皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

響け!trombone~③埼玉県警察音楽隊編

2019-02-12 20:09:25 | 日記

地元の小学校で埼玉県警察音楽隊の音楽鑑賞会が行われました。県警の広報活動の一環として長い歴史があり、小学校まで出向いて子供たちの目の前で演奏してくれます。子供の連絡帳を通じて案内があり、仕事の休みにあたったため夫婦で見に行くことができました。

警察音楽隊とは音楽の演奏を通じて市民社会との融和を図るため、警察活動の広報活動として警察官によって編成される部隊とのことです。奥さんが市民団体にて吹奏楽をやっており、また中学に入った娘も吹奏楽部でトロンボーンを吹いている音楽一家になってしまった我が家では、こうした音楽のイベントがあると進んで鑑賞に行くようになりました。私は音楽はさっぱりですが。娘の吹いているtromboneは金管楽器の一種でイタリア語で「大きなトランペット」意味します。

プロの警察の音楽部隊。勿論演奏も上手ですが、市民楽団に比べると表情が硬いようです。そこが市民の安全を守る警察官らしくていいところです。楽しい音楽のひと時でも警察官としての雰囲気がありました。

 小学生への安全指導として「いかのお寿司」というフレーズがあります。

知らない人についていかない。

知らない車にはらない。

おきな声を出して逃げる

怖くなったらぐ逃げる

どんなことがあったか大人にらせる

以前から標語として見聞きしたことがありましたが、今日はオリジナルソングとして聞くことができました。この曲が一番盛り上がったようです。手拍子も催促して子供たちも歌いましたが、唄っている隊員の方は大まじめの表情です。

小学校の校歌も演奏してくださり、伴奏として子供たちが唄うことができます。一回のコンサートのために、小学校の校歌を練習してきてくれるわけです。コンサート同様子供たちからアンコールも入り話題曲の「USA」を演奏してくれました。

今回の音楽隊招待は教頭先生が応募して実現したようです。こうした演奏会を通じて子供たちの中には音楽に興味を持つ子もいると思います。僅か70名のあまりの全校生徒の前ですが素晴らしい演奏が披露され、拍手も鳴りやまない様子でした。

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持田口御門跡

2019-02-12 19:31:30 | 行田史跡物語

国道125号城西交差点、今は動かなくなったからくり時計の反対側に持田口御門跡が建っている。

忍城西口の固めとしての役割は大きく、この御門から城内となって侍以外の出入りは困難であったという。皿尾口、大宮口と並んで二重の曲輪と水路で守られていた上に持田口は二重の橋で隠された上に門番が厳重に警護したという。いもでも道幅が広くなっているのは当時の名残である。

 「成田記」によれば天正18年(1590)6月館林城を落とした石田三成軍は忍城を完全に包囲したが十日に及ぶ総攻撃にも忍城を落とすことはできず、水攻めの命を受け、丸墓山から堤根、吹上、久下へと石田堤を築き上げた。

 同年7月1日真田昌幸、信繁親子が援軍に来て持田口を総攻撃。守兵も良く耐え忍びここを守り抜く。4日に信繁は馬に乗り紅白の陣羽織を纏って陣頭にて攻め立てるも、本丸から駆け付けた甲斐姫は大将を務めて「敵大軍為れども臆するな」と叱咤激励し応戦すると、石田軍は夕刻を迎えて引き上げたという。

明治六年(1873)、行田町から持田口御門まで現在の国道125号を造ることとなったが、市役所から諏訪曲輪までは当時も沼で、難工事が続き、完成まで20年間近くかかったという。

 また成田氏落城後、家臣退去の折にはここを出て皿尾の長大道を通り熊谷の旧成田地(上之)に落ちていったことから、長大道のことを成田道と呼んだという。

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