100年ほど前に荒川の水運で栄えた久下新川村。現在その姿はなく、今は荒川堤の中に一部耕地が広がるばかりではありますが、当時の様子を伝える逸話が今も残っています。
新川地区は今もそうですが、昔も堤外にあり毎年のように洪水に悩まされていました。
ある年かつてなかったような大水が新川村をおそいます。村人たちは高台へ逃れて何とか命拾いしましたが、自分たちが丹精込めて耕した田畑やついさっきまで暮らしていた家々は今にも大水に吞まれようとしているところをただ茫然と眺めることしかできませんでした。
その時です。とてつもなく大きなうなぎが下流から川をさかのぼって来るではありませんか。その姿を見て村人たちは「これは神様のお叱りに違いない」と思って土下座して拝んでいると、やがてうなぎはゆうゆうと泳いで上流の方へ消えていったといいます。
すると驚いたことに、水がいっせいに上流のほうへと向きを変え、大うなぎが泳いでいく方向へ逆流し始めたのです。おかげで村は大水から救われました。
そればかりではありません。それからしばらくたってまたまた村が大水にみまわれた時、今度は更に急だったため、かなりの村人が激流に呑まれ流されそうになったところ、またしてもあの大うなぎが現れて、溺れかかった人々を背中に乗せて、次々に高台に助け上げてくれたのです。
このように二度までも大うなぎに助けられた新川村の人々はうなぎを神として祀り、二度と食べなかったということです。
『熊谷市史』「ふるさとの話」より
うなぎにまつわる逸話や伝承も全国各地に見られます。埼玉の鰻といえば浦和が有名ですが、北埼玉の行田、熊谷にも多くの鰻の老舗名店があります。余談ではありますが、私自身結婚する際、地元の鰻の名店の御座敷にて結納をしたことを懐かしく思います。
ニュージーランドの先住民マオリ族もうなぎを神聖な生き物として崇拝の対象にしているといいます。
うなぎは古くから日本人の食文化として親しまれてきた一方生態については謎の多い生き物とされています。身近な御馳走として食べられた歴史の陰で、神秘的な生き物としても語り継がれているようです。
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