皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

下忍神社と金毘羅様

2019-02-14 23:10:14 | 神社と歴史 忍領行田

下忍の地名は上(殿様)に対するもので、当地は武士が住んでいたことから忍城に対して下忍と呼ぶようになったという。

口碑によれば「下忍神社は昔久伊豆神社と呼ばれ、武蔵七党の一つ私市党(きさいとう)の氏神であった」という。新編武蔵風土記稿の記載には「久伊豆社、村の鎮守、明光寺持」とある。明治の神仏分離によって寺の管理を離れたが、合祀された高畑の琴平神社は明光寺の本山行田遍照院の金毘羅大明神で、海運神としての信仰を持ち合わせている。

琴平神社奉納の「新川早船絵馬」は明治6年の奉納で、市の指定文化財となっている。新川とは新川河岸のことで、荒川開削以降に開かれた忍藩の年貢米を運ぶ河岸として栄えたところで、鉄道開設によって大正期には消滅したという。絵馬には早川の様子と河岸問屋が描かれ、波頭が見事に表現されている。商売繁盛と海運安全を祈願して船運の信仰のある琴平神社に奉納した貴重な資料として価値があるという。

下忍は武家の村として古くから信仰心の厚い所として知られていたという。子供の内から天神講として祭典に参加し習字などを習わせたという。また伊勢講も盛んで一生に一度の大仕事として費用を熱心に積み立てたという。また講から帰ると伊勢講付き合として末永く続けることが多かったという。

忍藩武士の名残が連綿と続く土地柄であったことがうかがえる。

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研究発表資料作成

2019-02-14 21:11:19 | 生涯学習

行田市民大学9期生2学年歴史文化グループの研究発資料作成を星宮公民館にて行いました。

来週21日が発表日で資料提出日は18日の午前中です。1年間の活動をまとめ発表資料として80部の提出を求められています。市民の手作りの大学ですが、それぞれのグループごとに研究をまとめ発表し、後に製本して残してもらえるのです。

市役所の人づくり支援課を通じて各公民館に活動協力の依頼がされていますので会議室を借り、印刷機も利用することができます。(印刷代は各公民館規定に沿います)今年で2年目ですので、印刷と製本(ホチキス止め)も手際よくすることができました。

公民館掲示板には来年度受講生募集のポスターも掲示されています。私が9期生募集の案内を見たのは行田市総合体育館グリーンアリーナの廊下でした。スマートフォン、SNS全盛の時代ですがこうしたポスターや人づての情報にこそ身近に感じ、興味をもつことが多いと思います。

作業終了後、慰労会を兼ねて持田の老舗満る岡にて食事会をしました。折角の機会は地元の名店でということで、お値段的には奮発することになりましたが、お座敷を予約していました。

2年間のお付き合いの中で、様々な場所を巡り食事もともにし本当に楽しい時間を過ごしてきました。もうしばらくで市民大学の活動は卒業となりますが、これからもご一緒することを約束し、打ち上げとなしました。

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