今年もNHk大河ドラマがスタートした。時は戦国、主人公は明智光秀。『麒麟が来る』のタイトルもまたとても興味深く、開始2話ながら戦国の物語に引き込まれてしまった。第一話での光秀の言葉に『旅をして解った。京にも美濃にも麒麟はいない。ならば自ら麒麟となって戦いのない世を作る他ない 』といった台詞があり、やはり時代を問わず生きる上での使命を持った人はかがやきを見せると感心して見ていた。
近年の大河ドラマで特に記憶に残った作品はやはり2016年の『真田丸』。堺雅人演じる真田信繫が、北条攻めに際して、時の4代当主氏政を説得したシーンを覚えている。
氏政を演じていたのは高島政伸でその演技ぶりは今回麒麟が来るの齋藤道三役、本木雅弘に通じるものがあるように感じた。
結果からすれば豊臣軍に屈した北条の当主として敗者のイメージが付きまとい、後世に於いてもその負の側面を表した逸話がついて廻る。
氏政の有名な逸話の一つに『汁かけ飯の話』が残っている。
食事の際、氏政が汁を飯にかけて食したところ、その汁が足りなかったのかもう一度汁をかけたしたという。これを見た父の氏康が『毎日食事をしておきながら、飯にかける汁の量も量れんとは。北条も儂の代で終わりであろう』と嘆いたというのである。汁かけの飯の量も量れぬものに領地や家臣を推し量ることはできるはずもないとの意味である。
結果的に小田原落城を招いたことで、氏政の評価は低くみられがちだが、実際にはこの逸話は後世の創作だったようで、同様の逸話が毛利元就と輝元の間にも残っているという。
『麒麟が来る』に戻るが、歴史は勝者によって語られる。敗者は汚名を着せられて時の流れに漂うしかないのなかったのだろう。だから勝ち抜かなければならない。目の前の敵を切り倒さなければならない。少なくとも近世まではそれが世の常だった。
平和な時代に生かされることで、その敗者の歴史にも光を当てることができるのだろう。
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