武蔵一宮氷川神社の摂社の一つに門客人神社が祀られている。御祭神は足摩乳命・手摩乳命。氷川神社のご祭神素戔嗚命に嫁いだ稲田姫命の親御神とされている。しかしこれは表向きの話で、実は門客人神社にもっと深い意味合いが隠れているともいう。
一般に神社に祀られている神はその御祭神はいわば公認された神とされる。原則的に記紀神話に連なる天神地祇、または天孫に帰順し、その神話体系に組み込まれた神という。しかしながら、記紀以前からこの国に存在し葦原中国に土着していた古くからの神もいたという。
そこで天津神の尖兵として、経津主神(香取)、建御雷神(鹿島)の二神が天津神の意向にそぐわない土着の神々を次々と抹殺していったという。その勢いは凄まじく草木や石までも平らげたと伝わる。しかしながら古代の異端史の中には神武天皇の代に於いて、天皇家に滅ぼされず津軽に亡命し、東日流王国を形成した一族がいたという。アラハバキ王国と呼ばれる一族だ。(『東日流外三郡誌)史伝によれば邪馬台国の王であった長脛彦とその兄、安日彦を祖とする。
出生が不明の神を門前客神とした柳田國男の説から、飛躍する形で、アラハバキ神は日本の全土に影響を及ぼしていた可能性があるという。
青森県亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土器はアラハバキ族を模したとされている。土着神である国津神であった部族が朝廷との争いに敗れ、その地の
新たな神の門番的な地位に降格させられ門番神としての扱いとなった可能性があるという。
偽書とされ学問の対象から外されていた異端史書から新たな日本の成り立ちの過程が明らかになることもあるえるという。
闇に閉じ込められた神々の封印が解かれているようだ。