冷泉院判官代甲斐守であった源頼信に忠常追討の宣下があり、頼信は川越まで陣を進め源氏の氏神であり武神でもある八幡神社に祈願し、忠常軍に斬り込み朝敵を撲滅したという。八幡神誉田別命の御神徳に深く感謝し、社殿を祀ったことを起源としている。

 時代は下り長禄元年(1457)河越城を築いた太田道灌は八幡社を武運の神として崇め、城の守護神とし以来川越城主より代々厚い崇敬を受けたという。

境内末社に多くの信仰を集めるものがある。

目の神様には大国主命と少彦名命を祭る。古事記神話において兄弟の様に力を合わせ国造りをしたという。国々を巡り生活の向上や医療の道を開き、病に苦しむ人々を救ったことから「心身の目」救う神として信仰を集めるという。目のお守りを頂き、心願成就をする人が多い。

本殿前に祭られる民部稲荷社には不思議な逸話が伝わる。

 昔、八王子にあった寺の小僧が、毎晩どこかに出かけるので、不思議に思った住職が小僧に問うたところ、山奥の民部様という武家の所に行くと答えた。住職は小僧がお世話になっている礼を述べたいと民部を寺に招いたという。其の夜民部は共を一人連れ寺に訪れると手厚くもてなされたという。酒がすすんで話題が相撲のことになると、小僧と民部の共のものが相撲を取って、大いに盛り上がったという。

 翌朝小僧と民部の共のものが相撲を取った場所に行ってみると、狐の毛が散らばっており、民部にその旨問うてみると、民部は自分は狐であり、人間と付き合うのが好きで、昨晩は楽しい思いをさせてもらったが、他の狐に人間と付き合っていることを咎められ、八王子にはもう住めなくなったので川越の梵心山に行くと告げていなくなったという。

 その梵心山が川越丸広デパートの付近で、長らく民部稲荷が祀られていたが、明治になって八幡社境内に合祀されたという。丸広デパートにはこの稲荷様が分祀されていて、別名角力稲荷と称して多くの角力の絵馬が奉納されたという。

狐の逸話は各地に残っていて、稲荷神社として現在でも大事に祀られていることが多い。

 

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月と太陽

2019-02-09 15:14:08 | 生活

 丸いのが当たり前と思っている太陽が突然欠ける「日食」は太陽の前を月が横切って隠すために起こる現象です。

 月が太陽よりわずかに小さく見えるときは、月の周りから太陽がはみ出してリング状に見えます。これが「金環日食」です。逆に月が大きく見えるときは、太陽が完全に隠れ、この時の日食を「皆既日食」と呼びます。

 毎日のように目にする太陽の直径は月の約400倍で太陽の方がはるかに大きいのです。それではなぜ、大きな太陽を小さな月が隠すことができるのでしょう。

 実は地球から太陽までの距離は地球から月までの距離のやく400倍なのです。つまり「約400倍」という偶然の一致が、太陽と月がほぼ同じ大きさに見えるという日食の秘密なのです。

 小学校4年生の国語の宿題プリントから引用しています。国語という読み書きがしっかりできてこそ自然科学の面白さも広がるのではないでしょうか。古事記における三貴神は天照大御神、月読命、素戔嗚尊でした。

 

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